『アイマス』如月千早はミンゴスの人生をいかに変えたのか? 声優・今井麻美が人生の分岐点を振り返る。「29歳のとき、一度引退を考えました」
『アイドルマスター』
15年以上前にリリースされたアイドル育成ゲームは、今や膨大な関連商品・二次創作を生み出し続ける日本を代表するモンスターコンテンツとなった。
ヒットの要因は挙げればきりがないだろうが、演じた声優自身のバックボーンをキャラクターに逆輸入していくメタ的な感覚は見逃せない。
こうした『アイマス』が持つ独特な“ライブ感”も本作のヒットに一役買ったのではないだろうか。
『アイマス』シリーズの第一作に登場するキャラクター、如月千早もまさにそうしたキャラクターだった。
「歌うこと」に対して真面目すぎるゆえに孤立してしまいがちな15歳の少女……。
プレイヤーたちは千早に、当時“売れっ子声優”ではなかったものの、歌うこと演じることに真摯な声優・今井麻美…アサミンゴスの姿を重ねた。
人気声優に「人生の3つの分岐点」を伺う本連載。今回はアイマスで如月千早を演じた声優・今井麻美さんの半生にスポットライトを当てる。
今井さんは当時、声優事務所に所属し、オーディションで最終候補まで残るものの落ちてしまう日々が何年も続いていた。
しかし、そんななかでも如月千早に出会うことで初めて「演技するのが楽しい!」と思えたという。
取材では、「千早の楽曲はどのように作られたのか」「語り草となっている9周年ライブでのアドリブ」といった今だから話せるアイマスの裏話を多く聞くことができた。
大ヒットコンテンツの成長と共に演技者として今井さんがどのような成長を遂げていったのか。
如月千早という“当たり役”に出会いながらも「29歳のとき、一度引退を考えた」と明かす当時の心境にも迫った。
『アイマス』に触れたことがなくとも、表現をすることに真摯に向き合う彼女の言葉を丹念に拾い上げた本記事は、多くの方の心に響くものになったと思う。
ぜひ、最後まで読み進めていただけると幸いだ。
文/前田久(前Q)
編集/田畑光一(トロピカル田畑)
撮影/金澤正平
■分岐点1:一浪した大学入試で想定外の専攻に合格
――それでは早速ですが、人生における3つの分岐点の、1つ目についてお話をうかがわせてください。
今井:
はい。1つ目の分岐点は「一浪して、大学入試で、想定外の専攻に合格」です。
私、地元が山口県なんですが、たまたま浪人生活が始まるタイミングで、両親が岩手県に転勤になったんです。
付いて行くことも可能だったんですが、親に甘えまして、東京で予備校の寮に入らせてもらうことにしたんですね。
――その方が勉強に集中できそうですし、東京には大学も多いので、予行演習になりそうですもんね。「想定外」とおっしゃられるということは、志望校は元々決められていたのでしょうか?
今井:
自分はもともと「アナウンサーになりたい」と漠然と考えていたんですね。
その夢を叶えるために、入りたい大学がありました。
それで現役のときはもちろん、浪人してもそこに入れなかったときのことをあんまり考えてなかったんですよね。
10代の多感な時期に親元を離れて、受験勉強するためだけに寮に入るのもすごいストレスだったのに、さらにそのことが追い打ちをかけていたみたいで……。
浪人中は体にいろんな異常が出たり、苦しかったり、しんどい思いをしていました。
――ストレス起因の身体症状が出るって、よっぽどですね。
今井:
でも、当時の私は「ストレス」って言葉を知らなくて、心の問題だと理解してなかったんですよ(笑)。
だからなんとか、受験まで、ただの体調不良として受け止めきれてしまったんです。
とはいえ、ここまでしんどいと、さすがに二浪は無理だなと。金銭的な面でも、特に何か言われたわけではないですが、これ以上親に迷惑は掛けられないと感じてましたし。
なので、第一志望以外でもどこかの大学に入りたいと思って、結構手当たり次第に願書を出していたんです。
いちおう、アナウンサー志望だから、社会学部があるところは社会学部で提出するくらいはしていましたけど。
当時のアナウンサーさんには、社会学部出身の方が多い印象があったので。
――マスコミ志望だと社会学部は定番ですよね。
今井:
でも、私が最終的に選んだ明治大学には社会学部はなかったんです、文学部に社会学専攻はあったんですけど。
それで「どうしよう?」と思ったときに、そのときの記憶は一切ないんですけど、なぜか文学部文学科の演劇学専攻にマルをつけて願書を出してたんです。
無意識だったのか、何か自分なりに考えた結果なのか、今でもまったく思い出せないんですよね(笑)。
――受験日にも疑問を感じなかったんですか?
