「必要な議論を飛ばして表現規制で全ての問題を解決しようとしている」“青少年健全育成基本法”の議論が抱える、そもそもの問題点とは【山田太郎と考える「表現規制問題」第5回】
過去4回の放送を振り返りつつ、表現規制の問題点を探る
山田:
規制の方法(児童ポルノ規制法)が形を変えて議題に上がっています。児童ポルノ法は、本来、子どもの性虐待防止のために作った法律にも関わらず、3号ポルノと言われる非常に曖昧な条文が国会で通ってしまったことで、誰のための法律か分からなくなってしまっています。
児童ポルノ規制法の第2条3項の1、2、3
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
山田:
これを逆手にとって、マンガ・アニメ・ゲームを規制する入口にしようとしていたのが附則2条問題ということなんです。
智恵莉:
第2回目の放送でも詳しく取り上げましたよね。
山田:
著作権問題も少しおさらいをしていきたいと思います。シリーズ1回目「コミケが危篤の日」で、TPPの著作権法変更による二次創作活動の萎縮効果、韓国の著作権トロールという問題を取り上げました。
また、親告罪でも摘発されるのではないかという議論もありましたが、結局、海賊版のみ非親告罪にし、二次創作に関しては政府も応援しているという答弁をとることで二次的表現に関する規制を避けられたわけです。
山田:
ところが、最近は“共謀罪”という似たような話が出てきています。
智恵莉:
共謀罪が、ですか?
山田:
共謀罪には著作権が含まれるということで、著作権を侵しそうな二次サークルが告発されることで、事前に捕まったりするんじゃないか……ということが懸念されています。
また、先ほどの著作権トロールではないですけども、訴え合いが起こった場合に著作権を侵しているものがあれば当然捜査されることになるだろうと。
なぜこのような議論がされ続けるのかというと、表現の自由に関して、特に若い子たちから政府は信用されていないからなんですよ。法律の解釈権が政府にある以上、行政で自由に料理ができるなどなど、法運用という意味では、(政府による)自由度が高いんです。政府が若者から信用されない背景として、こういった理由が一つにあると思います。
志田:
そう思いますね。
山田:
大変反響を呼んだ第2回目で紹介した“ブキッキオさん騒動”も振り返っておきましょう。
国連の児童買春等特別報告者であるブキッキオさんが来日された際、日本の女学生の30%ないし13%が援交しているというトンデモ報告をされておきながら誰も文句言わなかった! そこで私はネットに訴えかけることで、非常に大きな動きを作り出すことができたことを実感しました。
国連の外圧に屈せず、日本には独自の考え方があるわけです。ネットを通じて少しでも世論を動かすきっかけになる……そういうこともありえるんだなと。
山田:
一方で忘れてはいけないのが“通信の秘密”です。
智恵莉:
山口貴士弁護士をゲストに迎えた第3回目で取り上げましたよね。
山田:
通信に関しては非常に侵されていながら、国会内での議論が雑なんじゃないかと。刑訴法、通信傍受法、マスコミ含め議論されないプロバイダ責任制限法、児ポ法の一部改正……最近はフィルタを使って中身が見えないようにするなど、「犯罪抑制や法律規制のため」と謳って、検閲が自由に行われかねない状況になりつつある。
現状、日本はそのようなことはしないとのことだったのですが、徐々に政府の姿勢も崩れ始めているんですね。
また、日本は捜査に関して自由度が高く、令状があれば捜査・逮捕できるため、きちんとチェックしていかないといけません。
最近で言えば、(ベトナム女児殺害の)我孫子で起きた事件が良い例です。容疑者の家から児童ポルノ出てきたということで、直接ではないにしろ、そういったことと関連があることを匂わせるような、あるいはほのめかすような報道をしていますよね。
不安感を根拠にした“安心な社会を作るための表現規制”では困る
山田:
政府や警察、自治体の論理やPTAなどの市民の目線、メディアやコンテンツ流通業者の自主規制など、「どうして表現規制をしたがるのか?」「その背景にあるのは何なのか?」。志田先生は、こういったことに対してどのようなことを思われますでしょうか?
