妖怪画の大家・鳥山石燕が創作した“おばけ”たち――「泥田坊」「毛羽毛現」…江戸時代から語り継がれる妖怪のルーツは“言葉遊び”だった!?
今回紹介する、二点星さんさんが投稿した『ゆっくり歴史よもやま話 鳥山石燕の創作妖怪?(言葉遊び)』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、鳥山石燕の描いた妖怪について解説していきます。
鳥山石燕の創作!? 洒落た妖怪たちを紹介
みなさんは鳥山石燕をご存じだろうか。江戸時代中期の絵師である。狩野派の門人だったようだが、経歴には少々謎もある。今日では彼の描いた妖怪画が有名だろう。
しかしながら、鳥山石燕は後世の妖怪研究者から非常に厄介がられている人物でもある。それがオリキャラ問題だ。石燕は河童や天狗など、有名な妖怪も描いている一方で、ドマイナーな妖怪の絵も残している。
そして、その中には石燕の完全な創作と思われる妖怪が少なからずいる。石燕以前にその妖怪の伝承などの記録がなく、「言葉遊び」か「夢」が関わっている妖怪たちである。そんなオリキャラ疑惑の連中を、石燕の作品『今昔百鬼拾遺』と『今昔画図続百鬼』から解説文を簡単に現代語訳したものも交えて紹介しよう。
まずは「毛羽毛現(けうけげん)」。「毛羽毛現は全身に毛が生えた姿が毛女のようなので、そう呼ばれる」と「希有希見と書いて、有ることが希、見ることが希だからということだ」。「毛女」というのは、中国の伝説的な人物である。
秦朝に仕える宮女だったが、国が滅んだ際に山中に逃れて、水と松の葉を摂る生活を続けたため、体がどんどん軽くなっていった。やがて彼女は人間の枠を超えた存在になり、百年以上生きて仙女になったそうである。
比較対象がいまいち分かりにくいが、毛羽毛現はこの毛女くらい毛深いということらしい。世相もあるだろうが、作品の傾向からして、鳥山石燕は言葉遊びやダジャレがかなり好きな人物だったようだ。そのため彼の描いた妖怪たちの中でも、それ以前に記録がなく、希有で希見だから毛羽毛現みたいな名前に遊びの要素が強い連中は石燕の創作の可能性が高いとみなされている。
「後神((うしろがみ))は臆病神につく神である」「前にいるかと思えば忽然と後ろにいて、人の後ろ髪を引くという」。おそらく心残りを意味する慣用句「後ろ髪を引かれる」から連想して創作された妖怪と思われる。
「臆病神」とは、臆病な心を起こさせるという神のことだ。後神が臆病神につくという文章は、いくつか解釈の余地がある。
次はちょっと有名な「泥田坊(どろたぼう)」。「昔、北の国に翁がいて、子孫のために雨の日も風の日も、懸命に田んぼを耕作していた」「しかし翁が死んでから、その子供は田んぼを売り払って酒浸りの日々を過ごした」「すると夜な夜な一つ目の黒い者が出てきて、田を返せと罵った」
「泥田を棒で打つ」という慣用句がある。無分別で無茶苦茶なことを意味する。ちなみに石燕より少しあとの時代に「泥田坊夢成」と名乗っていた歌人がいる。この人物が何か関係しているという説もある。石燕の妖怪解説文は、全体的に大雑把だ。一方で泥田坊は珍しく、かなり詳しく説明されている妖怪である。そのため後世の研究者たちは、逆に創作ではないかと怪しんでいる。
妖怪「天井さがり」または「天井くだり」。「昔、茨木童子(いばらきどうじ)は綱の叔母に化けて破風から逃げた」「今、この妖怪は美人ではないが天井より落ちてくる」「諺にある天井を見せるとは、このような恐ろしい目にあうことである」。
解説の前半部分は、渡辺綱と悪鬼である茨木童子の戦いの話だ。そして、それはそれとして天井から落ちてくるのが、この天井下りのことらしい。妖怪解説文なのに、あまりその妖怪の解説をしていない。ある意味では妖怪という曖昧な存在に対して、すごく適した文体なのかもしれない。
「天井を見せる」とは、これまた慣用句である。相手を仰向けにして起き上がれないことから、痛めつけることや苦しめることを意味する。
最後にこの妖怪も紹介しておこう。謎多き妖怪「狂骨(きょうこつ)」。「狂骨は井戸の中の白骨である」「世の諺に甚だしいことをきょうこつというが、これの恨みが甚だしいことからいうのである」。狂骨の由来については様々な説がある。まず肉の落ちた骨を意味する言葉「髐骨」。
また現在でも一部方言として残っているようだが、程度が甚だしいという意味で「きょうこつ」「きょうこつない」という言葉が当時はあったようだ。
石燕の命名法則からしても、おそらくそういった語句をもとにしたのだろう。ちなみにどうして狂骨が井戸の中にいるのか。ちょっと面白い解釈があるので紹介しておこう。「狂骨」。ちょっと字を変えて「軽骨」。これは、そそっかしい様を意味する言葉だ。つまり粗忽者のことである。「底打つ者」。だから狂骨は井戸の底にいるのだ。
作者の鳥山石燕がそこまで考えて描いていたのかは残念ながら定かではない。神や悪魔、妖精に魔物など、超自然的存在は世界各地で伝承されている。江戸時代の出版文化の発達とともに、絵巻物や草双紙で妖怪はたくさん描かれた。妖怪はキャラクター化されていったのだ。そしてそれは同時に絵師たちによる創作妖怪ブームでもあった。
その中にはダジャレや言葉遊びから生まれたような、言ってしまえばくだらない妖怪も多い。しかし、そのくらだなさは今日まで脈々と続く妖怪の系譜を形つくっているのだろう。
言葉遊びやダジャレなど、なかなか洒落ているようにも思えてきますね。興味がある方、解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画を視聴してみてください。
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