信念と慢心の狭間で(郷田真隆九段)【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.04】
6月23日に開幕した第4期叡王戦(主催:ドワンゴ)も予選の全日程を終え、本戦トーナメントを戦う全24名の棋士が出揃った。
類まれな能力を持つ彼らも棋士である以前にひとりの人間であることは間違いない。盤上で棋士として、盤外で人として彼らは何を想うのか?
ニコニコでは、本戦トーナメント開幕までの期間、ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』作者である白鳥士郎氏による本戦出場棋士へのインタビュー記事を掲載。
「あなたはなぜ……?」 白鳥氏は彼らに問いかけた。
■前のインタビュー記事
・なぜ丸山忠久は唐揚げではなくヒレカツを頼むのか?【vol.03】
叡王戦24棋士 白鳥士郎特別インタビュー
九段予選Cブロック突破者 郷田真隆九段
『信念と慢心の狭間で』
忘れもしない2016年9月1日。
その日の朝、将棋界に激震が走った。
「郷田先生が結婚した!?」
その衝撃は、将棋界に留まらなかった。
ヤフーニュースにもトップに、
『将棋界最後の大物独身 郷田王将が結婚! 大島優子似8歳下女性と』
という記事が載った。
私の知り合いの若い女性も、それまでは将棋の話題を振っても全く反応しなかったのだが、この日ばかりは様子が違った。向こうから話を振ってきたのだ。
「どうしてこんなおじさんの結婚で騒いでるの?」
失礼な物言いに腹が立ったが、将棋を知らない若い女性にとって、棋士の結婚とはその程度のものだろう。
だから私は何も言い返さなかった。
ただ、若くしてタイトルを獲得した頃の郷田の写真を見せただけだった。
「ええー!?」だったか「ぎゃー!!」だったか。よくは憶えていないが、とにかくその女の子は絶叫した。そして若かりし日の郷田を見詰めたまま、こう言ったのだ。
「どうしてこんなカッコイイ人が将棋やってるの!?」
まだまだ失礼な発言だとは思うが……それでもすっかり郷田のファンになり、将棋の中継なども観てくれるようになった。
郷田には、ファンを魅了する数々の伝説がある。
『俺の顔じゃなくて将棋を見てくれ』
と言ってメガネをするようになったとか、感想戦で指摘された手に対して、
『そんな手を指すくらいなら死んだほうがマシだ』
と言い放ったとか……。
将棋ファンだけではない。郷田のそういった将棋に対する真摯な姿勢には、金井恒太六段を筆頭に、心酔する棋士が多く存在する。
まさに『男が惚れる男』とでも表現すべき魅力が、郷田将棋には溢れている。
結果速報
— ニコ生公式_将棋 (@nico2shogi) September 10, 2018
【第4期 #叡王戦 九段予選】
9/10(月) 森下卓九段 vs.郷田真隆九段の九段予選Cブロック決勝は、130手までで郷田九段が勝利し、本戦トーナメント進出を決めました。
ただいま、感想戦を生放送中です。感想戦後には勝利者インタビューを行います。
▼視聴https://t.co/eoh4Yh0C7i pic.twitter.com/Bd7TjdbiD6
九段予選Cブロックを勝ち上がったのは、その郷田だった。
驚きは、ない。
タイトル獲得6期。順位戦B級1組。47歳にして第一線で活躍し続ける郷田にとって本戦出場はもちろん、タイトル奪取も驚くに値しない。
ただ、自身もインタビューでたびたび発言しているとおり、2015年の王将奪取以来、不調といっていい状態に陥っていた。
順位戦A級からも陥落し、第1期叡王戦決勝三番勝負では山崎隆之八段相手に必勝の将棋を落とし連敗するなど、ダメージの残る敗北を喫した。
2016年に入っても不調は続く。
タイトル防衛こそ成功するものの、勝率は5割を下回った。
2017年には同じ九段戦Cブロックに配されていた久保利明九段に王将位を奪われて遂に無冠へと転落。
しかし2018年。郷田の逆襲が始まる。
今期はここまでで9勝4敗。勝率をほぼ7割まで回復した。
遂に郷田復活か――難敵・森下卓九段を下して本戦へ駒を進めた直後の郷田に私がまず確認したのは、現在の好調をどう感じているのかだった…………の、だが。
「あ、ぜんぜん感じてないです。勝てる将棋も負けてますんで」
あっさりとそう言われてしまい、私は言葉を失った。
対局の直後ということもあったろうが、郷田の表情は真剣そのものだ。武道の世界には『残身』という言葉があるが、まさに郷田の表情や言葉には、戦いの空気が未だ強く漂っている。
動揺を抑えつつ、私は用意していた質問を読み上げた。
──ご、郷田先生といえば……史上初にして唯一の『四段でタイトルを獲得した棋士』として知られます。これまでに6度、タイトルを獲得しておられますが……意外にも、防衛に成功したのは1度だけ。しかも2015年と、ごく最近です。
郷田九段:
ああ、そうですね。
──タイトルを持っている状態の『難しさ』というものは、あるのでしょうか?
