『アイマス』如月千早はミンゴスの人生をいかに変えたのか? 声優・今井麻美が人生の分岐点を振り返る。「29歳のとき、一度引退を考えました」
■『アイマス』で盛り上がっているニコ動を見に行ったら辛辣なコメントが……
――今おっしゃったような、千早を通じての気付きの具体的なきっかけになった、何か出来事はあるんですか? それとも積み重ねの中で、自然と?
今井:
私と千早のために作ってくださった、最初の曲……「蒼い鳥」を歌ったときからですね。
――「アイマス」の楽曲を代表する名バラードですね。
今井:
「蒼い鳥」は曲の作り方からそれまでとは違っていて、作曲家の方との面談が先にあったんですね。「どんな歌が好きですか?」「どれくらいキーが出ますか?」みたいな確認があって、それから「歌う人にぴったりなものを作ろう」という形で作ってくださった。
千早として最初にもらった曲ですし、私にとっては本当に宝物です。ただ……。
――ただ?
今井:
めちゃくちゃ難しかった! 曲をいただいてからレコーディング当日まで、毎日のように練習していました。練習した回数は、100回どころでは足りないと思います。部屋から漏れてくる音を聞いていた父親が、ソラで歌えるようになったくらいで(笑)。
――あはは。
今井:
それくらい熱を込めて打ち込んで、自信にも繋がりましたし、「もっと自分の歌の表現を伸ばしていけたらな」と感じさせてももらえた。
そういう意味でも、最初のきっかけをいただいた曲かもしれないです。
――そもそも千早は、『アイドルマスター』の最初のゲームに登場する9人のアイドルの中で、歌唱力の高さが特徴の「歌姫」キャラで、プレイヤーからしても期待値が高くて。
今井:
いやー、世に出る前の、井の中の蛙状態のときは、「私、そこそこ歌はイケんじゃん?」と思っていたんですよ。
でも、いざやってみるとそんなことはなくて。
それこそ、最初の『アイマス』のときはニコニコ動画さんですごく盛り上がっていたじゃないですか。
――サービス立ち上げ直後の大人気コンテンツでしたね。
今井:
自分の関わった作品が盛り上がっているとうれしいので、観に行くわけですよ。
そうすると、ニコ動さんだから、コメントが流れるじゃないですか。……辛辣な言葉を見ちゃうんですよ!
「こいつ歌上手いつもりでいるけど、全然上手くないじゃん」みたいな(笑)!
――本当に申し訳ありませんでした! ユーザーのみなさまに代わって、運営側の人間としてお詫びを……。
今井:
いえいえ(笑)。「めっちゃ歌上手いじゃん!」って手放しに褒めてくれる人もいましたし。
それに、批判されると悔しくて、「そんな言い方しなくてもいいじゃん!」と思ったのは事実ですけど、そのときの私に足りなかったのは、まさにそれだったんですよ。
批判されたときに、「くそ〜!」と思う気持ち。
やはり人を感動させる、クリエイティブなものを作っていく上で、私にはそこが致命的に足りなかった。
子供の頃からどうも面と向かって批判されないタイプの人間だったので、批判コメントは青天の霹靂のようなものでしたけど、それが今の私を作り上げてくれたもののひとつなのは確実です。
――そういっていただけるとありがたいです……。
ちなみに、批判も受け止めながら、努力を重ねられて、さらに千早として一つ突き抜けられた、壁を超えられた手応えがあった瞬間はありますか?
今井:
10周年ライブのときに、「細氷」という最難関の曲を歌う機会をいただいたときですね。
レコーディングでも難しかったのに、これを生で歌うとは、また挑戦状をもらったな! って感じたんですよね。
「まだできないかもしれないけど、これをクリアするために、もっと新しい技術を身につけて来い!」って、スタッフさんたちから叱咤された気がしたんです。
だから必死に食らいついて、ステージ上で表現して……あのときはゾーンに入っていましたね。
自分のライブ映像は、後学のために必ず確認するようにしているんですけど、あの「細氷」は、初めて「自分が歌っている」と思いながら観なかったんです。
ステージの上にいる人のことを、自分とは別物として観られるというか……。
あの「細氷」は、すごく自慢できます。
――たしかに圧巻の歌唱でした。
今井:
もちろん、今観ると拙い部分もあるんですけど、当時の出来うる限りの魂と空気感を出せた自信があったので、初めて「これをいまいちと評価されても、全然響かない」と思えた。
私に足りなかったのはこれだな、って思えたんです。
「そんなに上手いか?」と言われても、あのステージに関しては「この空間把握能力すごくないですか!?」って言える(笑)。
あれは本当に、「10年、戦い続けてきてよかったな」って思えた瞬間です。
■9周年ツアー千秋楽『約束』のリハで、涙が30センチの水たまりに
――『アイマス』ファンのあいだではその1年前、2014年の9周年ツアーの東京公演千秋楽で、千早が「約束」を歌いながらステージ上で感極っていた姿をご記憶されている方も多いようです。
無粋かもしれませんが、あのときのお気持ちをこの機会に、あらためてうかがってもいいでしょうか?
