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なぜ菅井竜也は岡山に住み続けるのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.22】

 6月23日に開幕した第4期叡王戦(主催:ドワンゴ)も予選の全日程を終え、本戦トーナメントを戦う全24名の棋士が出揃った。

 類まれな能力を持つ彼らも棋士である以前にひとりの人間であることは間違いない。盤上で棋士として、盤外で人として彼らは何を想うのか?

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 ニコニコでは、本戦トーナメント開幕までの期間、ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』作者である白鳥士郎氏による本戦出場棋士へのインタビュー記事を掲載。

 「あなたはなぜ……?」 白鳥氏は彼らに問いかけた。

■前のインタビュー記事
なぜ中村太地は将棋を選んだのか?【vol.21】


叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー

シード棋士 菅井竜也七段

『なぜ菅井竜也は岡山に住み続けるのか?』

 平成30年7月6日。
 長崎から岐阜にかけての西日本の多くの地域に『大雨特別警報』が発表された。
 聞き慣れない警報に、私は首を傾げた。
 しかし……恐るべき量の雨が何日も降り続くのを目の当たりにし、次第に恐怖を覚えた。

 岐阜市では、市内を流れる長良川が氾濫危険水位にまで上昇。橋を封鎖するゲートが14年ぶりに閉じられるという事態になった。
 その頃、上流の関市では遂に川が氾濫。街は泥まみれになり、尊い命が犠牲となった。
 下呂温泉で有名な下呂市では土砂崩れが起こって線路も道路も寸断。800人以上が孤立状態となった。
 当時はサッカーワールドカップがロシアで開かれていたが、現地で取材していた下呂市出身のサッカーライター・清水英斗氏の家族を心配する悲痛なツイートを、私は為す術もなくただ眺めているしかなかった。

 だが、岡山県の被害は、岐阜の比ではなかった。
 倉敷市真備町では堤防が決壊。
 真備町だけでも51名の尊い命が失われた。岡山県で戦後最大の水害となった。
 テレビや新聞やネットでは、真備町の悲痛な映像が何度も何度も繰り返し報じられた……。

 その前日。菅井は自身の持つタイトル『王位』の初めての防衛戦を行うため、愛知県豊田市にいた。
 2日間にわたる対局の末、菅井は挑戦者・豊島将之八段(当時)に破れる。

 地元の惨状を伝える報道が数多くされる中で、しかし菅井はトップ棋士として、別の場所で戦いを続けねばならなかった。
 7月10日、菅井は対局(竜王戦4組昇級者決定戦3回戦)のため大阪へ向かう。そして順位戦、タイトル戦……。
 戦いは続き、菅井は日本各地を文字通り端から端まで転戦する。
 7月24・25日には災害の跡もまだ生々しい神戸に。
 8月1・2日には北海道に。
 22・23日には博多に……。

 そして29・30日に徳島で王位戦第5局が行われた、その2日後のことだった。
 豪雨の報道も落ち着いた、9月1日。名古屋港で関西の棋士が主体となり行われたチャリティーイベント。
 そこに菅井の姿もあった。
 防衛戦の最中、しかも勝ったとはいえ対局のわずか2日後である。
 さらにその2日後には、あの藤井聡太七段との対局も控えていた。

菅井七段と今泉健司四段
(西日本豪雨災害支援チャリティー将棋フェスティバル)

 イベントでは様々なチャリティーグッズが出品された。棋士自らが売り子となってグッズを販売していた。チャリティーだけあって、非常に距離が近い。これだけでも大サービスといえるだろう。
 だが菅井は棋士のブースから飛び出し、自ら客席の中に分け入って、ファンの一人一人と直に接していた。
 壁を作らず、自然な笑顔を浮かべて親しく語り合う。時には自分から声をかけて。
 会場には多くの報道陣も詰めかけていた。
 菅井はあらゆるメディアの取材に対して真摯に対応し、地元・岡山への支援を訴え続けた。
 朝日新聞の佐藤圭司記者は、このチャリティーイベントから始めて岡山まで菅井を追い、動画付きの記事を書き上げた。そして菅井のこんな言葉を紹介している。
「もっと贈りたい」

 菅井はチャリティーイベントの2日後に行われた棋王戦本選で、藤井に勝った。
 完勝だった。

 だが一方で、王位戦では、先に防衛にリーチをかけていたにも関わらず連敗を喫し……失冠してしまう。

 そんな菅井に、将棋のこと、岡山のこと、そして未来について尋ねた。

──あの豪雨の日のことから、まずお聞かせください。あの日は愛知県豊田市での王位戦を終えられて、ちょうどお帰りになる日でしたか?

