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最強CPU将棋ソフト『水匠』VS最強GPU将棋ソフト『dlshogi』長時間マッチ観戦記 第一譜『水匠』杉村達也の挑戦

誰しもが予想しない形で決着となった長時間マッチ第1局

 そしていよいよ、イベント当日――8月15日を迎える。
 解説として登場する予定のプロ棋士たちも告知に協力してくれたため、事前の手応えはそれなりにあった。
 配信基地は、杉村の事務所である本八幡朝陽法律事務所のミーティングルーム。
 15時に佐々木が事務所へ到着し、配信の打ち合わせを始める。
 強気な佐々木は対局時の同時視聴者を「3000人は行くでしょう」と見ていた。

 16時からは、Zoomを使って開発者たちとのミーティングを行う。
 検討に使われるソフトは『Kristallweizen』。白ビールの愛称で知られ、水匠と同じく探索部にやねうら王が使われているソフトだ。

 16時30分。配信開始。
 まずはVTuberの真澤千星が司会をつとめる、水匠とdlshogiを紹介する番組が放送された。
 この時点で既にYouTubeの視聴者は1400人を超えていた。ニコニコ生放送でも同時配信していたため、実際の視聴者数はさらに多かったと思われる。

 解説者である佐々木と阿部が登場する頃には視聴者数が2000人を突破した。
 阿部は「定跡を使わずに戦うとのことなので、見たことのない将棋を見てみたい。終盤でどの程度、競るのか」と、世紀の一戦を前に興奮している様子だった。
 佐々木も「素晴らしいスペックなので、楽しみ」と、少年のようにワクワクしている。

 なお、マシンスペックについてである。
 dlshogi側は最新のGPUであるA100を8台。メモリは2TB。GPUの値段だけで1000万円を超える規模だ。
 一方、水匠のCPUは『Threadripper3990X』である。
 杉村が世界コンピュータ将棋オンライン大会で使用し、優勝したことで、その優秀さが知れ渡った、64コア128スレッドの世界最高峰CPUだ。『高級スリッパ』の異名を持ち、藤井聡太が購入したことで将棋ファンの耳にも馴染みがあるかもしれない。
 ただ、世界最高峰のCPUではあるものの、価格は50万円ほど。dlshogi側とは金額にして20倍もの開きがある。
 この差について、杉村はこう語っている。

「値段には差がありましたが、こっちも1000万かけたらもっと強いマシンが用意できるかというと、そんなことはないんです」

「Googleがクラウドで224コアのものを貸してくれるんですが、それよりもThreadripperを使ったほうが強いはずなので。個人で使えるという意味では、これがおそらく最善でした」

 そして17時。
 電竜戦理事長である松本の宣言によって対局が開始された瞬間の同時視聴者数は――3186人。
 どんどん増加していく視聴者数は、杉村の企画したこのイベントが予想を遙かに超えて成功したことを示していた。

 しかし増え続ける視聴者を焦らすかのように、先手のdlshogiは、なかなか初手を指さない。
 阿部が「定跡を切っているから長考するんですか?」と尋ねると、杉村はこう言ってそれを肯定した。

「お茶を飲んでいると思ってください」

 3分後。dlshogiはようやく初手を指す。
 角道を開ける7六歩だった。
 佐々木は「dlshogiは相掛かりを指すかと思ったけど……」と首を捻る。確かに、短時間の将棋ではdlshogiは初手に飛車先の歩を突く2六歩を指すことが多い。なぜ今回は違ったかについては、第二譜で開発者の山岡に語ってもらおう。

 水匠も長考で返す。
 阿部は「いつ終わるかすらわからない」と長期戦の覚悟だ。「手数は300を超えると思う」と、対局開始前に語っていた。
 その予想は意外な形で覆されることになる。

 スローペースな序盤を見ながら、解説役の佐々木と阿部は、親しげに言葉を交わす。
「アベケンは最近、人間界の棋譜を見ないの?」
「見てるけど、全ての棋譜は見切れない。ユウキは?」
「人間界中心で見てる。ソフトの対局は1日に50局とか入ってくるから追いつかない」
「人間界はどこまで見てる?」
「終盤はあんまり見ない。30手目くらいまで」
「それが効率のいい勉強なんだね」
 二人ともデビューから10年以上が経過し、若手から徐々に中堅へと移行しつつある。今後のプロ棋界の中心を担う世代の赤裸々なトークは実に興味深い。視聴者数も4000人を超えた。

 順調に増えていく視聴者数。
 そして後手の水匠の評価値も順調に増えていった。
 28手目の時点で水匠は自身に350点ほどつけており、これはコンピュータ将棋の序盤ではかなり高い評価【※】といっていい。
 序盤の立ち上がりを杉村はどう見ていたのか?

