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「痙攣している頭に30回もハンマーを」…娘を殺された母が死刑廃止派弁護士に、あえてむごい娘の死を語った理由【闇サイト殺人事件】

家族を奪った加害者に対しても「死刑反対」と言えるのか

磯谷:
 司法の世界には一般人の私には理解できないことが多々あります。日本弁護士連合会(以下、日弁連)の「2020年までに死刑制度を廃止しよう」との宣言もそうです。しかし全国3万7000人の弁護士に対し死刑制度廃止に賛成は546人。全弁護士のわずか1.4%です。

 私は娘の事件で初めて裁判を傍聴しました。そのときから弁護士に対する見方が変わりました。裁判で見た弁護人は被告人の刑を軽くするためなら、どんな方法もいとわない共犯者のように映りました。しかし全国犯罪被害者の会で、被害者に寄り添う弁護士と出会い、こんな弁護士もいるのかと感動し元気をもらいました。

磯谷:
 死刑反対を唱える方々は自分や自分の大切な人は絶対に犯罪に巻き込まれないという前提の元で物事を考えていらっしゃるのではないでしょうか。綺麗事では社会秩序は守れません。

 死刑制度の廃止を目指す前に人権擁護大会でやっていただきたいことは、被害者やその家族の人権や処遇を被疑者や被告人同様に憲法に明記するようにしていただきたいと思います。死んだ者には人権はないと否定しないでください。

 代替案として「終身刑」と言いますが、誰が彼らを養うのでしょうか。それとも自給自足の生活を強いるのですか。そんなことをすればまた「人権が」と騒ぐじゃないですか。

 死刑反対の人にお聞きしたいです。あなたの娘や息子の命、愛する家族を奪った加害者に対しても「死刑反対」と言えるのでしょうか。本当に親として、家族の一員として、それで満足なのでしょうか。

 他人事としてではなく自分に降り掛かったらどうだろうと、今一度お考えください。

遺族の話を死刑反対派はどう受け止めたのか

死刑廃止派。左から山口洋さん、岩井信さん、小川原優之さん、青木理さん、森達也さん。右奥は司会のジョー横溝さん。

ジョー横溝:
 事件から10年がたちますがこうしてお話をいただくのは、つらいことだと思います。それにもかかわらず、お話をいただきましてありがとうございます。

 今のお話の中にも議論すべき内容がたくさん含まれておりました。貴重なお話をベースに議論を進めていこうと思います。

 森さん、今のお話を伺った感想を聞いてもよろしいでしょうか。

森:
 言葉がないです。同時に最後に磯谷さんが仰った「もしあなたの息子や娘の家族が殺害されたら」という言葉ですが、僕は意見が変わるかもしれません。

 僕の家族がもしも殺害されたら、その犯人を殺したいと思うでしょうね。裁判に任せずに自分で復讐したいと思うかもしれない。極めて当たり前のことだと思う。

死刑制度反対派の森達也さん。

森:
 現状は死刑は前提として存在しています。この仕事をしているせいか、確定死刑囚の知り合いが何人もいます。ずっと手紙の交換をしていた人もいました。彼らを殺したくないと感情で思います。

 きょうに関しては、もちろん感情は大事です。ですができる限り論理で話していけたらと思います。

ジョー横溝:
 青木さんはいかがですか。

青木:
 磯谷さんに対して誤解されるかもしれませんが、敬意を表したいと思います。ありがとうございます。

 僕は10年位前から死刑問題のルポルタージュを描こうと思って、足掛け5年くらい死刑問題の取材をして、もちろん加害者や被害者のご遺族、死刑を執行した刑務官、弁護士、裁判官などにお話を伺って「絞首刑」という本を書きました。

 そのときに「犯罪被害者がこんなにないがしろにされていたんだ」と痛感しました。年間で検察が認知する殺人事件の件数は1000件くらいです。つまり磯谷さんのような思いをされている方が、その事件の件数以上いらっしゃる。

 誰だって犯罪被害者遺族になる可能性がありえるわけですから、それは社会がフォローしないといけない。例えば金銭的、肉体的、精神的な面でフォローしないといけないのはまったく同意です。

死刑制度反対派の青木理さん。

青木:
 ここから先のことですが、被害者と加害者という対立軸と同時に、刑事事件になった場合は国家対刑事被告人という対立軸になります。刑事被告人は国家という圧倒的強者と向き合うことになる。中には冤罪のケースもありうる。

 そこに被害者のご遺族の気持ちであったり、被害者対加害者という対立軸を持ち込むことは、どうなのだろうかということを考えないといけない。

 取材を通して出た僕の結論は「殺人は絶対悪」なんです。中には正当防衛に近い方の殺人に手を染めた人もいました。でも殺人は許されないことなのです。

 「死刑は誰が殺すのだ」と思います。直接的には刑務官が殺すのです。しかし彼らが殺人を犯したくてやっているわけではなく、僕らが付託した権限を行使しているだけですよね。

 つまり僕が殺人をしているのに近いのではないかという感覚を抱きました。殺人は絶対悪だと僕は思います。ですから死刑には懐疑的です。

死刑存置派の反論。「国家は被害者の無念を代行しないといけない」

ジョー横溝:
 全国犯罪被害者の会の弁護士の方にもお話を聞けたらと思います。青木さんが仰いました、要は「国家が人を殺しているんじゃないか」「死刑を執行する刑務官のことを考えたら制度に賛成できない」というお話はいかがですか。

髙橋:
 刑務官は大変ですか? では被害者に執行のボタンを押させてください。それで結構です。

青木:
 それは仇討ちですよね。

髙橋:
 仇討ちではございません。国家の判断がなく、自分の判断でやるのが仇討ち。国家がやらないなら私たちがやりましょう、というだけのことです。

青木:
 ごめんなさい、「遺族に押させる」というのだけは僕が初めて聞いた理論なので髙橋先生に確認したいのですが、遺族は望んでいるのですか。

髙橋:
 そうしたい人もいます。死刑の場を見たくない人もいます。

青木:
 遺族がいない死刑囚のケースもありますよね。

髙橋:
 国家が代行してやればいいんです。そういう選択肢があってもいいと私は思っています。国に代行してもらうということで、私たちは権限を信託譲渡したわけですから。

青木:
 しかし「やりたい」「押したい」と言っている被害者遺族に押させるという選択肢を与えることは、正義にかなっていることだと思いますか。

髙橋:
 刑務官が押さないというケースを想定した理論です。本来は国家が被害者の無念を代行しなきゃいけないのですから。

青木:
 僕は押すのは嫌です。

髙橋:
 では押さなきゃいいじゃないですか。

青木:
 しかし、現に執行が行われている以上、間接的には自分が押したことになる、それが耐えられないということです。場合によっては遺族が押すという、そういう選択肢を持っているような制度が近代国家であるべき姿だとお考えですか。

髙橋:
 そうは思いません。国家が代行するべきです。それが近代国家だと思います。

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