最強の棋士像【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第2章】
4歳の頃から将棋を始め、史上初の小学生プロ棋士の期待すらかかり、令和初の竜王名人となった、平成生まれ初のプロ棋士・豊島将之竜王(叡王)へのインタビュー企画が実現。
聞き手を務めるのは、『りゅうおうのおしごと! 』作者である白鳥士郎氏。全3章に渡る超ロングインタビューをお届けしていく。
※取材は、緊急事態宣言の発出前に、感染対策を行ったうえで実施いたしました。
取材・文/白鳥士郎
撮影/諏訪景子
豊島将之が将棋をはじめたのは4歳の頃だ。
5歳の時に訪れた関西将棋会館で指導棋士の土井春左右氏と出会い、その才能を見いだされた。土井氏から頼まれて幼い頃の豊島と関西将棋会館の道場で将棋を指したというエピソードは、何人もが語っている。
『短パンの勝負師』。
当時刊行されていた週刊将棋という業界紙は、そんな言葉と共に、大人相手に道場で将棋を指す幼い豊島の写真を掲載した。
7歳でアマ四段、9歳でアマ六段という驚異的な速度で成長すると、その勢いのまま9歳で関西奨励会に入った。
そして16歳でのプロ入り後も所属は関西のまま今に至るのだ。
5歳からずっと、豊島の棋歴は関西将棋会館と共にある。
その関西将棋会館が、2年後に高槻へ移転することになった。
なので今回のインタビューでは、豊島にとって関西将棋会館内の思い出深い場所で写真を撮影しようと考えた。新型コロナの影響で、あと何度、こうした撮影の機会を持てるかわからない。貴重な記録になる可能性もあった。
「思い出深い場所? そうですね……」
豊島に尋ねてみると、小考の後、こんな答えが返ってきた。
「5階の対局室と、3階の棋士室と…………あと、イレブンですか」
1階にあるレストラン『イレブン』は、しかしコロナ流行前とは変わっていた。
席のあいだにはアクリル板が設置され、室内の二酸化炭素濃度を計測する機械も置かれている(※豊島の右側に置かれた黒い機械)。
「よく、山崎(山崎隆之八段)さんと練習将棋を指した時に連れて来てもらいました」
テーブル席にちょこんと腰掛けて思い出を語る豊島もまた、マスクを二重にした姿だ。
ランチ営業終了後の、客のいない店内。
写真撮影を担当する諏訪景子さんの切るシャッターの乾いた音が響く。
対局を見ていればわかるが、豊島はあまり表情が変わらない。また、常に姿勢が正しく、動きも少ない。
しかし今回、諏訪さんには何か秘策があるようだ……。
家で研究する際は扇子を手元に置いてパチパチと
──最近は棋士の食事に注目するのがブームになっているので、豊島先生も食事にまつわる質問をよく受けておられると思うんですが……実際は、食にあまりこだわりがないような。イレブンはサービスランチが多いですよね? お肉でもお魚でも。
「そうですね」
──少し遡ると、一口ヒレカツが多かったと思うんですけど。
「ヒレカツは対局にいいんですよね? そう、丸山先生のインタビューで読んだので(笑)」
──ふふふ。そうでしたね(笑)。
私がドワンゴの依頼で行った、第4期叡王戦の本戦に進んだ24人の棋士へのインタビュー。その記事の中でも特に反響の大きかった丸山忠久九段の記事のことを豊島は言っているのだ(なぜ丸山忠久は唐揚げではなくヒレカツを頼むのか?)。
丸山のインタビューだけではなく、豊島は将棋AI開発者に行った最近のインタビュー記事なども読んでくれているらしい。
そういえば中日新聞の元旦企画で数学者の森田真生さんと対談した際には、事前に森田さんが主催するゼミを訪問したという。対局以外の仕事でも隙がないのが豊島流なのだろう。
──過去のインタビューで、夏が苦手だとはっきりおっしゃっています。そして最近は体重が落ちないように、麺類よりも意識的にご飯物を食べていると。効果はありますか?
「そうですね。うーん……減らない、ような気がします」
──体重が減って体力が落ちると、連敗が止まらなくなることがあるともおっしゃっていました。昨年、名人防衛戦と叡王挑戦がコロナの影響で同時進行になってしまった時は、あらかじめ連敗防止の対策をなさってて。自分が勝った棋譜を並べているとか。
「それは負け始めてからですね。やったけど、あんまり効果なかったです(苦笑)」
──そういう時に参考になさることって、他の棋士が「こうやったらよかったよ」と言ってることなのか、それとも別の世界の……たとえばスポーツ選手のスランプ克服法とか、どっちが参考になるんでしょう?
