「痙攣している頭に30回もハンマーを」…娘を殺された母が死刑廃止派弁護士に、あえてむごい娘の死を語った理由【闇サイト殺人事件】
冤罪と死刑の問題は混同して語られるべきか
ジョー横溝:
このお話を受けていかがでしょうか。
岩井:
無期懲役でも冤罪というのがありますが、無期懲役と死刑との違いはやり直しがきかないということです。先ほど久間三千年さんのお話がありましたが、証拠構造がぜい弱な中で執行がすぐに行われた。
先ほど例に挙げておられた交通事故との一番の違いは、国が無実の人を間違って執行してしまうということです。ですので、制度の一般論にはならないと思います。
髙橋:
水掛け論になってしまうのですが、交通事故の場合も取り返しがつかないです。「制度がどうあるべきか」というものと、「制度の弊害を小さくするか」というのは分けて考えないと議論が混同すると思います。
酒井:
冤罪の可能性がある事件と、秋葉原通り魔事件や相模原障害者施設殺傷事件のように絶対に冤罪ではない事件というものを分けて考えておられると思います。
こういう人について死刑を適用するかしないかの問題の前提として、死刑制度があるのです。つまりどの事件に死刑を適用するかの問題ではなく、そもそも制度がなければ適用しようがない。
だから「冤罪かどうか」という問題と「どの事件に死刑判決を出すか」という問題は別です。
森:
冤罪のない裁判、捜査を目指すべきだと仰いますが、それは無理ですよね。人がやることなので100%間違いがないということはありえないです。それを考えるかどうかということです。
山田:
間違いをなるべくしないように……。
森:
なるべくでいいんですか。
山田:
仰ったように、やはり人間ですから。神ではないのですから、可視化にしても、捜査の分析能力にしても、常に科学的分野で努力を重ねている途中です。
ですから「間違いはない」とは言えません。
森:
そうですよね。ですから、なるべく間違いのないように裁判を目指しましょうということは一致できますが、それで死刑にしてしまったら取り返しがつかない。
もしかしたら冤罪で処刑されている方もたくさんいるかもしれない。死刑という、取り返しがつかない制度をどうするのかという考え方も可能だと思います。
髙橋:
制度を作るにあたって、制度の利害対象に意見を聞かないといけないと思います。
例えば飛行機だってそうです。飛行機事故が起きて500人亡くなりました。でも飛行機をやめようとはなりませんね。それと同じようにどんな制度でも被害を小さくしようと、そういうことが大事なんです。
「疑わしきは罰せず」というものも、昔に比べたらかなり徹底されるようになってきました。実際に死刑の求刑も減っています。
「前に進むためにも早く刑が執行されることは大切」。残された遺族の訴え
ジョー横溝:
冤罪の可能性があるのであれば、死刑制度を残すにしても、死刑を一旦停止するのはどうでしょうか。
髙橋:
また交通事故の例になりますが、「首都高を止めますか」という話と似ていると思いますよ。制度は潰すか、そのまま存続させるかのどちらかだと思いますよ。
磯谷:
私の事件ではないのですが、裁判が結審するまでに18年かかって、その後いまだ刑が執行されていないのです。
再審請求ばかりが繰り返されていて、明らかに冤罪ではないのですが再審請求をすることで、死刑をストップさせようという意図でやられている。
裁判だけで18年。遺族は高齢化します。自分が死ぬか、死刑囚が死ぬかになってきます。いつまでも再審をやられると精神的に落ち着かないのです。
残された遺族が前に一歩進もうとするためにも、早いうちに刑が執行されることは、とても大切だと思います。
ジョー横溝:
青木さんはいかがですか。
青木:
死刑はやってしまったら取り返しがつかない。これが圧倒的な特徴です。僕は先ほども殺人は絶対悪だと申し上げました。死刑は国家による殺人に他なりません。
僕は「なるべくなくす」では絶対にまずいと思うのです。僕らの国家が、一人の人間を死に至らしめるのは、あってはならないことです。
私たちの国家が命を奪い去るにもかかわらず、それを「なるべく少なくしよう」なんてレベルで済ませてはいけないと思います。
青木:
「明らかにやったから、死刑でもいいでしょう」という理屈ですが、僕は熊谷男女4人殺傷事件の犯人の尾形英紀と手紙のやりとりをしました。
彼は一審で死刑判決を受け弁護士が控訴をしたのに、自分で取り下げました。「裁判なんて茶番だ」と言うのです。
「やったのはやったけれど、アル中みたいな状況で、あまり覚えてないんだ」「死刑になってもいいから、それだけは認めてほしかったけれど、警察も検察も裁判官も全然認めてくれなかった」「だから裁判なんてバカバカしい茶番はやめるんだ」と言って控訴を取り下げて自ら刑を確定させた。
「自分は反省なんかしない、死刑になるのになぜ反省なんかしないといけないんだ」という、とてつもない開き直った手紙を送ってきました。
しかし僕は彼が言ったことは、おそらく正しかったのだろうと思います。だって、自分で控訴を取り下げて死刑を確定させた人間が、そんな嘘を言う必要がないのです。
上谷:
私たちも冤罪は許されるべきではないと考えています。でも、「だから死刑を廃止すべき」という考えと、我々のように「別問題である」という考え方は、噛み合うことはないと思います。
ですのでこれ以上この話をしても、仕方ないのかなというのが一つ。そして青木さんが「死刑は国家による殺人」と仰っていますが、死刑は殺人ではありません。
磯谷理恵さんを殺した加害者は紛れもない違法な殺人ですが、死刑は憲法でも合憲と認めています。