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小松未可子 アーティストデビューは『モーレツ宇宙海賊』打ち上げでのカラオケがきっかけだった。『呪術廻戦』『ダイの大冒険』などヒット作を支える人気声優が大切にするのは「人に流されてみること」【人生における3つの分岐点】

 ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。
 これまで、大塚明夫さん三森すずこさん中田譲治さん小倉唯さん堀江由衣さんファイルーズあいさん石原夏織さん三石琴乃さん平野綾さん日髙のり子さんにインタビューを実施した。

 出演いただいた皆様の多くは、幼少期から役者など芸能の世界を志してきた。家族のサポートを受けながら子どもの頃から専門的なレッスンに通うなど、夢を叶えるための準備と努力を重ねて現在のポジションに辿り着いた方が多かったように思う。

 今回の主役・小松未可子さんは、そういった方々とはちょっと事情が異なる。彼女は『名探偵コナン』にハマり、「倉木麻衣のようになりたい」という漠然とした憧れから芸能の世界を目指すようになった。
 デビュー当初は「目標もないままこの世界にいるのは失礼」と感じていたという。

 そんな小松さんが本格的に声優の道を進みはじめ、『呪術廻戦』の禪院真希役や『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のマァム役といった重要なポジションを担うようになるには、どのような努力があったのだろうか?
 小松未可子さんの人生を振り返るロングインタビュー、ぜひゆっくりと読み進めてみてほしい。

文/前田久(前Q)
編集/金沢俊吾
撮影:金澤正平

分岐点1:吉本興業からアイドルデビュー

──小松さんの人生の最初の大きな転機は何になるのでしょうか? 

小松:
 吉本興業主催の「藤井隆さんの妹を募集する」というオーディション【※】を受けてアイドル「いもうと」としてデビューしたのが、第一の分岐点だったかなと思います。声優の前段階として芸能界に入ることになったきっかけでした。

※ラジオ番組「藤井隆 オールナイトニッポンR アイドル総合研究所」とテレビ番組「アイアイタイフーン」の共同で2003年に開催されたアイドル発掘企画。正式名称は「藤井隆の妹オーディション」。

──なぜ応募したのでしょうか?

小松:
 私が倉木麻衣さんを大好きだったのがきっかけです。さらにその元を辿ると『名探偵コナン』にハマったことがきっかけだったのですが(笑)。


──倉木さんは『コナン』の主題歌を何度も担当されていますよね。

小松:
 それで「倉木麻衣さんみたいになりたい! 会いたいー!」と言っていたら、母親が「芸能の仕事がやりたいのかな?」と捉えたみたいで。
 後に話を聞いたら、母親も芸能の仕事に憧れた時期があったそうで、積極的にその道に繋がる手助けをしてあげようと思ってくれたみたいです。



──お母様は、具体的にどんなアクションを取ったのでしょうか?

小松:
 オーディション雑誌をいろいろ買ってきては、素人が申し込めるCMや事務所所属のオーディション、雑誌のモデル募集に片っ端から応募してくれました。受けては落ち、受けては落ち……を繰り返しだしたのが中学1・2年くらいのころですかね。なかなか上手くいかなかったんです。

──厳しいものですね。

小松:
 私は「倉木麻衣さんみたいになりたい! 会いたい!」という邪な気持ちしかなかったんですけど、まわりの子たちは「女優になりたい」「モデルになりたい」とか、はっきりとした気持ちがあったんです。だから磨かれているところがちゃんとあるし、アピールポイントも心得ていて、とにかく志が高い。私は履歴書にすら、「倉木麻衣さんみたいになりたい!」としか書けないような子だったのに(笑)。
 それでも、倉木麻衣さんの歌が好きで、アーティストになりたい気持ちが強くあればよかったんでしょうけど、そのときはそうじゃなかったんです。もっと漠然と「彼女のようになるにはどうしたらいいか?」としか考えていませんでした。

──子供らしい憧れだった。

小松:
 そうやって落ち続ける中で、こんなのやりたくない、と私も途中で言い出して。「じゃあ、これで最後にしようか」と母と話して受けたのが、藤井隆さんのオーディションだったんです。

思いがけないアイドルデビュー

──「最後」と言って合格するのがドラマチックです。どんなオーディションだったのですか? 

