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プーチン訪日で北方領土問題は解決に向かうのか!? 孫崎享・小泉悠等がロシアの思惑を徹底解説

安倍・プーチン時代に平和条約は締結されるか?

堀:
 質問です。「安倍首相とプーチンの時代に平和条約が締結されると思いますか?」。まあ、「今回の会談では、まあ無理でしょうと。しかしながら在任期間中に」という話です。ちなみに2018年というのはひとつのキーワードになっている年でして、プーチンの大統領選や安倍さんの任期、一方で自民党は総裁任期延長というのもかなり本格的に進めようとしていますし。まあ、どうなっていうのでしょうか。みなさん、ご意見をお聞かせください。

 単純に任期だけの話でなく、その後を視野に入れた安倍さんとプーチン、ロシアと日本の両首脳が日本でどれくらいの権力基盤を築いて交渉を進めていくのかという部分になってくるのかと思います。さあ、どうなんでしょうか?

 プーチンさん、まだ64歳なんですね。指導者としては、まだまだ行けるぞという年代ですよね。さ、アンケート結果はいかがでしょうか? 

 締結されると思うが37.7%、思わないが40。8%、わからないが21.5%ということで、だいぶ割れたといえば割れましたよね。先生、いかがですか? この結果をご覧になって。そして展望は。

下斗米:
 ま、先ほどの展望から少しオプティミズムの方に離れてるかなって気がしますけどね。

堀:
 実際、今後のビジョンで言うと、平和条約を締結するまで、現実問題どれぐらいのプロセスと、どれくらいの期間を必要としている話になるんでしょう? 決まるときはもうポンポンと決まるんですか?

下斗米:
 ええ。先ほど小泉さんは下から積み上げてっていう言い方をされたんだけど、私はちょっと違って、非常に重要なことは、橋本・エリツィン時代は、日本側がいちばん要求している4の中でのぎりぎり可能な提案をして、しかしこれが結局、その後になってプーチンさんが「よく考えたけれど、これは受け入れられない」と。

 そこからおそらく日本の態度がどうなっているのかよくわかりませんが、少なくとも橋本総理が言っている”新しいアプローチ”というこのアプローチは、その今までの数十年間の平行線を、やっぱり両方とも乗り越えないとですね、平和条約に至らないというリアリズムなだろうと思うんですね。

 で、その意味では両首脳が、特にロシアは大統領外交の国ですから、しかも議会の2/3は統一ロシア党が握っているという、これは日本でも安倍総理の立場と似てるわけですから。

堀:
 そうですね。

下斗米:
 まあ、そういう両首脳が妥協で解決、まあ妥協の中身は誰も今知らないですけども、にもかかわらず恣意的意思があると。そして今のところその中身がもれてきてないということは、まだ誰も知らないということ。他の人は。その点が私はある種の保証になっていると、そういうふうに読んでるんですけどね。

 だから12月15日にどういう紙が出てくるか。そこでおそらく、着地点がどこになるかっていうある程度の方向が見えてくるんだろうと思うんですが。

堀:
 じゃあ、具体的な行程表のようなものが示されるのかもしれないと。

下斗米:
 かもしれませんね。そこは今のところ誰にもわかりませんけど、少なくとももうひとつ重要なことは、12月までのいろんな日程だとか何かが非常にスムーズに動いています。普通、外相訪問が延びただとか、プーチンさんが来るのがキャンセルされたとか、その手の話ばかりずっと数十年間聞かされてきてるんですけど。

 そういうプロセスから見ると非常にスムーズです。だから12月の両国の首脳会談っていうのは、おそらくアメリカ大統領選挙を見ながら調整して、あるいは日本の経済界の動きだとか、まあロシアも同様だと思うんですが。まあそういうことを鑑みて12月に臨むんだろうと思いますね。

堀:
 両首脳の任期中にまとまるくらいのスパンの話ですか? それとも、こぼれますか?

下斗米:
 まあ、この問題はあとでまた議論できるかもしれませんが、クリミア問題と比べてみると、どっちがプーチンさんにとってラクなんだろうなっていう、そういう種類の問題かもしれないなと感じますね。

堀:
 なるほど、興味深いですね。小泉さん、いかがですか?