※評価値が350点離れた局面から水匠同士が対局した場合、計算上は8割以上の確率で350点リードした側が勝つと考えられるほどの差。

「水匠の勝ちパターンは、序盤でdlshogiに差をつけられないでついていくことです。具体的にはdlshogiが200点以下の評価値をつけたまま中終盤に入りたい。そうすれば逆転できる可能性が高いです」

「電竜戦システムでは、dlshogi側の評価値も見ることができます。序盤の評価値は、まあまあかな……くらいに思っていました」

「しかも矢倉の場合、持久戦模様だとdlshogiはムチャクチャ強いんです。しかし急戦だと……相掛かりや横歩取りに近い形だと、最後に読み抜けが起こる。だから戦型としては満足していました」

「最近は、dlshogi対水匠の将棋も教師として学習させています。すると水匠は、後手では急戦しか指さなくなった。持久戦が厳しいというのを学習し終わったのでしょう。学習段階でdlshogiの矢倉にボコボコにされているんでしょうね(笑)」

 戦型は、不満のない形になった。
 序盤の評価値的にも水匠は『自分が有利』と言っている。
 だが……盤上は不穏な空気が漂い始めていた。

 36手目。後手の水匠が9四歩と指すと、阿部は「先手がよく見えてきた。怖いところがない」と言う。
 佐々木も「私も。水匠がどうするか?」と同意する。

 対局開始から1時間が経過した18時。同時接続者4266人。
 41手目まで進んだ局面では、まだ形勢ははっきりしなかった
 水匠の指し手にも違和感があるが、dlshogiも飛車をかなり狭い場所に移動させており、プロ棋士的にはどちらもぎこちない指し方に映るようだ。
 しかし杉村は途中で画面に登場して「さすがに嘘じゃないですかね?」と、水匠の評価値に疑問を呈している。

「途中で水匠が300点くらい『自分がいい』と言い始めたんです。けど、局面としてはそこまでよさそうではない。dlshogi側がそんなに読めていないのに水匠だけがそこまではっきり『自分がいい』と言うのは、ちょっとおかしいぞと……」

「本当だったらいいなぁと思いながら見ていたんですが、その評価が変わらない。それで、これはおかしいぞと思って、読み筋を見たら――」

 そして冒頭のシーンに繋がるのだ。

 42手目。水匠は飛車先の歩を突き捨てて、4枚目の歩をdlshogiに献上する。
 もはや誰の目から見ても水匠の指し方がおかしいのは明白だった
 佐々木が「水匠は歩をたくさん渡してるけど大丈夫ですかね?」と不安そうに言えば、阿部も「駒落ちの上手の指し方になってる」と、水匠の指し手の不自然さを指摘する。

 44手目。
 水匠が5四歩と中央の歩を突いたとき、杉村は再度配信画面に登場して「すみません! ちょっと致命的なものでして……」と、事態の説明を開始した。
 やねうら王に存在する『バグ』の説明を。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)

「読み筋を見たら『8三飛成』というのが表示されていまして(苦笑)」

 成れるはずのない後手の飛車が、成っている。自分の陣地の中で……。
 このタイミングで発生したことに阿部は「え!? それは致命的ですね……」と驚愕し、佐々木は苦笑するしかなかった。
 読み筋の中だけとはいえ、この読みを前提にして水匠が思考している以上、いずれどこかで評価値がガクンと落ちるのは明白だ。将棋は既に終わっている。

「あの……知ってたんです。飛車成があるらしい、ということは」

 杉村は事前にこのバグを知っていた。
 知っていたどころか、解説役の阿部からバグの含まれた画像のスクリーンショットを送られて相談を受けたことすらあった。

「その時、やねさん(磯崎)にも相談したんです。けど『どうせハッシュが少ないんでしょ』とか『探索部を新しいバージョンに変えてみたら?』といったアドバイスで……私も自分の環境では阿部先生からいただいた局面で飛車成のバグを再現できなかったので、まあそんなもんかな、と考えていたのですが……それで今回『私もなるんかい!』と(笑)」

「ハッシュの衝突が起こっているだろうことは何となくわかりました。でも原因がどこかはわからないし、ましてや修正するのは……そもそも動いてる途中でバグが出ちゃったんで、どうしようもないですよね。対局を止めるわけにはいかないし……」

