いま囲碁界で起きている”人間とAI”の関係──「中国企業2強時代」「AIに2000連敗して人類最強へと成長」将棋界とは異なるAIとの向き合いかた
パーセンテージと目数
──ところで、囲碁AIは形勢をパーセンテージで表示するんですか? 将棋AIは点数ですけど……。
大橋:
囲碁は黒の勝率55%というようにパーセンテージですね。でも、そこも最近、変わってきている部分なんです。パーセンテージに目数のパラメーターを加えたのがゴラクシーで。すごく上手く組み合わせて強くなっているんですね。
──2つのパラメーターを組み合わせるんですか!
大橋:
そうです。囲碁は地を多く取ったほうが勝ちのゲームです。今までのAIでは黒勝率90%と言っても、50目勝ちなのか1目勝ちなのかわかりませんでした。
勝率90%で1目勝ちの場合、小さなミスひとつで簡単に逆転されます。AIはミスをほとんどしませんから勝率90%ですが、人間はけっこうミスをしますから、その場合、全然90%ではないですね。ゴラクシーでは黒の勝率90%で1目勝ちなどというように、より人間の思考に近い形で評価してくれるのです。
ちなみに、もう一つ、『カタゴ(KataGo)』というAIが登場してて。これはフリーのオープンソースで、いろいろな開発者が改造しているので、将棋ソフトで言うところの『やねうら王』みたいな感じのものです。
オープンソースだと、去年までは『リーラゼロ(Leela Zero)』が一番人気だったんですけど、今はカタゴがリーラを超えて人気になってるんです。このカタゴがやはり目数を示すAIなんですね。
──何目勝ってますよ、みたいに示してくれるんですか?
大橋:
そうですそうです。最近のトレンドはゴラクシーとカタゴで、オープンソースの中ではカタゴがどんどん上がってきてるという感じです。
──目数の計算ができるということは、つまりディープラーニングの弱点とされていた終盤力が強化されているということでしょうか?
大橋:
はい。もともとディープラーニングが得意なのは画像認識。囲碁をドット絵のように認識してその局面が勝ちか負けかを直感的に認識していた。目数も出すためには深い探索が必要で、学習時からそれをやるには、技術的に難しかったんです。でも、上手くやればそっちのほうが強くなることがわかってきて。
それもやはり、人間の思考をトレース……とまで言えるかはわかりませんが、人間型のAIを作るということを目指す。そういう方向性です。
──では……アルファ碁が出てきてパーセンテージで評価値を考えるようになった若手たちが、今はまた目数で考えるようになってるということですか?
大橋:
そこは難しいところで……カタゴやゴラクシーは、パーセンテージと目数の両方のパラメーターを合体させて、形勢判断をしているんです。
しかし目数の表示が細かすぎて、第一候補と第二候補の差が0.1目くらいしか違わないんですよ。
──1目とかじゃなくて、小数点以下の差なんですね!
大橋:
さらに第一候補から第十候補までで目数差が1目くらいなことって、よくあって。
──うわぁ……それは、どれを選んでいいのかわからないですね……。
大橋:
具体的に言うと……僕の場合だと、序盤はパーセンテージで捉えます。終盤に行くほど目数になっていくという感じでしょうか。
序盤で1目しか違わない第一候補から第七候補くらいまでの差を捉えるのって、人間には難しくてですね(笑)。
でもパーセンテージだと7%くらい違うかもしれない。49%と56%だったら、けっこう違いますよね?
──コンピューターがパーセンテージや目数といった明確な数字で形勢を教えてくれることで、人間の学習効率は上がったのでしょうか?
大橋:
やはり目数があったほうが、かなり学習効率は上がるのではないかと思います。AIが70%と示していたとして、10目勝ってる70%と、1目差だけど70%だというのは、自分の頭で考えないとぜんぜんわからなかった部分なので。
けど、『これは1目差だけど70%なのか~』とか『これたくさん石を取れるけど……70%しかないんだ!?』とか。
──それは……どっちの70%を選びやすいんですか?
