永瀬叡王就位記念インタビュー 叡王獲得までを盤上・盤外から振り返る「月に28日がVS、残りの3日が対局」
将棋・第4期叡王戦七番勝負で高見泰地前叡王(26)をストレートで破り、3回目の挑戦で初のタイトルを獲得した永瀬拓矢新叡王(26)。
「将棋に才能なんて必要ないんです、どれだけ努力したかで決まるんです」と力強く断言する「努力」の人。将棋ファンには「軍曹」の愛称で親しまれ、そのストイックな姿勢に畏怖すら覚える。
だが、漫画が大好きでニコニコ生放送に解説で出演したときにも冗談を言ったりとお茶目な一面を見せる叡王は、如何にして誕生したのか。
幼少期から叡王獲得に至った現在まで、その過程を盤上と盤外の両面からインタビューを通じて辿っていく。
文・取材/松本博文
──(スタッフがインタビューの準備をしながら)今年3月、惜しまれつつも、みろく庵が閉店しました。みろく庵は特に和風が充実していたのが大きかった、という専門筋の評価がありますね。世間では、永瀬さんはミックス雑炊を注文できなくなって困ってるんじゃないかという声が上がっていますが。
永瀬叡王(以下、永瀬):
そうなんですね(笑)。鳩やぐらさんがあるので、今は何とか(笑)。
──鳩やぐらは千駄ヶ谷、将棋会館近くに、4月にオープンした新しいお店ですね。
永瀬:
美味しいんですけどね。ただちょっとバリエーションが多いので、まだ自分なりの手を……。メインは、鯖か、チキンか、豚か。この3通りです。鯖はまだ手を出してないんですが、チキンと豚は対応しています。
──なるほど……。ではよろしくお願いいたします。
将棋を始めた頃
──改めて、将棋を始めた頃のことについて、聞かせていただけるでしょうか。
永瀬:
将棋を始めたのは、ちょうど9歳になった時です。誕生日に祖父から将棋盤と駒を買ってもらいました。
──そのあたりで売ってるような盤駒ですか。
永瀬:
はい。二千円ぐらいのセットで、高価なものではありません。祖父もコミュニケーションツールが欲しかったのかなと、後で思いました。
──最初は定番の「はさみ将棋」とか?
永瀬:
はさみ将棋はやった記憶がありますね。山崩しはないです。
──お祖父様は今は……。
永瀬:
亡くなってます。NHK杯の佐藤康光九段戦の後で亡くなりました。
──そうでしたか。2011年のNHK杯、佐藤康光九段戦は、2回千日手になった後に永瀬さんが勝って。「千日手の永瀬」としてインパクトのあった対局ですね。お祖父様は永瀬さんが棋士になって、ずいぶんと喜ばれたのではないですか?
永瀬:
そうですね、喜んだと思います。
──藤井聡太七段が将棋をはじめたきっかけは、5歳の時、動かし方が駒にデザインされている「スタディ将棋」で遊んだことだそうです。今から子どもに将棋を始めさせたい、という親御さんはたくさんいると思われます。何から始めるのがオススメですか?
永瀬:
今は「どうぶつしょうぎ」ですね。自分もやりますし。どうぶつしょうぎが出た頃に、同世代の棋士とチェスクロックを使って指しました。
──「どうぶつしょうぎ」の盤は縦3列、横4段で、全部で12マス。駒は全部で8枚。それでも、面白いですよね。
永瀬:
何局もやると定跡化されるので、将棋に通じるところはあります。千日手になりやすい印象だったですけれど。奥は深かったですね。
──ご両親は、永瀬さんが将棋を指していることについて、どう思われていたんでしょうか。
永瀬:
私はゲームが結構好きだったんですね。ゲームボーイでポケモンとかずっとやっていました。ゲームよりは将棋をやってくれる方が、親の気持ちとしては嬉しかったんじゃないでしょうか。なんというか、将棋は頭に良いものだと思いますので。
──「将棋は頭に良い」。これが将棋界の売りですね。
永瀬:
スポーツではあると思います。計算に近いと思ってますけれど。
──将棋界は頭が良い人がたくさんいそうですね。
永瀬:
別格の方がたくさんいらっしゃると思います。同世代は……(小考)。ちょっと思いつかないですね(笑)。羽生先生とはほとんど話をしたことがないのですが、大変尊敬しています。子どもの頃から見ている存在なのは間違いないですし。会長は研究会などで教えていただいた時期もあります。
上達の過程
──9歳で将棋を覚えられて、どれぐらいのペースで強くなったんでしょう?