菅井七段:
 そうですね。対局が終わった翌日が……その日だったように思います。

──ちゃんとご自宅まで帰ることができたのですか?

菅井七段:
 初めはもう、お昼くらいから新幹線が動かないと言われていたんですけど……3時間くらい大阪で待っていると、ようやく動き始めたという感じだったかと。

──そうでしたか……ご帰宅なさってからも、どんどん被害が?

菅井七段:
 ニュースで見ていた状況と、実際に帰って見るのとでは、やっぱり、全然…………そういう状況になってしまったんだなと……。

 帰ってみると、電車、新幹線、駅の周囲のお店も全て閉められていて、道も通ることができないような状況でしたので……やっぱり『こういうことになってしまったんだな……』という…………。(つらそうに溜め息をつく)

──菅井先生にとっても、初めて体験するほどの災害でしたか?

菅井七段:
 そうですね。ぼくも初めてですし、周りの年輩の方にうかがっても、ほとんど記憶に無いというようなことだったので……はい。

──地元がそういう状態で全国を転戦せねばならない状況は、やはり苦しいものがおありでしたか?

菅井七段:
 いや……苦しさというのは、自分は感じてはいけないと思っていたので。

──将棋に集中しなければということですか?

菅井七段:
 被害に遭われた方がいらっしゃる中で、同じ岡山ではありますが、自分はほとんど被害に遭っていませんでしたので。

──あっ……。

菅井七段:
 そんな状況の中で、王位戦が、将棋ができるというのは……嬉しい、というのとは違いますね。本当に…………ありがたいことでした。

 だから苦しさというのは、なかったです。

──そうだったんですね。私は9月1日に名古屋港で行われたチャリティーイベントから取材を始めさせていただいたのですが、そこでの菅井先生のお姿は、非常に印象的でした。客席の中にご自分から飛び込んで、ファンの方々とお話になって……。

菅井七段:
 やっぱり今は、岡山だけというわけではなく、日本中で災害が当たり前というような状況になっていますので……。

──そうですね。本当に……。

菅井七段:
 自分としては、そういったときに棋士ができることは、具体的なことは1つもないと思っています。

 でもその中で、棋士として好きな将棋をさせていただいているというのは……具体的な意味で何もできなくても、何か意味を自分たちで見つけないといけないわけですので。ですからああいうイベントに来ていただいたファンの方と交流させていただけることは、今まで以上に重要なことなのかなと思います。

──いま、戦っている意味というようなお話がありました。それは、ファンの方と接することで明確になっていくものなのですか?

菅井七段:
 そうですね……将棋を指す中で、『何となく好きだから指す』という感じでは……もうそういう世の中ではなくなっていますよね? その日どうやってご飯を食べるかといったような方も多い中で……。

──はい。

菅井七段:
 自分たちは対局料をいただいて、いい環境の中で将棋を指して、いい1日を終える……というのは、それが当たり前なのかもしれませんけど、当たり前と感じてはいけないというか……。

 気持ちの面では、本当に……周りの方々のことを意識して指さないといけないと思います。

将棋電王戦リベンジマッチ 激闘23時間 菅井竜也五段(当時) vs 習甦(タイムシフト視聴はこちら

──私が菅井先生の対局で印象的だったのは、電王戦のリベンジマッチ。あのとき菅井先生は、対局中に苦しくなったら自分に声をかけておられたと……。

菅井七段:
 ああー……そうでしたね。あの時はでも、日常からそんな感じで。

 まあ言ってみたら、普通じゃないですね(笑)。

──いやいや(笑)。つまり何が申し上げたいかというと……ご自身の中に、戦う意味を持っておられると思っていたんです。自分の中から湧き出る闘志を原動力に。

菅井七段:
 そうですね……。

──でもお話をうかがっていると、ファンの方と接することで戦いの意味が見えてくるとおっしゃっている。それが不思議だったんです。

菅井七段:
 多分、電王戦とかリベンジマッチのときとかは、自分が強くなることだけに意識を向けていて。勝敗だけでよかったですし、どう結果を残すかだけだったと思うんです。もちろん今でもその気持ちはありますけど……。