今井:
緊張感やプレッシャーでそれどころじゃなかったです。
受験会場にしても、特に専攻までは分類されていなくて、あくまで文学部のテストとして受けている感覚でしたし。
だから合格発表まではまったく気づいてなかったです。
当時は電話で合否が確認できたんですけど、「あなたは文学部文学科演劇学専攻に合格しました」ってアナウンスが流れてきたのを聞いて、「いや、なにそれ!?」って(笑)。
――いやー……衝撃ですよね、それは。
今井:
あの光景は忘れもしません。母親と一緒に実家から上京して、渋谷駅の公衆電話からかけたんですよね。
それで電話を切った後、「お母さん、私、演劇学専攻に受かったみたい……」と伝えたら、「あら、いいじゃない!」と返されて。
そんな母の言葉にも後押しされて、「面白い大学に行っちゃう!?」みたいな感じで、即決で進学先を選びました。
自分の意志を離れた運命のいたずらが、完全に起こっていましたね。
――まさに「分岐点」にふさわしい出来事ですね。
今井:
しかも結果的には、演劇学を専攻することで、自分が子供の頃からアニメがとても好きだったことを思い出したり、アナウンサーというよりも、どちらかというとナレーターの仕事がやりたかったんだと気づいたりもして……。
――どちらも今につながる気づきですね。
今井:
そして、ここでまた、私のうっかりが発動するんですよ。
在学中に、ナレーターの勉強をしようと思って専門学校の門を叩いたら、そこが声優の専門学校だったんです。
――入られたのは、日ナレ(日本ナレーション演技研究所)さんですね。
今井:
そうです。学校名の「ナレーション」しか目に入らなくて、「演技」の部分がなぜかまったく見えていなかったんです。
面接で当時の所長さんから志望動機を訊かれて、「地元に戻ってアナウンサーになりたいんです」と答えたら、「……なんでうちを受けたの?」と返されたのを、よく覚えてますね(笑)。
そのあと、「とりあえずこの原稿を読んでみて」と渡されたのも、セリフばっかりで。
――完全に演技を勉強したい人を選ぶための面接だったんですね。
今井:
でも、受かっちゃったんですよ。「受かっちゃったんだから、お金払うか!」みたいなノリで入所金を払って。
でも、やっぱり入ってみたら演技の勉強をする学校で、「こりゃ、間違えたな!」って感じでした。
でも、実は心のどこかでずっと、声の芝居に興味があったんじゃないか? そんなことを今となっては思うんです。
――どういうことでしょう?
