最強CPU将棋ソフト『水匠』VS最強GPU将棋ソフト『dlshogi』長時間マッチ観戦記 第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測
最強CPU将棋ソフト『水匠』と最強GPU将棋ソフト『dlshogi』が対決するイベント“電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」”が、2021年8月15日に実施された。
ともにトップクラスの強さを誇る最高峰の将棋AIが激突したこの対局を、開発者は、プロ棋士は、どう見ていたのか。
ライトノベル「りゅうおうのおしごと!」作者である白鳥士郎氏による観戦記を全4編に渡ってお届け。電竜戦長時間マッチの舞台裏を紐解いていく。
※インタビューは2021年8月31日に行われ、棋士の肩書き・段位等は当時のものになります。
第一譜『水匠』杉村達也の挑戦 |
第二譜『dlshogi』山岡忠夫の信念 |
第三譜『GCT』加納邦彦の自信 |
第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測 |
取材・文/白鳥士郎
「私がCSA会員だというのが大きな理由だったんだと思います」
解説者として電竜戦への協力を求められたきっかけを尋ねたとき、阿部健治郎七段はそう答えた。
CSA――『コンピュータ将棋協会』。
歴史ある団体であり、かつては将棋連盟に挑戦状を叩きつけたこともある。まだ人類が機械より強かった頃のことだ。
なぜ将棋連盟の正会員である阿部は、CSAの会員にもなったのか?
「10年くらい前……2010年に新人王戦で優勝したんですが、優勝者は世界コンピュータ将棋選手権で解説役をするという慣例があるんです。その時に開発者の方々から、将棋ソフトのことについて教えていただいて、それで興味を持ったから入会しました」
とはいえ、解説役として協力することはあっても、わざわざ会費を払って入会までするプロ棋士というのは少ないだろう。
阿部は20代で竜王戦1組に昇ったトップ棋士であると同時に、研修会幹事として後進の育成にも熱心なことで知られる。
あの藤井猛九段を兄弟子に持つ序盤の研究家としても知られ、さらに東北は山形県という地方出身者であることから、以前からそのビハインドを論理的に説明すると同時に、将棋ソフトやIT技術がアマチュアの棋力向上にどう影響しているかについても語っていた。
その阿部が、今回の長時間マッチをどう見たのか?
そして今回の結果を見て、将棋界の未来をどう予測するのか?
ここからはインタビュー形式で、その言葉をお伝えしよう。
長時間マッチ出演のきっかけ
──阿部先生と電竜戦プロジェクトのかかわりから教えてください。
阿部:
前回の電竜戦指定局面戦(TSEC)のときに、解説役を依頼されたことがありまして。どんな局面を採用したらいいかという相談を受けたりもしました。そこから、杉村さんや松本さんとの交流が始まって。
──7月18日に行われた第2回電竜戦TSECですね。そこで水匠がファイナルで優勝し、dlshogiがB級総合優勝したことが、今回の長時間マッチに繋がっています。
阿部:
今回はもともと佐々木勇気さんが解説者として呼ばれていたのですが、その佐々木さんが私のことも誘ってくださって……それでダブル解説のような感じになりました。とはいえメインは佐々木さんですから、渡辺名人が登場なさった時は、私は待機するような感じで……。
──放送時のコメントを見ると、共演NGと勘違いした人がいたみたいですね(笑)。
阿部:
私も後日、コメントを見て驚きました(笑)。そんなことは全くありません。
──バグによって急遽第3局まで行われることが決まると、帰宅した佐々木先生に代わって終局まで解説役を引き受けられました。
阿部:
出しゃばってしまいましたね(笑)。第3局は開発者の方々の座談会のような形で進める予定だったと思うのですが……。
──視聴者はもちろん、開発者の方々も阿部先生が解説してくださって喜んでいましたよ! 今回の長時間マッチという企画を聞いたとき、どう感じましたか?
阿部:
すごく興味深いと感じました。過渡期でもありますし。持ち時間を長くすればソフトの指し手がより自然になるというのは、これまで選手権を10年以上見てきてわかっていたことです。人間が見やすい将棋になると思いました。
選手権くらいの持ち時間ですと、悪手ではないのですが……勝ちきるまでに非常に手数が長い手順を選んだりと、人間から見て不自然な手を指すことがありますから。
あとはハードウェアに関しても気になっていました。dlshogiのA100が8台というスペックに対して、NNUE側の水匠がどこまで健闘するかという……。
──健闘、という感覚なんですね。
阿部:
NNUE側が仮に100万円だとしても、dlshogiは1000万円以上のスペックなわけですからね。
──第1局の前に、阿部先生が山岡さんに『メモリはいくつですか?』と質問したら『2TB』という答えが返ってきたのは衝撃的でした。聞いた阿部先生も苦笑していて(笑)。
阿部:
2TBはすごいですよね。保存用のハードディスクでそのくらいならわかりますが、メモリですから。いや、驚きます。
──どんな結果になると予想していましたか?