小松:
 ちょっと特殊なオーディションでしたね。年齢制限が緩くて【※】、当時の私と同じ世代の子もいれば、20歳くらいの方もいたり、中にはすでに芸人さんとして活動している人もいたり、すごい多岐にわたるジャンルの人が集まっていました。
 それで、2次審査、3次審査、最終審査と、藤井さんのラジオの放送の中で発表される形だったんです。

※一次審査の募集要項は「・30歳以下の女性!もしくは、藤井隆にそっくりな31歳の女性」「・アイドルになることに前向きなこと」

──ラジオでの公開オーディションだったわけですね。

小松:
 最終オーディションでお台場に行って、最後の自己PRをしたんです。一人だけ選ばれるオーディションだと思っていたら、まさか同世代の子が4人選ばれて、「ユニットを作ります!」といわれて、なぜかアイドルへの道が開かれてしまったんですよ(笑)。

──わはは。

小松:
 自分が思ってもみなかった新しい世界に、一歩踏み出した瞬間でした。
 そこからは藤井さんの妹分ということで、「いもうと」というグループ名が付き、CDデビューが発表され、かぐや姫の「妹」をカバーすることになり……「妹」って兄目線の歌なんですけどね(笑)。

──親のいない、ふたりきりの兄妹の、妹の結婚式前夜の兄の気持ちを歌った歌詞ですよね(笑)。

小松:
 単に「いもうと」に「妹」を歌わせたかったんでしょうね(笑)。それでデビューに向けてダンスレッスンを受けさせてもらったり、あと、藤井さんと一緒にラジオをやる企画が動いたりもして。
 品川庄司さんがMCのテレビ番組で1クールの密着企画もやっていたんですが、何が起こっているのか、それがどれくらいすごいことか、よくわかっていなかったんです。14、5歳の頃でした。

三重で学校に通いながら、週末は東京で仕事

──アイドルになって、生活は激変したんじゃないですか? 

小松:
 土日だけ東京で仕事をして、平日は地元の三重県で学校に通う、という生活をするようになって。
 おもしろかったのが、修学旅行で東京に行ったとき、東京で仕事があるから「私、東京に残って仕事に行ってきます!」ってみんなと現地でお別れしたことがありました(笑)。

──すごく芸能界っぽいエピソードです。

小松:
 ただ、下積みの段階というか、まだまだこれからがんばっていく感じだったので、自分としては胸を張って芸能の仕事をしているとはいえない気持ちでした。「まだレッスン中なんだよね……」みたいな感じで。まわりは「すごいね! 芸能人に会ったらサイン貰ってきて!」みたいな、大フィーバー状態だったのですが。
 デビューはしたものの自信はなくて、まわりから特別扱いされることに申し訳なさもあるような複雑な気持ちで学校に通っていました。

──なかなか難しい立場ですよね。学生なのか、タレントの卵なのか、自分をどう認識していいかわからなくなりそうな。

小松:
 そうなんですよ。「ここからアイドルとして活動していくんだろうな」とは感じていたし、ユニットの4人のあいだには結束もありました。でも、当時の私はアイドルが何をしたらいいのか、1ミリもわかっていなかったんです。

──どういうことでしょう?

小松:
 たとえばCDデビューしたときにリリースイベントがあったんですけど、当時の私は「曲を聴いてください」とアピールすることもなく、ただ大人から言われたことをやっているだけでした。お客さんのためにアイドルがどうすればいいのか考えたことがなかったので、お渡し会でも「ありがとうございます!」しか言えずに終わってしまいました。
 そんななか、CDデビューこそさせてもらったもの、その後はレッスンだけの日々が続いていました。

──10代で「アイドルとはどうあるべきか」まで理解して動くのは、なかなか難しいですよね……。

小松:
 そうこうしているうちに、「いもうと」の仲間の中でも、アイドルになりたい、女優になりたい、新喜劇に行きたいと、ちょっとずつ未来への志が違ってきたんです。でも、私は何も見つからなくて、ついには「私はアイドルをやりたかったのだろうか!?」なんて考え始めるところまで来ちゃったんですね。

 当時の「いもうと」は今のように、ライブ活動がメインじゃなかったのも大きかったかもしれません。ライブ活動はリリースイベント以来一切したことがなくて、あとはたまに来るオーディションを受けて、ソロで舞台に受かったら、舞台に出て……の繰り返しでした。アイドルとして活動している感覚が薄かった。それもあって、何をやりたいか迷子の時期がしばらく続いていました。

──そんな状況が変化するきっかけはあったのでしょうか?

