“新1万円札の人”渋沢栄一が敏腕すぎる件。東証、国立第一銀行(みずほ)、サッポロビール…500社以上を設立した男が関東大震災で起こした奇跡
4月9日、政府は現在の1万円、5千円、千円の紙幣のデザインを刷新すると発表し、1万円札の肖像は現在使用されている福沢諭吉から実業家の渋沢栄一のものに変更されます。
今回紹介するのは、いつかやる社長さんが投稿した『【ゆっくり解説】世界の奇人・変人・偉人紹介【渋沢栄一】』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、ユスタとベルサのふたりのキャラクターが、日本経済の父と呼ばれた“渋沢栄一”について解説を行います。
14歳で商才をあらわし、17歳で幕府転覆を計画
ユスタ:
まず彼を一言で言うならば日本経済の父。驚くほど多くの会社を作り、日本を大発展させた人だったわ。彼なくして今の日本はなかったと言っても良いわ。渋沢は江戸時代末期の1840年、現在の埼玉県深谷市で生まれる。家は農家でありながら、染料の製造販売や蚕の絹を扱う養蚕業まで行う、いわゆる富豪農家に生まれ渋沢自身も若くして商いのプロフェッショナルだったわ。
14歳の時に染料の仕入れを任されると武州自慢鑑藍玉力競というシステムを作り出す。
ベルサ:
何それ。ユスタ:
簡単に言えばランク付けよ。染料の元になる藍の良し悪しで値段に差を付けたの。当然仕入先は他より高く買い取って貰おうと競うように良質な藍を作る努力をした為に結果的には仕入先すべての藍の品質を向上させたの。ベルサ:
14歳でそこまで考えたの⁉ユスタ:
そうよ。そんな彼が17歳の時にあることがきっかけで幕府に不満を持つようになるわ。ある日渋沢はお偉い代官に呼び出されたことがあったの。代官は渋沢に対して「500両を差し出せ」と命じてきたの。この時代、代官の命令に背けば投獄や家の取り潰しもありえたわ。ベルサ:
ええ……。ユスタ:
年貢を払っているにもかかわらず、なぜ必死に働いたお金を理不尽に奪われるのか。そんな世の中はおかしい! そう考えた彼はある計画を企てるわ。ベルサ:
どんな計画?ユスタ:
幕府転覆よ。ベルサ:
うえええ……。ユスタ:
そこで渋沢は多くの仲間と大量の武器を集め、高崎城という城の襲撃計画を練るのだけど。ベルサ:
ヤバイ方向だよこれ。ユスタ:
しかし仲間の懸命な説得により中止になる。ところが幕府に計画が漏れてしまい、彼は幕府からは追われる立場になってしまうの。行く場所もなく途方にくれる彼をある人物が匿ってくれたわ。それが一橋慶喜という人物よ。そしてこの人物こそ江戸幕府最後の将軍徳川慶喜だったわ。ベルサ:
幕府から逃げるために幕府に匿ってもらったの?ユスタ:
そうしてまで優秀な渋沢を欲しがったのよ。
わずか14歳でシステムを作り上げた渋沢に「なんだこの14歳ww」「天才の片鱗」「正しい資本主義」などのコメントが寄せられました。
渋沢の人生を大きく変えた「パリ万博」
ユスタ:
その後は慶喜の下で財務等の役職に付いていたのだけど、1867年、渋沢の人生を大きく変えるイベントが開催。それがパリ万博よ。渋沢も日本の派遣団の一員としてこれに参加したの。そしてこのパリ万博で渋沢は未来を見たわ。
ベルサ:
未来?ユスタ:
電気、ガス、水道が発達し、生活の質が向上し、ありとあらゆるものが機械化されていた。フランスは日本とは比べ物にならないほど近代化していたの。そんな未来をみた渋沢は思った。「このままでは日本は世界からおいていかれる」「日本も早急に近代化しなければならない」と。この体験以降、彼は日本の時代を大きく進めることになるわ。世界と渡り合える日本の礎を築いた渋沢栄一の天才的手腕のはじまりだった。
渋沢は日本の近代化に有効なものを探したわ。そして見つけたのがフランスの経済を支える株式会社という存在だったわ。
ベルサ:
株式会社?ユスタ:
人々が資金を持ち寄って会社経営を行い、利益が出れば出資した人々で分け合うというシステムよ。渋沢はこれを日本で広めようとフランスで経済を学び、日本に帰国するのだけれど、そんな彼を待っていたのは自分のいた江戸幕府が倒され、明治時代がはじまっていた日本だったの。ベルサ:
また居場所なくなったじゃん。
現在の日本において当たり前の存在となった株式会社をフランスで学び、日本に導入しようとした渋沢に「物だけじゃなくてシステムに注目するの凄い賢い」「有能」と絶賛するコメントが相次ぎました。
「国立第一銀行」「東京ガス」「王子製紙」……数々の大手企業を設立
ユスタ:
それでも彼は民間の立場から近代化をしようと考えた。そしてそんな彼が最初に考えたのが日本ではじめての銀行を作ることだったわ。お金が多く集まれば他の会社に出資できると考えたの。そうして生まれたのが日本ではじめての銀行にして現在のみずほ銀行の前身である国立第一銀行だったわ。
