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小倉唯「20代前半で仕事を辞めることも考えた」。 大学進学して勉強する中で見えた“もうひとつの選択肢”と、それでも声優の道を進むと決めた“きっかけ”とは?

 「大学卒業後には、実は別の選択肢も考えていました。このままお仕事を続けるか、辞めるのか、悩んでいた時期があったんです。

 これは、声優・小倉唯さんのインタビューの途中、本人が慎重に言葉を選びながら発した言葉だ。

 彼女は声優活動にアーティスト活動と多忙を極めるなかで、大学に進学した。学業にも手を抜くことなくシッカリと卒業して、もちろん現在も声優・アーティストと大活躍している。
 一見すると順風満帆なキャリアを歩んできたように見えるが、「仕事を辞めるか悩んだ」という、小倉唯さんの「人生の分岐点」には、一体何があったのか。

 ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。
 大塚明夫さん三森すずこさん中田譲治さんに続き、第4回となる今回は小倉唯さんにインタビューを実施した。

 小倉唯さんは子役としてキャリアをスタートし、「モーニング娘。に憧れてずっと踊っていた」というダンス力を活かして、アイドルとして事務所に所属した。
 その時期、ニコニコ動画に投稿された初音ミクの踊ってみた動画はご存知の方も多いと思う。

 その後、本格的に声優としての活動を始めたあとの華々しい活躍は、細かく記すまでもないだろう。

 幼い頃から現在までスポットライトを浴び、つねに凛として美しく格好よく、いつもほんとうにキラキラしている。しかし、その奥には、大きな葛藤や、スポットライトを浴びる存在であるが故の苦悩があった。
 
 現在の小倉唯さんは、そうした苦難を乗り越え、いま、力強く未来を見据えている。
 戦い、悩み、そして立ち上がった、小倉唯さんの人生に迫るロングインタビュー。ぜひじっくりと味わってみてほしい。
 

文/前田久(前Q)
編集/金沢俊吾
撮影:金澤正平

分岐点1:子役として劇団に入り、東京へ

──本日は「人生の3つの分岐点」というテーマでお話をうかがえればと思います。

小倉唯:
 よろしくお願いします。あの……メモを作ってきたんですけど、見ながら話しても大丈夫ですか? 写真に映り込んでしまうとご迷惑でしょうか。

──まったく問題ありません。むしろ、丁寧にご準備いただいて恐縮です……!

小倉:
 いえいえ(笑)。簡単な箇条書き程度なので。

──では、あらためてよろしくお願いします。小倉さんの人生における、ひとつ目の分岐点を教えてください。

小倉:
 私は幼少期から、劇団に入って子役として活動していたんですけど、その流れで東京へ上京しました。ここが人生の、最初の大きな分岐点だったのかなと、いま振り返ると思います

──なるほど。そもそも劇団に入ろうと思ったのはなぜだったんですか? 

小倉:
 物心つくかつかないかくらいのときなので後から両親に聞いた話なのですが、当時、テレビに出ている自分と同世代ぐらいの女の子を見て、「自分もテレビに出たい」みたいなことをポロッと言っていたらしいんです。その言葉を両親が真に受けて、新聞広告に出ていた劇団に応募してくれたみたいですね。 

──ご家庭は芸能活動にご理解があったんですか?ごきょうだいが人前に立つような活動をされていたとか。 

小倉:
 いえ、そういうわけではなかったです。姉も、私と一緒のタイミングで劇団に入所したりはしましたが、もともと芸能活動をしている家族はいませんでした。これは親バカかもしれないんですが、両親は、小さい頃から私にスター性みたいなものを感じていたらしくて(笑)。

──「自分の子供は誰よりも可愛い」みたいな感覚はよく聞きますけど、スター性となるとスゴいですね。何があったんでしょう。

小倉:
 自分で言うのもお恥ずかしいのですが、幼稚園のお遊戯会ではなぜかいつもセンターに抜擢されたり。習い事でやっていたバレエでも、先生から「唯ちゃんはすごく華があると思う」みたいなことを言われていたそうなんです。それもあって、母は私が芸能の仕事に向いてるんじゃないかと思っていたみたいですね。

──小倉さんは「目立ちたい」みたいな気持ちはあったんですか?