今井:
あれは……『アイドルマスター』のゲームが始まったとき、スタッフさんからよく、「10年走りたいんだ」と言われていたんです。
「正式稼働から数えて10周年まではなんとか走りたいので、そこまでついてきてくれますか?」と、私だけじゃなく、最初期のメンバーはひとりひとり聞かれたことがあるはずです。
9周年って、その直前じゃないですか。しかもテレビアニメが2011年に放送され、その劇場版が2013年にあって、そうした意味でも、作品として一段落を迎えた感覚があったんです。
普通の作品だったら、以降の展開は落ち着きますよね?
――ですね。劇場版まで行き着くと、もうあとはゆっくりと継続していく形になりがちです。
今井:
でも、「ここからさらに10周年に向けて盛り上げていきたいんだ」と聞いていたので、どこか責任感が強かったので、プレッシャーを感じていたし、当時、段々と後輩の、派生グループが生まれ始めていた時期で、「これから先、私たちはどうなるんだろう?」という不安もあったんです。
私たち演者もですし、応援してくださるファンのみなさんにも、どこかしら悶々としたものがある時期だったんですよね。
――シリーズの最初の転換の、過渡期だった。
今井:
そんな状況で開催された9周年で、とにかく私の中では、「あと1年!」という感覚が強かったんです。
「あと1年、なんとか走りきるぞ!」という気力だけで、もっと、もっといい表現ができるように、できる限りがんばろうと思い詰めていた。
でも、それを見ていたある方から、ぽろっと、「思い詰めすぎじゃない? そんなに今井さんのできることって、多くないよ」と声をかけられたんです。
これ、誤解されたくないんですけど、その方に悪気があったわけではないんですよ。
むしろ、当時の私のあまりに追い詰められた様子を見て、本気で心配してくださったんだと、今ならわかります。
でも、当時の私としては、図星を指された思いがしたんです。
自分たちのコンテンツも守りたいし、後輩グループも守りたいし、いろんな想いがあって、勝手に責任を負いすぎてしまっていたんだ……と。
そういわれたとき、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われました。
――優しさというか、気遣いが、かえって残酷だったんですね……。
今井:
やらなきゃいけないと思って、自分をギリギリまで追い込んでいたものが、必要ないのかも? って気付かされたわけですからね。
比喩じゃなく、本当に立ち上がれなくなるくらいのショックでした。
それが9thライブ千秋楽の、当日ゲネ(ゲネプロ、通しリハーサル)の直前だったんです。
あまりにボロボロになっている私を見て、「今井も大変でしょう?」と気遣ってかけてくれた言葉を、そう受け取ることができずに、「君は必要ない」と言われたかのように、勝手に頭の中で変換してしまった。
今、『アイマス』で歌うことはとても楽しいです。
でも当時は、まさに命を削っているような心境でした。それなのに、必要ないんだ……と。
またそのとき歌うのが、「約束」でしたからね。
アニメの象徴的な楽曲だったのもあり、作品とシンクロしすぎてしまったんですよ。
私は歌うとき、その場の空気感から入っていくタイプなので、多分余計にそうなってたんでしょうね。
本当に力が入らなくなっちゃって、これはもう、今日は歌うことは無理だ……と思いながらゲネが始まったんです。
――おそろしい状況ですね……。
今井:
そして実際、ゲネのステージに立っても力が出なくて、声が出ない。
おまけに、大粒の涙がとめどなく止まらなくなってしまった。
足元に30センチくらいの水たまりができていたんですよ。自分でもドン引きですよ(笑)。
会場のスタッフさんたちもザワザワしちゃって。
で、曲の途中で仲間たちが合流して、一緒に歌う流れだったんですけど、最初は私がそんな状態なのを知らない子もいたから「なんか元気ないね?」くらいにしか受け取ってない子もいたかも知れません。「なんか元気ないね?」というくらいで、普通に歌っていたんですね。
でも、曲の途中で、私が完全に歌えなくなったのを見て、そこから引き取るようにして歌ってくれたんです。
でも曲の途中で、私がもはや完全に歌えなくなったのを見て、そこで初めてびっくりして。
