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天皇陛下主催の『COUNT DOWN TV』で何度もランクインした歌、それが『君が代』。 明治天皇の玄孫 竹田恒泰さんが解説する『君が代』が国歌である理由。 

 旧皇族・竹田家に生まれ明治天皇の玄孫 竹田恒泰さん。皇室、政治、外交、環境問題に加え、日本文明、カルチャー、サブカルまで語る「竹田恒泰チャンネル」。今回は『【無料】竹田恒泰の『君が代』講座(1/4)|竹田恒泰チャンネル特番』と題して日本の国歌『君が代』について解説しました。

 『君が代』の歌詞が成立したのは千年前。その時すでに古典でした。それからさらに百年経って、まだ人々が馴染みのある歌だったことから「誰でも知っているヒットソングだった」と語る竹田さん。「みんなが知っている歌詞だから、国歌になるのは必然だった」と解説しました。


『古今和歌集』とは天皇陛下主催のCDTVみたいなもの?

 私の十八番、『君が代』講座を始めたいと思います。『君が代』といえば、誰もが知ってますよね。我が国の国歌であります。改めて『君が代』の歌詞を見ていただきたいのですよ。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

巌となりて 苔のむすまで

 これ短いと思いません? たとえばイギリスの国歌は長いんですよ。アメリカの国歌も長いんですよ。1番だけでけっこうな分量があります。フランスの国歌だって長いわけです。言葉が多い。

 ところが『君が代』はスパーンと一行。なんと潔いのでしょう。これ実は和歌なんです。五・七・五・七・七。全部足すと31文字になるので、三十一文字(みそひともじ)と言ったりします。「詠み人知らず」ということで作者不明です。古すぎて、わからない。

 日本の文献で1番古いものを初筆と言います。『君が代』で言うと初筆は西暦905年『古今和歌集』です。『古今和歌集』という勅撰和歌集に収録されています。ただちょっと歌詞が違うんですね。冒頭が少し違う。“君が代は”の部分が『古今和歌集』では“我が君は”となってます。それ以外は全部一緒です。

 注目したいのは「勅撰和歌集」って何かということなんです。天皇が選んで、天皇が編纂を命じることを「勅撰和歌集」と言います。つまり『古今和歌集』に載るというのは、天皇陛下主催の『COUNT DOWN TV』で取り上げられるというようなことなんですよ。え、余計わからない?(笑)

 これすごいことなんですよ。今は娯楽が沢山ありますよね。映画を観るとかパチンコするとか。でも千年前の娯楽って和歌を詠むことくらいしかないんですよ。和歌を詠むというのが、天皇・防人(さきもり)・庶民・農民に至るまでみんなが嗜む共通の娯楽だったわけです。

千年前にすでに古典だった『君が代』

 その中で権威である『古今和歌集』に収録されるって大変なことなんです。ただ、『古今和歌集』ですでに「詠み人知らず」となっている。つまり千年以上前の段階で、古すぎて誰が詠んだかわからない、と言ってるわけですよ。千年前の段階ですでに古典なんです。

 『君が代』は明治時代に国歌になったので、「国歌」としては歴史が浅いです。でも、歌詞が成立してからの長さで言えば世界最古です。千年以上前ですから、ぶっちぎりです。

 では初筆が『古今和歌集』なら2回目に出てくるのがどこかと言うと、『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)というのに出てきます。西暦で言うと1018年。藤原公任(ふじわらのきんとう)という人が撰じたものです。

 藤原氏たちも和歌集を作っていました。天皇の勅撰和歌集に比べたらランクが落ちるけれど、二番手につけるほどの和歌集なわけです。そこに収録された時には“我が君は”でなく“君が代は”の歌詞になってます。

 『古今和歌集』が905年。『和漢朗詠集』が1018年。この間113年。113年後のオリコンにもう一回入るってどういうことでしょう。すごくないですか? 100年以上歌われてるヒットソング知ってます?

 『君が代』が国歌になったひとつの要素として、「みんな知ってた」というのがあるんです。みんな知ってるんです。だからすんなりと国歌に決まったんです。「ハッピバースデー、トゥーユー」とか「もういくつ寝るとお正月」と同じレベル。113年後のオリコンに再び登場するわけですから。どれだけみんな知ってるの? という話です。

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