──はい。

菅井七段:
 やっぱり、ファンの方がいて、自分たちプロが成立していますから。その方たちにどう楽しんでいただくかは本当に大事です。

 何年も前からコンピューターが強くなり始めてて『もう人間を遙かに超えた』みたいな感じに、世の中的になってますけど……だからもう将棋の強さだけでいったら、自分たちはあんまり必要ないというか。

 でも……何かこう、人間とか、棋士とかって……何かこう……うーん……違った形で見せることが、できる。ものだと思っているので。

──はい。

菅井七段:
 コンピューターも最善手を目指しているし、自分たちも最善手を目指しているけど、登ってる山はぜんぜん違う山を登っているので。だからそれをどうファンの方にわかってもらえるか、少しでも感じていただけるかなのかなと思っているんですけど。

──そういう意識が、菅井先生が独創的な戦法を用いることに繋がっているんですかね?

菅井七段:
 見てくれている人に、いつも同じものを見てもらっていたのではダメですし。何か自分の個性を……みんなそれぞれ個性がないといけないんじゃないかなと。

 やっぱり力だけで見ればAIが上ですから。何か違うもの、人間にしか作れないものを見せないといけない、という思いはあります。

第3回 将棋電王戦 第1局 菅井竜也五段(当時) vs 習甦(タイムシフト視聴はこちら

──菅井先生は以前インタビューで、飛車を振ると最初はソフトの評価値が大きく下がるけど、自分の研究通りに進めて行くと評価値が元に戻るというようなことをおっしゃっておられました。

菅井七段:
 と、いうときもあります。

──そういうことがあるから、強さとしてもAIに迫っていけると?

菅井七段:
 そう……ですね。今は本当に、評価値に左右されてしまう。という感じになっていますね。

 ただコンピューターも変動があるということは、それ以前の評価にそもそも問題があるということになりますし。将棋って、最新のマシンで数億とか数百億とか読むくらいでは、何も答えが見つからないものだと思ってますし。

 だからぼくは、あまり評価値とかも気にしませんし。

──はい。

菅井七段:
 難しいんですけど、自分の力を発揮できる形で、なおかつファンの方に関心を示していただけるようなのが理想で。まあそれがなかなか上手く行ってないんですけど(笑)。

──いえいえ。私は菅井先生の過去のインタビューでびっくりしたのが、初手から考えると。初形から研究を始めるというのが本当に衝撃的で……。

菅井七段:
 でも最近はそれがちょっと減ってしまいましたねぇ。

──そうなんですか?

菅井七段:
 今でもそういう勉強法はやるんですけど、ちょっと、あれをやり出すと……いいものも生まれるんですけど、何も手につかないという(笑)。

──な、なるほど……。

菅井七段:
 1日24時間しかないのに、あれをやると10時間くらいあっというまに消えてしまうので。ふふふ。効率が(笑)。

──そうなんですね! それは、構想を広げすぎてしまって?

菅井七段:
 そうですね。たとえば……ずーっと10時間くらい考えて、1日で3手くらいしか動かないとか。

──ほぉぉぉー…………。

菅井七段:
 そういう勉強法なので。でも、その蓄積というのは今の自分にはあると思っているので。

──なるほどなるほど! いくらでも研究したい局面があるってことですか!?

菅井七段:
 したい局面もありますし……もっともっと可能性があるんじゃないかって。

 どっちかというと、可能性を探しているというところが大きいです。

──可能性なんですね。

菅井七段:
 何かあるはずだ、と。

──将棋の話から少し変わりますが……ずっと岡山で暮らしておられるのですか?

菅井七段:
 そうですね。はい。岡山市です。

──CMも拝見しました。岡山市とコラボして。『岡山で生まれ育った』って。

菅井七段:
 あ、はい(笑)。

──ずっと地元・岡山で暮らしておられる理由などありましたら、教えていただきたいのですが。

菅井七段:
 1つは、自分が本当に岡山が好きだということ。好きだし、住みやすい。

 あと……昔から、僕が本当に小学校4年生とか5年生の頃からお世話になった方々が、今でも応援してくださってて、未だにずっと交流がありますし。

 だから、できることなら自分が好きなところに住んで、好きな人たちがいるところに住んで、プロ棋士としてやっていきたいなという思いは、昔からありますね。

──なるほど。

菅井七段:
 あと、もう東京大阪に行かないと勝てないという時代ではなくなっていますよね。そこはやっぱりコンピューターとか、今のネット環境に感謝しています。情報格差が全く無い。

 その人の気持ちさえあれば、どこに住んでいても強くなれるというふうに思っていますので。

──そのお気持ちは、ずっと変わらなかったんですか? 奨励会の頃に、都会に出てみたいなと思ったりは……?