「(どちらも)参考にはするんですけど……どちらも上手くいったりいかなかったりという感じですね」
──となると、休むしかない?
「どうしたらいいかわからないまま名人を失冠して。そこで……ちょっと長い目で見て取り組んでいったらよくなっていった、という感じでしたけど」
──課題が見つかって、それに取り組んでいくことができる状況というのが、豊島先生にとっての『よい状態』ということなんでしょうか?
「そうとも言えないのが……対局が多くなると、課題がたくさん見つかるんですけど、それを全部改善しようとせずに、ある程度許容しつつやっていったほうが、成績はいいですかね」
──現実を受け入れる、という感じなんでしょうか?
「すぐには変わりませんからね。課題に取り組んでも」
──完璧を求めすぎていたという面があって、それが体力切れに繋がり、結果が出なかった?
「そうですね。やろうとすると……課題が見えてすぐにそれに取りかかると、体力切れするというか」
「体力切れじゃなかったとしても、新しいことに取り組みながら対局もこなしていくとなると、やはり大変なので。そのへん、うまくバランスを取れるようにというのが大事ですかね」
──『自身のスタイルは対局が多くあってのもの』というご発言もありました。
「研究会とかそんなにやってないので、対局が無いと弊害が出てくるというのはあります」
──メンタル的な部分で? 気分を対局に向けて盛り上げていくというか……。
「メンタルというか、対局してないと感覚が鈍ってくるところがあるんです。『この手がいい、この手が悪い』みたいな感覚は変わらないんですが、『とりあえずここまで読んだら指す』みたいな感覚が鈍るというか……考え過ぎちゃったり」
──無駄に読み過ぎて疲れちゃったり?
「そうですね」
──そういう部分って、『将棋の真理を追い求める』というよりも『相手を上回れればいい』というほうが大事なんですか?
「どっちも大事なんですけど……相手を上回る、が行き過ぎると良くなかったりすることもあります」
撮影を担当する諏訪さんから、モコモコしたものが投入された(※消毒済み)。
はにかみつつ、豊島はモコモコを手の中で遊ばせる。
意外とノリノリ……というか、楽しそうだ。そして口調も滑らかになったように感じる。諏訪さんの秘策は大当たり。
ふと思いついて、こう尋ねた。
──私は家でずっと一人で小説を書いていると、かえって効率が悪くなることがあるというか……ちょっと気分転換になるものを近くに置いてたりするんですけど。豊島先生も、何か手元に置いていたり?
「家で(研究を)やるときは、けっこう扇子を使ってますね」
──ご自宅で扇子を?
「家のほうが扇子、使ってます」
──実は……けっこう豊島先生、扇子パチパチするの好きだな……と思って中継を見ていたりしました(笑)。
「対局には持って行かないこともあるんです。持って行くと、パチパチしたくなってしまうんで(笑)」
──あ!『今日はちょっとパチパチしすぎだったな……』と反省したり?
「パチパチ、あんまりやりすぎるとよくないですよねぇ(笑)」
──扇子について、おうかがいしたいことがあったんです。私、豊島先生が二冠になられた時の記念扇子を買わせていただいたんですが……。
「ありがとうございます」
──あっ、そういえば初めて『二冠』とサインした相手は、王位獲得の翌日に乗ったタクシーの運転手さんとご著書にありました。将棋好きな運転手さんだったんですか?
「そうですね。そんな感じでした」
──いかがでしたか? 初めて二冠と書いた気持ちは?
「『え? このシチュエーションなのかぁ……』って(笑)」
──ははははは!
豊島将之が思い描く『最強の棋士像』
──……すいません脱線して。本当に聞きたかったのは、二冠を獲得した時に作られた扇子の揮毫が『流水不腐』。流れる水は腐らない……この言葉を選ばれたのは、なぜなんでしょう?
「やっぱり、ずっと変化し続けていけたら……ずっと前に進んでいきたい。そういうイメージで」
──変化。
「変化を求め続けていきたいですし、その中で新しい発見や『ここが向上した』というものがあったらいいな、と」
──変わり続けていく……それが理想だとすると、豊島先生の中には、ゴールとか、最強の棋士像といったものは、今の段階では存在しないんでしょうか?
