将棋名人戦開催の舞台裏──「コロナの影響は?」「開催地はどうやって決めてるの?」朝日新聞社の”中の人”にタイトル戦運営の裏側を聞いてみた
名人戦の挑戦者がA級初参戦の『西の王子』斎藤慎太郎八段に決まりました。
詰将棋を愛する若きイケメン棋士の挑戦に、将棋界は沸き返っています(ちなみに斎藤慎太郎ファンは自らのことを『鹿』と呼びます。斎藤八段が奈良出身なので)。
七番勝負が開幕して、斎藤八段の姿がニュースなどで流れれば、また大きな将棋ブームが起こることは間違いないでしょう。
ところで皆さんは、昨年の名人戦を憶えていますか?
コロナ禍で史上初の『延期』となり、本来なら第3局の会場となるはずだった三重県鳥羽市の『戸田家』で、6月10日から開催されました(約2ヶ月遅れの開幕)。
名人が決まったのは、何と8月15日!
対局場の都合も付かず、6局のうち半数が東京と大阪の将棋会館で行われるなど、外部から見ているだけでも運営側の苦労は察するに余りありました……。
その後、緊急事態宣言は解除されて感染者数は減少しましたが、他のタイトル戦でも前夜祭や大盤解説会の自粛が相次ぎ……さらに感染の第2波、第3波で再び緊急事態宣言が……。
「今後、将棋イベントはどうなってしまうんだろう?」
私たちファンはずっとそんな不安を抱えながら過ごさねばならないのでしょうか?
そこで今回は、名人戦や朝日杯といった棋戦を運営する『中の人』にインタビューしてみることにしました!
ご登場いただくのは、朝日新聞社の桑高克直さん(@shallvino)。
新聞社で将棋に関係するとなると、真っ先に浮かぶのは記事を書いたり写真を撮ったりする『記者』の方々ですが……桑高さんは、記事を書くことはありません。
では、どんなお仕事をしているんでしょうか?
取材・文/白鳥士郎
史上初!? タイトル戦『中の人』インタビュー
──本日はよろしくお願いします! 新聞社の方にインタビューされたことはあるんですが、インタビューさせていただくのは初めてなので、とても緊張しています(笑)。
桑高:
私もインタビューされるのは初めてですよ(笑)。
──桑高さんに初めてお目にかかったのは、岐阜市で行われた第75期名人戦の第4局でした。佐藤天彦名人に稲葉陽挑戦者というカードで、20代同士の名人戦は21年ぶりと非常に話題になったシリーズです。
桑高:
そうでしたね。
※朝日新聞デジタル「将棋名人戦第4局、岐阜で16日から」2017年5月15日掲載。
──私は取材の申請をさせていただき、前夜祭から3日間、取材本部に詰めていたんですが……朝日新聞将棋取材班の記者の方々が猛烈な勢いで記事を書いている後ろのほうで、ドッシリと控えているのが桑高さんでした。そのとき、名刺交換させていただいたんですが、肩書きが『記者』じゃなくて。それで気になっていたんです。
桑高:
私の肩書きは『企画事業本部 企画推進部 囲碁・将棋担当次長』です。以前は囲碁・将棋チームリーダーという肩書きでしたが、まあ部長の下の……副部長みたいな感じでしょうか。
──この『企画事業本部』というのは、どういうことをなさる部署なんでしょうか?
桑高:
新聞社は、新聞を出すこと以外で新聞発行に最も近い仕事だと、デジタルのニュースサイトを運営しています。でも企画事業本部は、いろんなことをやっていて……大きな仕事だと、展覧会ですとか。
──展覧会! 確かに『主催○○新聞社』とか書いてあるイメージです。
桑高:
いくつかある主催の一つに朝日新聞が入っていたりする感じですね。あと、変わったところだとショップサイトを運営していたり……。
──あっ! マスク売ってましたよね!?
桑高:
はい。そうです。あれで有名になりましたよね。
──新聞を売ったりする以外でも収益を得ているのは意外でしたが……よく考えてみれば囲碁将棋のイベントもそうですしね。
桑高:
他にもスポーツジムをやったり、住宅展示場をやったり……そういった業務の中の一つに、囲碁将棋のイベント運営があるわけです。
──囲碁将棋のイベントのお仕事というのは、具体的にどんなものになるのでしょう?