志田:
私はそういった方々と直接の知り合いではないので推測ではありますが、比較的決定権を持つ上の方々の気持ちとしては、「物事をスムーズに決めたいけど批判が出てきて面倒だ」という本音があるのではないかと思います。トップが面倒だと思う気持ちに対して、“民主主義の社会で表現の自由を保障している”はずなんだけど、そこが見誤られているのではないか? ということが一つ。
それから私たち一般人の中で、何となくじわじわと広まっている感覚として、安心への欲求がなぜか表現規制に向かっているような気がしてならないんです。
山田:
ほう。
志田:
特に、漠然とした不安を与える有害表現と言われるものは、「社会に出して欲しくない」と。ただ刑法について考えるときも、現実的な安全を守ることと、安心感を守ることは別次元の問題だということを確認しなきゃいけない。とすると、表現についても現実として「人権侵害を防がねば」という問題と、漠然とした「不安感を根拠に安心な社会を作るために表現規制をする」という筋は絶対に違うはずです。
おそらく安心感を求めての表現規制は、社会全体が息苦しくなる傾向が強いため、自分たちの首を絞めてしまう可能性がかなりあると思います。むしろ、自分にとって嫌いな表現だったとしても、自由な環境があることの方がマクロで見ると大切。
智恵莉:
なるほど。
志田:
ミクロ的に見たとしても、批判される自由も表現の自由では守られていまるわけですから、それはどんどん言っていけばいいだけだと思うんです。ただ、それを法律や条例で規制してしまうと、本当に公共の場でその表現は出てこなくなってします。こういった塞ぎ方をするのであれば、よほどの人権侵害だと言える根拠がないといけないと思います。
山田:
為政者としては、エロ・グロ・暴力とあったときに、暴力は規制しなければいけないけど、「エロ・グロは本当はいいんじゃないの?」「なんでエロ・グロがいけないの?」ということに対して、きちんと答えなければいけないですよ。答えられないから、こういう縛り方をするんでしょうけども(苦笑)。
先生が仰るように、親が子どもに対して「こうあってほしい社会」を抱いていたとしても、親たちも子どもの頃はエロ・グロを通ってきたんじゃないですか? と。こう言ってしまっては申し訳ないけども、エロがなければ子どもも生まれないわけですよ。
智恵莉:
(笑)
山田:
それに「法律があるから社会が良くなる!」と言ったらそんなことはなくて……もちろん法律があることで抑制されていることは認めますが、殺人の条項があろうとなかろうと人を殺す人は平気で殺しちゃうわけですよ。文化とか風習の方がはるかに強烈に力を持っている。法律や条例に国民が頼っていくと、かえって文化や風習が語られなくなる……。
それって逆に秩序が壊れやすくなるんじゃないのかと思うわけで、僕は「世論形成をしてください」ということをコミケなんかで一生懸命言っていた。政府はきちんと統計を取らないんです。感覚的に「日本の性犯罪率は少ないんじゃないか」と言われている中で、よく分からないまま法律強化や為政者・警察に委ねるというのは、結果的に弱い社会になってしまうんじゃないかなと思うんですね。
智恵莉さんは母親の立場としてどう思います?
智恵莉:
そうですね、選択する自由をある程度は作ってほしいですよね。上から法律で制されてしまうことは怖いなぁって。
山田:
正直な話、子どもがマンガやアニメと接する中でエロ・グロ表現を見ることがあるかもしれないわけでしょ!? 親として「見せたくない!」みたいなことってありますか?
智恵莉:
どうでしょう……程度によるというか、難しいですね。人によって感覚や程度も違うから、人によってはアリなものが、私としてはナシになるかもしれないし。見たいものを強制的に見せないということはしたくないので、子どもにはほどほどにしてもらいたいなっていうのはありますけど(笑)。
規制の前に生身の人間同士が話し合う機会を持つことこそ重要
山田:
僕なんかは、18歳や20歳を超えた途端にいきなり何でもありの世界を見せる方が怖いんじゃないの? なんて思うんだけどなぁ。それまでずっと透明度の高い水の中やプールで泳いでいたのに、大人だからと突然汚いものもある海に突き落とされるような感覚に近いというか。よっぽどそっちの方が怖い(笑)。小さいうちに、「良いものと悪いものがあるよ」くらいの話をマンガやアニメで学んでおくことは悪い話じゃないと思うんですけど、先生はどう思いますか?
志田:
ちょっと角度が違うかもしれませんが、マンガ・アニメ・ゲームがファンタジーあるいは一種の娯楽だという割り切りがきちんとできるか……そこを理解させていくことが家庭や友人など生身の人間関係だと思うんですよね。それこそ時代劇なんてよく考えるととんでもないですよね? お茶の間で家族が食事をしてる時間帯に、人が日本刀でどんどん斬られてバンバン死んでるわけです(笑)。
山田・智恵莉:
ははは(笑)。
志田:
リアルな描写をしないからでしょうけど、私たちは「時代劇ってそういうもものでしょ」と思って平気で楽しんでいる。時代劇には時代劇の型があって、一種の非現実的な“娯楽”だと分かっている。
「うちの子どもが日本刀を買ってきて人を斬らないか?」なんて心配はしない(笑)。人が殺されている=子どもが時代劇の真似をするなんてことにはつながらず、人を斬る描写があっても、時代劇を禁止しようという議論は起きてこない。
山田:
そうですよね。
志田:
性的な表現に関して言えば、確かにお茶の間で親子で話し合いにくいし、親が気恥ずかしさがあると思うので、気恥ずかしい思いをする前に法律で抑えてほしいというのが親の本音だろうと思います。
ですが、私はそこを面倒臭がらずに、生身の人間同士で話し合いをしてほしいと思うんです。それが社会の基礎体力を育てる。『風と木の詩』のような作品があったとしても、それを見てすぐに児童虐待を面白がる方に向かうはずではないと。まずはフェイストゥフェイスで親子がやっていくべきことだと思うんですよね。
山田:
うんうん。本当にその通りだと思いますね!
智恵莉:
「題材があることで思慮が深くなる」というコメントも流れていますね。
山田:
チャンバラをやっていた昔の子どもたちの時代より、今の方が安全だと思うわけで、現状をある程度は維持することも大切だと思うんだけどなぁ。
表現規制が進むケースとして、例えば韓国では拳銃やたばこにモザイクがかかっている状況になっていて……かえってそのほうがいやらしいし変じゃないの? という(苦笑)。
智恵莉:
子どもがみたら「これは何?」って興味を持っちゃいますよね(笑)。