菅井七段:
 棋士になって3年目くらいのときは、ちょっとそれはありましたね。大阪に出て勉強したら、もっと強くなれるんじゃないかなって。

 でもゆっくり考えていくと……。

──はい。

菅井七段:
 それはそのとき力がなかったことに対する理由付けみたいな。『自分は地方にいるから、みんなみたいな研究会ができないから勝てないんだ』みたいな。そういう理由付けをしたかったんですね。

 力がないということを認めたくなくて、そういうことを考えていた時期もありました。

──そこを乗り越えた理由というのは、どういうことなんですかね?

菅井七段:
 自分とどう向き合うか、ということですよね。

──向き合って、それで結果もついてくるようになったと?

菅井七段:
 いやまぁ、初めからわかっていたものの……自分が弱いからとわかっていたものの、言い訳をしていたんです。わかってるんですけど。

 今はもう、勝てないときは『自分が弱いだけ』という、面白みのない感覚になってますけどね(笑)。

──気持ちの整理の付け方が上手くなった、ということですかね?

菅井七段:
 今は、具体的な敗因とか……客観的に見て判断をすることが多い気がしますね。

──ご自分を俯瞰して見る技術を身に付けられた、ということなんですね。

菅井七段:
 昔はとにかく、どんだけ理由を探しても……『自分が弱い』っていう結論は最後のほうにしか出てこないって感じで(笑)。

──俺が弱いわけがない! と(笑)。

菅井七段:
 今は、負けたら『自分が弱い』って結論が真っ先に出てきますから(笑)。

──そういう気持ちがないと続かないんですね。プロの世界では。

菅井七段:
 世代的に強い方が多いですからね。もっと上に上に、という方が多い世代ですから。それは競争で考えたら厳しいんですけど、長いことプロでやっていくにあたっては、非常に大きなモチベーションになっています。

──タイトル戦では様々な地方、場所を回られたと思います。岡山を出て、そういう土地を見て、どう感じられましたか?

菅井七段:
 王位戦をやって感じたのは……まず、その一局が行われるためにどれだけの準備がかかっているかとか、周りの方々、地元の方々のサポートだとか、そういったことを知ることができたのが大きかったです。

──なるほど。

菅井七段:
 やっぱり将棋会館で対局するだけだと、朝、盤が並べてあって、奨励会員の子が準備してくれて、将棋を指して帰るだけなんですけど……。

 タイトル戦に行くと、本当に多くの方のサポートを感じられますし、その現場に行きますから、周りの方への感謝の気持ちを覚えましたね。

──印象深い対局とか、出来事とかありましたか?

菅井七段:
 そうですね……やっぱり初めて挑戦したときの、三重県菰野町のグリーンホテルでの開幕局。それは印象に残っていますねぇ。

 初めてのタイトル戦ということもありましたし。あと……。

──はい?

菅井七段:
 将棋盤が。こぉんなにいいものを使っていいのかというくらい素晴らしいもので。盤が水晶のように綺麗で。

──盤が。

菅井七段:
 もちろん何の加工もしていないんですよ? 600年前の木で作られた盤だったんですけど、着物を着ている自分の姿が映るというくらい綺麗な盤でした。本当に水晶のような盤で。

──菅井先生というと、対局の前は盤を磨かれるのが有名です。

菅井七段:
 そうですね。そのときは……そのときはというか、ずーっと。

 普段の対局から。家でもですけど。駒に触れる前には。

──はい。

菅井七段:
 あの時間というのは、自分にとっては、こう……ゆっくり心を落ち着ける時間であったりとか。あと対局室に入るのが僕は早いんですけど、なかなか……直前に入って『さあやるぞ!』と切り替えるのが、僕にはできなくて。

──なるほど。

菅井七段:
 30分40分かけて、ゆっくりとゆっくりと……という感じで。

──練り上げるような感じなんですね。

菅井七段:
 けっこうみんな切り替えが早くて。性能のいい車みたいなんですけど、僕は中古車みたいな(笑)。

──菅井先生は闘志というものを大切にしておられたのですね。

菅井七段:
 そうですね。そういう時期でしたね。

──お弟子さんを取っておられると思うのですが。

菅井七段:
 はい。

──どういうきっかけでお弟子さんをお取りになられたのですか?