大橋:
状況によりますね。たくさん石が取れる場合でも、一手も間違えずに打ち続けた結果、相手の石を取ることで勝てる……みたいな場合もありますから。一手でも間違えれば評価がガクンと落ちたり。
──なるほど。1目差の場合でも、そんなに紛れがなく勝てるのであれば、むしろ安全という場合もあるんですね。そこは将棋とも変わらない……。
大橋:
いわゆる『評価値ディストピア』ですね(笑)。将棋ソフトでも、数字とパーセンテージを組み合わせたらより強くなる……なんてことも、ありそうですけどね。
囲碁で言う目数を将棋に置き換えて考えると……例えば短手数勝ちを目指す光速の寄せに特化したAIとかどうでしょう。
──なるほど……。
大橋:
あと、ゼロタイプのディープラーニングはコストがめちゃくちゃかかるんです! だから将棋AI開発者のみなさんに効率のいい方法を考えてもらって、それを囲碁にも応用できたらなとか思ってるんですけど(笑)。
──コスト……というのは、開発にお金がどのくらいかかるかということでしょうか?
大橋:
アルファ碁を開発したディープマインドという会社は、開発のためにGoogleからサーバーを借りていて、その金額は3500万ドル! という記事を読んでびっくりしました。
──え? 1ドル110円として……およそ40億円!? ええー!? ディープラーニングでの開発って、そんなにかかるんですか……?
大橋:
とにかく資源が莫大なので。アルファ碁ゼロでいうと、TPUを2000基。Facebookも、『エルフ(ELF Open Go)』というAIを作るためにGPUを2000基使いました。僕たちがGLOBIS-AQZを作ってるときも1000基くらい使っていたんです。
──1000!! そ、そんなに必要なんですか……?
大橋:
1000基って、日本でできるところもほとんどないくらいで……。
──では、海外のクラウドを利用して開発していたんですか?
大橋:
いえ。産総研(産業技術総合研究所。経済産業省所管の公的研究機関で、1000億円程度の予算を持つ日本最大規模の国立研究開発法人)です。大規模AIクラウド計算システムの『ABCI』を使わせていただきました。
──産総研のABCI……ふむふむ、2018年時点で世界5位の性能を持つ大規模クラウド型計算システムですか。高性能のGPUを4352基も搭載していると……こんなものが日本にもあったんですね!
大橋:
V100という当時最高のGPUが4000基以上もある環境で、約1年ほど使わせてもらいました。我々は最大時で1000基ほど使わせてもらっていて、ありがたかったですね。
ただ、そのGLOBIS-AQZの開発も、今はストップしています。今、日本では企業が主体になった大規模な開発は行われていなくて、将棋のように個人の開発者の方々の努力に頼っている状態です。
開発者の方々と話していると、いろいろと技術の話で盛り上がるんですが、最後には『日本、大丈夫か!?』となってしまうのが定石で……(苦笑)。
──しかもそうやって作ったソフトより絶芸は強いんですよね? いったどのくらいの資源を投入しているのか……まさに、IT業界における中国の桁外れの強さを象徴している……。
大橋:
囲碁は大きく分けて日本ルールと中国ルールがあります。GLOBIS-AQZは、日本のコミ6目半というルールに対応した囲碁AIです。
欧米では、TikTokのように中国の開発したアプリを使用禁止にする例もありますから……今は海外の囲碁AIが使えたとしても、いつ使えなくなるかはわからない。
──そういった時のためにも、自国で開発することは大事なんですね! ……とはいえ開発にコストがかかりすぎるのも困るし、難しい問題ですね……。
囲碁界でも「○○は終わった」!?
──現在の最強ソフトは中国産のものだとすると、日本の棋士が使用するソフトもやはり、海外のものが主流なんでしょうか?
大橋:
そうそう、そこなんですけど! 最近ゴラクシーの企業が新たなサービスを始めて。すごく強いサーバーに、手軽につなげられるサービスが出てきたんです!