郷田九段:
いや、難しさ……うーん、どうですかねぇ……うーん…………うーん…………。
インタビューの序盤から、郷田は長考に沈んだ。
そこまで突飛な質問だったろうか?
いや、きっとそうではない。
まだ対局モードのままの郷田は、これまで幾度も聞かれたであろう定跡ともいえるような質問に対しても、納得がいく答えが出るまで心を精査しているのだろう。
郷田九段:
そうですねぇ、難しさ…………ねぇ……。
何か……そうですね。当たり前みたいな気持ちになってしまうのは、よくないですね。
悩みに悩んだ末に郷田の口から出てきたのは『当たり前』という言葉だった。
当たり前?
当たり前というのは、どういう意味の当たり前なんだろう?
それを確認する間もなく、郷田は話し続ける。
郷田九段:
当たり前っていうのは、プロの将棋にはないんですけど。やっぱりある程度結果が出たことで……本来プロの将棋というのはギリギリの勝負なんで、常にそういうところに向けて、慢心することなく悲観することなくという、そういう状態にいなければいけないと。平常心、それが保てなかったということです。
──当たり前、というのはつまり『勝って当たり前』とか、そういう……。
郷田九段:
そういう雑念が入ること自体が、あまりよくないと。
意外な言葉だった。
慢心。
そんなことがあるのだろうか?
郷田といえば序盤から大長考することで知られる。
そして、その指し手は常に『男らしさ』に溢れている。
決してブレることのない信念の男。それが郷田真隆という棋士なのではないのか。
──インタビューなどで、郷田先生は『信念』という言葉をよく使われる印象があります。自分を信じることができないと、つまり気持ちがフラついてしまうと、いい将棋が指せないと。
郷田九段:
そうですね。はい。
──それと慢心とは、やはり違うということでしょうか?
郷田九段:
ん……まぁ、どこか繋がるんだとは思います。常に紙一重の勝負なので、やっぱりそういう勝負をする者としての心持ちというものは、あるはずなので。そういうところでまだ、至らないなと思っています。
タイトルを持つことで、郷田の中の『自信』は知らず知らずのうちに『慢心』へと変わってしまっていた――
それが、長らくタイトルを防衛できなかったことの原因かもしれない。
しかし40代に入って、郷田は自分の心をコントロールする術を確立しつつある。それが初めての防衛に繋がり、現在の好調(郷田自身は否定しているが)に繋がっているのかもしれない。
メンタル面については理解できた。
次に私が尋ねたのは、将棋の技術面についてだった。
郷田は将棋の研究にソフトを使わないとされる。トップ棋士でそういった棋士は、現在では珍しいはずである。
だが現在、郷田の勝率は7割。ソフトを使って研究する大半の若手よりも、強い。
その理由を知りたかった。
──これはかつて金井先生との対談で述べておられたことですが、郷田先生は奨励会有段者の頃から将棋の真理をずっと追究してこられた。だから郷田先生の中では結論の出ている形というのがあって、それを若手が指してくることがあると。『ぼくの中では結論が出ていて具体的な手順も分かっている。だけど、それを平気で若手が指している。そういうこともあるんです。』(将棋世界2011年11月号)と……。
郷田九段:
アイデアとしては考えていたけど実際に棋譜としては残っていない手を指されることはある、ということですね。
──ということは、ソフトの影響によってそれまでの固定観念から解き放たれた今の将棋界というのは、ようやく他の棋士達も郷田先生の領域に踏み込んで来たと……。
郷田九段:
そう言うとちょっと、不遜な感じはしますけど(笑)。
苦笑を浮かべる郷田。
しかし、否定はしない。
そこにはずっと真理を追究し続けてきたという、誰よりも真摯に将棋に対して、そして自分に対して向き合い続けてきたという自信が感じられた。
郷田九段:
新しい手を見ても、自分が一度通ってきた、考えてきた手であれば、そこまで驚きはないということですね。ぼくにとっては。
──では今の将棋界は、郷田先生にとって戦いやすくなったということですか?