桑高:
朝日新聞が主催しているものですと、将棋のプロ棋戦なら名人戦。これは毎日新聞社さんと一緒にやらせていただいてます。あとは朝日杯将棋オープン戦ですね。囲碁のプロは名人戦。それからアマチュアだと──。
──あっ、そうか。アマの大会もあるんだ。
桑高:
朝日アマ名人戦ですね。それこそ、白鳥先生がよくご存知な加藤さんが……。
──2006年と7年に朝日アマ名人を連覇した、加藤幸男くんですね。同級生がお世話になりました(笑)。
桑高:
いえいえ。ふふふ。
──そういった将棋のイベントで、桑高さんがどんなことをなさっておられるか、もう少し詳しくうかがってもよろしいですか?
桑高:
ロジ【※】というか……どこで対局するかを決めたり、宿泊場所を決めたり。イベントの運営をしています。
※ロジ……ロジスティック。物流や輸送などの意味。
──会場となる旅館などの人と直接やりとりをなさる?
桑高:
そうですね。下見に行って、『この部屋はこういう設備があるから、じゃあここでこういうことをしよう』……みたいな。
──大盤解説や立会人として来場するプロ棋士の選定などもなさるんですか?
桑高:
提案としては挙げたりもします。ただそれは編集の……弊社では『文化くらし報道部』と呼ぶんですが、そこの人間と決めたりですとか。
──あ、そこは相談なさるんですね。
桑高:
相談したり、あとはもう実行委員会で決めたりですね。
──実行委員会! よく耳にする言葉ですが、具体的にどういうものかは実はよくわかっていません(笑)。
桑高:
将棋の名人戦なら朝日・毎日の事業担当と、あと将棋連盟さんですね。
──そこに桑高さんも名を連ねておられると。
桑高:
そうです。
──あのぉ……下世話な興味でホント申し訳ないんですが、賞金額とかってどうやって決めてるのかなぁ……と。
桑高:
あー……賞金額っていうのは、契約の中の話なんです。新聞社は将棋連盟さんと契約を結ぶときに『これだけの金額で棋戦をやってください』とお願いして、それで対局料とか賞金が決まってくるので──。
──なるほど!
桑高:
ほかの対局料は抑えて優勝賞金だけが飛び抜けて高い……というわけにはいきませんよね。
──将棋連盟の職員さんの給料だって必要ですしね。
桑高:
そういう事務手数料のようなものも含まれていますし、細かいところだと東西にわかれている棋士の旅費や宿泊費も含まれています。
──ほぇぇ~……私たちファンは賞金しかわからないんですが、契約金全体だとすごい金額になるんでしょうね!?
桑高:
契約金は基本、公表していませんね。
──推測するしかありませんが、ちょっと考えただけでも莫大な金額になることはわかります(笑)。その契約金の中には、対局場となる旅館さんへの費用も入ってるんですよね? 前夜祭の代金とか。
桑高:
それは様々な形があるんですが、基本的には含まれないです。
──ええ!? そこは違うんですか? 私が桑高さんに初めてお目にかかったのは、岐阜市で行われた名人戦でしたが……。
桑高:
『十八楼』さんですね。
──あのとき、前夜祭に参加するために会費を払ったんですが、じゃあそういったお金で賄われているわけですか?
桑高:
そこもいろいろとあります。今は開催地の公募というのをやっているんですが、あのときは岐阜市さんが手を挙げてくださっていて。
──はい。当時は織田信長が『岐阜』と命名して450年目ということで、様々な記念事業が行われていたんですが、その一つに名人戦の誘致がありました。
桑高:
ですから岐阜市さんを含めた地元の実行委員会が前夜祭をやってくださったんです。会費を徴収しても、ほぼ場所代や食事代で消えちゃうと思うんですけど……。
──なるほどぉ~。でも市としては名人戦を使って岐阜をPRできますし、あの日は岐阜県庁でも関ケ原の人間将棋の発表をやりましたし、費用対効果としては高い気がします。
桑高:
地元をどうやって盛り上げるのかというお話を、それぞれの開催地と膝を詰めて話し合わせていただいています。
──対局日は取材本部兼検討室みたいなのを作るじゃないですか。あそこの継ぎ盤って、名人戦だと朝日・毎日の名前の入ったシールが貼ってあったと思うんですけど、ああいう道具類の調達もお仕事に含まれるんですか?