小倉:
 いえ、当時はまったく無意識でしたね。こうしていま振り返ってみると、「目立つところにいることが多かったな」というくらいの印象です。

毎日がレッスンと習い事

── お芝居という、それまでと全く違う世界に飛び込んで、劇団での日々はどうでしたか?

小倉:
 当時は、挑戦することがとにかく楽しかったんです。毎週末、劇団のレッスンに行ったり、オーディションを受けたり、子役としてテレビや映画、舞台、CMに出演させていただいたり。
 どれも楽しかったし、当時の経験が今の自分に影響している部分があるのかな、と思います。そして、そうした芸事に通わせてくれた両親には感謝していますね。劇団のレッスンだけでは足りないんじゃないかと、毎日いろんなお稽古を掛け持ちさせてくれたりして。

──劇団のレッスンとは別にということですか?それはスゴい。

小倉:
 そうなんです、当時から忙しい毎日を送っていました(笑)。大人になった今だからこそ分かるけれど、それに協力してくれていた両親も本当にスゴいなと思います。子どものお稽古ですから、送り迎えも全部してくれていたんです。1日にふたつのお稽古を掛け持ちすることもあって。公文式の教室に、2箇所も通っていた時期もありました。

──え、どういうことですか? 公文式の教室は、どこでもカリキュラムは同じですよね?

小倉:
 クラシックバレエのお稽古がある日には、終わってからすぐ向かえるようバレエの教室から近い公文式に行き、別の習い事のある日は、また違う公文式に通っていたんです。

──なるほど……! 効率はいいけど、ご両親も小倉さん自身も大変ですね。

小倉:
 そうですね。小さいうちから忙しい毎日を過ごして、いろいろ鍛えられた気がします。ただ、当時から自分はまわりとは少し違う特殊な環境にいるんだな、という実感はありました。
 「同級生みたいに、もっと自由に遊びたいな」と思った時期もありましたけど、日々色々な経験や挑戦ができるのは、とても楽しかったんです。

──反抗期はなかったんですか?

小倉:
 小学校高学年のときに、1度だけ塾をサボって、クラスメイトたちと駄菓子屋さんに遊びに行ってしまったことがありました。そこだけが唯一、親に逆らった瞬間でしたね。それがこれまでの人生の中で一番の非行だと私は思っています(笑)。

──かわいい非行ですね(笑)。親からすると、とてもいい子だったのでは?

小倉:
 そうだと嬉しいです(笑)。繰り返しになってしまいますけど、私、本当に両親には感謝しているんです。特に母の存在は大きくて。母がいなければ、自分はこのお仕事を続けていなかったと思います。

 小学4年生のとき、私の芸能活動のためにと、母とふたりで群馬から上京してきたんです。そのとき、両親が私のためにと、都内のマンションを購入してくれていたみたいで。当時はよくわかっていなかったんですけど、大人になった今では、これがどれだけスゴい決断だったのかよくわかります。「逆単身赴任」みたいな形ですね(笑)。
 父は、地元でひとり寂しい思いをしていたと思いますが、家族は私のためにそこまで大きな決断をしてくれていたんだなって。

東京という街で経験したこと

──ご自身の芸能活動のために東京に出てきて、いかがでしたか?

小倉:
 はじめは不安な気持ちもありましたが、暮らしていく中で「東京という街は、自分に合っているのかも」とも思い始めました。お仕事のためにより有意義に時間を費やせるようになりましたし、買い物やファッションも好きだったので、文化や流行を身軽に追えるようになったのはうれしかったです。
 ただ、学校での日々が、それまで経験したどんなことよりも辛かったですね。

──なるほど……小学4年生ぐらいで転校するのって大変ですよね。ただでさえ難しい年齢に差し掛かっているのに加えて、学校での人間関係がもうかなり固まっていて。

小倉: 
 そうなんです……。

──そのつらさ、どうやって乗り越えられたんですか?