小松:
 18歳くらいのころ、メンバーそれぞれがソロの活動をするようになっていく中で、たまたま学園もののドラマに参加できる機会があったんです。
 その現場では、私が最年長くらいで、下は12、13歳くらいの子もいましたね。なのにみんなそれぞれ演技プランを持っていて、「私はこういう役だから、ここの芝居はこういう態度に徹する」だとか、「ここでふたりの絡みがあるから、アドリブをやろうよ!」とか、メチャクチャ高度な話をしていたんです。カルチャーショックを受けました。

──意識がまったく違った。

小松:
 それから、ちょっとずつまわりの子のお芝居を見ながら「芝居ってこういう風にやっていくものなんだ」と勉強していきました。
 あと、連続ドラマの現場に入ること自体も初めてだったので、プロの現場で活躍されているスタッフのみなさんの働きを目の前で見て「すげー!」って(笑)。ドラマの撮影があった3ヶ月間、そんな経験をしたことで、目標がないままこの世界にいるのは失礼だと感じるようになったんです。

──なるほど。

小松:
 そのドラマの少し前から大学に通い始めていたので、一度学業を優先して人生を考え直してみようと思って、芸能活動を辞めました。

分岐点2:現在の事務所に入る

──ここまでのお話でもすでに激動の人生という感じですが、人生の大きな、ふたつめの「分岐点」となると、どこになるのでしょう?

小松:
 第二の分岐点は、現在も所属している事務所、ヒラタオフィスに入ったことだと思います。大学に通いながら、また平行して芸能活動を始めたんです。

──どのようにまた活動を再開したのでしょうか? 

小松:
 大学生で就活をどうするか考え始めたとき、将来何の仕事がしたいのか何も思い浮かばなかったんです。相変わらず、気持ちがさまよっていたんです。
 そんなとき、原点に立ち返った野望が思い浮かんだんですね。「倉木麻衣さんに会いたいな!」って(笑)。

──そこに戻る!(笑)まだその気持ちが残っていたんですね。

小松:
 心の隅にずっとありましたね。
 そうしたら、マスコミ業界を目指していた友人から「就活と並行して芸能でやりたい仕事があったら受けてみたらいいんじゃない?」とアドバイスを受けたんです。それを聞いて、もうちょっと自分を試してみてもいいのかなと思えたんですよね。

──いいご友人ですね。

小松:
 そうやって考え始めたら、先ほどお話ししたドラマ現場の記憶が浮かび上がってきたんです。グループを飛び出して、単独の仕事で初めてお芝居をした現場だったのもあるんでしょうけど、やはり強烈な印象だったので。もうちょっと、その道を極めてもよかったのかな?という思いがあったんです。
 そこで、それまではなんとなく「芸能の仕事」という括りでしか見ていなかったけど、「芝居」に絞ってがんばってみようと思い、改めて芸能事務所のオーディションを受け始めました。

──またゼロからスタートしたような感じでしょうか?