桑高:
あれは朝日・毎日が共催すると決まったときに作って、将棋連盟さんにお預けしているものになります。
──対局中の取材本部って、記者の方々が凄い勢いで記事を書いていて、その後ろから桑高さんが全体を見渡して……みたいな感じだったと思うんですが。
桑高:
編集と運営は全く別ですから。別に私が『書けー!』とハッパをかけているわけではなくて(笑)。
──ははは!
桑高:
我々は我々で、食事の数が足りるかなと心配したり……ほら、突然いらっしゃったりする方もおられるので。
──『勉強しに来ました!』と棋士がやって来たりしますね。記者の方やファンにとっては飛び入り大歓迎ですけど、自分が運営する立場だったらハラハラしちゃう面もありますね(笑)。
桑高:
ツアーコンダクターみたいな感じなんです。
──あのときって、棋士と一緒に鵜飼い船に乗ろうっていう企画があったじゃないですか。
桑高:
ありましたね。
──あれはどの程度、関わっておられるんですか?
桑高:
私たちが『鵜飼いに行きましょう!』と率先してやったわけではありませんが、仕立てのメンバーの一人ではあります。
──対局1日目が終わったタイミングで、室田先生と野月先生がファンや記者の方と一緒に鵜飼い船に乗るという、すごい企画でした。
桑高:
ちょうど5月で、鵜飼いのシーズンに入ると。だから岐阜市さんがぜひ鵜飼いをPRしたいということで。
──十八楼は宿の内部から鵜飼い船の出る長良川の岸まで直結の通路があるんですよ。岐阜の人間ならぜひ鵜飼い船に乗ってほしいと思うのは仕方ないです。
桑高:
我々も単に行って将棋をするだけじゃなくて、地元の魅力をPRすることも大切な仕事なんです。何をしたら地元の方々に喜んでいただけるのかを考える必要がありますし、それが楽しいですからね。
謎の絵師『くわっち』登場!?
──先ほど、編集……つまり村瀬信也さんとか佐藤圭司さんといった記者の方々との関わりのお話が出ました。朝日新聞将棋取材班は、新聞社の将棋取材チームとしてはおそらく最大規模で、動画配信などもなさっておられますよね。
桑高:
はい。そうですね。
──その記者の方々と桑高さんは、具体的にどういった役割分担なんですか?
桑高:
編集と、現場とのコネクションというか。私を通すこともありますし、最近では将棋連盟さんとは直接やりとりをしてもらうこともありますが。
──つまり桑高さんは、記事は書かないわけですよね?
桑高:
そうです。
──その桑高さんが……名人戦の記事などにイラストを掲載するようになったのは、どういう経緯なんですか?
桑高:
もともとツイッターで『くわっち』(@shallvino)というアカウントを作っていて、そこに棋戦の写真をアップしたり、裏話的なものを載せたりはしていたんです。
──すみません。私、フォローしていただいたときは気づけなくて……『くわっち? 誰だ?』と(汗)。
桑高:
ははは。まあ、そんな感じで個人的にやっていたんですが……でも去年は、コロナ禍でイベントがほぼできなくなってしまったんです。
──はい。
桑高:
そうすると……我々の仕事というのは、本来であればタイトル戦の大盤解説会などのイベントで司会をやったり、大盤解説会にどの棋士にどの順番で出てもらうかを決めたりとか、そういうことを現場ではやっていたんですが……。
──タイトル戦は行う、でも前夜祭や大盤解説会は中止……となってしまうと、仕事がなくなってしまいますね……。
桑高:
しかも、来たがっていたお客さんが来られない。であれば少しでも現場の雰囲気をお伝えすることができないかと。写真を載せるのもいいんですが……もうちょっと変わったこともできないかなと思って、描き始めたんです。
──それが朝日新聞デジタルにも載ったというのは、やはり記者の方々も『こりゃいいじゃないの!』となって?