そこから、引き取るようにして歌ってくれたんです。
――とっさに、アドリブ的に。
今井:
驚きました。みんなが演技じゃない、「どうしたの!?」って心配するような、すごい表情で私のことを見ていて。
そして誰かが歌い始めたのをきっかけに、本来なら私が歌うはずのパートから、歌い始めてくれた。
「なんて素敵な空間なんだろう!」って、思いました。
おかげで、「いい仲間がいるな、うれしいな」と感じながら、ゲネを終えられたんですね。
本番の直前にも、「もし本番で歌えなくなったら、ちゃんと準備してるから、安心してね」と声をかけてくれて。
みんな、すごいなあ……って、なんだか不思議な気持ちで、出番が来るまでライブをモニターで眺めていました。
私の直前の出番だった、いつもは私にとって可愛い存在の後輩が、「私、麻美さんがステージに立ちたくなるようなパフォーマンスをしてきます!」って、声をかけてからステージに出て行ったんです。うれしかったんですよね。
おかげでスッと食い入るようにモニターを見て、素直に「なんて凄いんだ! 負けたくない!」と思えた。
――後輩の方も温かいですね……。
今井:
おかげで、それまでで一番リラックスした状態で、ステージに立てたんですよね。
でも2曲歌ったあと、泣いたことで喉のコンディションを悪くしていた上に、作品の世界観に完全に没頭してしまって、コントロールも上手くできなくて、「もうこれ以上は歌えない!」という状況になってしまった。
そのとき、フッと俯いたら……みんなが歌ってくれたんですよね。
ゲネのときのこともあったので、いつでもフォローする体制でいてくれて、すぐ助けてくれた。
そのあとの具体的な記憶って、ほとんど残ってないんです。
でも「私、今、千早だなあ」ってどこかで感じていたことだけは、はっきり覚えています。
――役と気持ちが重なった。
今井:
アニメの中でも、千早の心が折れたときに、仲間が助けてくれた。
その状況がステージに現れたとき、私もあとから震えが止まらなかったし、今でも「すごかったですよね」って言ってくださる方が、それこそ今日のようにいらっしゃる。
それだけのものが表現できたのは、クリエイター冥利に尽きますよね。
私がやりたかったもの、表現したかったものが、狙った形とは違うけれど、生み出せた。
凄く幸せなことだったなと思います。
■分岐点3:東日本大震災をきっかけに、歌を続けようと思ったこと
――お話をうかがっていて、如月千早という役、長年続く『アイマス』というシリーズの存在の重さ、大きさをあらためて感じました。
今井:
それこそ、私にとってこちらもとても大切な役である、『STEINS;GATE』の牧瀬紅莉栖を演じることができたのも、そこから話が繋がっているんですよ。
――そうなんですか?
今井:
私が紅莉栖役に決まったきっかけは、MAGES.さんで音楽活動をしていたことなんです。
そして、自分の名前で音楽活動をやろうと思えたのは、千早を通じて「私は歌が好きなんだ」って再確認させてもらえたから。
もし千早として歌っていなければ、アーティスト活動をしようなんて、微塵も思わなかったはず。全部が繋がっているんですよね。
――なるほど!
今井:
ただ、自分の名義の音楽活動については、「需要がどのくらいあるんだろう?」「今、私の音楽を聴いてくれている人は、他の作品が好きで来てくれている人なんじゃないかな? ということは、別にその作品の展開だけあれば、みんな満足するんじゃない?」と、やっぱりここでも演技と一緒で、しばらくは自信が持てませんでした。
ただ、歌うのは楽しいし、ステージで表現するのも楽しいし、修業にもなるような刺激的な活動だったので、ひとまずは続けていたんです。
でも、頭の片隅に、「いつまで続けられるんだろう?」という悩みはずっとあったんです。これが3つ目の分岐点に繋がる話なんですよ。
――では、そのお話に入らせてください。
今井:
はい。3つ目の分岐点は「東日本大震災をきっかけに、歌を続けようと思ったこと」です。
――ということは2011年、今から12年前の出来事になりますね。
今井:
そうですね。3月11日に地震が起きたとき、テレビで被災地の様子を観ながら、まず最初に思ったのは、「どうしよう!?」だったんです。
――どういうことでしょう?