永瀬:
1年で(アマチュアの)初段前後ぐらいの印象ですね。もう1年で三段ぐらい。次の年に(小学6年生で)奨励会に入りました。その時は五段ぐらいだったような気がします。
──ずいぶん早いステップアップですね。小学校の時は、たくさん大会に出られたんですね。
永瀬:
出ましたね。ただ、同世代の方が強い方が多かったです。(全国大会のある)小学生名人戦といった大きな大会になると、自分は(神奈川県で)1回しか代表になれませんでした。
──それは神奈川県がレベルが高かったということでしょうね。
永瀬:
そうですね。神奈川もそうですし、全国でも素材が揃っていたかな、と思います。
──どういう方たちでしょうか。
永瀬:
菅井さん(竜也現七段、岡山)、佐々木勇気(現七段、埼玉)、三枚堂さん(達也現六段、千葉)。入山稜平さん(愛知)という方は(奨励会を)退会されたんですが、本当に強い方ばっかりで。
──それは逸材ばかりですね。永瀬さんより1学年下には斎藤慎太郎さんがいたり(※現王座。今期王座戦五番勝負は斎藤王座に永瀬叡王が挑むことになった)。将棋クラブはどういうところへ?
永瀬:
子供の頃は主に磯子将棋センターがホームグラウンドでした。加山さんという方が席主をされていて、その息子さんが山田さんという方で、自分は将棋を教わっていました。
──将棋クラブは、他にも行かれたんでしょうか?
永瀬:
新宿将棋センターや御徒町将棋センターに行ったことが数回ありました。(少年、少女の強豪が集まることで知られる)八王子将棋クラブには行ったことがないので、そんなに多くの道場に行ったわけではないですね。それ以後は、蒲田将棋クラブにお世話になっています。
──永瀬さん、今では蒲田将棋クラブの鍵を持っているとか。早く行って鍵を開けて、遅くに鍵を閉めて帰ると。道場主みたいですね。
永瀬:
そうですね、そういうこともありますね(笑)。
──蒲田将棋クラブといえば、東京近郊のアマ強豪が集まることで有名です。
永瀬:
西山実さん、竹中健一さん、遠藤正樹さん、加藤幸男さん、馬上勇人さん、武田俊平さん、細川大市郎さん……。奨励会三段の頃、けっこう指してもらいました。田尻隆司さんという方がおられまして。けっこう年配の方なんですけれど、奨励会三段の頃に負かされて。「すごいおじさんがいるな」とショックを受けました。
──アマ名人など、数多くのタイトルを獲得されている田尻さんは、伝説のアマ強豪ですね。
永瀬:
やっぱりそうなんですね。
──(インタビュアーの)私は東大将棋部出身なんですが、OBの樋田栄正さんも蒲田の常連ですね。
永瀬:
樋田さんもすごい方なんですよ。今でも一目置いてます。
──樋田さんは先輩で、私が学生の頃には、ずいぶんと厳しいことを言われました。「君らが弱いのは許せるが、努力しないのは許せん」とか。今でもそうなんですかね。
永瀬:
ここ数年はずいぶんと変わられました(笑)。
──永瀬さんは、奨励会在籍中にはどういう生活を送ってたんですか?
永瀬:
入会の頃は12歳(小6)でした。研修会には祖母についてきてもらってたんですが、奨励会入会と同時に、一人で通うようになりましたね。
──神奈川のご実家から東京・千駄ヶ谷の将棋会館まではどれぐらいかかるんですか?
永瀬:
電車で1時間以上かかります。けっこう、つらかったですね。通っているうちに慣れていきましたが。
──奨励会の例会時には将棋会館まで行くと。平日、学校が終わった後も、将棋クラブに行ってたんですか?
永瀬:
磯子か蒲田か、どちらかに行ってました。磯子の方が蒲田よりは近いんですけれど、バスなどを使わなくていけない距離なので。手軽に行ける距離ではなかったです。
──蒲田にはご実家から、どれぐらいかかるんですか?
永瀬:
1時間ぐらいですね。
──現在ではネットを介しての対戦も手軽にできるようになりましたが、永瀬さんが少年だった頃はいかがでしたか?
永瀬:
インターネットがちょうどメジャーになる頃でしたね。「近代将棋道場」ではよく指してました。
──少年時、もし今の環境だったら、やっぱり将棋クラブに通ってたと思いますか? それともネットをやっていたか。あるいはいま、将棋ソフトがおそろしく強くなりましたが、それで研究するとか。
永瀬:
ああー、どうでしょう(小考)。どれかわからない。どこに手がいくか……。たぶん、どれかは悪手なんでしょうね。指運ですね、これは。「どれも一局」ということはないかな、と思います。
──今の少年たちはどうしているんでしょう?
