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挑戦する者たち 佐藤天彦九段―千田翔太五段:第2期 叡王戦 決勝三番勝負 第1局 観戦記

プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトの頂上決戦「電王戦」への出場権を賭けた棋戦「叡王(えいおう)戦」。
羽生善治九段も参戦し、激戦となった第2期叡王戦の本戦を勝ち抜いたのは、現名人・佐藤天彦九段と若き俊英・千田翔太五段。
新世代を担う2名の決勝三番勝負の様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。

叡王戦公式サイト

左から佐藤天彦九段、千田翔太五段。

 昼食休憩直前に千田は左手で着物の袂を押さえ、力強く▲5五飛を放つ。大駒をフルに活用し、乱れた後手陣を襲う。局面は緊張感を増し、直感的に両者が頼んだ琉球御膳は喉を通るのかと思った。

 激しい手は読みを入れて休憩後に指すのが慣例である。あまりの激しさに早い終局を感じさせたが、この将棋は思わぬ展開を見せる。

新感覚の手

 第2期叡王戦決勝三番勝負に進んだのは佐藤天彦九段(名人)と千田翔太五段。第1局の舞台は九州沖縄サミットが行われた「万国津梁館」。2000年7月に行われたサミット時にはそれぞれ12歳と6歳の少年だった。

「万国津梁館」

 沖縄の穏やかな空気と波音は都会の喧騒を忘れさせる。「良い所ですね」と佐藤は微笑んだ。

 両者は和服に身を包み開始を待つ。ベージュの羽織、黄色みを帯びた着物、深緑の袴と艶やかな組み合わせに対して、千田は紺で統一された出で立ちで見事に対照的だ。

 先手は千田で戦型は横歩取り。▲5八玉(第1図)までの千田の消費時間は2分。横歩取りの常識は▲7八金なので異質な印象を受ける。

 千田は日ごろからコンピューターソフトを主に使い研究に勤しむ。▲5八玉はその匂いがする。

決戦

 角交換から▲7七角で決戦となった。方針を定めた千田はようやく水をコップに注ぐ。佐藤は軽いため息をして4、5回深くうなずき、やがて前傾姿勢で盤を見つめる。

 千田の佐藤評は「手堅く、長時間の将棋に強い」。△8二飛▲8三歩△5二飛は先手の誘いに乗らず戦機を探るもので、千田の予想の範疇でもあった。

 角を手放した千田は戦いを収めるつもりは毛頭無い。▲2三歩△同金で後手陣を乱し▲5五飛(プロローグ図)で決戦を挑んだ。すでに前例の無い戦いになった。休憩直前の12時27分の局面。

山崎-ポナンザ戦

 佐藤は決戦に応じ△5五同飛▲同角△2七飛▲2八歩△2四飛成と竜を作り長期戦の構え。▲7七桂は▲6五桂の狙いでその形は昨期電王戦、山崎隆之叡王-ポナンザ戦を彷彿とさせる。その時の山崎叡王の参謀を千田が務めた。

 桂は跳ねさせぬと△7四竜。千田も▲6六角として角の活用に含みを持たせた。

 △3三金(第3図)と金を立て直し、バランスをとる。この局面、両者ともにわずかながら自信があった。主導権は先手にあり、後手は竜の存在が大きい。

 勝負所と見て千田が長考に沈む。ただ3図からの先手の構想は大問題だった。

均衡破れる

 千田がかすかな身体の揺れで長考に沈む中、佐藤の様子がおかしい。髪の毛をくるくると回しアンテナを作ったかと思えば前傾姿勢になり、脇息にもたれ、盤の前で沈みこみ、ぺちゃんこになった。盤と同じ高さになった佐藤は思考の底まで考えこむのだろうか。

 千田は60分の長考で▲8九飛を着手。8筋を防ぐ△7二金に▲8四飛は時間差の手筋だがこれはまずかった。ここは単に▲8四飛。または▲7五角△6四歩▲5三飛(参考A図)も考えたと局後に教えてくれた。

 どれも有力であり、「本譜だけはやってはいけなかった。完全にすっぽぬけていた。」 とは▲8四飛以下、△7六竜▲8七金△6九角(第4図)の局面である。ポナンザの評価値が後手+539に振れた。後手はっきり優勢である。

好勝率の理由

 第4図以下、▲6九同玉△6七竜▲6八銀△6六竜▲5八玉△3一銀▲6七角(第5図)と進む。先手の陣形は乱れ、飛車の打ち込みに弱くなったため飛車交換にも応じにくくなった。将棋にミスは付きものだが、こうなると一気に崩れる棋士は多い。