小泉:
 まあ、任期をどうとらえるかですけどね。プーチンさんはおそらく2018年の大統領選に出るんでしょうから、そうすると2024年、あと8年後までは大統領をやってるわけですよね。で、安倍さんももし解散して任期を伸ばすとすると、今後数年はいられると。そうすると、まさに今下斗米先生がおっしゃったように、最終的にはある程度首脳で枠組みを作らなきゃいけないんでしょうから、枠組みくらいは今の任期中に作るというか、合意することはできるんじゃないかなというふうに思ってます。

堀:
 ふむ。孫崎さんはいかがですか?

孫崎:
 私、さっき申し上げましたように進むべき方向はこれだと思ってるんです。国後、択捉は諦める。そして、歯舞、色丹で手を打つ。しかし、日本国民がそこに本当に踏み切れるのかどうか。今、なんとなくの雰囲気で、安倍さん支持というのがありますけども、最終的に解決するということが、「国後、択捉を諦めることなんですよ」ということになっていく。そこに本当に踏み切れるかっていうとちょっと難しいんじゃないですかね。

堀:
 4島を2島ずつに分けた場合のその扱い方ですよね。単に完全にあちらのもの、こちらのものというのとまた違うかたちなど、いろいろありようがあるかもしれませんね。そのあたりも含めてちょっと考えていきましょう。

そもそも、北方領土問題とは何なのか

堀:
 さあ、みなさん、まず北方領土問題なんですが、どのくらい前提の知識が共有できているかというのも重要だと思います。今日はこちらに地図などを改めて用意しました。千島列島、樺太、サハリン。時計の針を戻しましょう。1855年ですよ。日魯通交条約。

下斗米:
 (地図を見ながら)ちょうど江戸末期、ここに線を引くのが1855年だから、明治維新の10年より少ないくらい。非常におもしろいのは1855年という年なんですね。これ、クリミア戦争の最後なんですよ。クリミア戦争っていうのはロシアが負ける戦争で。クリミアをめぐってフランス、イギリス、トルコと戦って、まあロシア側の主張は、聖地の監督権はロシアに戻せって言う話なんですが、結局それで負けちゃうわけなんです。その結果、実はロシアがアジアシフトをするのがこの条約のひとつの意味なんですね。

 だからロシア人からするとクリミアっていうのはおへそみたいなところでね。そこで変化があると、右に行ったり左に行ったりするという、そういうバロメーターになってもいるわけです。そこで決まるわけですね。それが最初の国境線確定です。

堀:
 でもあれですよね、ここにはもともと、まさに北方民族と言われる方々がいて。カムチャッカ、樺太、サハリン、そしてまあ、北海道、そして中国と。その文化圏、もともとオホーツク文化というのがあって。そこに日本、そしてロシアがやってくるわけですよね。

下斗米:
 まあ両方ともやってきたっていう側面もありますよね。もうひとつはやっぱり、ロシアはアメリカとの、当時アラスカだとかカリフォルニアだとか、そっちまでいろんなビジネスをやっていたもんですから、その勢いで日本にもやってきたっていう。

堀:
 なるほどね。

下斗米:
 そういうことだと思うんです。だから日本にとって軍事的脅威なのか貿易のパートナーとしてやってきたのか、その見極めがなかなかつかない。というのがまあ、そのときの論争だったわけですね。

堀:
 1855年ですね。

下斗米:
 そしてその次が、そのあとちょうど同じ東方シフトでゴルチャコフという外務大臣のときですが、樺太をロシアにする代わりに千島列島を日本が交換するという、18島を交換したんです。

堀:
 これ、どうして交換することになったんですか?