これまで日本の棋士は、クラウドに接続するためにちょっと苦労してたんですけど……。中国は囲碁の市場がものすごく大きいので、AIを手軽に使えるサービスがいくつかあります。AI搭載の碁盤まで登場していますし。
──それ、おもしろいですね!
大橋:
そうなんですよ! 自分で50万円くらいする最新のGPUを買う必要もなくなってきました。
──場所も取らないですしね。それは日本語で契約したり、操作をしたりできるんですか?
大橋:
いえ。中国のアプリなので……一応、日本語になるんですけど若干翻訳が怪しくて。中国語から意味を推測したほうが……。
──海外アプリあるあるですね。
大橋:
みんな手探りでやってる感じです。ただ日本だと、そのアプリを使用するのはプロ棋士か、棋士に近い棋力の人ですね。
──中国では、アマチュアの囲碁ファンもたくさん利用しているサービスということですか?
大橋:
とにかく今、中国の囲碁市場というのが大きいんです。だから中国の大企業が、囲碁AIの開発に力を注いでいるという背景もあると思います。
──将棋界ではソフトが登場したことによって、プロとアマチュアの差が縮まっているという指摘があります。囲碁ではどうでしょう?
大橋:
囲碁は、藤沢さんや上野さんといった女流棋士の活躍が顕著ですね。あと、AI好きの中堅棋士が復活したとか……そういうことが起こっている段階だと思います。
全体的な層が厚くなっているのは感じますね。みんな布石が上手くなったので。AIと研究することで、まず布石が最も恩恵を受けやすいようなんですね。序盤、中盤、終盤の一致率を調べた論文までありますし。
今まで『碁は芸だ』という発想だったんです。強い人と戦うと、いつのまにか形勢に差をつけられている……みたいなことが、最近は少なくなってきました。勉強熱心な棋士同士だと序盤がパターン化されてしまっていて。
今まで上位にいて、楽に勝てていた人が、なかなか勝てなくなってきている。そういうことはありますね。
──序盤がパターン化されているというお話がありましたが、そうなると誰もが似たような碁を打つということでしょうか?
大橋:
光ってるところ……つまり第一候補はもうみんな知ってるんですよ。だから光ってないけど実は有力だっていう手を探し出して、学習するという棋士が、いい成績を残している気がします。そういう手って意外といっぱいあるんですよ。
──将棋界でも、渡辺名人が囲碁界からその方法を学んで勝っていました!
大橋:
自分よりもちょっと強いかな? という人と当たった時に、自分だけが研究している勝ちパターンへ誘導する。そういう方法を取っている人が多くなったなと、棋譜を見ていると思いますね。
現在のAIは自己対戦して強化学習していく方法で強くなっているんです。けどそれだと、AIが好きなパターンに偏ってしまうんですね。
──将棋だとまさに、水匠が居飛車に偏らせることで対ソフトの勝率を上げていました。
大橋:
小目から小ゲイマジマリという碁を、人間は打っていた。ところがAIは二間ジマリの碁ばかり打っている。だからずっとここ数年は二間ジマリ全盛だったんですけど……最近になって絶芸やゴラクシーを見ると、別に小ゲイマに打ってもそんなに変わらない。
ただ、二間のほうが好みなので、0.3%くらい評価が高いかなと。そういうことで、あえて小ゲイマを研究して勝っている棋士もいますし。
──ディープラーニング系のソフトがどんどん強くなっていくことで、最善手……いわゆる光っている手が変わっていくことというのはあるんでしょうか?
大橋:
それもよくありますね。ただ……少しずつ少しずつ変わっていくのでよく見てないと気づかないレベルです。
──そうなんですか!?
大橋:
まだ進歩の過渡期……というか、ほんの初期だと思うんです。
まだまだぜんぜん強くなると思います。あ、そうそう。ゼロタイプって、半目差で勝つのが得意なんです。
──つまり、ギリギリ勝つように作られてる?