郷田九段:
いやいや! そんなことはありません。
私の誤解を、郷田は丁寧に解きほぐしていく。
その言葉を聞いて、私は郷田の言う『慢心』と『信念』の違いが少し理解できたような気がした。郷田は決してソフトを軽視しているわけでも、ソフトを使う棋士を軽蔑しているわけではない。
郷田九段:
ソフトが強くなってもならなくても、ぼくらプロの対局でやることは同じなので。準備をしてベストを尽くすということだけなので。
もちろん人間なんで、常に完璧ということは難しいかもしれませんけど、そこに近づこうとしているわけなので、その努力というものはこれからも変わらないし、姿勢も変わらない、ということですね。
将棋には、厳然として最善手というものが存在するので、そういうものを常に見詰めていくということです。
──最善手が存在する。つまり、答えは一つ?
郷田九段:
そうですね。答えはあるはずなので。それを見ていくということですね。それがどんなに大変な作業だとしても。
勝負に勝つということだけを考えれば、もう少し気が楽なのかもしれませんけれど、そういう風には、ぼくの主義としてはできないということです。
──それで長考が多くなると。
郷田九段:
そうですね。はい。
いつも最善手というわけではないんですけど、基本姿勢としてはそういうことです。
──金井先生が郷田先生に私淑するようになったきっかけは、ある対局の感想戦で仲間の棋士から悪あがきをするような手を指摘されて『そんな手を指すなら死んだほうがマシだ』と言ったからだと。
郷田九段:
ああ、ありましたねぇ。
──郷田先生は指せない手というのは、具体的にはどんな手なのでしょう?
郷田九段:
それは……説明するのは難しい。まぁ……ねえ。将棋の手として、プロとしてはありえないという手は、指したくないということです。
ここで私は一つの『郷田伝説』を思い出していた。
とある対局の序盤。
見学者がいたその対局で、郷田の指し手がピタリと止まり……結局、見学者がいなくなるまで指さなかったというのだ。見学に来た人々は、さぞ驚いただろう。
そのエピソードについて郷田に尋ねてみると、当時の事を思い出しながら、こう語ってくれた。
郷田九段:
学生さんが観戦に来てくれたときがあって。ちょっとぼくがまあ、相手を見た指し方、勝負に拘った指し方をしたんですけれども。
3手目なんですが、それが将棋の手としては最善手ではないので、子供たちが見ているときはちょっと指しにくかったな、ということはありました。最善手じゃないことはわかっているのに指すので。
結局、子供たちが退出してから指してしまったんですが(笑)。
──指した後、後悔したとか、尾を引くとかは?
郷田九段:
いやいや、そんなことはありません。勝負に勝ちたいというのは立派な考え方なので。そういうことを否定しているわけではありません。
プロである以上、勝負に徹するのは当然。
しかしこれから将棋を学んでいこうとする若者たちに対しては、真摯に最善手を追及するという気持ちで将棋に向き合ってほしいと望んでいるのだろう。
そんな郷田に、若い世代の棋士について尋ねてみた。
──郷田先生は四段で、しかも21歳という若さでタイトルを獲得なさいました。同じように五段から一気にタイトル獲得まで上り詰めた髙見先生のお気持ちがわかる部分はありますでしょうか?