桑高:
いや、あれは確か……アベマの担当者さんとやりとりしてたら、そっちの放送で使っていいかと。
──藤崎さん(※藤崎智・配信技術責任者)ですか?
桑高:
そうです。で、『どうぞ使ってください』と言ったら、うちの記者も『アベマに載せるんだったらうちでも使わせろよ!』となって……。
──引っ張りだこじゃないですか! でも、記者の方々が使いたくなるのもわかります。写真とイラストでは、受ける印象が大きく変わりますもん。
桑高:
朝日新聞デジタルで速報を載せてるんですが、そちらの写真はどうしても対局室のものがメインになってしまうんですね。
──対局中の棋士は、対局開始直後や休憩明けといった限られた時間しか撮影できないですもんね。構図も似たり寄ったりになってしまいます。
桑高:
いつもだったら、大盤解説をする棋士だったりお客さんの姿だったりも写真を撮って載せられるんですよ。でもコロナ禍でそれも無理となると……。
──そうか、そういう写真も全部なくなっちゃうとなると本当に対局室の写真だけになっちゃいますもんね……。
桑高:
少しでもテイストが異なるものを入れたい……ということで、載せていただいたということですね。
──しかし……前代未聞なんじゃないですか? 記者ではない社員の、しかもイラストを載せるというのは?
桑高:
聞いたことないです(笑)。
──私、それで『くわっち』というアカウントが桑高さんだって初めてわかったんです。『え? これって……桑高さん!?』と。将棋や囲碁の棋士にもそういった方々は多かったんじゃないですか?
桑高:
囲碁の名人戦は8月から行われるんですけど、その頃には認知されていました(笑)。
──囲碁将棋って、そもそも固いイメージがあるじゃないですか。観戦記も独特の型のようなものがありますし。
桑高:
はい。
──プロのイラストレーターさんに棋士のイラストを描いてもらう……という試みはあると思うんですけど、それだとどうしても、写真に似通ってしまうというか……そのイラストレーターさんのファンならいいんでしょうが、将棋ファンからすると違和感があるものに仕上がってしまう場合があると思うんです。
桑高:
ええ。
──けど桑高さんは、現場をご存知で、棋士それぞれのこともよくご存知だから、内面的なイメージも絵にできるじゃないですか。
桑高:
そうですね。やはり接する機会も多いですし……そういった雰囲気を、たとえばセリフとして入れたりとか。そういう部分も伝わればなと。
──あと、場面の切り取り方っていうのも大事だと思うんですよ。たとえば終局後の風景でも、両対局者だけじゃなくて、その真ん中にドンと座ってインタビューする村瀬さんの姿も書いていらっしゃる。そういう部分がファンは嬉しいですよね。
桑高:
将棋ファンの方って目が肥えてらっしゃって。対局者だけではなくて、他の棋士や記者のことも知っていらっしゃる。だから様々な情報を散りばめることで……。
──楽しませていただいてます(笑)。
さてここで、桑高さんにイラスト化された朝日新聞将棋取材班の記者・村瀬信也さん(@murase_yodan)にご登場いただきましょう!
──桑高さんのイラストを最初に見たときは、どう思われましたか?
村瀬:
やっぱり写真とは違いますよね。印象として。
──もともと桑高さんがイラストを描いていらっしゃるのはご存知で、それで名人戦でイラストを採用しようということになったんですか?
村瀬:
描いてくださいと頼んだわけではなかったんです。ただ、控室では同じ机で作業することが多いので、そういうときに『あ、描いてるな……』と思って見てはいました。
去年は名人戦で大盤解説会がなかったので、運営側は時間がたくさんあったんです。そういう事情もあって描いていたんだと思います。
──桑高さんからうかがった掲載の経緯は、先にアベマさんで採用されて、その後に朝日新聞にもと……。
村瀬:
そうですね! そういう流れでした。
──名人戦だけではなく、棋聖戦の記事でも桑高さんのイラストが採用されていたじゃないですか。渡辺明先生と藤井聡太先生の。あれはどうしてなんですか?