阿部:
さっきは『健闘』と言いましたが……現状だと、わずかにCPU側が強いと思っていました。
引き分けか、または水匠の勝ちだと。
──勝ちというのは、先手でも後手でも水匠が勝つと。
阿部:
はい。だから今回の結果は意外でした。バグのことも含めて……。
長時間マッチ第1局:横綱相撲で力を見せつけるようなdlshogi
──ではさっそく、第1局から。山岡さんはテスト対局でdlshogiに長時間思考させると、それまでは相掛かりを指していたのに、角道を開け始めたと言っていました。その通りの指し手をdlshogiが選んだわけですが、これはどう思われましたか?
阿部:
現状は相掛かりが流行っているので、意外ですね。ただ、7六歩か2六歩のどっちがいいかはわからないので、今後も揺れていくのでしょう。
──最新のソフトが長時間思考した結果、『将棋の純文学』と言われた矢倉を指す。これについてはどう感じましたか?
阿部:
少し前まで、矢倉は角換わりや相掛かりに比べて損なのではないかと言われていましたから、定跡を切った状態で矢倉を選んだのは意外ではあったんですが……。
指してくれたということは、つまり矢倉も互角だということですよね。とはいえ暫定的な評価なわけで。人間でもコンピュータでも、何がいいかはその時々によるということなのでしょう。
個人的には、接戦になって、終盤がどれだけ難しくなるかを楽しみにしていました。その意味で、駒がたくさんぶつかりあう矢倉は、難しくなる戦型なので、一番力が出る。楽しみですよね。
──ただ、オープニングこそ矢倉でしたが、飛車が走って、大駒が飛び交うような将棋になりました。
阿部:
そうなんですよね! これ、矢倉って感じじゃないですよね(笑)。
──渡辺名人も『矢倉を指す人はこの将棋を選ばない。これを指す人は最初から相掛かりを指す』とおっしゃっていました。
阿部:
それはあります。私も渡辺さんの意見に同意ですね。
展開次第では、こういった中住まいの将棋にはならないわけです。だからこの将棋を指すには、どんな将棋でも指せる人でないと。特にこの先手の矢倉は、後手の対応によって、地上戦になるのか空中戦になるのか、わからないのですよ。
相掛かりを最初から選べば、空中戦になることはわかっているわけで。自分の棋風に合わせやすい。
だから先手の局面が悪いとかではなく……局面自体はおそらく、先手のdlshogi側が作戦勝ちなのでしょうけど、やりにくいですよね。
──作戦家として知られる阿部先生のお話は、納得です。そもそも戦型選択というのは、自分の指しやすい、棋風に合った局面へ誘導するためのものなのに……。
阿部:
そこですよね。私が申し上げたいことを実に上手くまとめていただきました。
ただ、羽生先生や永瀬さんといったオールラウンダーで何でも指せるという方々は、今のようなケースには当てはまらない。逆に得意戦法がある人ほど、こういった将棋はイヤですよね。
基本的には、自分のほうが上だと思っているというか……相手に選ばせてあげる。横綱相撲じゃないとできないですよね。
──では、これで勝てるというのは、非常に強い……。
阿部:
はい。力を見せつけるような感じです。
長時間マッチ第2局:勉強になった水匠の受け方
──バグに関しては後でうかがうとして……第2局目に関してはいかがでしょう? 水匠が先手で勝った将棋です。
阿部:
最初に思うのは……『勉強になったな』ということです。
受け方がすごく勉強になりましたね!
──水匠の受け方が、ですね。
阿部:
ええ。40手目に5五角と打ってdlshogiが猛攻するんですが、そこからの受け方がすごく勉強になって……これはいいものを見たな、と思いましたね。
──dlshogiの4九銀に関しては、リアルタイムで阿部先生も佐々木先生も相当興奮なさっておられました。
阿部:
この局面だけを見れば、4九銀を打てる人もいるでしょう。棋士なら見えると思います。けれどずっと前からこれが見えているのがすごい。
読みが深すぎる。そこからの応酬もすごい。1手で1歩を稼ぐようなところもあって……いやぁ、これはすごいですよ! 息をのむ攻防ですよね。
──こういった高度な応酬は、棋士の参考になるものなのですか?