小倉:
 私は自分ひとりで抱え込まず全て母に相談する子だったので、今思えばそこはとても救われていた部分だったのかな、と思いますね。
 中学校に行ってからは、担任の先生がとても親身になってくださったんです。辛い思いをすることもありましたが、そうしたトラブルも、解決に導いてくださったりして。

──素敵な大人に囲まれていらしたんですね。

小倉:
 本当にそうだと思います。ただ、そうした困難にぶつかって、自分の人格がガラッと変わってしまったんです。
 それまではすごく天真爛漫で、自分の思ったことを素直に表現したり、誰にでも明るく接するような子だったんです。でも、またどこかで何か言われたりするんじゃないか、とか、まわりの様子を常に警戒し、うかがう癖がついてしまって。

 それはプライベートだけではなく、お仕事をする中でも、まわりからどう思われているのか、どんな評価をされているのか。人の視線がすごく気になるようになってしまって……かなりしんどい時期でしたね。
 その当時から考えると、こうして今の自分になるまでには、なかなか時間がかかりました。

分岐点2:子役を卒業し、芸能事務所に所属する

──学校生活だけでなく、芸能活動の重圧もあったのでしょうか?

小倉:
 いえ、逆に仕事の場があったことが心の支えになっていたんですよね。学校だけの日々だったら、すごくしんどかっただろうなって思います。

──仕事をすることで気持ちが切り替えられていたんですね。 

小倉:
 そうですね。このあたりで、2つ目の分岐点が訪れました。子役活動は小学生で区切りをつけて、次のステップに進むために、芸能事務所のオーディションを受けたんです。
 その当時は、まさか自分が声優になるなんて考えてもいなかったのですが、結果的にそれが声優デビューのきっかけとなりました。

──数ある事務所のなかで、なぜその事務所に所属したいと思われたのでしょうか?

小倉:
 当時、アイドルにハマっていて。特に、モーニング娘。さんや松浦亜弥さんが大好きで、憧れていたんです。自分もいつかそういった憧れの存在になりたいと思い、ハロプロのメンバーさんが所属するアップフロントグループのオーディションを受けました。 

松浦亜弥さんに憧れて

──今も着実に活動が続いていますが、2000年代前半のハロー!プロジェクトは怒涛の勢いでした。ちょっと脇に逸れますが、当時のモー娘。では誰が好きだったんですか?

小倉:
  誰と言うよりは、グループ全体の雰囲気が好きでした!ダンスもキャッチーでしたし、学校でも流行っていて。私も真似して、歌ったり踊ったりしていましたね。

──松浦亜弥さんはどんなところがお好きだったんですか?

小倉:
 うーん……ひとことで答えるのは難しい質問ですね(笑)松浦さんてすごくかわいらしいけど、それと同じくらいカッコいい、というところでしょうか。
 そして、パフォーマンスや歌声には努力も感じますし、唯一無二の武器がありますよね。そんなことを、子どもながらに感じていたのかなと思います。

──松浦亜弥さんの存在は、今の小倉さんにも影響はありますか? 

小倉:
 めちゃくちゃあると思います!
 アーティストとしての楽曲性もそうですが、衣装やMVのイメージだったり、振り付けも。すごくリスペクトしているので、影響を受けている部分は少なからずあると思います。

 
 
 
 
 
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伝説の「初音ミク踊ってみた動画」は一発撮りだった

──お芝居だけの活動から、歌とダンスもされるようになって、やっぱり大変でしたか?

小倉: 
 そうですね。確かに大変なことも多かったけど、当時はすごく楽しくて。
 事務所で、スタッフの皆さんにダンススキルを褒めていただくことが多かったんです。そこから、初音ミクちゃんのゲーム(PSP用ソフト『初音ミク~Project DIVA~』)でモーションアクターに挑戦させていただくような経験もしました。踊るだけでなく、自分で楽曲の振り付けを考えたりもしていました。そうして、自分の武器を少しずつ認めてもらうことで、弱っていた心に潤いが生まれたような気がしましたね。

──新しい挑戦で、手応えを感じられたんですね。ちなみに13年前、小倉さんが13歳のときにニコニコ動画に公式で投稿された「【小倉唯】「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」を踊ってみた」は、ニコニコ動画初期の名物動画のひとつで、現在でもたくさん再生されています。

小倉:
 そうなんですね。今でも見ていただけているのは、とても光栄です!
 思えば、当時は急に「明日こんな動画撮るからね」と言われて。そこから約1日でダンスを覚えて撮ったんですよ(笑)。

──え、撮影前日に言われたってことですか? 