大橋:
ええ。でもゴラクシーは、そうやってギリギリ勝つよりも、最大差を目指して勝つほうが強くなるという考えのようで。極端に言えば、アルファ碁ゼロタイプは『100回対局したら100局とも半目勝ち』を目指しますが、ゴラクシーは『この1局を100目差で勝つ!』みたいな感じなんです。
──ものすごく極端な変化!
大橋:
囲碁AIは星と小目でいつも迷ってるんですが、ゼロタイプは星が好きなんです。星は昔から『バランスの一手』と人間のあいだでも言われていて。
しかし最近の、目数のパラメーターを持つゴラクシーやカタゴは、小目を選ぶのがどんどん増えているんです。小目を打つと戦闘的な囲碁になるんです。
──目数のパラメーターを加えたことで終盤に自信を持ったから、戦闘的になった……ということなんでしょうか。
大橋:
因果関係は証明できませんが……開発者の方にそれを言うと「偶然でしょう、そういう物語を見つける人間の思考が興味深いです」と言われたこともあります(笑)。
アルファ碁の影響で、人間界でも星に打ってダイレクト三々に入るという手が流行ったんですけど、今は星が減って小目が増えてきたという状況です。
2年くらい前に、海外の棋士が『小目は終わった』と言ったそうなんですが――。
──あれ!? どこかで聞いたことがありますよ!?
大橋:
日本の囲碁棋士は、増田康宏さんのような過激な棋士はいないんですけど(笑)。ただ今後はまた『星は終わったか』と言われるかもしれません。
──ははは!
大橋:
こんな感じで、どんどん循環しながら、少しずつ変わっていくんだと思います。
──ディープラーニングの登場で囲碁は大きく変わったというイメージがありましたけど、長い目で見るとそれほど変わっていない……というか、本当にまだまだ囲碁のほんのちょびっとしか解明できていないんですね。
大橋:
僕、GLOBIS-AQZの開発をしていた時に棋譜を何千局と見たんですけど……自己対局で100万局くらい打つと、新たな一手を発見して、難解定石で新手を打ち始めるんです。でもまた100万局くらいやると『やっぱりその変化ダメだ』と元に戻ったりして……。
AIは賢いのか賢くないのか、よくわかんない(笑)。
──じゃあ初手に天元を打つようになるのは、まだまだ先ですね。
大橋:
そこ、打ってほしいんですけどねぇ。でも今のAIは囲碁全体を解明してるかという視点で見ればまだ幼稚なので……あと10年くらいしたら打ち始めるかもしれません。人間で言うと100万年分くらいの経験をしたら。
──そう聞くと、確かにAIは賢いのか賢くないのか、よくわからない(苦笑)。
AIに2000敗して世界チャンピオンになる
──少し話は変わりますが……囲碁の先生からご覧になって、将棋界はどう見えますか?
大橋:
AIから学んでいる歴史は、将棋のほうが5年くらい早いと思うんです。
──将棋ソフトのほうが、人間を超えるのが早かったですからね。
大橋:
将棋のほうが研究が勝敗に直結するのは、同じ棋士として大変そうだなと。
研究通りにお互いノータイムで終盤まで突入して、しかも研究の差で決着がついてしまうことすらあるじゃないですか。囲碁は研究通りにならなくても、致命傷にはならなくて。だから将棋の先生のほうが、研究には命懸けという面があるんじゃないかと……。
──ゲーム性もあって、将棋は確かに囲碁よりシビアな感じはありますよね。一手でも間違えたら負けますし……。
それもあってか、囲碁の世界はゆったりして見えます。囲碁には椅子対局がありますよね? あと、トイレ休憩があると聞いたことがあるんですが。
大橋:
時間を止めてトイレに行くことはできます。ただ、相手の手番じゃないと時間は止められません。
──なるほど! それなら不公平じゃないですね。
大橋:
椅子に関しては、囲碁は世界戦がメジャーですからね。中韓の棋士にとって、正座の習慣はないですし……。
──世界への広がりが、囲碁にはあって将棋にはないものかなと思います。特に中国はAI技術の進歩も相当なものですが、中国の囲碁棋士も同じように急成長しているのでしょうか?