「最強の棋士像…………」
その言葉を投げかけた瞬間。
それまで滑らかに動いていた豊島の口が、急に重くなる。
手の中にあるモコモコしたものの存在も忘れ、豊島はどこかを見上げて、自身の思う最強の棋士像を探り始めた。
「うーぅ…………ん…………」
まるで、自分からは遙か遠くにある星を見つけようとするかのように、彼方を見詰める豊島。
そしてようやく、小さな声でこう呟く。
「ない、わけではないですけど…………」
「でも、自分流で行くしかないような気がするので……」
──その最強の棋士像は、現在の豊島先生からは、離れている存在なんですか?
「……そうですね。何て言うか…………うーん…………最強の棋士像…………」
「最強って、難しい…………自分に…………」
「…………まあでも結局、自分なりにできることをやっていくしかないという感じですか。最強の棋士……」
──それは、パッと聞かれたときに思い浮かぶのって、人間なのかそれともコンピューターなのか……?
「あー…………でも棋士っていうからには人間ですかね。やっぱり」
──人間として、すごく強い存在。それは豊島先生の中には、具体的なイメージとして存在するんでしょうか?
「ありますね」
その問いかけにだけは意外なほど強い口調で即答した豊島は、吹っ切れたかのように、滑らかに語り始める。
自分が最強の棋士像に近づくための方法を……では、ない。
「ただ自分は、能力が限られている部分があるので。そういう人にも対抗できるようにしていきたいという思いでやっています」
『そういう人』。
豊島が語り始めたのは、最強の棋士像に対して、自分がどう対抗していくかについてだった。
つまり豊島は、自分がその最強の棋士になれるとは考えていない、ということになる。
しかし……豊島は史上四人目の竜王名人だ。
竜王と名人を同時に戴冠した人間は、豊島の他には谷川浩司・羽生善治・森内俊之しかいない。渡辺明すら、それを成し遂げてはいない。
そして現在も、豊島は将棋界最高位タイトル『竜王』を保持している。あの羽生善治の挑戦を退けて。
豊島を現在最強と評する者もいる。対戦成績で藤井聡太を圧倒し、渡辺明よりも若い豊島が、今後の将棋界で長く君臨する未来は当然あり得る。
噛み合わないものを感じつつ、私は質問を重ねた。
──……『自分が最強の棋士になってやるぞ!』というのではなく、そこに対抗できるようにという意識でやっておられるのが、私には意外に思えます……。
「具体的に言ったら、藤井二冠は自分よりも若いですし、終盤とかも明らかにメチャクチャすごいので」
「どっかの部分では……全ての部分で勝つ、というのは難しいと思いますけどね。あんまりイメージできない。それは」
「でも、何か一つでも上回れたら『ここで勝負していく』というイメージは、何となく掴めますけど」
──勝手なイメージで申し訳ないのですが……若い頃の豊島先生には、『どんな部分でも完璧にしなきゃいけない』という意識があったように思えるんです。その意識が強すぎたあまり、息切れしてしまったのかな……と。
「……あったかもしれないですね、それは」
──そういう部分が、次第に現実と折り合いを付けていくことを学んでいかれて、それが結果に繋がった。しかしその過程で、ご自身が最強の棋士ではないという意識もまた、強くなってしまった?
「そうですね。しかも電王戦に出て、コンピューターと戦ったことで、だんだんそうなっていったというか……やっぱりソフトと指して、自分の至らない点に気づいたというか」
──人間同士で戦っているときには気づけなかったけど、ソフトと比べることで『やっぱり人間だからできないことってあるよね』と気づいた?
「あったと思います」
豊島は静かに、しかし深く頷いた。
もう一つ、私はこの扇子について聞きたいことがあった。
──関防印(右上の赤い判子)が『抱朴(ほうぼく)』。素朴な気持ちを抱き続ける……というような意味だと思うのですが、これを選ばれた理由は?
「関防印に使う熟語を集めた紙みたいなのがあって、その中から選んだんですけど……そんなに深くは考えていなかったです(笑)」
──豊島先生にとっての素朴な気持ちって、どういうものですか?
「どんな気持ちなんでしょう?(笑)」
──将棋を楽しむ、みたいな?
「あっ、それはありますね。やっぱり、将棋を始めた頃の気持ちというのは、大切にしたいと思っていて……」
──1年間の獲得賞金が1億円を超えて、8つあるタイトルのうちの5つを獲って、豊島先生の存在はもう『素朴』といえるものじゃなくなっていると思うんです。
「でも、タイトルをこんなに獲れるとは思っていなかった時期もありますし。名人にも、竜王にもなって、もちろん実績とかキャリアについては満足している部分もあるんですけど……実際に将棋を指すと、『ここはもっとこうしたいな』という気持ちはわいてくるので。それに従ってやっている、という感じですかね」
──逆に、将棋を始めたばかりの子供の頃と比べて、変わった部分というのはどこなんでしょう? 大人になったな、と思う部分って。
「え? うぅーん…………どうでしょう? 変わった部分ってあるのかな? もちろんずっと同じではないですけど、幼い頃に戻れている瞬間瞬間というのはある気がします」
「変わったっていうと、四段になった頃の気持ちとは、だいぶ変わったと思いますね」
──え? プロ棋士になった時のほうが、幼い頃より今と違う?