村瀬:
私自身が採用するかどうか決める立場ではなかったので、一般論として申し上げますが……やはり、写真だけでは伝わらないこともありますし。
それに去年の棋聖戦は、私たち記者も、終わってから記者会見にリモートで参加するだけだったんです。ずっと別フロアにいて。
──そういえば村瀬さんが画面に大きく映っていたリモート記者会見、ありましたね!
村瀬:
対局室に入れなかったんですよ。対局開始もそうですし、終わってからも。だから将棋連盟提供の写真を使うか……。
──桑高さんのイラストを使うか、しかなかったんですね! しかも連盟提供の写真となると、他の社とも被る可能性が高い。
村瀬:
あと、イラストだと……たとえばマスクを外してお茶を飲む瞬間とか、そういう写真って狙ってもなかなか撮れないんです。けど、イラストだとそのあたりも自由が利きますよね?
──あっ、なるほど……対局室にも入れないし、コロナでマスクしてるから表情も捉えづらい。それでイラストという方法がクローズアップされたわけですか。コロナの影響だったんですね……。
村瀬:
とはいえ、もともと対局中の写真というのは、あまり撮ることができませんしね。イラストだと好きなところを拡大したり、対局者同士を自由な構図で並べられたりしますから。あくまで一般論としてですが、そういう利点があったんだと思います。
──ところで村瀬さんもイラスト化されていましたが、ご覧になっていかがでしたか?
村瀬:
ふふふ……何と言うんでしょうね? その、私たち自身もだんだんとコンテンツ化してきているので。
──棋士それぞれにファンがいるのは当然として、最近では対局室の映像が見えるので、記者の方が入室するとコメントが盛り上がったりしていますね。『村瀬さんキター!』みたいな。
村瀬:
もちろん、いい記事を書いてくことが本来の業務ですし、そこが一番大切だということは変わらないんです。
ただ、どんな人が書いているのかを知っていただくことで、興味や関心が広がっていくこともあると思います。私たち自身が普段、どういうことを感じているのかを知っていただいたり……そういう意味で、イラストもその助けになってくれているんじゃないかな、と。
──ありがとうございます! 今期の名人戦でも、桑高さんのイラストが登場することはあるんでしょうか?
村瀬:
ある……と、思います!
開催地選定の決め手は『地元の熱意』です!
──そうそう、目が肥えているといえば、料理のことなんですけど。
桑高:
はい?
──前夜祭とかで、将棋にちなんだ料理が出たりするじゃないですか。たとえば十八楼の時は、駒の形をしたクッキーがあったり。
桑高:
ああ、はい。
──宿の料理人の方って、普段は将棋に関わっておられないことがほとんどだと思うんですよ。そういう場合って、相談を受けたりするんですか?
桑高:
たまに……本当にたまになんですけど、盤面をかたどったケーキを作ったりするときに、『駒の配置はどんな感じがいいですか?』という相談を受けることはあります。
──なるほど。将棋ファンはそういうところ、厳しいですからね。漫画でもそのへんは苦労が……(苦笑)。
桑高:
ただ、こちらとしてはご当地のものをPRしていただきたいという気持ちがあるんです。だから無理して将棋や囲碁に寄せなくてもかまわないですよ、というアドバイスをさせていただくこともあります。
──中継ブログなどで写真を載せるときも、ご当地のもののほうがいい場合もありますもんね。将棋ファンは将棋に関するものは見飽きてるので。
桑高:
そうなんですよ。そこでしか食べられないものってあるじゃないですか。そういうものをご用意いただくことで、将棋ファンも喜びますし、現地の方々の『これを食べてほしかった!』という気持ちにも応えられますし。
──あの、これは答えづらいことかもしれないんですが……開催地を公募するとなると、対局者によって『うちがやりたい!』というのも大きく変わってくるものなんですか?
桑高:
公募するタイミングって、対局者がまだ決まっていない時なんですよ。名人は決まっていても、挑戦者はだいたい決まってない。
──ああ、そうか……。
桑高:
だから『再来年の名人戦の開催地になりたい!』と打診してくださるところもあります。
──その場合は名人すら誰かわからない(笑)。やはり対局者が誰かというよりも、『名人戦をやりたい』という気持ちから応募するものなんですね。それでは開催地の順番はどうやって決めておられるんでしょうか?