今井:
当時は、声優という職業が世間的に理解が広まっているとは言い難かったと思います。
特に親世代には、ちゃんとした職業として浸透していなかったんです。
そういう環境下なので意識できていなかったけれど、深層心理で「声優になりたい」という気持ちが、少なくとも小学生の頃からあったんじゃないかと。
本当に人生、何が起るかわからないですね。
――偶然がいくつも重なって、自分の本当の気持ちにたまたま気付けた、と。
今井:
そこからもいろいろな偶然がありました。
まず、日ナレに入った時期に、大学で参加していたサークルの放送研究会が50周年を迎えて、記念のボイスドラマやラジオ番組を作ることになったんです。
放送業界を目指す人が集まるサークルだったこともあって、諸先輩方には名だたる役者さん、ナレーターさんがいらっしゃった。
50周年の節目のそうしたイベントの中で、そんな先輩方とお話しさせていただく機会があったんです。
その積み重ねの中でも、「声優を目指すのもいいかもしれない」と、心が少しずつ動かされたんです。
偶然選んだ大学でしたけど、明治大学に進学してよかったと、そのときにさらに感じましたね。
――いい連鎖がありますね。
■エニックス主催のアニメ企画大賞を受賞――運命を感じた野沢雅子さんのプッシュ
今井:
もうひとつの偶然が、エニックス(現:スクウェア・エニックス)さんが開催していた「アニメ企画大賞」【※】への参加です。
これも偶然、駅前の書店でポスターを見かけて、「何かの縁だ」と思って応募してみたんです。締め切りギリギリのタイミングでした。
そうしたらありがたいことに一次審査を通って、そのあとの対面の審査で、審査員長の野沢雅子さんにお会いすることができたんですよ!
※アニメ企画大賞
1998年に行われた、アニメーション関連のクリエイター募集企画。アニメ企画部門、アニメ声優部門、アニメシナリオ部門、メカデザイン部門の4部門があり、アニメ監督の出崎統、声優の野沢雅子、脚本家の藤川桂介の3名が審査を行った。
――野沢さんに対して、特別な思いがあられたんですか?
今井:
ちょっとおかしな話なんですけど……アニメの『ドラゴンボール』に、悟飯ちゃんが出てくるタイミングがあるじゃないですか。
――タイトルが『ドラゴンボールZ』になるときですね。
今井:
原作を先に読んでいたので、「悟飯ちゃんはどういう声になるんだろう? 悟空とそっくりだけど……」と、当時小学生だった私は、声優という職業も知らないままに、純粋な気持ちで疑問に感じていたんです。
そうしたらある日、「悟飯を演じてくださる方を探しているんですけど、チャレンジしてみませんか?」って、電話がかかってくる夢を見て(笑)。
――おもしろい(笑)!
今井:
本当に不思議でした。そんなこともあって、昔から野沢さんのお名前を強く意識していて。
最終的にその賞で大賞をいただいたんですけど、そのとき私を最後にプッシュしてくださったのが、野沢さんだったそうなんです。
「夢とリンクした!」って、そこでも何か、声優という仕事への縁を感じたんですよね。
私には「本当はこの道を選びたいんだけど、自分から言うのはなんだかおこがましいし、恥ずかしいし、笑われるかもしれないし……」みたいな気持ちが、ずっとあった。
でも、いざ選択肢が人生の中でぱぱぱっ! と出てきたときに、本当にやりたいことを選ぶように、上手く物事が運んでいたのかな……と。
――直感みたいなものって、意外と大事ですよね。
今井:
後輩だとか、若い人とお話しするときに、「好きなことをもっと鮮明にすると良いよ」とアドバイスをさせていただくことが多いんです。特に十代、二十代の人にはよく伝えます。
自分が結構そのあたりが曖昧で、仕事を始めてからもぼんやりしているところがあったんです。
お仕事先の方に、「きみはどういう声優になりたいの?」とか「どんなふうに生きていきたいの?」と質問されたとき、とっさに答えられない、「なるようになるんじゃないでしょうか」みたいなことしかいえなかった。
だけど、人生を振り返ってみたら、結果的には、本能的に好きだったものが揺らがないというか。「結局私は、それにしか興味がないではないですか!」と、自分で自分に言えるようなものがある。
それをいかに明確にしていくかが、人生を豊かにする上で大事なんだと思うんですよね。
■「麻美ちゃんは、『麻美ちゃん』の部分が強いから」――伸び悩んでいたときに響いた母親の言葉
――それにしても、今井さんご自身が自覚されていなかったころ、演劇専攻への進学を「いいじゃない!」と後押しされたお母様の慧眼がすごいですね。
今井:
うちの母、ちょっと勘が鋭いところがあるんです。
私は合格を伝えるとき、どこかで「演劇なんて無理でしょ。それで仕事になるの?」と返されると想像してたんです。
親の世代であれば、そう考えるだろうと思い込んでいたのに、返ってきた答えはすごく意外で、だからこそ滅茶苦茶響いたんですよね。
何かにつけ、相手の考えを決めつけるのはよくないと悟った瞬間でもありました。
――あとからお母様に、「なんであのときそう思ったの?」と、あらためてお尋ねになったことはあります?