下斗米:
 先ほど言ったようにロシアはやっぱりアジアにシフトするとしても守るだけの国力もないし、そういう意味ではこちら側を管理する能力もないと。たぶんイギリスもかんでですね、その結果、樺太と千島を交換することがおたがいの利益になるというかたちに。榎本武揚という、ちょうど徳川幕府の最後の函館戦争をやった人が大使となって行って、この交渉をやったわけなんですね。

堀:
 3番目行きましょう。ポーツマス条約。

下斗米:
 今度は日本がイギリスと組んで、そして日露戦争で、小国日本が大国ロシアに勝つわけですね。その結果、ある程度、南サハリンまで交渉後に、戦争が終わったあとまで取っちゃうということをやっちゃうもんですから。ロシアはいろんな意味であとで意趣返しをしてくるわけなんですけど。アメリカが仲介をしてくれるという形で、この千島列島だけでなく、南サハリンまで日本が領有するというかたちになりますね。

堀:
 ふうむ。

下斗米:
 ですから、日露戦争というものが日本に与えたインパクトは非常に大きくて、結局ロシア革命というのがどこから始まるかというとこのころからなんですね。レーニンという人は革命家だから国が負けるのは万歳だっていうんですけど。スターリンはおそらくいろいろ不満を持っていて、そのあと意趣返しをするんですけど。

 北海道をそのあとわれわれが取ったものですから、1945年の8月にスターリンが少しこっちまでよこせなんてチャチャを入れてきたという。これはもちろんアメリカが断ったということもあってそこにはいかなかったんですが。ですから日露戦争というのはいろんな意味でロシア人にとって象徴的な、インパクトのある戦争だってことですね。

孫崎:
 何よりアジアの国に負けたってことですからね。

堀:
 そうですね。そして第二次世界大戦、太平洋戦争を経ての、サンフランシスコ講和条約、平和条約に基づく協定なんですね。その前にいろいろ秘密協定なども交渉事のなかにはありましたよね。

下斗米:
 その前にも実はいろいろありましてね。日米戦争が始まる前に、第二次世界大戦が始まったときに、当時スターリンの時代ですから、「ロシアはこちらに出るから千島列島のあたりまでよこせ、その代わり日本は南に行けばいい」なんてことまで秘密交渉に出て。それはさすがに断った。

 それが無理だから日露中立条約っていうのができたこともあるんですが。中立条約ってものが、1945年8月にもまだ友好ではあったんですけど。

堀:
 8月9日。

下斗米:
 しかし日本はポツダム宣言というのを受け入れて、連合国が決める島々ということだったんですけど。問題は連合国ですでに意見の相違が生じていて、どこまでが日本の領土なのかというのをずっと決められずにきた。

 しかも、朝鮮戦争が始まって中国でも革命が起きて。順番から行けば逆ですけど。その結果、イギリスは比較的ずっと一貫した態度を取ってるんですが、アメリカの態度がかなりぶれちゃう。サンフランシスコ条約で、日本はちょうど朝鮮戦争をやってるもんですから、朝鮮半島を放棄する、台湾を放棄する、その流れで千島列島は放棄する、と決まったんですけども、問題は千島列島っていうのはどこからどこまでだっていうのが書いていない。決まっていないということで、そのあとずっと論争になるわけです。

孫崎:
 そこ、ものすごく重要なんで。大変恐縮なんですけど、1951年のサンフランシスコ講和条約ね、これは非常に重要なことなんです。日本が約束したこと。まず言えることは千島列島を放棄した。これはもうサンフランシスコ講和条約の中に入ってますから。今おっしゃった、このときに言った千島列島とは何を意味するか。これは、吉田首相はきわめて明確に言ってるんです。

 あのときに、前の日の演説で、「国後、択捉は南千島と呼ばれていて、日本の固有の島であるから、われわれは放棄したくない」という発言をして、それは2つの意味で非常に重要だったのは、その主張は受け入れられなかったということ。

 かつ、吉田首相は、サンフランシスコ講和条約で自分はこの署名をした。その署名をした人間が国後、択捉は千島だってことを言ってるんですよ。っていうことで、この問題については、日本はアメリカの国務省に後々に見てもいいように、「千島列島に対してあなたがたは発言権はないですよ」ってことを言ってるんですよね。

 ということをふまえると、下斗米先生は米ソの間で了解がないということをご指摘されましたけど、私はそうだとは思いません。トルーマンとスターリンの間で終戦の8月くらいに、往復書簡っていうのが交わされております。その中でも国後、択捉をソ連のものにするということについては、トルーマンもコミットしてます。

 ということでまず非常に重要なポイントは、日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄するというなかで、国後、択捉を入れていた。別途、アメリカとソ連の間では、千島列島はソ連にあげるという約束を米ソの間でやっている。

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