菅井七段:
 僕が岡山で『菅井教室』というのをやっていて。もう5年ほど前からなんですけど、その頃に通ってくれていた子が弟子になったという感じですね。

──非常に幼くして奨励会に入られて。9歳とかですか?

菅井七段:
 そうですね。先月もう一人、奨励会に入りました。

──そうでしたね。

菅井七段:
 初めの子は広島で、非常に有望といわれていたんです。確かに彼は小学1年生から強かったです。

──11歳で3級ですよね。非常に有望では。

菅井七段:
 そうですね……でもこれからは、藤井聡太さんとまでは言いませんけど、10代でプロになる子が増えてくるのではないかと思っています。

──それは将棋の裾野が広がったからですか? それとも勉強方法が変わったからですか?

菅井七段:
 強くなりやすい環境だからですね。もちろん本人の頑張りも必要ですが……これまでの先輩たちや今の時代の棋士が作った、すごい教科書みたいなのがたくさんあるので。だからスタート段階で早くステップアップしていくので。

 だから奨励会に入っている子も、今は4年生くらいで入ってる子をちらほら見ますね。

──はぁー……。

菅井七段:
 僕が入ったのは6年生で、だいたい6年生か中1でした。今は4年生5年生。その頃の1~2年ってすごく大きいので。

 だから僕の弟子も、4年生で入れたというのは……まあ入って苦労しましたけど、やはり非常に大きな……。

──アドバンテージだと。

菅井七段:
 なのではと思いますね。

──菅井先生は、池田将之さんが最近出された『関西若手棋士が創る現代将棋』(マイナビ出版)の冒頭の座談会で『小学2年生の子どもがソフトを使い始めたら、その感覚が当たり前になりますよね』と発言しておられます。

菅井七段:
 はい。

──そういう子も現れてくると?

菅井七段:
 いや、もうそういう時代です。

──そういう時代なんですか!?

菅井七段:
 僕の教室の子も、全国の小学生の大会でも、みんな序盤戦術を見ると自分たちプロと変わらないくらい上手いんですよね。

──なるほど……。

菅井七段:
 コンピューターの好きな手とか、みんな知ってますから。部分的な形でも、こういうのがいいんだとか……だから段々とそういう子が増えてくるんだと思いますね。

 それが、いいのか悪いのかは……これは長い目で見ないといけませんねぇ。

 みんな個性を持っていると思うんですよ。でもその個性がなくなってしまって、みんな同じ方向を見る可能性があるので。

 最善手を指す子は増えるかもしれませんけど、一局の将棋としては面白くないものになってしまうとか……。

──菅井先生はやはり、お弟子さんや生徒さんには個性を大切にしてほしいと?

菅井七段:
 そうですね。嬉しいことに僕の弟子たちは、まだ将棋は弱いけれど、個性はいっぱい持っているので。

──はい。

菅井七段:
 まあ弟子の話で言うと……5年生の子に、初めて負けまして(笑)。

──ええ!?

菅井七段:
 1年生から教えてて、1度も負けたことなかったんですけど、このあいだ初めて平手で負けて……ちょっと、こう。うふふふ。まあ嬉しいような、ちょっと……僕も情けないなぁと思いましたね(笑)。

──そもそも、お弟子さんと平手で将棋を指されるんですね?

菅井七段:
 ええ、指します指します。

 王位になってからは1ヵ月か2ヵ月に1度くらいになってしまっていましたが、それ以前は、僕が広島に行って指したり。広島の子なので。月に……1回は必ずやってましたね。

──そこまでお弟子さんの育成に強い思いを持ってやっておられたのですね……。

菅井七段:
 強い思いというか、僕は井上門下で、井上先生には月に2回教えてもらっていたので。

 師匠にしていただいていたことを、僕も弟子にしてあげたいなって。今は、将棋を指さない師匠というのは減ってきていると思うんですよね。

──そうなんですね。私は妻が兵庫の人間で、つい先日、加古川でカツ飯を食べて来たんですけど。

菅井七段:
 ああ、はい。

──駅前なんか、すごいたくさん将棋のものがあって。

菅井七段:
 そうですよねぇ。将棋の街で。

──やはり菅井先生も、岡山をそういうふうにしていきたいと?