桑高:
名人戦なら七番勝負なので、4局目までは必ず行きますよね。だからどこも4局目までに入りたいというのはおっしゃいます。
──それはそうですよね。
桑高:
だから5局目以降を引き受けてくださるところを、我々はいつも探しているという状況です。ただまあ、5局目は比較的行くことが多いので、やってくださるところは多いんですが……6局目や7局目となると……。
──なかなか手を挙げづらいですよねぇ。
桑高:
もし前の対局で決着してしまったとしても、こちらはキャンセル料などはお支払いできない。やりたいのはやまやまなんですが、こちらも予算がありますから。それでも引き受けてくださるとなると……。
──天童ホテルさんとか常磐ホテルさんとか、よく行く場所になるわけですね。
桑高:
よくお世話になる場所は、安心感もあります。急にたくさん報道陣が来ても対応できるとか。
──番勝負がもつれればもつれるほど注目度も上がっていくわけですしね! ところで、準備期間はどの程度なんでしょうか?
桑高:
ここ1年はコロナ禍で下見にもなかなか行けないような状況ではあるんですが……通常なら10月くらいには下見に行っています。
──では、名人戦が始まる半年前にはもう実際に現地へ行って準備を始めておられるわけですね。開催地選定の決め手というのは、どんなところでしょうか?
桑高:
予算的なこともありますし、協賛社さんもいらっしゃるのでそちらのご意向も汲んで……となりますが、一番大きいのは地元の熱意ですね。
──熱意。
桑高:
はい。市政○○周年の記念事業としてとか、○○祭りに併せてやりたいとか。その年を外すとやることができない……となると、やはりそこを優先しようかと。
──ファンとしても、名人戦以外にも何か盛り上がっているものがあれば、そこへ行く楽しみも増えますしね!
コロナ禍で名人戦延期! その舞台裏
──ではいよいよ、コロナ禍のところにお話を移したいのですが……。
桑高:
はい。
──昨年の名人戦は、とにかく衝撃的でした。我々ファンにとってもですし、対局者も……たとえば渡辺明名人はブログでその当時のお気持ちを綴っておられますが、かなり動揺しておられたことが伝わってきます。
桑高:
そうですね。いきなり延期となりましたから。
※朝日新聞デジタル「将棋名人戦、開幕延期が決定 新型コロナ感染拡大を受け」2020年4月6日掲載。
──延期、というご判断を下されたのは、どういう理由からでしょうか?
桑高:
一番大きかったのは緊急事態宣言です。4月に入ってすぐに『宣言が出そうだ』ということになって……我々も直ちに会議を行ったんです。
──はい。
桑高:
『人が集まって会議をしてもいいのか?』ということもあったんですが……あのときは、何が怖いのかがわからないわけです。今でこそ、食事をすることが危険だとか、窓を開けましょうとか、そういった指針があるわけですが……当時はもう『電車に乗ることすらダメなんじゃないの?』と。
──移動することも憚られる雰囲気はありましたね。とにかく家にいろ、と。
桑高:
空気感染するかもしれないとか、様々な情報が錯綜していて、大変でした。あの時点では、椿山荘で行われる第1局が目前に迫っていて。
──延期の決定は4月6日(月曜日)に下され、第1局は8日(水曜日)開幕予定。まさにその週に行われる、という状況です。
桑高:
その対局をやるかどうか、という判断です。だからまず、緊急事態宣言が出ている東京でやるのは、やめましょうと。
──名人戦実行委員会がそう決めたわけですね。
桑高:
実行委員会で話し合う前に、それぞれの社内で検討は行われていて、その結論を述べ合ったということですね。
──『延期』という判断と、『中止』という判断の2つがあるのかな……とファンは思っていたのですが。そのあたりはいかがでしたでしょう?
桑高:
当時は、(長距離の移動を伴う)将棋会館で行う対局すらストップするような状況でした。ですから中止も考える余地はあるのかなと……。
──東西をまたいで行う対局はストップしていましたから、順位戦ができない。三段リーグもできない。そんな状況でしたね。
桑高:
ただ、1年間全ての対局を止めてしまうというのは、現実的ではないと思いました。なので『どこまで延期できるのか?』という判断が求められました。次の期の順位戦が始まるのが6月下旬なので、そこまでに名人を決めたいと。
それでも無理なら、名人戦の敗者の順位戦を別のスケジュールにして、他の対局は通常通り進めようと。
──なるほど。対局スケジュールも大変な状況ですが……開催地が全てキャンセルになりかねないような状況でしたよね?