郷田九段:
ん~~~そう、ですねぇ……まぁ時代もぜんぜん違いますしねぇ。うーん……わかるというとちょっと違うような気もしますが。
ただ、まぁ……タイトル獲得すると取材も受けたり、そういうことも増えるでしょうから。そのへんはわかるような気がします。
タイトルを持っていますと、将棋以外にもやらなければいけないことが多いので。生活は変わるでしょう。
──対局が中継されることが増えたり、新聞に観戦記が載るようになったりも?
郷田九段:
注目度も増えますね。
──ファンから見られることで、将棋が変化するようなこともあるでしょうか?
郷田九段:
ゼロではないと思います。
──では……その髙見先生と叡王位を争った、金井先生の戦いぶりはいかがでしたでしょう?
郷田九段:
スコアは偏りましたけど、非常に面白い内容でしたね。そういう将棋が多かったと思います。結果は、勝負事をやってるわけなんで、仕方がないですね。
──終わった後に、何か話されたりとか……。
郷田九段:
いやいや。そんなことはありません。
──金井先生は、今期はシード棋士として本戦からの出場となります。郷田先生と本戦で当たるかもしれませんね。
郷田九段:
その時は、盤を挟めばライバルですから。
感想戦終了後のユーザー向けインタビューでも、郷田は本戦で金井と当たりたいと語っていた。
後日、私は金井に対するインタビューで、この時の郷田の言葉を伝えた。
金井がそれにどう答えたかは、ぜひそちらのインタビュー記事をご覧いただきたい。必ず胸が熱くなるはずだから。
郷田は常に最善手を求めている。初手から将棋の真理を追究している。
その高邁な理想を貫き続けることは、郷田ほどの才能を持たなければ難しいだろう。
しかし金井のように、郷田に憧れ、その背中を追いかけることによってなら……間接的にではあるが、郷田と同じところを目指すことができる。
──最後に、ちょっとプライベートなことを……王将戦第1局直後のインタビューで2017年の調子について『必勝の将棋で二歩を打ったり。本当に噛み合わなかった。でも結婚して引っ越して落ち着いてから調子はあがってくる』と語っておられました。今年に入って高勝率なのは、やはりご家庭を持たれたからなのでしょうか?
郷田九段:
そうですね。今、調子がいいとは思っていませんけど、生活も安定しているので、そういうこともあるのかなと。
──ご結婚されて、生活はどう変わりましたか?
郷田九段:
雑事は妻がやってくれますので、勉強する時間は当然増えました。
──あのぉ……これはちょっと個人的な質問というか、もしアレならお答えいただかなくてもという感じなんですけど……。
郷田九段:
ええ。
──郷田先生の奥さまは、8歳下ですよね? 私は昨年、7歳下の妻と結婚しました。幸せですし、一緒にいると楽しいんですけど……でもこれだけ年齢が離れていると、性格以前にそれまで経験してきたことが違いすぎて、日々の生活がかえって大変になったなぁと感じることもあるんですが……。
郷田九段:
はっはっはっはっは! それは……いやぁやっぱりでも、ぜんぜん環境が違う生活をしてきましたんで『あれ?』と思うことはもちろんありますけど(笑)。
──でも、生活が変わってプラスになっている?
郷田九段:
そうですね。将棋に関しては非常に理解してくれているので。ありがたいです。
インタビューが終わる頃には、郷田の顔から真剣勝負の空気は消えていた。幸せそうに笑うその表情は、妻の待つ家へ思いを馳せていたのかもしれない。
ふと、こんなことを思った。
誰よりも将棋の真理を追究する郷田の心は、誰よりも遠く現実を離れ、盤上の彼方へと旅していく。
その苛酷な旅は、自分を信じることでしか成し遂げられない。少しでも疑念を抱けば、その瞬間に心はポッキリと折れてしまうだろう。だから郷田は強く自分を信じるが……過度な自信は郷田の心にある『信念』を知らず知らずのうちに『慢心』へと変えてしまう。
これまで郷田は、その紙一重のバランスを取ることができなかった。
しかしそんな郷田の心を現実世界に繋ぎ止めてくれるのが、家庭の温かさなのではないか……と。
ニコニコニュースオリジナルでは、第4期叡王戦本戦トーナメント開幕まで、本戦出場棋士(全24名)へのインタビュー記事を毎日掲載。
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