大橋:
中国と韓国はすごいですね。トップ棋士がAIを吸収する早さに関しては、中韓のトップはすごく早かったなと。もともと強い人のほうが吸収しやすいという面もあると思うんですけど……。
──やはりその二国では、囲碁人気は相当なものなのでしょうか?
大橋:
韓国は今、少し下火になってきている面があると思いますが、中国はすごいですね。囲碁教室をやると、一つの教室で生徒が数千人いるとか。全部合わせると数百万人とか。
──ええ!? そんなに……?
大橋:
僕も一昨年、囲碁AIの大会のために中国に行ったんです。そのAIの大会は、大きな囲碁大会の一部として行われたんですが……そっちは一週間ぶっ続けで囲碁を打ち続けるみたいな。巨大な体育館のような会場が3つくらい満席。パネル展示スペースもあってのべ10万人くらい動員しているんじゃないかと。
──コミケみたいですね!
大橋:
プロの人数までは把握していないんですけど……中国は、プロになるのはそんなに難しくないんですよ。そこから国家チームに入るのが大変で……。
僕たちが棋譜をよく見ているのは、国家チームのトップの人たちのものです。中国には野球やサッカーみたいに、北京や上海や杭州などにそれぞれプロがいて、それぞれの地域から代表を出して団体リーグ戦をやるんです。そのトップは甲級リーグと呼ばれていて。
──ほうほう……下位リーグには乙級と丙級もあるんですね。甲級から乙級に落ちたりと、サッカーのJリーグとほぼ同じようなシステムなのか……これは確かに人気が出そうです!
大橋:
競争は激しくて、トップはものすごく稼ぎますけど……リーグの選手に入るのが大変で。リーグに入れないと、アマチュアに戻って大学に入って囲碁の先生になったり、まったく違う道に進んだりもします。
──中韓以外で、囲碁が強いのはどこの国なんでしょう?
大橋:
伸びてる地域は、たとえばヨーロッパならドイツ・イギリス・フランスあたりは囲碁が盛んなイメージですね。あと強いのはロシア!
──ロシア!?
大橋:
ロシアやウクライナには何人かプロ棋士がいます。あのあたりはチェスの文化が根付いていますし。
──東欧はチェスがすごく盛んだと聞いていますが、囲碁も強くなってきてるんですね!
大橋:
突き詰めてゲームを考える気質のある人が多い印象です。しかしまだまだ競技人口が少なくて、強い人も少ない。そうなるとAIやネット対局で強くなっていく。
──ここでもAIの影響があるんですね。
大橋:
ヨーロッパでは10年ほど前にCEGOというのができてプロを採用しています。プロになった人たちは中国で勉強したり賞金付きの大会に出たりして、ヨーロッパに帰ってからは教室の先生をするとか。実力的には日本の中堅棋士と同じくらいでしょうか。
──強い! ここでも中国が進出しているんですね。
大橋:
僕もロシアで打ったことがあります。数年前の時点で定先【※】でかなりいい勝負でした。
そういえば、僕も海外から来た子を預かったことがあったんですが……正座ができないって、帰っちゃって。
※コミなしの最小ハンデ戦。
──そうなんですか!?
大橋:
なかなか……ねぇ。そのときは僕も頭が固かったかもしれません。『正座椅子とか使うのはどう?』と提案したりして、少しずつ正座に慣れていってほしかったんですが……。
──う~ん。正座という日本文化はやはり棋道の普及の大きな壁になってしまっているんでしょうか……。
大橋:
しかし逆に、それに憧れて日本に来ることもあるんですよ。
──え!? 正座しに?