桑高:
そこは現地の判断もあるわけです。東京は感染者が多くて無理でも、地方は『うちはできるから』という場合もある。その逆もありうるので。
──ああ、確かにそうですね……。
桑高:
4月の段階では状況がよくわからなかったんですが……5月くらいになってくると、開催予定の旅館がそもそも営業していないという状況になっていたりということも起こっていて。
──えっ!
桑高:
あるホテルに5月くらいに最後の下見に行ったんですが、従業員さんがいらっしゃらないんですよ。休みを出しているわけです。
──ああ、そうか。休業補償が……。
桑高:
だから名人戦をやる週から開けますと言っていただいて。
──対局のためだけに!?
桑高:
その週から緊急事態宣言が明けて、他県の人も迎え入れる準備がようやく整ったという感じでした。
──綱渡りだったんですね……。しかし前夜祭や大盤解説会を開けない状態で名人戦をやっても、会場となる旅館やホテルにとっては、経営的にかえって苦しくなってしまうような面もあったのでは?
桑高:
そういうところもあると思います。前夜祭とかって食べ物も出ますから、ホテル・旅館さんにとっては収入に繋がるわけです。それが一気に……関係者の食事だけになってしまうと、思っていた金額が出なくなってしまう。大盤解説に付随する宿泊客も見込めないわけですし。
──ファンにとっても、対局者と同じ旅館に泊まることができるのは、それだけで楽しいことですからね。初めて名人戦を開催するようなところだと、旅行に行く楽しみもあります。それができないのは非常に残念ですね……。
桑高:
我々も普段、大盤解説の会場にいるんです。そうすると、いつも顔を合わせる方がいらっしゃる。毎年名人戦を楽しみにしていらっしゃる方々のお顔が頭に浮かんで……悲しい気持ちになりましたね……。
──一方、今年の1月16・17日に行われた朝日杯の名古屋対局は観客を入れて行われました。2月に有楽町の朝日ホールで行われた準決勝と決勝は無観客でしたが……名古屋とはいえ観客を入れるという判断は、怖くはなかったですか?
桑高:
ありましたね。チケットを販売するのを決めたのが11月だったんですが、12月の時点でも、名古屋は感染者数が少なくて。でも年が明けてから一気に……。
──感染者が爆発的に増加しましたね。
桑高:
愛知県が緊急事態宣言を出せば、中止にして払い戻しということも(選択肢としては)ありえたと思います。ただ、今回の名古屋対局のチケットは、そもそも感染状況が悪化しても開催できるよう、会場のキャパシティーの半数しか販売していなかったんです。
──そうでしたね。しかも名古屋国際会議場って、あそこメチャメチャ広いところですよね。
桑高:
そうです。メチャメチャ広くて。
──以前にやっていた東桜会館とは規模が全く違います。
桑高:
東桜会館も大盤解説会場はものすごく広くてよかったんですけどね。そこを満員にして、大々的にやろうという目論見が……コロナ禍の前から準備していたんですけどねぇ……。
──そうだったんですね……。あの、実は私、以前は東桜会館の近くに住んでいまして。
桑高:
ああ、そうだったんですね。
──初めて朝日杯の名古屋対局が発表されたときの衝撃といったら! 近所ってのもあったんですけど……S席の値段ですよ!『え!? 将棋の観戦チケットが6900円!?』ってビックリして! しかもそのチケットが瞬殺で!!
桑高:
そうでしたね。特に藤井さんが出場する日は、毎年すごい争奪戦になっていたんです。だから『もう客席を増やすしかない!』と。
──それでも完売だったんですか?
桑高:
やっぱり完売でした。でもキャパの半分しか席を用意しなかったわけですからね。
──藤井先生が出てこられてから、イベント集客という面では大きく状況が変わりましたか?