小松:
 それが、例のドラマからご縁が繋がったんですよ。現場で仲良くしていた女の子のマネージャーさんが、たまたま私のことを覚えていてくれたんです。
 「あの女の子が所属している事務所を受けてみよう」と思って受けたら、最終面接にそのマネージャーさんがいたんですよ。それで受かったのが今所属しているヒラタオフィスなんです。

──それは運命的ですね。

小松:
 とはいえ、そのときの私はもう20歳前後。事務所には子役からずっと芝居をしている人もいるし、それでなくても中学生や高校生くらいから所属してがんばっている子も多いなか、私は遅いスタートでした。
 始めのうちは1年契約で、様子を見る状態で受け入れてもらった形でした。「リミットは1年しかない!」という意識が強くありましたね。

声優デビュー作『HEROMAN』

──ヒラタオフィス所属は、最初のデビューのときと違って、ご自分の中で覚悟のようなものがあったんですね。

小松:
 事務所に入れたからといっても、いきなり仕事があるわけでもないですしね。ヒラタオフィスは役者もいますけど、基本的にはモデル事務所なので、当時はドラマのオーディションは年に1回あれば運がいいくらいだったんです。
 それでも最初の1年で、CMのオーディションに受かることが何回かあったので、なんとか最初のハードルはクリアできた気持ちがありました。契約を更新できて2年目に入ったときに、いよいよ「芝居をもうちょっとやりたい」という気持ちが強くなってきたんです。「早く結果を残さないと厳しいぞ」と思いました。

 そんなとき、たまたまアニメの仕事をやっている子が事務所にいると知ったんです。それが小見川千明ちゃん(※2016年までヒラタオフィス所属。フリーを経て、現在はクロコダイル所属)でした。ちょうど、彼女が『ソウルイーター』で主演しているタイミングでした。

──小見川さんの声優デビュー作ですね。2008年頃ですか。

小松:
 そのつながりで、『ソウルイーター』の音響制作会社さんがオーディションの案内をうちの事務所に送ってくれるようになっていたんです。「小見川さんの他にも、誰かいませんか?」と。それを見たマネージャーさんが「小松さんも受けてみる? アニメをよく観てるって言ってたよね?」と聞いてくれて。そのころは、マネージャーさんと話すのが大事だといわれていたので、とにかく用がなくても事務所に行くようにしていました。そうやってマネージャーさんと話すなかで、アニメの話題が出たのを覚えていてくださった。

 それで「ぜひお願いします!」と答えてオーディションを受けたのが、結果的に声優デビュー作になった『HEROMAN』でした。

HEROMAN Vol.1(通常版) 。画像はamazon.co.jpより。



──スタン・リーさん原作の大作アニメでいきなり主役に抜擢された形ですよね。スゴい。

小松:
 それも、そのマネージャーさんのおかげなんです。
 ヒロイン役と主人公の男の子の役の応募枠があったんですが、私の普段しゃべっている声を聞いて「ヒロインより男の子の方がいいんじゃないか?」と采配してくれたんですよ。そこでヒロイン役で受けていたら、決まっていなかったかもしれない。

──慧眼ですね。そもそも、その方からお話をいただくまでは、小松さんの中に声優の仕事という選択肢はあったのですか?

小松:
 全くなかったです!
 お芝居をやるとしたら、ドラマ・映画・舞台しか選択肢を思い描けてなかったですね。小見川ちゃんの存在を知った時も、声優という選択肢が自分にあるとは感じていませんでした。

──アニメをよくご覧になっていても、ご自分の仕事の領域とは繋がっていなかったんですね。おもしろいです。

小松:
 ただただ趣味で観ていただけでした。あくまで大学生活を送る中でのストレス解消というか、楽しい気分になれる、心の救いのようなもので。仕事に繋がるとは1ミリも考えたことがなかったですね。

『ソウルイーター』のアフレコ見学

──『HEROMAN』の音響監督は原口昇さん、『ソウルイーター』の音響監督は若林和弘さんで、恥ずかしながら当時は繋げて考えたことがなかったのですが、今のお話を聞くと関連性が深かったんですね。言われてみれば音響制作会社は同じフォニシアですし。

小松:
 しかも原口さんは若林さんのお弟子さんにあたって、『HEROMAN』がTVアニメの音響監督デビュー作だったんです。だからオーディションには若林さんもいらっしゃっていたんですよね。
 で、私も声優の仕事は初めてだし、ヒロインのリナを演じる小幡真裕ちゃんも、外画吹き替えの経験はあったけど、TVアニメのメインヒロインは初めて。そうしたこともあって、アフレコ現場に馴染むために、『ソウルイーター』の現場を見学させてくださったんです。忘れもしません、第44話です。

