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行方尚史八段が約23時間にわたった中川大輔八段との“過酷な対局”を振り返る

 2004年順位戦B級1組、中川大輔七段-行方尚史七段戦(段位はいずれも当時)。この対局は持将棋、千日手と二回の指し直しがあり、終局は対局開始の約23時間後だったという記録が残っています。

 この長時間対局を経験した行方尚史八段がニコニコ生放送に登場。「(中川先生が最終的に)ワイシャツを脱いでランニング一枚になって武闘派を全面に出されて、そこで組み合いをやったら負けるかもしれないけど、将棋だったからなんとか僕が勝ったんです」「(対局の間の30分休憩では)対局日誌の河口俊彦先生とサッカーの話をした覚えはありますね」など当時を振り返りました。

左から、山口恵梨子女流二段、行方尚史八段

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23時間を超える“過酷な対局”の記録係を務めたプロ棋士が当時を振り返る「持将棋になってトイレに行けてホッとしました」

23時間15分の激闘を振り返る

山口:
 岐阜県の女性からのメールです。「行方先生は2004年順位戦B級1組の中川先生との対局で、午前1時35分持将棋【※1】成立、午前4時58分千日手【※2】成立、終局は午前9時15分、対局開始から23時間15分という激闘を経験されたと伺いました。対局相手の中川先生、当時記録係の星野先生からニコ生でお話を伺いましたので、行方先生のお話もお聞かせいただきたいです」
 「ちなみに中川先生は、外が明るくなってきているので、序盤を指していて不思議な感覚だった。身体が熱くなってきて、ワイシャツを着ていられなくなって脱いでいった。また星野先生からは、三回目の記録だったので、記録係というものはこんな感じなのかなと思った。実はトイレに行きたかったので、持将棋が成立したときはホッとした」ということでした。

※1 持将棋(じしょうぎ)
互いに敵陣に玉が入り、どちらも相手の玉を詰ます見込みがなくなった場合は、両対局者の合意で「持将棋」となり、無勝負とする。持将棋が成立するには、大駒1枚を5点、小駒1枚を1点として数え、両対局者の点数が各々24点以上なくてはならない。24点に満たない対局者は負けとなる。

※2 千日手(せんにちて)
同一局面が4回現れた時点で「千日手」となり、無勝負とする。尚、連続王手の千日手は反則である。なお、同一局面とは、「盤面・両者の持駒・手番」がすべて同一を意味する。

日本将棋連盟 対局規定(抄録)より

行方:
 (笑)

山口:
 「対局中の話、対局間の30分休憩の話、対局後の築地の寿司屋のビールの味など、様々なエピソードを伺えれば幸いです」ということです。いかがでしょうか?

行方:
 二人ともよく覚えていますね。

山口:
 ですね。中川先生、(上半身は)下着姿でしたっけ?

対局相手の中川大輔八段(右)
(画像は【将棋】第3期叡王戦 九段予選より)

行方:
 そうですね。もちろん対局開始時はスーツで、持将棋になって(中川先生が)ワイシャツになったのかな。今度、千日手になったら、ワイシャツを脱いでランニング一枚になって。

山口:
 なるほど(笑)。

行方:
 もう武闘派を全面に出されて(笑)。

山口:
 それで将棋やられても(笑)。

行方:
 そこで組み合いをやったら負けるかもしれないけど、将棋だったからなんとか僕が勝ったんですけど。僕がずっと一分将棋だったので、持将棋(になった一局目)のときにはたしか(23時から)2時間以上、一分将棋をやっていたと思うんですよ。だからトイレに立てないし、記録係はかわいそうですよね。

当時、記録係を務めた星野良生四段(右)
(画像は【将棋】第76期順位戦 C級2組より)

山口:
 でも……。

行方:
 トイレに行けないのはしょうがないんだけど、さすがに当時は星野四段も不慣れだったような。今なら多分全部コンピューターに記録を入力して。

山口:
 タブレットですね。

行方:
 当時、まだ記録用紙を三枚書かないといけない時代だったので、こんなに大変だったんだから、ある意味雑でもいいんじゃないかなと思ったけど、連盟のカウンターで記録用紙を一生懸命書き直している記憶がありますね。

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