永瀬:
今の子はソフトを使っている、という認識ではいます。でも、道場に来る子も多いですね。蒲田も土日は来ている子が多いです
──永瀬さん自身は、いま蒲田にはどれぐらいの頻度で通ってるんですか?
永瀬:
週2は行っています。
──叡王のタイトルを取った今でも変わらず?
永瀬:
はい、変わらず。あとは新宿(将棋センター)にVS(ブイエス、1対1の研究会)で行くぐらいですね。蒲田が遠くて、新宿の方がアクセスがよい先輩とは新宿で。自分は全部、蒲田でやってほしいんですが(笑)。
──蒲田はやっぱりVSやってる関係者が多いんですね。
永瀬:
一時期よりはだいぶ減りました。自分が三段だった頃が全盛だったと思います。鈴木先生(大介九段)や飯塚先生(祐紀七段)もいらっしゃっていました。十年から五年ぐらい前が、ピークだったと思います。
──幼少期から今に至るまで、ご自身では、将棋に強くなる環境としては恵まれていたと思いますか?
永瀬:
強くなる過程では恵まれていたと思いますね。
続いていく競争
──同世代ではいま棋士になって活躍している人も多いわけですが、幼少期から今に至るまで、同世代をどう見ていますか?
永瀬:
10歳、11歳の頃なんですけれど、奨励会に入る直前の頃は黒沢怜生さん(現五段、埼玉)が無敵でした。アマ四段近くあったと思うんですけれど、自分は全く歯が立たなくて、10連敗か20連敗ぐらい。1回も勝ったことがないです。同世代ですごい人がいるな、と思ってました。
──黒沢さんは永瀬さんと同じ1992年生まれで、学年は黒沢さんが1つ上。2001年、小4の時に小学生名人戦で準優勝ですね。
永瀬:
少し経つと、自分の歳でいうと12歳から14歳ぐらいが、佐々木勇気さんの全盛期(笑)。最盛期だった印象です(笑)。黒沢さん、佐々木さんの2人は、自分から見てすごいなと思いましたね。
──少年の頃から、そういう強い人たちが競争相手として存在していたと。
永瀬:
自分が奨励会を抜けていく過程で、自分より才能があった人というのは、過半数を超えると思うんです。自分は同世代の中では、活躍してない方でしたし。自分が棋士になった頃にふと、奨励会を抜ける人と抜けない人のペースの差が、知らぬ間に表れているのを感じました。その時、自分が謙虚であったかどうかはわかりませんが。
──佐々木さんといえば最近、順位戦で△3七銀という、ただのところに銀を打ち込む妙手を指されていました。あれもやはり才能……。
永瀬:
でもあれ、2年ぐらい前からあったんです。なので、あれを食らってはいけないんです(笑)。
──えええ。そうなんですか。知られてた手なんですね。
永瀬:
一言でいえば、有名です。プロだと100人中75人は知っているとは思います。
──われわれ観ている側は、そういう手を公式戦で実際に見て、表にあらわれた時点で知ることがほとんどです。でもプロの間では、そうした共有化されている水面下の変化はたくさんあるんですね。
永瀬:
たくさんあるとは思いますね。それは研究会とかVSで経験した上で、公式戦に移行しているという流れかなと思います。
──有名な話では2011年のA級順位戦▲渡辺明竜王(現三冠)-△郷田真隆九段戦で、郷田九段がよくないとされている定跡に乗ってしまい、そのまま負けてしまったことがありました。情報戦という話になりますが、永瀬さんが奨励会だった頃にはもう、研究会などで最新の情報を共有することが主流だったと思います。いま、公式戦で相手が最新の情報を知らなかったから勝ったとか、自分が知らなかったから負けたとか、そういうことはありますか?
永瀬:
あったり、なかったり……。そういうことは、少ないと思います。今の時代は相当現れない。AIがなかった時代に比べると、だいぶ少なくなったと思います。
──AI、コンピュータ将棋の影響という話になりますが、ここ十年ぐらいはその影響で、将棋界は激動の時期に入っているように見えます。永瀬さんから見て、ずいぶん将棋界は変わったと思いますか?