小倉:
 そうなんですが、撮影はテイク一発でOKになりました。こうして振り返ると、なんだかいろいろなミラクルが重なって生まれた動画だったな〜と思います。
 初音ミクちゃんの曲はもともと好きだったんですが、昔からパソコンやインターネットにあまり詳しくなかったので、今でいう「バズってる」というのをまわりの方から言われても、当時はあまりよく分かっていませんでした(笑)。

「本当にここにいるのは自分でいいのかな?」

──声優としての活動が広がっていくのは、どのような流れだったのでしょう? 

小倉:
 事務所にはもともとアイドルを志望して入所していましたが、事務所の方たちから「声が魅力だ」と感じていただいたみたいで。そこで、アップフロントグループの中でも当時新しく設立された、声優やアニメ関連の仕事に特化した人材の部署に所属することになりました。

──いきなりの実戦投入だったんですね。

小倉:
 はい。そこから一気に声優としての道が開いていったので、当時は本当にびっくりしていました。そもそも、自分の声にはコンプレックスがあったんです。小・中学生の頃、周囲から色んなことを言われた原因の一つでもあったりして……。
 その声を使って、まさか自分がお仕事をするとは思っていなかったですね。

──声のお仕事を始められてから、転機になった仕事はありますか?

小倉:
 声優としてのお仕事が格段に増えたきっかけは、『ロウきゅーぶ!』と『神様のメモ帳』という作品に出会ってから。同時期にそれぞれヒロインでの出演が立て続けに決まり、『ロウきゅーぶ!』では他のキャストのみなさんと一緒のユニット活動もありましたね。
 それまでも、少しずつ声優としてのお仕事はありましたが、この二つの作品に出会ったことがきっかけで、声優としての日々が本格化していったような感覚があります。

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──声優ファンのみなさんからしても、やはりその2作で鮮烈な印象を受けた人が多かったように思います。 

小倉:
 そうですよね。ただ、そこからしばらくはプレッシャーもすごくて、「本当にここにいるのが自分でいいのかな?」という思いが、なかなか拭えなかったですね。
そういった葛藤をしながらも、コンプレックスだった自分の声を初めて受け入れてもらえる場所ができて、心が救われていったのもまた事実で。嬉しくもあり、葛藤もあり、すごく複雑な心境になることがありました。

──それは複雑な気持ちですね……。

小倉:
 はい。ただ、現場でご一緒した先輩たちが本当に素敵な方ばかりだったんです。当時、「声優」というお仕事がどういったものなのか、私に背中で「こういうものだよ」と見せてくれる先輩たちの姿が、本当にカッコよかった。
 「自分も将来、こういう先輩になりたいな」と思ったんです。それがゆくゆく「声優活動をこの先も続けていきたい」という動機にも繋がりました。先輩たちの姿には、そのくらい深く影響されました。

──「自分は声優なんだ。ここにいてもいいんだ」と自分を肯定できるようになった時期はいつごろですか? 

小倉:
 意外に思われるかもしれないですけど、実はかなり最近なんです。それこそ、大学を卒業したあたりですかね。

──となると、まだ4年くらいですか。たしかに意外です。

小倉:
  はい。今となっては、歌って踊れる声優の存在がだんだんと世の中でも定着しつつありますが、私が駆け出しだった当時の頃は、やはり私のような立ち位置で仕事をする人に対して、ネガティブなイメージを持たれることも多かったんです。 

──……きっと、一般人からは想像を絶するキツさだと思います。

小倉:
 声優としての芝居感に悩む時期もありましたね。どうしても、周りの錚々たる先輩方と比較してしまって。だけど、例えばですが『神様のメモ帳』や『ロウきゅーぶ!』のころのお芝居って、あのころの自分にしか表現できなかったものなので、今ではすごく肯定しているんです。
 演じていた当時は、「本当にこれでいいんだろうか?」と不安に感じていました。いくら現場のスタッフさんたちやファンの方から認めてもらえているとわかっていても、少しでもバッシングの存在を知ると「私じゃダメだったのかな?」って疑心暗鬼になってしまって。

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──『ロウきゅーぶ!』のユニット活動などで明るく振る舞われている裏で、苦しんでおられたんですね。

小倉:
  そういうお仕事ですから(笑)。そして、そういった声優としての悩みも、やっと大学を卒業したあたりで吹っ切れたんです。このタイミングが、3つ目の分岐点になります。

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