今井:
私、応援してくれるみなさんからのお手紙にあった住所を、ぼんやりとですが覚えていたんです。
そこには当然、激しい被災地になった地名もあって。
被害の映像を観ながら、「私のあずかり知らぬところで、自分を応援してくれる方が天変地異に巻き込まれて、絶望しているかもしれない……」と、思わず想像してしまったんです。
実際に、少し落ち着いた頃に、「苦しいことがあった」とか、「両親が巻き込まれました」といったお手紙をいただきもしました。
――ああ……。
今井:
それだけじゃないですよね。もしご本人が亡くなられていたら、私のところまでその死が伝わってくる可能性は、ほぼないわけで……。
そんなふうに頭の中で可能性をいろいろと想像しているうちに、「自分には何ができるだろうか」と考えるようになりました。
特に、亡くなられてしまった方も含めて、声をあげられる状況にない、それでも苦しんでいる被害者の方に、自分だからできる何かを届けなくてはいけないのでは? と。
それは、日常の生活の中に、少しでも楽になれる瞬間、非日常を作ることだと思いました。だから、少しでも早くライブができる状況を作ろうと思ったんです。
――ご自分のできることは、やはり音楽だと。
今井:
当時はまだ、今ほど能動的に、私たち声優が個人でできることはなかったんですよね。
今ならYoutubeで配信をするとか、SNSを駆使して何かをやるとか、もっとできることがあるのかもしれないですけど、あのころは作品単位ではなく、個人で動くのは難しかった。それもあって、そういう考えになりました。
それまでは、チャリティーのような活動を思いついても、「私なんかが、そんなことを……」と思う気持ちの方が強かったけど、そのとき、初めて自分から、何かしら行動を起こしたいと思えたんです。
誰かを応援したい、少しでも力になりたい、そのために、自分にもできることがあるじゃない! と、強く思えたんですね。
その気持ちを感じたときに、「これからもずっと歌い続けていこう」と決めました。
それまでは、「いずれはどこかのタイミングで辞めるだろう」と、ぼんやり思っていたんですよ。
――えっ。
今井:
辞めるきっかけを探していた……ではないですけど、「いつまでできるかわからない」というのを、自分の中で音楽活動をするときの言い訳にしていたんです。
でも震災を経て、「できるかぎり、がんばろう」と思えたので、今も自分の音楽を続けています。
あれから12年が経って、ファンのみなさんもだんだんと忙しくなっていたり、音楽を取り巻く環境も変わってきているので、当時のようにたくさんの人が集まるのは難しくなりました。
それでもライブをすることで、何かが起こる。
たとえば、いつも来てくださっている、車椅子ユーザーの方がいらっしゃるんです。
その方からあるとき、「自分の人生を大きく変えてくれたのは今井さんです。今井さんに出会わなかったら、日本中のいろいろなところに、こんなに出かけようなんて思わなかったです。勇気をもらえました」と声をかけていただいたことがあって。
もう、「それは私のセリフだよ!」という感じでしたよ。
――言葉が軽くて申し訳ないのですが、それは泣けますね……。
今井:
最近はファンの方同士の結婚も多くて……それって凄くないですか?