菅井七段:
 というか、もともと岡山は大山先生がおられて。大山名人記念館ですとか、今はすごく倉敷市が将棋に力を入れてくださってて……。

──女流タイトル戦では『倉敷藤花』がありますね。アマ大会でも倉敷王将戦が。

菅井七段:
 自分が引っ張って行くなんてことは絶対に無理だとわかっているんですけど、何かそこに……僕も岡山にお世話になっていますから、何かサポートできたらと。ちょっとでも力になれたらと思うんです。

 とはいえ現状、大きな影響を与えるのは無理ですので。何かできることをさせていただこうと。

──菅井先生は岡山市のCMにご出演なさったりしておられましたよね。倉敷ももちろんですが、広く岡山県や、住んでおられる岡山市でも、将棋を広めていこうと思っておられるのですか?

菅井七段:
 そうですね。自分としては岡山県で、もっと将棋を広めるというか……。

 もっと言うと、岡山の学校はどこに行っても将棋部があるとか! そのくらいにしたいなと思いますけど。

 岡山には、大山先生という偉大な、すごい先生がいて。大山名人記念館があって。倉敷では毎年のように全国大会が開かれていて……。

 でもまだ小学生や中学生は『将棋? 聞いたことあるけど』みたいな感じなので。もっともっとみんなで力を合わせてやっていかないといけないな、と思っています。

──私が菅井先生の言葉で最も感動したのが『10年後にはソフトより強くなっている』というものでした。今、お話をうかがっていると、将棋の力というものはもちろんなんですけど、子供たちに与える影響や、個性を伸ばすということ。そういう意味も含んでいるのかなと。

菅井七段:
 えー……っと、あの時というのは、もうかなり人間が押され気味で。全く勝てないというわけじゃないけど、いい勝負ができる棋士が何人いるかという状況ではありましたけど……。

──まだいけるぞ、と。

菅井七段:
 ええ。僕……というか、人間も10年くらい必死で頑張ればじゅうぶん勝負できると思ってましたし。いや今も全く勝てないなんて思ってないんです。今の僕の力ではそりゃ負けますけど……自分の頑張り次第では……。

 っていうか、棋士ってみんな将棋しかできないわけで。みんな頑張ればコンピューターといい勝負はできると思うんです。でもそこを、何か、こう……自分たち棋士が評価値だけを見始めてしまうと、やっぱり魅力がなくなると思うので……。

 『コンピューターにも負けないぞ!』という意識は大事だと思います。

──その気持ちなんですね。

菅井七段:
 大事ですね。

 もちろん、コンピューターの進歩に力を入れている方というのもたくさんいらっしゃるので。どっちが強いというのではなく、どっちも頑張れるという気持ちでいいんだと思うんです。

 そもそもコンピューターと勝負すること自体がどうんなんだという意見もありますけど。

──まあそうですね。

菅井七段:
 全く違うものと考える意見もあっていいし、自分みたいに『数年後も勝負できる』という人がいてもいいと思うんです。

──はい。

菅井七段:
 自分は、人間ももっともっと強くなれるという気持ちを持って、やっていきたいですね。

 将棋に関するインタビューは、ここで終わった。
 最後に私は、どこかに挿入できるかと思い、菅井に「岡山の魅力的な場所や、美味しい食べ物などを教えていただけますか?」と尋ねた。
 すると……これまでどんな質問をしても即座に答えてくれていた菅井が、突然、悩み始めたのだ。
「ああ、そうですねぇ……うーん……うーん…………」
 その悩み方は、何も思いつかないのではなく……言いたいもの、好きなものが多すぎて選び切れないといった悩み方だった。
 私は噴き出したくなるのを堪えつつ、助け船を出す。
「菅井先生がご出演なさった岡山のCMだと、フルーツの盛り合わせがクローズアップされていましたよね」
「あっ、そうですね!」
 菅井は嬉しそうに同意すると、こう続ける。
「もちろん他の県でいただいた果物も美味しいんですけど……やっぱり地元で食べるもののほうが、僕は圧倒的に美味しく感じるので。昔から岡山はフルーツ王国ですし」
「そうですよね。岡山のフルーツは本当に素晴らしいです」
「あと、空気が綺麗というのを感じます。これは実際に住んでみないと、わからないことなんですけどね!」
 誇らしげに、菅井はそう言うのだった。

 菅井は今、弟子を育てている。
「10年後はソフトより強くなってる」
 菅井は常々そう語っている。
 それは自身の力を高めるという意味でもあるし、さらに、自分の後の世代への言葉であるように、私には思えた。

 人智を超えた力に対し、ある者は逃げ、ある者は諦め、またある者はそれを淡々と受け容れる。
 様々な道があるだろう。

 しかし菅井竜也は挑み続けるのだ。
 岡山という素晴らしい土地に、逞しい根を張って。


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