阿部:
ここまで来ると鑑賞の域に達しているんですよね(笑)。
もちろん参考になる部分というのもあって、たとえば43手目の5六歩からの……角打ちを促して、53手目に5五角と打つとか。このあたりは部分的な定跡として参考にできそうですよね。私の力であっても。
けどそこからは神業的で……ちょっと真似できないですね。
──参考になりそうな部分を、1局の将棋から探すというのが……。
阿部:
そう! そこが勉強になるんです。1局の中から参考にできそうな部分を切り出して、吸収すると。それが棋譜並べの面白さじゃないかと思うんですよ。
──この第2局は、千日手を水匠が打開して勝ちましたが、あの千日手の部分はいかがでしたか?
阿部:
2九飛車のところですね。人間の目だと『さすがに先手が打開する順があるんだろう』と思いますね。
──人間の目から見ると、パッと打開できるとわかるんですね。
阿部:
仮に千日手にするとしても、まず飛車を2九飛としておいて、それでも何ともならなかったら千日手を選ぶという感じになると思うんですよ。
──この1局に関しては、水匠の強さを感じたのか、dlshogiの強さを感じたのか、どちらだったでしょう?
阿部:
水匠ですね。終盤はCPUのほうがまだ強いと言われていますが、実際に強いと感じました。
私の手元には、今回杉村さんが使用したのとほぼ同じCPUがあって、それを動かして検討していたんですが――
人間が1手動かすと、それで一気に優勢になったりするんです。コンピュータには見えない1手を入力すると。だから人間の直感もまだ捨てたものじゃないと思いました。
──ええ!? 人間が教えてあげるんですか?
阿部:
これはTSECのときも実際にありました。ソフト同士の対局では千日手になったんですが、私が示した手を入力すると、優勢になるんです。その手が見えないと千日手になってしまうというのが、実際にあったんですね。
今回のように持ち時間が長い将棋であっても、人間なら『もっと時間を使った方がいいんじゃ?』という局面でもソフトは時間を使わなかったりするんです。このへんは、ちょっとわからないですね。
自分でもソフトで検討させて思ったのですが、長時間の場合は人間とソフトがタッグを組むというのが、現状では最も強くなるのではないかと思いました。
長時間マッチ第3局:ディープラーニング系の棋譜は地道に積み重ねていくような将棋
──では第3局について。この将棋は……。
阿部:
あれ夜中だったから、あんまり将棋を憶えていないんですよ(苦笑)。
──そうなんですよ……みんな雑談に夢中でしたし。
阿部:
手数は183手と長かったですが、勝負が決まるのは早かったので、私はずっと質問を読み上げていた記憶があります。
──dlshogiが序盤から評価値を積み上げていって、勝ったと。これがディープラーニング系の勝ちパターンだそうです。
阿部:
TSECで解説させていただいたこともあって、最近ディープラーニング系の棋譜をたくさん見るようになったんですが……地味なんですよ。地道に地道に積み重ねていくような将棋です。
──地味。
阿部:
正直に言って、ソフトが強すぎて私には理解できない部分が多いです。
45手目の1八香とか。この意味がわかっていれば違うんでしょうが……。
──これはリアルタイムでも『んん?』って感じでした。一手パスみたいな。けどパスするなら他に動かす駒もありそうなのに……。
阿部:
そんなに差が付いてるようには見えないじゃないですか。これわかんないですよ。私には。
手が進んでみて、仕掛けた局面。先手が桂損しつつ7五歩と仕掛けた局面。ここまでくればわかってきたんですが……。
──角の当たりから香を逃していると?