「四段になった時はもっと、『自分は将棋の真理を探究していける!』と思っていたので」
「……けどそれは、自分には難しいんだな……と思うようになりました」
──そうなんですか!?
「ん? え?」
──豊島先生はむしろ、純粋に真理に近づいているというイメージが……ストイックにAIに向き合うのって、真理しか求めてない人の行動なのでは……?
「四段の頃は、『こうなったらこれが最善』というのが、ある程度わかると思っていたので。でもそれが全然、そんなレベルじゃなかったということですよね」
──将棋の深さを理解したということですか?
「将棋の深さもありますし……やっぱ自分が、全然わかってないんだなということが、わかったというか……」
──じゃあ豊島先生の中で、真理を探究している棋士というのは、どなたになるんです?
「ソフトが出てきてからはみんな、真理というよりも自分のレベルをちょっとでも上げるとか、ちょっとでも成績をよくするとか、そういう方向にシフトしてきていると感じていて……」
「そういう(真理を追究する)人もいるのかもしれませんけど。郷田先生(郷田真隆九段)とかは、そう……そういう、私とかとは違うんですかね? わからないですけど。想像でしかないですけど……」
「藤井二冠も、一手一手丁寧に考えていて、少しでも(真理に)近づこうとされているのかな……とか」
豊島は気づいているだろうか?
豊島が藤井について語るときは、少し表情が輝いて見える。それこそ、子供の頃に戻ったかのように。
はっきりとは語らなかったが、豊島が『最強の棋士』と聞いて思い浮かべたのはきっと、藤井聡太のことなのだろう。
自分にとっては難しいと思い知らされた、将棋の真理を探るという道。
そこを堂々と進む藤井に対して、豊島は特別な感情を抱いているように見えた。
おそらくそれは、対抗心や嫉妬といった感情ではなく、尊敬や憧れといった気持ちなのだろう。豊島の表情がそう語っていた。
自分より10歳以上も若いライバルに対してそんな素直な気持ちを抱けるのが、豊島将之という棋士なのだ。
『抱朴』。
意図せず選んだその言葉は、とてもよく豊島を表現していると思った。
撮影は、イレブンのランチ営業が終わったタイミングで行われた。
マスターはカウンターの中の小さな椅子に座って、私たちの撮影が終わるのをずっと待ってくれていた。
そのマスターに、幼い頃の豊島を憶えているかと尋ねると、「もちろん!」と力強く頷いて、大きな声で話し始めた。
マスター「よくお母さんと来てくれてましたよ! 30年くらい前なのかなぁ?」
「あ、いや、そんなに前では……」今年でようやく31歳の豊島が控え目に訂正するが、その言葉が聞こえていないマスターは「家にテレビが無かったんだよね?」と幼い頃の豊島から聞いたであろうことを確認していた。豊島も「そうでしたね」と懐かしそうに頷く。
それからマスターは、私たちにこんなことを教えてくれた。
マスター「よく、大人たちが一緒に写真を撮ってましたよ」
──写真?
マスター「『この子は絶対にタイトルを獲るから』って。私なんかには普通の子に見えたけど……強い人たちにはわかるんだねぇ。だから今のうちに一緒に写真を撮っておくんだと」
マスター「そんなんだから私も、この子はタイトルを獲るんだろうなぁと思って。そういう人たちは逆に、ダメな子のこともはっきり言うからね!」
──本当にタイトルを獲られましたけど、いかがですか?
マスター「うん……立派になったねぇ……」
撮影させてくれたことに改めて礼を言うと、「またいつでも言ってくださいよ!」と、マスターは何度もそう言って私たちを見送ってくれた。
このインタビューの後に発表されたが、イレブンは高槻への移転には同行しないことになった。
将来名人や竜王となるような少年少女がこの店を訪れることは、おそらくもう、ない。
しかしだからこそ……この店にとって豊島との記憶は、かけがえのないものとして輝き続けるのだろう。
今日、ここで写真を撮ることができてよかった。この店と一緒に、豊島を。
きっと豊島は、もっと強くなるから。
(続く)
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