ソウルイーター スペシャルコンプリート Blu-ray BOX。画像はamazon.co.jpより。


──そこまではっきり覚えているんですね。

小松:
 もともと1話から楽しんでいたアニメでしたし、普通、見学者はブースの中にまで入れないものなんですが、そのときは入れていただけたんです。そのインパクトも大きくて。
 ベテランの方もいれば、同世代でも既にバリバリ活躍している人もいる中にいきなり放り込まれたんです。とにかく戸惑いました(笑)。でもそこで若林さんが、雑談で緊張をほぐしながら「こういうときは先輩方へのご挨拶から始めるんだよ」みたいな、初歩の初歩のところからいろいろと教えてくださったんです。

──さりげないですが、さすがスタジオジブリ作品や押井守監督作品でお仕事をされてきた大御所だなと感じるエピソードですね。

小松:
 まわりの先輩方も、とにかく優しく接してくださいました。そういう恵まれた経験をしてから『HEROMAN』の現場に入れたのは、本当にありがたかったですね。

苦労していたのに、楽しくてしょうがなかった初のアフレコ現場

──素敵なエピソードです。声優デビューとなった『HEROMAN』の現場はいかがでしたか? 

小松:
 いま思うと異例の現場でした。あんまりないことなのですが、本番の前にリハーサルをすることになったんです。私と小幡真裕ちゃん、当時すでに豊富なキャリアのあった木村良平さんを交えて一回通してやってみましょう、と。それが初めて、現場で台本を持ちながら映像を見て芝居をする経験だったんです。

──何から何まで、実写とは違いますよね。

小松:
 そうなんです。いやもう「リハーサルあってよかったな!」と思いました。『HEROMAN』ってアフレコの時点で映像が全部完成していたんです。これは本来ありがたいことなんですが、初めてアニメをやる声優には、逆に滅茶苦茶ハードルが高かったんですよね。

──そうなんですか。絵からニュアンスが汲み取りやすいのかと思いましたが、違うのですね。

小松:
 絵が未完成だと、ボールド【※】でタイミングを見るんですね。すると「ここで喋るんだよ」というのが、初心者にはわかりやすいんです。でも絵が完成していると「口が動いたら喋ってね」という感じなので、かえって難しいんです。
 映像にタイムレコードが表示されているので、テストのときに口が動き出したタイミングで秒数をメモしておくと入りやすいと後々知ったんですが、当時はそんな余裕なくて、とにかくタイミングを丸覚えしていました。

※ボールド
アフレコ用の未完成映像で、声を入れるタイミングを表示する目印のこと。色付きの枠内にそこでセリフをいうキャラクターの名前が表示されている形式が一般的。

──大変ですね、それは……。

小松:
 しかも台本と映像を見ながら練習を繰り返して現場に行くと、今度は練習のしすぎで、準備したことしかできなくなってしまうんです。新人が陥りがちな現象なんですけどね。用意してきた芝居から1ミリも動かせない感じになっちゃって、現場での指示に対応できなくなる。「アフレコは現場での対応がメインなんだ!」というのもカルチャーショックでした。
そんなこともあって、第1話から居残りをして、先輩方にも迷惑を掛けながら『HEROMAN』のアフレコは始まりました。

──それはつらそうですね。 

小松:
 それがですね、不思議なことにうれしくて仕方なかったんです。とにかく知らないことだらけだから「もっとこうやったほうがいいよ?」と先輩たちに教えてもらえるのが、とにかくうれしくて。「もっと教えてください!何が分からないのかも分からないんです!」って感じでした。
 苦労していたはずなのに、「楽しくてしょうがない」というのが、アニメのアフレコ現場の第一印象でした。

──それまでレッスンはあっても、現場でそこまでしごかれることはなかったですよね。

小松:
 なかったですね。収録が終わった後には飲み会も毎週あったので、いろんな先輩方のお話を聞いたり、監督からもキャスティングに対する思いを聞いたりできました。
 コミュニケーションが沢山できる現場だったので、最初に関わった作品が『HEROMAN』で、本当に私は恵まれていたと思います。

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