阿部:
1八香や2八飛車に必然性があったかは、私にはわからないんですよ。水匠が千日手を読んでいるのは、駒がぶつかったら打開できないと読んでいる。けどdlshogiは、駒がぶつかったら形勢は自分がいいと読み切っている。深いですよ。
──先手のdlshogiが7五歩と突いて、その歩を取った瞬間に水匠も千日手ではなく先手がいいと反省する。戦いが起こってしまったら結局dlshogiの読み通りに、先手が良くなったわけですか。
阿部:
ええ。だから非常に筋がいいですよね。先手の7五歩は。
こういう場合に、たとえば香車が1九のままだったら仕掛けが成立しないのでは? みたいなところがプロは気になるわけですよ。
1八香が単なる手待ちなのかどうか。こういう部分を考えないといけないので……いやぁこの指し手を理解するのは、相当大変ですよ。間合いを測るためだけなら、他の手だってあるわけですから。
──戻れる駒を動かしたっていいわけですもんね。
阿部:
そうです。香車って、基本的に下の方にいたほうがいいんですよ。可動域が広いので。けど、dlshogiが1八香を敢えて選んだ……もしかしたら角のラインから逃がすために。
ただ本局に関して言えば、後の展開を見ても1八香でなければならない理由がそんなに浮かんでこないんです。
こういった細かい部分をAIに調べさせることで、差が出てくるんでしょうねぇ……時間があれば調べたいんですけど、なかなか忙しいですから。
こういう手を、パッと解説できるようになれば、もっと将棋の面白さがファンに伝わるんでしょうね。そのためには言葉の選び方とかも工夫しないと……。
──こういった手待ちみたいなのって、我々ファンがプロの将棋を見て『わかんないなー』と思ってる部分なんですよ。けど最近はプロの先生が、ソフトの手待ちを見て『あれは何の意味があるんだろう?』と考えるというのは……。
阿部:
将棋が高度になりすぎましたね。こうなるというのは昔からみんな薄々わかっていたことではあるんですが。
──こうした手待ち合戦みたいな技がどんどんソフトから輸入されることで、たとえば手数が伸びていくというようなことが起こったりするんでしょうか?
阿部:
あるでしょうね。何手一組で局面をわずかに動かす、みたいなトリックのような技がどんどん入ってくると。
そういう将棋になると、アマチュアでは理解できなくなるでしょうね。プロでも指せない人が出てくるでしょうから。
──そういう将棋を見て、面白いかというと……。
阿部:
そこまで高度な手待ちになってくると、暗記だけでは無理でしょう。理解しないと指せない。そして理解しても、解説したところでファンには理解されない。来るところまで来てしまったな……というのはあります。
──この域にまで、人間の将棋は到達しますか?
阿部:
うーん……たとえば、19歳の羽生竜王や、20歳の渡辺竜王。将棋界でトップになった頃のお二方と今の棋士を比べて、果たして今の棋士が強くなっているかというと……。
──19歳の藤井二冠という規格外の存在がいるとしても、じゃあ20年後に今の藤井二冠より強い棋士が他にたくさん生まれているかというと、ちょっと考えづらいですね。
阿部:
10年たっても20年たっても、追いつかないんじゃないですかね。そういうレベルには。
藤井二冠はこういった間合いを測るような将棋を指していらっしゃいますが……トップの実力だけは、いつの時代も隔絶していますからね。
──阿部先生と同世代のプロ棋士の方々は、ソフトに対してみなさん先生と同じような感触を持っていらっしゃるんでしょうか?
阿部:
このコロナ禍で加速した感じはしますね。みんなソフトを使うし、使い方も考え方も同じような感じになってきていると思います。
──使用方法に関する共通認識ができてきている?
阿部:
藤井二冠や千田さんは、自動対局など、より高度な使い方をしているかもしれませんが……だいたいの棋士は検討に使うくらいじゃないんでしょうか。
ソフトと感想戦をやってるような感じですよね。アナログ的な使い方をするのが、ほとんどだと思うんです。
──ソフトが示す手順や評価値を暗記していたり?
阿部:
そういう若手は多いでしょうね。ただ、そういった情報は覆るじゃないですか。
──ですよね! 不安はないんですか?
阿部:
千田さんとも以前、そういった話をしたことがあります。『地道にアップデートしていくしかないよね』となったんですが……今だと、1年間にソフトのレートが50くらい上がるかどうかだから、そんなに変わらないからいいんですけど――
技術が大幅に進歩する瞬間……今回のディープラーニング系がそうですけど、1年でレーティングが500とか変わってしまうと、地道な努力が全部無駄になるんです。
その時、どうなるのかなと思うんですけど……。
けどそうなったら先行者利益が消えて、今まで将棋を知らなかった人も一から定跡を憶えることができるので、それはそれでいいことなんだろうなと(笑)。
──大富豪の革命みたいなことが起こると。
阿部:
将棋って先行者利益が大きいゲームだったんですよ。棋士が定跡を作っていたんですが、そういう知識がない人にとっては厳しかったんです。いや、さすがに1年で定跡が全部変わっちゃうのはヤバいと思うんですけど(苦笑)。
けど2~3年で定跡が一新されるのは、スピード感があっていいのかもしれないですね。私が言うのも変かもしれませんが、新たに入ってくる人々にとっては。