 ▲6七角は唯一の踏ん張りで、佐藤も本局で一番印象に残ったと話した。

 千田は今期本局まで34勝7敗(0.829)と勝率1位を誇る。どの時代も好勝率の棋士はぽっきり折れることはない。▲6七角の意味は飛車交換後の△8九飛を打たせないようにして▲7六金の活用を見ている。控え室の棋士もよく打ったものだと感心しきりだった。

 ▲6七角からは夕食休憩後の夜戦に。サンドイッチなどの軽食をすませ、30分のインターバルはささやかな休息にすぎない。

我慢比べ

 鮮やかなサンセットを見せ、沖縄の地にも夜が訪れた。28歳の若き名人の佐藤にもやや疲労が見える。

 11月、12月は対局もかなり多くなるが、名人・佐藤としてのイベントも多忙を極める。映画「聖の青春」の舞台挨拶に、将棋の日の収録。ファッション雑誌の取材等、思いつくだけでも大変なスケジュールである。

 しかし夜戦に入っての佐藤こそが真骨頂とも言える。名人戦の鮮やかな奪取劇は、その安定感が羽生善治名人(当時)を焦らさせた。その秘訣を当人に聞くと「勝ちを急がない事ですね。決して焦らないようにしています。」との答えだった。

 第5図から第6図まで、将棋を知っている方にはじっくり並べてほしい手順である。激しく動くと必ず反動が来る。いわゆる我慢比べの応酬で、佐藤の△5一歩や△8一歩は優勢の側が打つ類のものではない。「自陣に歩を打つと敵陣が堅くなる」は佐藤の師匠である中田功七段の名言である。が、勝ちを急がないという信念の元に佐藤は打った。

 実際、後手優勢のまま第6図まで進んだ。後手からは△9九角成など指したい手が多いので先手はゆっくり出来ない。

 ここでの残り時間は▲千田31分△佐藤19分。千田は8分の考慮で指したい手をそっと我慢した。そしてその手が決定的な悪手になった。

挑戦する者たち

 千田は▲5五飛と指した。すかさず△3二金で将棋は終わった。後手に怖い筋が無くなったのである。

 佐藤は自陣の安全を確認して△7六竜を決断した。流石の切れ味。先手陣の守り駒が一枚ずつはがされていく。

 投了図以下は▲1八玉△2八金▲1七玉△2七金▲同玉△3八銀不成▲2六玉△3四桂▲3五玉△4四銀▲3四玉△3七竜が一例で上部に追えば詰む。

 戻って第6図で▲2五桂(参考B図)と指すしか無かった。△3二金に▲1六香△7五歩▲6六金が両者の読みで後手良しの判断は一致していたが、△3二金に対し▲8五飛(参考C図)の鬼手がある! △同桂と取らせて▲1六香とすれば桂馬の入手を図れるのである。

 感想戦で示されると、

 「▲8五飛! ここでですか? すごいなぁ」(佐藤)

 「これはそもそも読めない」(千田)

 「いやぁ別世界です」(佐藤)

 とのやりとりがあった。

 検討が進むと冷静な対処はあったにせよ、時間切迫の中後手が勝ちきるのも大変だった。

 対局を見守っていた二体のシーサーは佐藤に味方した。シーサーは家の守り神。後手陣は乱されながらも金銀4枚が踏ん張り玉を支え続けた。佐藤のバランス能力、まとめる力は底が知れない。

 名人位獲得後の成績はこれで22勝4敗の圧倒的な勝率。過去に初タイトル獲得以降にこれだけ勝つ棋士はいたのだろうか? 第2期叡王へ、さらなる極みへと佐藤の挑戦は続く。

 千田は間違いなく、今までの棋士とは違う方法で強くなってきた。大多数の棋士が実戦や詰将棋を解いている時間に、コンピューター同士の棋譜や評価値の分析に力を注ぐ。果たしてその先に何があるのだろうか。

 終局後、千田に聞いた。「理想の棋士像、目指しているものは何ですか?」と。

 しばらく目を伏せ、こう切り出した。「人間の棋力を底上げする方法を考え続けてます。良い方法を。コンピューターソフトを活用してるのはそのためです」

 そうか、また千田も挑んでいるのだ。今まで誰も通ってない道なき道を。

 「そのためには勝たないといけませんよね」と千田は屈託ない笑顔を見せた。

 自分もつられて笑ってしまった。

(深浦康市)

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