ベルサ:
今も残ってんの⁉ユスタ:
そしてここで資金を稼いだ彼は多くの会社を立ち上げたわ。近代化にガスが必要だと考え、ガス会社を立ち上げる。それが誰もが知っている東京ガス。ベルサ:
うおおい! スゲーな!ユスタ:
これからは情報社会になっていくと考え、多くの人が新聞に触れることができるように製紙会社を設立。それが現在の超大手製紙会社王子製紙。さらに日本のセメント会社の最大手太平洋セメント。交通の要所だった鉄道会社、東急電鉄、秩父鉄道、京阪鉄道。ベルサ:
どんだけ作るのさ⁉ユスタ:
日本の三大高級ホテル帝国ホテル、日本最大の金融商品取引所東京証券取引所。
ベルサ:
まさかの東証まで⁉ユスタ:
繊維や織物を扱う紡績の最大手東洋紡績。ベルサ:
医療品も作っています。ユスタ:
誰もが知っているビール会社キリンビールやサッポロビール。ベルサ:
うぷ主も大好き。ユスタ:
みんな大好き明治チョコレート等のお菓子で有名な明治製菓。某細胞で有名になった最先端科学研究所の理化学研究所まで作ったわ。ベルサ:
200回成功してまぁす。いや、本当にどれだけの会社作ったのさ!?
次々と登場する有名企業の名前に「日本経済の父すぎる」「無双すぎるだろ」「そらお札になりますわ」と渋沢の実績に驚愕するコメントが寄せられました。
経済だけでなく社会活動にも貢献。まさに国に尽くした人生
ユスタ:
彼が生涯で立ち上げた会社は大小問わず500社以上にもなったわ。
ベルサ:
うえええええ! 細かすぎて見えないんですけど。でも500社も同時に運営できるの?ユスタ:
彼は作った会社の経営にはほとんど携わらなかったの。ベルサ:
ええ⁉ユスタ:
会社を設立すると経営権を人に渡したのよ。渋沢は決して儲け主義で会社を作ったのではないの。日本が発展するには民間が力を持たなければならない。人々が平等に稼げる社会を作り上げることが、彼が真に作りたかった未来だったの。ベルサ:
国に人生を尽くした人だったんだね。ユスタ:
さらに経済だけでなく社会活動にも力を入れたわ。日本赤十字社の設立やキリスト青年会の日本の窓口、これからは教育が重要になると考え、一橋大学、東京経済大学、二松學舍大学の設立に携わり、女性の社会貢献も考え日本女子大学校、東京女学館まで立ち上げる。彼が設立に携わった社会事業は600もあったわ。
ベルサ:
この人、止まらないんですけど!
ユスタ:
それだけでなく、日本を世界に浸透させようと現在では当たり前に行われている民間外交を行ったのも彼が最初よ。今後発展していくインドとの関係を深めようと日印協会を設立し、互いの国の文化交流を行い、アメリカとの親善を図るために日本国際児童親善会を設立。アメリカの人形と日本の人形を交換しあう友情人形を行い、さらに中国で水害が起きると水災同情会を設立し義援金を募る等、民間の立場から世界に向けて様々な活動を行ったわ。
ベルサ:
無双しまくってる。ユスタ:
こうした彼の活躍でこの時代の日本は一気に近代化を成し遂げたの。ベルサ:
本当に日本を引っ張っていたんだね。ユスタ:
日に日に豊かになっていく日本だったのだけど1923年、そんな日本に史上最悪の災害が訪れる。それが関東大震災よ。ベルサ:
関東大震災?ユスタ:
過去に類を見ないほど大きかった震災で、人の集まる関東で起こったために10万人を超える犠牲者が出てしまうの。ベルサ:
10万⁉ユスタ:
あまりの凄惨さに人々の心は折れかけていたわ。しかしここで立ち上がったのが、80歳を越えた渋沢栄一だったわ。彼は自分の生涯で作り上げた経済ネットワークを活用し、政府が動く前に多くの仮設住宅、避難所、救命臨時病院、総合情報案内所、孤児院を設立。自分の持つ土地や家を開放し、炊き出しまで行ったわ。ベルサ:
すげえ!
ユスタ:
更には災害後援会を作り、義援金等の復興支援に奔走した。動かなければ何もはじまらない、彼は口ではなく行動でそれを示したの。ベルサ:
本当に日本が好きだったんだね。ユスタ:
そして国を発展させ、国を守った彼は1931年、91歳で安らかな眠りについた。私利私欲に走らず、国の発展を考え続けた彼は生涯心がけた理念をこう言い残しているわ。正しい行いで得た富でなければ、その富を永続させることはできないと。
日本の経済発展や社会を考え続けた渋沢の一生に「本物の偉人を見た」「そりゃ万札になりますわ」といったコメントが寄せられました。
二人の解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。
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