今井:
あるんですけど……覚えてないんですよ(笑)!
「そんなこと言った?」って。しかも、私が声優事務所に所属して5、6年くらい経って、なかなかお仕事をいただけない状況のころ、母が今度は「麻美ちゃんは声優には向いていないんじゃないの?」って言ったんですよ。
――そんなにはっきりと。
今井:
いやぁ、この言葉も、かなり響きました。
母は家族の中でも思慮深い方なだけに、口を開くと言葉が重いんです。
また内容が内容だけに、かなりの勇気を持って言ったとも思いましたしね。
――どう返されたんですか?
今井:
母の直感を信用している部分があるので、理由を訊いてみました。
そうしたら、「声優さんって、他人にならなきゃいけないんでしょ? でも麻美ちゃんは、『麻美ちゃん』の部分が強いから」って。
それを言われて、「わからなくもない」と思ったんです。
――どういうことでしょう?
今井:
自分の個性みたいなものは、正直なところ、今でもよくわからないです。
でも、心の奥底から「他人になりたい」という欲求がないのは、はっきりしていました。
当時、同世代で売れている同業の方々を眺めていると、「他人になりたい」という欲求が、みなさんすごく強かったんです。
「私じゃない、何者かになりたいんだ!」という気持ちが、20代の私には希薄だったんです。
――深いですね……。
今井:
今は声優個人の、タレント性のようなものを求められる仕事も増えているので、少し状況が変わっているとは思います。
でも当時は、声優の仕事は「他者になりきる」ことを求められるものが、ほとんどでした。
母の言葉は、そういう意味での仕事は、確かに自分には向いていないのかもしれない……と、一旦立ち止まって考えるきっかけになりました。
他人になりきることが得意ではない声優でも戦っていけるだけの何かを身に着けないと、このままの、ありのままの自分だと、声優業界では受け入れてもらえないかもしれないな……と。
そのころ、オーディションでいいところまでは行っていたんです。
最終候補の2人にまで残るとか。でも、ギリギリの勝負になったときに、負け続けていた。
上手く役に巡り会えないのは、そういうことかもしれないなと、心の奥底から感じることができた。
そこから演技に対する向き合い方も変わりましたし、覚悟も決まりました。
そのあとなんです、第二の分岐点が来たのは。
■分岐点2:『アイドルマスター』、如月千早さんとの出会い
――気になります。次の分岐点、どんな出来事なのでしょう?
今井:
第二の分岐点は、「『アイドルマスター』、如月千早さんとの出会い」です。
(画像はアニメイト通販ページより)
――今井さんの自他ともに認める代表作ですね。その出会いは、先程のお母様からの衝撃的な言葉のあとだったのでしょうか?
今井:
まだ衝撃の余韻が残っていたころですね。
自分が声優に向いていないと、どうしても認めたくなくて、あがいていた。でも、「このままじゃ、無理なのかな……」と不安が込み上げることもあって。
そんなときにあった千早役のオーディションは、普通のものと違ったんですね。
――どういうものだったんですか?