大橋:
日本まで来て囲碁を学びたいと言う人は、そもそも日本の文化そのものが好きだったりするんです。お茶やお花とかあとはやっぱり、日本のアニメが好きだったり(笑)。
──なるほど! 囲碁が好きなだけなら中国や韓国でもいいわけですからね。
大橋:
中韓は勝負にカラいイメージです。さっきの、中韓のトップ棋士がAIを吸収するのが早かったというにのも繋がるんですけど……。
──ほほう?
大橋:
中韓の棋士のほうが、勝つためにAIの手をコピーするのにためらいが無いんです。逆に日本棋士は、そこに自分の工夫を入れたがる。井山さんも自分のアレンジを常に加えようとしている気がします。
──そこは共感できますし、将棋でも30代くらいのトップ棋士はそういう傾向があるような気がします。
大橋:
しかし中韓の棋士は、勝つためにシビアに数字を追い求める。1%でも数字を上げるためにAIの示す手をコピーし、それに徹する。そういう違いは感じますね。
──強くなろうという意志が、桁違いなんですね……。
大橋:
ちょっと恥ずかしい話なんですけど……インターネット対局場だと、AIを使ったカンニング対局は問題になってます。先日もとあるサイトでBan祭りがあったようですし。
──それは将棋でも問題になっています。ソフト指し検出器なんかも登場してますが、イタチごっこになってしまいますよね。
大橋:
ただ、囲碁のプロの中には『強い相手と打てるなら人でもAIでもどっちでもいい』と開き直る棋士もいます(笑)。
──強い相手と戦いに来てるんだから、相手がソフト打ちだろうと関係ないと。
大橋:
囲碁のほうが、AIと対戦するアレルギーは少ないのかもしれません。AIが好きな人は、AIに負けることに全くためらいが無い。以前、AIに2000連敗して世界チャンピオンになった棋士がいるとお話ししたことがあるんですけど、最近のAI好きな棋士は1000局くらい対戦してる人が多いんです。
──検討するだけではなく、実際にAIと打つんですか!?
大橋:
そうですね。研究に使うだけがいいのかな……と思っていたんですけど、打って負けるというのも相当いいみたいで。実は私も見習って200局ぐらい打ちました。四桁はまだ遠いですが。
──へぇぇ~! 将棋の世界だと、AIの攻めがあまりにも鋭いので、受けばかりになって自分の将棋が壊れてしまう……という意見もありました。
大橋:
ネット碁を観察してみると、毎日毎日挑む棋士がいます。どの対局サイトでも、常駐してるAIがいるんですが、それと対戦する。
──自分のパソコンのソフトではなく、敢えて公開の場で打つわけですか?
大橋:
やっぱり向こう側にしっかり設定してくれたAIがいてくれるっていうのも、いい面があるんです。いろんな人に見られてるのも、いい影響があるのかもしれません。
──将棋の世界では最近、YouTuberになる棋士が増えていますが、見られている中で将棋ウォーズなんかをやって成績を上げている人もいます。
大橋:
やっぱり棋士は、見られてる碁をいっぱい打ったほうが強くなってる気がしますね!
──しかし……ほぼ、負けるわけですよね? 衆人環視の中で、プロがAIに負ける。怖くないんでしょうか?
大橋:
勝ち負けはどっちでもいい。何か得るものが一つでもあれば……そんな気持ちで対戦していますね。9割方、負けるんです。でもたまに勝つことがあって、それでファンが付くこともあるみたいです。
──たまに勝つ場合というのは、どんな打ち方をしているんでしょうか? アンチコンピューター戦略というのが将棋の世界ではかつてありましたが……つまり、AIの穴を突く。
大橋:
僕も昔、コンピューターの穴を突くようなこと、やったことがあります。でもAIと打つ人は、強くなりたいっていう気持ちが強い人です。アンチコンピューターでやっても、その形だけのハメ手なので他に応用できません。なので普通に戦います。
──その場合、どうやって勝つことが多いんでしょう?