自分がいなければ、その二人は出会えていなかったかもしれない。本当に誇らしいです。
海外からライブに来てくださるお客さんも多くて、聞いてみると、わざわざそのために来日されたとか、私と話してみたかったから日本語を覚えてくださったとか……もう、どんだけの人生に影響を与えたんだろう! って。
声優になる人生を選んでいなかったら、こんなことは絶対にありえなかった。
本当に、素敵な道を選んだなと思います。
――活動が継続すると、ファン同士のコミュニティも大切なものになるんですね。
今井:
そうですね。沖縄でライブをやったときは、有志の方々でバスをチャーターして会場まで来てくださったりとか。
そういう話を知るたびに、すごく誇らしくなります。
声優という仕事は、与えられないとできない仕事なんです。どなたかが作りだしたものに、自分というコマが上手くはまるかが大事。
でも、音楽活動は能動的にできるもの。
もちろんスタッフさんとのコミュニケーションは必須なんですけど、自分がやりたいと思い続けられる限り、何らかの形で発信できるものです。
コミュニケーションを取るための手段として、自分にはこれがあると気づけたことは、人生においてとても大きな発見だったと思います。
■29歳のとき、一度引退を考えた
――失礼な言い方になってしまったら恐縮ですが、仕事を通じて、人間としての成長を重ねて来られたような印象を、今日のお話で受けました。
今井:
本当にそうだと思います。もう少し器用だったら、20代の頃、もっと早いうちに自分が見つけられたんだろうなと思うんですけどね。
私はちょっと鈍いというか、天然で、他の人より歩みが遅かった。
声優として食べていけるようになったのが、30歳を過ぎてからなんです。普通なら諦めるところだと思います。実際、私も29歳のとき、一度引退を考えました。
当時大事にしていた仕事のひとつが、思うような展開にならなくて、これは声優という職業に自分はご縁がないのかな……と感じたこともあって。
ただ、そのときにけじめとして、当時所属していた事務所を辞めることで退路を断とうと思ったんですね。
辞めて、継続している細々としたお仕事だけは最後まで、全力で取り組んで、それが全部なくなったら、声優としての活動は終わりにしよう、と。
――自然消滅のような……。
今井:
ところが、不思議なことにそういう状況になってみたら、逆に「今井さん、面白い人だから、この役を頼んでみようかな」みたいに、事務所から離れた私をわざわざ探して、声をかけてくださる方がたくさんいらっしゃったんです。
20代の、なかなか芽が出なくて苦しかったとき、がんばって取り組んできたことは無駄じゃなかったんだ! 見てくれている人は、見てくれていたんだ! と、そのときに痛感しました。
それからはずっと、「恩返し」のつもりで仕事をしています。
――いろいろな経験をされてきて、今、「恩返し」の気持ちがいちばん大切なものになっている。
今井:
私はやっぱり、クリエイターさんに非常に憧れを持っているんです。
ゼロから物を作り出す才能を持っている方、自分では思いつかないことを世の中に発信していく方々を、本当にリスペクトしているというか、そういう方を見ているとワクワクする。同じ空間にいられるだけで極上の幸せです。
なので、自分が仕事をするときは、そういったクリエイティブな方々の一助になりたい。自分はいわゆるアニメっぽい声ではないというか、アニメに求められる典型的な声質や演技ではない。ちょっと亜流の演技をする人間です。
そんな私を必要だと言ってくださる方々に、全力で納得していただけるもの、なんなら、クリエイターの方々の想像の上を行くものをご提示したい。
できないことも多くて、落ち込むこともよくありますが、その気持ちはこれからも一生、忘れたくないですね。
――最後に未来の展望もお聞きしたいです。今後、どんな未来を歩まれたいですか?
今井:
実は今が一番ぽっかりと、やりたいことのイメージが空いているんですよね。
仕事はいただいていて、ありがたいことに本当に自分を信用してくださる方がたくさんいらっしゃって、変わらない気持ちで取り組んでいます。
ただ、2014年の大変なときから、ずっと私を支えてくれた愛猫が亡くなって、まだ半年経っていなかったりもして、ちょっと気持ちがアイドリング状態といいますか……。
だから今は、それが仕事なのか、プライベートの出来事なのかわかりませんけど、人生の凪を打破するものを、ゆっくりと待っている時期かなと思います。
今までの私の人生みたいに、予期せぬところで突然始まったりすると思うんですよ(笑)。
――たしかに今日のお話を思い返すと、納得です。
今井:
今日は「3つの分岐点」というテーマでインタビューしていただきましたけど、実は今、このインタビューの瞬間が、これまで経験してきたものが少し落ち着いて、先に向かう手前……「4つ目の分岐点」なのかもしれませんね。
ここから先の自分がどう変化していくのか、全く予想がつきません。もしかしたらこの先、全然別の仕事をしているかもしれない。
これからの未来を、そこに向かって少しずつ動いてくる空気感を、楽しみたいですね。
[了]
■今井麻美さん直筆サイン入り色紙を1名様にプレゼント!
今井麻美さんにサイン色紙を書いていただきました。こちらを抽選で1名様へプレゼントします!応募方法はニコニコニュースXアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ポストをRP。ご応募をお待ちしています。
「今井麻美さん直筆サイン」を1名様にプレゼント🎁
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) February 22, 2024
▼応募方法
➡️@nico_nico_news をフォロー
➡️このツイートをRT
▼インタビュー記事https://t.co/0uShJmjnaW
締切:2024/2/29(木)23:59
当選はDMでお知らせします。#今井麻美 #声優 #プレゼントキャンペーン pic.twitter.com/oQ6IkaIpjf