 存在は知っていたものの、遭遇するのは初めてのバグ
 しかも今回、水匠だけではなく、別のパソコンで動かしている検討用ソフトも同様のバグが発生していた。読み筋の中に表示される8一飛成という文字……。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)

 これだけ見れば再現性は高い。
 杉村は混乱していた。「いやぁ緊張感がヤバい」「どういうことなの……」「メッチャ面白いですね! いや、失礼」「白ビールが味方になってくれた? そんなことある?」と、まるで未知の手に遭遇した棋士のように画面の中で矢継ぎ早にボヤく。
 配信のコメント欄も盛り上がっていた。
 バグの存在を知っているというコメントもあり、検討用にソフトを使用している将棋ファンの中にはこのバグに遭遇した人がそれなりの割合でいることを示唆していた。

 杉村がバグの説明を終えた頃には、時刻は18時20分になっていた。
 予告された渡辺名人の登場まで、あと10分。
 決断を迫られた杉村は、イベントの運営に協力してくれていた開発者たちと協議する。

「このまま続けるか、それとも第1局を早く終わらせたうえで持ち時間を短くしてすぐに第2局を始めれば、それが終わるまで解説していただけるのではないかとか……」

「残念ながら飛車成のバグを引いた時点で将棋は終わっていたので」

「あまり(配信画面に表示される視聴者の)コメントを見られる状況ではなかったので、どれだけの人が『投了しろ』と言っていたかはわかりませんでした。ただ、続けて欲しいという人はそんなにいないと思っていて……」

 開発者権限での投了。
 それしか道はないと理解しつつも、杉村はなお、それをしたくないという思いがあった。

「『AWAKE』の2八角がありましたから……」

 AWAKEは、2014年に行われた第2回将棋電王トーナメントで優勝したソフトだ。
 そして翌年、電王戦FINALにて将棋ソフト側の大将としてプロ棋士の阿久津主税八段と対局した……のだが、実はAWAKEには弱点が存在した。
『2八角戦法』と呼ばれる当時流行したアンチコンピュータ戦略の一つで、後手を持った将棋ソフトの角がボロッと取られてしまうハメ手である。
 AWAKE開発者の巨瀬亮一は、そのハメ手を指されると、開発者権限で投了した。わずか21手での投了は、大きな反響と様々な議論を巻き起こした……。

「あの時にニコ生で流れたコメントは、見ていてけっこう辛いものがありました。それから久しぶりにバグを引いたコンピュータ将棋になったわけですけど……」

 この時のことは後に映画の題材にもなったが、投了に賛否両論あったのは確かだ。
 今回、外野からは「早く投了して次の勝負を始めろ」という声もあったが、AWAKEのこと、5000人に迫る視聴者のこと、そしてこの対局のために杉村が費やしてきた努力を思えば、投了という選択は簡単にできるものではない……。

 18時32分。
 予告された時刻より2分遅れで渡辺名人が登場すると、視聴者数はさらに伸びて、遂に5000人を突破した。
 とはいえ、将棋は既に解説をするような段階ではない。
 放送再開時、63手目の評価値は先手のdlshogiが2410点と勝勢を断言しており、水匠も反省して先手良しと言い始めていた
 現局面を解説しようがない佐々木と渡辺は、まだバグの影響が及んでいない序盤を振り返っていく。
 佐々木は「この将棋、間違いなく指されると思うんですけど。1週間後くらいにプロでも……」と話を振る。
 しかし渡辺の答えは「俺は出ないほうに賭ける」だった。

「だってこれは矢倉じゃないから。これをやるなら最初から相掛かりをやる。人間で矢倉を指す人は、厚みを活かした地上戦を得意としているベテランが多い。乱戦が得意な、若手同士の将棋で出るかどうかだね」

 極論として、人間が戦法を選ぶわけだからさ……鋭くそう分析する渡辺の言葉に、電竜戦システムを管理しながら配信を見ていた松本は深く感じ入っていた。

「中国のことわざに、『速い馬がいても、その実力を認めてくれる人がいなければ実力を発揮できない』というものがありますが……やはりプロの先生の解説があってこそ、将棋ソフトの凄さや面白さというのが見る人に伝わるんだなと思いましたね」

 渡辺に出演を依頼した杉村は、パソコン選びやソフトの設定を手伝った時のこともあり、また別の感想を抱いていた。

「……渡辺先生のセッティングって、本当に初期セッティングのままで、パソコンの性能を活かせていなかったんです」

「その渡辺先生が、新しいパソコンも購入して、dlshogiとNNUEの評価の両方を見られるようにした。今までも本格的だったかもしれませんけど、相当本腰を入れて……という感じかもしれませんね」