大橋:
AIは攻め合いが苦手なので、中盤で殴り合いになれば少しチャンスがあります。あとアンチコンピューター戦略というわけではないですが、難解定石を挑んでAIにたまたま読み抜けがあって勝つ場合もあります。すると向こうもバージョンを変えてきたりして……。
人間は読みが強いので……というか、読みは比較的、AIとも勝負になる。大局観や形勢判断はAIが強すぎるので……これ、15年前の棋士に言っても誰も信じないな(笑)。
──そうやってAIとぶつかり稽古を重ねたトップ棋士たちの碁は、今どんなふうに変化してきているのでしょう?
大橋:
そうですねぇ……やっぱり、AIとの一致率が高い人のほうが成績は良い傾向があります。研究が進んで序盤を真似するのは比較的簡単なんですけど、強い人は、中盤以降の精度が高いですね。
形勢判断力がAIに近く、さらに攻め合いだったらAI以上の手を出してくる。中終盤でトップ棋士は強い気がします。
──将棋の永瀬王座は、中終盤以降でもソフトと同じ手を指せる人が今の天才だと述べているんですが、まさにそういう状況なんですね……。
大橋:
ただ、たとえば大西竜平君(七段)みたいに、序盤でAIが示さない手を打つ棋士もいます。彼はそういう独創的な手を打つんですが、AIの第一候補と比べてもそれほど評価値が下がらない。一緒に検討してるといつも面白い手を発見してくれます。
──なるほど。そういう天才もいると……。
大橋:
しかしこれは将棋と囲碁のゲーム性の違いがあるかもしれませんね。囲碁は比較的、そういった埋もれた手が多い。けど将棋は……囲碁よりシビアな印象です。
──盤の広さがそもそも4分の1なわけですしね。確かにおっしゃる通りかもしれません。
囲碁界の見所はここだ!
──あっというまにお時間です。最後に、今後の囲碁界の見所を教えていただけますでしょうか?
大橋:
やっぱり女流棋士ですよね。アルミ杯という男女一緒の若手棋戦で優勝した藤沢さん、上野さんや仲邑菫さん(初段)が話題になりました。
女流棋士の実力は、今後どんどん上がっていって七大タイトルも夢ではないと思います。そこは注目していただきたいです。
──将棋でも、あと一歩で女性プロ棋士が誕生するところまで来ています。どちらの世界でも女性の活躍が楽しみですね!
大橋:
あと、一力さんや芝野虎丸さん(二冠)といった、10代から20代の棋士は層が厚くて。世界戦でもチャンスがあるんじゃないかなと。一力さんはこの前、世界戦でもベスト4でめっちゃ惜しかったんですけど……。
ここ20年くらいは世界戦で成績がよくなかったんですが、戦いようによってはやれるんじゃないかなと。まだまだ世界の壁は厚いですが。
──世界戦で日本が勝てば、注目が集まりそうですね!
大橋:
それから……最後になりますが、僕らの世代もAI研究によって成績が上がる棋士がいるんです。そこは自分も頑張りたいなと。
ベテランの先生でもAI研究が大好きな方がいらっしゃって。『AIと1000局くらい打ったんだよー』っておっしゃる(笑)。
だから、ベテランが復活するというのもあると思っていて。よく見ていると、成績が上がっているベテラン棋士がいるんです。初めてリーグに入ったりとか。みなさんには、そういうところまで追いかけていただけると、嬉しいですよね。こちらも積極的に情報発信していくので……。
──大橋先生はもちろんですが、最近は囲碁の先生方も盛んに情報発信しておられますよね。YouTubeを始められたり、謝依旻先生(六段)みたいにコスプレを披露されたり。
大橋:
コロナ禍で、どんどん新手を打っていかないといけなくて。
──将棋界もコロナの影響は大きいです。最近だと、オンラインでイベントをすることも増えました。囲碁はどうですか?