永瀬:
そうですね。データベースで2年前の将棋を見ていると「まだ2年しか経ってないんだな、やけに様変わりしたな」と思います。駒のポジションだったり、「この戦法はなくなったな」だとか。本当に変わったと思いますね。ここ数年はすごい早い。サイクルが早くなったと思います。
──永瀬さんはその最先端の研究の中で争っていると思います。一方で、自分は自分の道を行くという、昔ながらのタイプの棋士もいるでしょう。現役棋士百六十数人中、何人ぐらいが、最先端で争ってる感じなんですか?
永瀬:
(小考して)百人ぐらいだと思います。
──棋聖戦五番勝負第2局▲豊島将之棋聖-△渡辺明挑戦者戦で、序盤の早い段階では困っていたように見えます。あれはポカなんですか?
永瀬:
さすがに研究だとは思ったんですけど……。確かに見てて、ちょっと、違和感のあるところはありましたけど……。
──トップ同士だと、そういうことはほとんどないんですよね。
永瀬:
そうですね。確かに豊島-渡辺戦というカードでは想像できないですね。
棋譜と実戦から得るもの
──いまは以前と比べると、プロ全体のレベルが上がったという見方を、ある若手棋士から聞いたことがあります。
永瀬:
若いんですね(笑)。即答しづらいです(笑)。どうなんでしょうか。今でも、米長先生(邦雄永世棋聖)や中原先生(誠16世名人)の棋譜を並べることもあります。
──それは勉強になると思ってですか?
永瀬:
もちろん、はい。当然、見て得るものはたくさんあるはずなので。もし得るものがないとすれば、それは自分が実力不足なだけです。棋譜を見て、何かを汲み取るようにすることはあります。
──昔の棋譜、たとえば大山康晴15世名人の棋譜を並べたらいい、とか言いますけれど、現実に、昔の棋譜を並べているという若い人はいるでしょうか。
永瀬:
あんまり聞いたことないですね(笑)。ただ、なぜか自分は『大山康晴全集』全3巻をすべて並べました。全部覚えているかどうかはわかりませんが、局面を見れば、その対戦カードはけっこうわかるはずなんですね。これがプラスかどうかと言われると、よくわかりません。ただ、熱心には並べていました。香落も。
──いまは公式戦はすべて平手戦(ハンディなし)で、香落はありません。そういう戦前から戦後すぐ、ずいぶん昔の棋譜が収められている1巻は飛ばして、2巻から並べるのが定跡、と言っている人もいるそうですが。
永瀬:
自分は1巻から並べていました。並べているのがつらいと感じたんですが(笑)。
──正直な感想ですね(笑)。現代に通じる知識を得るという点では、回り道をしているようですが。
永瀬:
たぶん、結果とかそういうことを求めてやってたんじゃなくて、勉強だと思ってやってて。
──「大山全集は高い」と率直に言っている若手棋士もいますが(笑)。
永瀬:
自分はセールの時に買ったんです。新聞にセールの広告が出ていたので、母だったと思うんですが、欲しいかどうか聞かれたんですよ。すぐに買ってもらいました。本当に偶然の出会いで。いま、どれぐらいするんでしょう。高いんですか?
──定価は4万円ですね。
永瀬:
高いんですか?(笑) 4万円なら全然買いますけど(笑)。
──高いと感じる人もいるでしょうね。
永瀬:
でも聖書みたいなものですから。そこに価値があるか感じるかどうかでしょうね。自分は価値があると思うんで。
──なるほど。やっぱりトップクラスのアマ強豪でも、見る聞くなしに購入して何回も並べた、という人はいましたね。
永瀬:
ただ、自分が弟子を取った時に(大山全集を)薦めるかと言ったら、薦めないですね(笑)。
──昔、いまこの将棋会館を建設する際に『名人戦全集』が発売されました。第1期から第35期までの観戦記をまとめたものですが、それが全12巻で18万円しました。
永瀬:
……18万はすぐには手が出ないですね(苦笑)。分割で(笑)。
──今までうかがったお話だと、永瀬さんはずいぶんと昔の棋譜を並べてこられたということがわかりました。昔ながらの上達法ですが、それがメインですか?
永瀬:
どうなんでしょう。実戦が多いですね。今だと週2で蒲田。週2で新宿。月の15日ぐらいがVSです。
──月に15日! いやあ、さすがですね。
永瀬:
それがメインの勉強法ですね。ただ、年齢とともに減っていっています。
──なるほど、最盛期は月に15日だったと。
永瀬:
いや、最盛期は月に28日でした。
──(絶句)
永瀬:
対局が少なすぎるんですよ。月に28日がVSで、あとの3日が(公式戦の)対局です。もう少し対局をさせてあげたかったです(笑)。
──いやあ、すごいですね。一方で最近では、豊島さんが一切VSをやらなくなったという有名な話があります。そういう、コンピュータ将棋での研究をメインとする方法についてはどう思いますか?
