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【潜水艦コレクション】旧日本海軍の潜水艦51隻プロフィールと戦歴をまとめてみた

 本ページでは、機雷型・海中5型a・中型の各艦について解説します。

機雷型

 ドイツから分配されたU125を日本海軍向けに改良を加え、大正12年度計画で建造。開戦後は、様々な海峡に機雷敷設を行ったが、艦年齢超過による性能低下により、奇しくも艦番号の大きい順に喪失していった。

伊号第121潜水艦

昭和2年3月31日、川崎造船所で竣工。艦長の任についたのは23名にのぼる。昭和17年1月12日、ポートダーウイン沖に機雷39個を敷設。同18日、オランダ船「バンダム」を撃沈。「バンダム」は9312トンの大型だった。昭和20年1月10日、上野大尉が最後の艦長として着任、そのまま呉で終戦を迎えた。昭和21年4月30日、舞鶴港外でアメリカ海軍により海没処分された。

伊号第122潜水艦

昭和2年10月28日、神戸川崎造船所で竣工。艦長の任についたのは22名、昭和16年12月7日、シンガポール方面で機雷42個を敷設。さらに、昭和17年1月5日、トレス海峡西側で哨戒任務につき機雷30を敷設した。昭和20年6月10日、舞鶴を出港、七尾湾を回航中、石川県禄剛岬灯台付近でアメリカ潜水艦による魚雷攻撃にあい、沈没。85名が戦死。日本海軍潜水艦が日本海で沈没した唯一の例となった。

海中5型

 大正7年度計画より建造が途切れていた呂号潜水艦で、昭和6年の第1次補充計画で建造された中型の潜水艦。戦争時に急造できる量産型プロトタイプとして計画、完成した艦は実際に、操縦性能、凌波性に優れ、他の性能も良好なため、乗員の好評を博した。

呂号第34潜水艦

昭和12年5月31日、三菱神戸造船所で竣工。艦長の任についたのは10名、昭和17年8月4日、オーストラリア船「カツームバ」を撃破。同12日、ルンガ岬付近を砲撃。さらに、ルンガ泊地、エスペランス付近でも雷撃を仕掛ける。昭和18年4月7日、イサベル島付近で駆逐艦に砲撃を受け、さらに、浮上しているにもかかわらず爆雷攻撃を受ける。これにより船体後部から沈んでいった。艦長以下66名が戦死した。

中型

中型は戦時急増の簡易量産型として、昭和14年の計画で9隻、16年の計画で8隻、さらに追加で1隻と18隻が完成した。しかし、戦局が困難な時期に竣工したこともあり、同型艦のほとんどが沈没した。

呂号第41潜水艦

昭和18年11月26日、三菱神戸造船所で竣工。艦長の任についたのは3名。昭和19年10月3日、モロタイ島ゴランゴ岬付近でアメリカ駆逐艦「シェルトン」を撃沈。同14日、呉に帰着。昭和20年3月18日、沖縄方面に向かうも、同22日の駆逐艦発見の報告後、消息不明。アメリカ側の資料によると、23日、駆逐艦「ハガード」による爆雷攻撃後、体当たりを受け沈没。艦長以下82名全員が戦死。

呂号第50潜水艦

昭和19年7月31日、三井玉野造船所で竣工。艦長の任についたのは2名。昭和20年2月10日、スリガオ東南東でアメリカのLST(戦車揚陸艦)を撃沈。同20日、南西諸島方面を捜索しながら呉に帰着。昭和21年、4月1日、五島キナイ島で爆破処分。呂50潜は中型で唯一、終戦まで無事だった艦である。[/caption
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 8月22日から4日間にわたって五島列島沖に沈む潜水艦から「伊58」「呂50」の特定を目指す調査を実施。ニコニコ生放送でその様子をリアルタイムで配信予定です。「伊58」が70年の眠りから覚める瞬間をぜひ皆で見守りましょう!

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