大橋:
世界戦が軒並み延期になってしまいました。それで最近は、世界戦をネット対局でやるようになったんです。けどAIの影響で、空港でやるみたいな金属探知機で調べたり、トイレまで(監視の人が)ついていく……っていうのもあるみたいで。打ってる棋士もしんどいだろうなと……。
──なるほど。各国の代表がそれぞれの国の棋院で、リモートで打って対戦すると。大変そうではありますが……可能性を感じる部分でもありますね。
大橋:
コロナが終わったときに、そうやって培ったネットを使うノウハウが花開いてくれるといいんですけどね。
──あっ! そうそう、大橋先生が発売なさった詰碁集『万里一空』のサイン本を買わせていただきました!
大橋:
おお! ありがとうございます!
──恥ずかしながら私、詰碁って石を全部取っちゃう問題しかないと思っていたんですが……。
大橋:
そういう問題が圧倒的に多いですから。僕は、そうじゃない問題も入れますけど。
最後の100問目は、一局の碁としても楽しめる問題にしました。実はこれ、囲碁AIがあったから完成した問題なんです。
──収録されたコラムにも書いてありましたね! ディープラーニング系のソフトは、詰碁や詰将棋は苦手なはずなんですが……。
大橋:
これは普通の囲碁としても成立しているので、誰も発見できなかった妙手をAIが発見してくれたんです!
──本当にすごい作品なので、ぜひ多くの方に手に取っていただきたいですね! 私も、せめて簡単な問題だけでも自分の力で解けるように勉強します!!
いかがでしたでしょうか?
将棋ソフトがディープラーニング主流になりそうだから、囲碁界の状況を聞いて参考にしてみよう……と軽い気持ちで始めたインタビューでしたが、想像以上に壮大な話になってしまいました。
圧倒されたのは、やはり中国IT企業の話。
囲碁だけではなく、ゲームやアニメといったエンターテインメントの世界でも、中国企業の技術力と資金力は、日本を……いや、世界を圧倒しはじめています。
その力の源は、もちろん広大な国土と膨大な人口。
しかしもう一つ、大切なものがありました。
インタビューの中で語られた、中国のトップ棋士の気質。
勝てないとわかっていても、AIに少しでも近づこうと挑み続ける強い意志。1%でも勝率を上げようと、ためらいなくAIの打ち手をコピーする姿勢。
人によっては、それは受け入れがたい生き方かもしれません。「そうまでして勝ちたいのか」と。
ですが、失うことを恐れずに突き進むその姿を……私は眩しいと感じました。
思い返してみれば、将棋でも最初はAIとガムシャラに戦っていたものです。
電王戦でAIと膨大な数の対局をこなし、その実力を認め、それでも挑んでいった者達がその後どうなっているのか?
『YSS』と千局に及ぶ練習将棋を経て勝利した豊島将之は、人類との研究会すら辞めてAIとの研究に没頭し、その後6つのタイトルを手にして現在は竜王として棋界に君臨する最強の棋士となりました。
『Selene』と戦い、そのプログラム上の不備まで発見して「それ放っておくと投了すると思いますよ?」と言い放った永瀬拓矢も後にタイトルを獲得し、現在では「中終盤でもAIと同じ手を指せる者が天才」と言い切っています。
『Apery』と戦った斎藤慎太郎もタイトルを獲得し、今、名人挑戦まであと一歩と迫っています。
そして初代叡王として『ponanza』と戦い、己の将棋に殉じた山崎隆之は、40歳を目前にしてA級棋士へと初登極を果たしました。
当時とはもう、AIの強さが違うと言ってしまえばそれまでかもしれません。囲碁と将棋のゲーム性の違いもあるでしょう。
それでも私は思うのです。
強い者へと挑む心にはきっと、国も、時代も、ゲーム性も乗り越える何かがあると。その挑む姿にこそ、私たちは強く強く惹かれるのだと。
―あわせて読みたい―
・人間にうまく負けるためのゲームAIはいかに開発されているのか。将棋、囲碁、麻雀などの定番系ゲームを手掛ける開発会社に聞いてみた