今井:
普通は演じるセリフが決まっていて、それを候補の役者たちがそれぞれに演じて、その中からスタッフのみなさんがいい人を選ぶ。
でも千早のオーディションは、セリフを自分で考えて、演じて、さらに自分で選んだ好きな曲を歌うとという流れだったんです。
あとからうかがった話だと、スタッフのみなさんが、声優のオーディションというものをやったことがなくて、通常のセオリーをわかっていなかったそうです。
だからとにかく、その人の持つ個性や、人としてのパワーが、キャラクターのイメージに合う声優を探していた、と。
そんなオーディションだったので、自分が声優として悩んでいた部分が、逆に活かせたんですよね。
自分を殺すタイプの演技ではなく、むしろ自分が出ている演技が求められていた作品だったんです。
――まるで出会うべくして出会ったかのようですね。
今井:
役に決まってからも、演じるうちに自分と役がどんどん似てくるし、設定にも私のキャラクター性がどんどん逆輸入されていくし……みたいな状態で、変わった作品の作り方をされていたんですよね。
そこで初めて、人の反応をうかがわない気持ちができたんです。
――どういうことでしょう?
今井:
それまではオーディションに落ち続けていても、何が悪いのかわからない状態だったんです。
でも、千早を演じたことで、自分には「これが正解だと思います!」と演技で言い切る自信が、あまりにもなかったのかな、と気付かされた。
その自信のなさが、最後に選ばれるときの決め手として、足りなかったのかな、と。
演技の裏に、「こんな感じでどうですか……?」という感情が常に付き纏ってしまっていて、そこが選ぶ人に見透かされていたように思うんです。
――なるほど。それが千早役を射止めて、変わった。
今井:
千早という大役をいただいて演じていく内に、「演技するのが楽しい!」と思えたし、「あなたでいいんです!」と言われている感じにもなれたんですね。
それで初めて、自分から能動的に、演技に向き合えるようになった。
もちろん今も、朝、収録現場に行く前に、「本当にこの演技でいいのかな?」と、ドキドキしちゃうことも多々あります。
でもそんなとき、「自分が正しいと思ってやらなきゃ絶対にダメだ!」と、言い聞かせることができるようになったんです。
弱点を弱点として認めてた上で、補うことができるようになった。
千早さんは、ただ大きな役だったというだけではなく、演技者として自分を成長させてくれた、ターニングポイントなのかなと思います。
――千早として長年ご活動されてきた中で、苦労されたり、戸惑いを感じた瞬間はこれまでなかったのでしょうか。
今井:
ずっと、めっっっちゃくちゃ楽しかったです! ものすごく怒られることもありましたけどね(笑)。スパルタでいろいろ教えていただいて、歌なんて、40回以上録り直した曲もあります。
――それはすごい。
今井:
今じゃありえないんですけど、指導を受けて、自分からも「もう一回! もう一回だけ!」と粘って録音させていただいて、それがまた、すごく楽しかった!
千早を通じて、どんどんモノづくりの楽しさを知れたんです。
――モノづくりの楽しさ?
今井:
『アイマス』に限らず、もともと私は、スタッフのみなさんが「こういうのが欲しい」」と考えているものの上を行く表現をして、初めて「さすが! この人に頼んで良かった!」と感じてもらえると思っているんです。
でも、声優としての仕事の中で、ずっとそれができないマインドのままでやっていた。
千早としての仕事では、その枷を取っ払うことが認められた気がしたんですね。
「好きな感じで歌っていいですよ。あなたが出せるものがそれですから」と言っていただけたことで、「もっとこうしたい!」という欲が、素直に出て来た。
「私って、2歳の頃から歌が好きだったじゃん!」みたいなことを思い出したりもして……。
――そんな小さな頃から。
今井:
2歳の頃から、窓の外のご近所さんに向けて歌っていたんです。
だから今の状況は、本当に「三つ子の魂百まで」なんですよね。
歌とアニメが大好きな子供だったのに、なんで声優になってから、萎縮しちゃってるの!? 自分が好きだった気持ち、もっと開放しなきゃだめじゃん! ……そんなことを、千早を演じる過程で、体感させていただけた。
そこから先、声優としていろいろな作品に出会っていくんですけど、はっきりと役への向き合い方が変わりましたね。
――どう変わられたんでしょう?
今井:
「自分がどう表現したいか?」が、まず先に来るようになったんです。
本来だったらもっと早い段階で気付くべきだったんですけど、スロースターターでしたね。
30代からようやくそう思えるようになった。