「それで今後、今までの将棋と何か差が出てきたら……いいなぁ、と思います」

 たとえ千里を走る名馬がいたとしても、それを見抜くことができる者がいなければ、並の馬と同じようにくだらない労役にこき使われて千里を走る前に死んでしまう。
 いかに高性能なソフトを高価なパソコンで動かしたところで、平凡な使い方をするのであれば……何も変わらないだろう。
 渡辺はこれまで自身が名馬として将棋界のトップを走り続けてきたが、これからは将棋ソフトをいかに使うかも問われることになる。

 75手目。
 dlshogiが9四成香を指した時点で、杉村は開発者権限で投了を選択した。
 責任者である松本も、視聴者に向けてメッセージを発する。

「このままでは不完全燃焼でしょうから、dlshogiが先手番の第3局を実施したいと思います。第2局以降の持ち時間を短くする設定もすぐに行います」

 18時53分。
 歴史に残る長時間マッチの第1局は、dlshogiの勝利となった。
 誰も予想していなかった形で。

 

 ……イベント後に行ったインタビューで、さすがに疲れた表情を見せながらも、杉村は大きな達成感を抱いていた。

「今回の目標は達成しましたし、私としては今回みたいに『精一杯やってみたらどうなるのか?』という実験でもありました。それでとってもご注目いただいたので、満足しています」

 イベント後、1ヶ月でチャンネル登録者数は2200人まで伸びた。目標の倍以上だ。
 財務基盤も整い、それを大会の賞金に回せば、開発者たちにとって電竜戦はさらに魅力のある大会になるだろう。

「コンピュータ将棋の開発って、とってもお金がかかるんです。賞金が出るのであれば『その金額分くらいは強くしよう』と思えるでしょうから」

 それに加えて今回のイベントが世の中に大きなインパクトを与えたのは、ディープラーニング系の将棋ソフトの強さだ。
 もともと序盤の力には定評があったが、長時間でその力がさらに際立っているように見えた。

「最近、ネット上でもdlshogiについて話題にする人がすごく増えた印象です。今回のことでもっと増えると思います。だからディープラーニング系を普及するチャンスではあると思うんですけど……」

「山岡さんには、とっても負担だと思うんです。『dlshogi、動かない』みたいな反応も多いので。そういうところをどうやって普及していくのか……しかも無償じゃないですか。普及も大事ですけど、生活だって大事です。難しい部分だと思います」

「私は、dlshogiが無料で公開されたら、まず『ありがとうございます!』とお礼を言って、『dlshogiこんな感じです! 勝率はこんな感じです!』みたいなのを出して、フィードバックする。それが役目だと思っています」

 では今後の将棋ソフト開発のために、賞金の他に何が必要なのか?
 私の問いに、杉村はこう答えた。

「フィードバックが欲しいんです。『将棋AIは~』とかだけじゃなく、『水匠は』とか『dlshogiは』と、ちゃんと言ってほしい」

「開発者の中には『名前すら言わないのは何なの?』と思っている人もいます」

「使ってみた感想を言ってほしいんです。『水匠ぜんぜん読み筋ダメじゃん!』みたいなことでもいいので、名前を言ってほしい。それだけでもいいので……」

 使用しているソフトについて言及するのは、プロにとっては自分の研究を知られてしまうリスクを負う可能性がある。そのことは杉村も理解している。
 今後も棋士たちとの交流を続けていくのだろうか?

「もちろんです! ただ、ちょっと私が出しゃばりすぎですよね……本来、ディープラーニング系のことであれば山岡さんですし、ソフトを使った勉強法や棋譜などを解析するのは『PAL』の山口さんや『Qhapaq』の澤田さんが詳しいわけですから、そういった方々とお繋ぎするようにできたら……と。そういう気持ちは、とってもあります」

「私や、電竜戦プロジェクトにコンタクトを取っていただいた場合は、どなたかに『こんな依頼が来たけど、やってみます?』と話を振ったり。そうやって交流の輪を広げられたらと」

「CSAは世界コンピュータ将棋選手権の開催に手一杯な部分もありそうなので、電竜戦のほうが足が速い部分はあると思います。面白いことがあればやってみて、失敗したら修正する。そんな感じで両方が補い合うように発展していくのが理想でしょうか」

 さすがに今回のような大がかりなイベントをすぐに開催できるような元気はまだ回復していないが、「ちょっと疲れました(笑)」と言いつつも、杉村の目は少年のように輝いている。

「今回の結果には満足しています。今後も楽しいことができていけばいいなと!」

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