桑高:
実際問題として、藤井さんが来られる前は……有料とはいっても、そんなに高額ではなかったんです。そこは需要と供給のバランスで……。
──そもそも将棋のイベントにそんなにお金を払うという文化が定着していなかったじゃないですか。以前は。そこでいきなり高額なチケットを用意するというのは……値決めという点では悩まれたのでは?
桑高:
そうではあるんですが、徐々に業界全体が……たとえば囲碁将棋チャンネルさんが名古屋でやられた将棋プレミアムの。
──ヒルトンでやった『将棋プレミアムフェスin名古屋』ですね。S席は何と3万5000円!!(その翌年はSS席10万円も用意して完売!)
桑高:
あれがやっぱり、相当な……挑戦的なお値段で。そういう例もありますし、我々は我々で、これくらいの値段で……と。それでもその日のうちに完売という状況ですから、今後も考えていかないとと思っています。
──贅沢な悩みですね(笑)。
桑高:
値段の付け方は会場費や運営費、感染症対策費などとの兼ね合いもあるので、そこをどうするかは、毎年悩ましいです。
──この1年、コロナ禍によって多くのご経験をなさったと思います。そんな桑高さんが考えられる感染症対策で最も重要なこととは、何でしょう?
桑高:
感染症対策というのは、たとえば受付にアクリル板を用意するといったような、その場の対策というのももちろん重要です。
──はい。
桑高:
しかし一番重要なのは『誰がイベントに来ていたのか』『どこに座っていたのか』を把握して、追跡可能にしておくということです。
──なるほど……。
桑高:
朝日杯は早指しとはいえ、相手は感染症ですから。換気に気をつけて、密にならないよう席を離しても、感染してしまう可能性は否定できません。だからトレーサビリティーというのは重要ですね。
──となると、当日券を販売するという方法ではなく、事前に予約してもらって、名前も住所も電話番号も把握して……ということが重要になるんですね。
桑高:
はい。さらに可能であるなら、どの席に座っていたかも把握した方が望ましいと思っています。
──それは……たとえば今後の名人戦の大盤解説会などでも適用されるわけですか?
桑高:
意識はしていきたいですが……現実問題として、大盤解説会が指定席となってしまうと、その事務処理だけでも大変です。しかも実際に指定席でやってみた経験から言うと、やはり当日来られない人も出てくる。そうすると歯抜け状態になってしまって……。
──前が空いてるならそこに座りたい、と言い出すお客さんもいるでしょうしね。会場の写真を見て、キャンセルが出たなら行きたかった……と言う人もいるかもしれません。難しいですね。
桑高:
日々、反省することだらけですね。
──全席指定の前夜祭、なんてのもありえるんでしょうか?
桑高:
考えてはいます。けど、たとえば全席指定で丸テーブルを囲んで……見ず知らずの将棋ファン同士が相席になったとして、盛り上がるんだろうか? 会話は成り立つんだろうか? しかも対局者が出てきたらみんな写真を撮りたいけど、移動は……。
──できないとなると、不公平感が出ますよねぇ。
桑高:
移動できるとなると密になりますし……。
──私、今までいろんな前夜祭に行ってきたんですが……地元の方々の結束力が強ければ強いほど、他の地方から来た将棋ファンがぽつんとなってしまう現象を目の当たりにしてきまして……指定席は本当に、結婚式みたいに人間関係も把握して配置しないと、相当難しいんじゃないかと……。
桑高:
そうですよね。しかしそれをたとえば名人戦で7局分やれるかというと、そこだけに注力するわけにはいかなくて。他にも考えなきゃいけないことは山ほどありますから……。
──それこそ朝日新聞さんが、椿山荘を運営する藤田観光さんの苦境をスクープしておられましたが……本当に、いつどんなトラブルが発生するかわからないような状況ですもんね……。
桑高:
そうですね。特に、去年と今年は……宿泊業界では東京五輪の開催を見越して、キャパを増やそうと投資しておられたところもあるんです。
──そこも経営を圧迫する要因になっていたりするんですね……。
桑高:
我々も何とかお手伝いできればいいんですが……弊社も苦しい状況です。だから身の丈に合ったイベント運営をしていかなければいけないな、と思っています。
──様々な意味で、持続可能な棋戦運営を探っていく必要があるんですね。