永瀬:
向いていれば一番効率がいいと思います。向き不向きがかなりあると思いますね。
──向いているのは、豊島さんだったり、千田さん(翔太七段)だったり。
永瀬:
そうですね。気風(きふう)が大きいと思います。将棋の棋風ではなくて、性格の気風です。人間性というものが大きいと思います。やっぱり自分の場合、予定がないとだらけてしまうんですね。なので、そうならないために予定を入れる、というのも理由としてはありますね。たとえばオフの日が連続5日続いたとして、そういう時にちゃんと勉強できるという人は、(コンピュータ将棋を利用した)この勉強法が向いているのかな、とは思います。
プロ意識について
──永瀬さんご自身も言われていますが、四段になった頃は全然勉強をしていなかったと。
永瀬:
うーん、そうですね。VSはしてたんでしょうけどね(笑)。
──そこで鈴木大介九段に喝を入れられたと。それはいつぐらいの話なんですか?
永瀬:
加來さんに負けた時ですね。
──2009年に四段となって、翌2010年の新人王戦で、アマチュアの加來博洋(かく・はくよう)さんに負けてしまったと。
永瀬:
それから数カ月後ですが、その時、瀬川さん(晶司六段)、藤森さん(哲也現五段)と、あともう一人、元奨励会の方が蒲田で研究会をされていました。たまたま打ち上げの席でご一緒させていただいたんですが、その時に、鈴木先生にとても辛辣な言葉で……。今の時代で考えると、ありえないような(笑)。まあ、十年近く前なんで。
──「普通は恨まれるから後輩にそういうことは言わない。言ってもらってありがたかった」ということを、永瀬さんは以前に言われていましたね。今でもそう思われますか?
永瀬:
そうですね。自分にとってとても大きな出来事で、ありがたかったです。あれがなかったらどうなっていたか、全然わかりません。自分は恵まれていましたし、運が良かったと思います。
──教えていただける範囲で、どういうことを言われたのか。
永瀬:
先生が言われたのは「自分なら絶対にアマチュアに負けない。あの将棋も自分なら勝っていた」ということです。「プロ棋士なら、負けないぐらいの実力を持って、負けないぐらいの準備をして、負けないぐらいの気構えというか、心持ちで挑みなさい」ということを、先生は言いたかったのかな、とは思いましたね。自分にとっては当時、刺激的な出来事で、分岐点になりました。
──今の時代、アマチュアに負けるのは、そんなに屈辱でもないように思うんですが、どうでしょうか。
永瀬:
うーん(小考)。まあ、勝つに越したことはないです(笑)。ただ、アマチュアとプロ以前に、自分は将棋を指すんだと思うんです。相手がプロだろうがアマだろうが、競うのは将棋の技術なんです。相手が強ければ、実力が拮抗していれば、どうなるかわからない。そういうものかな、と思うので。そういうプロ意識というのはとても大事だとは思いますし、今でもそういうのは忘れてはいけないものだとは思うんですけど。技術という観点からすると、そこに感情移入するのは、自分はいまはそういう感じではないかな、と思います。
──2013年、今泉健司アマがプロ編入試験の五番勝負に登場した際には、当時の若手棋士5人が対戦することになりました。そして3勝1敗という成績で、今泉さんは合格しています。その時のことについて永瀬さんは、プロが負けるのはちょっとどうかと思う、ということを言われていましたね。
永瀬:
どうかと思いましたよ(笑)。それはどうかと思いますね。それはいかんのじゃないかと。
──アマチュアに関連する話で。元奨励会三段の鈴木肇さんは昨年のアマ名人戦で優勝していました。今年は叡王戦のアマチュア代表決定戦を勝ち抜いて、四段予選に出場することになりました。鈴木さんは奨励会の先輩ですね。
永瀬:
そうですね。蒲田にもよく来られていて、こちらが級位者の頃から、将棋を教えてもらったりしました。蒲田は先輩が今より数多くいまして、そういう方に、自分が弱い頃に教えてもらったのは、ありがたい環境だったかな、とは思います。関西の会館では、そういう感じだと思うんですけど、関東ではなかなかそういう場所がないと思うので。時代にも恵まれたかなとは思います。
──関西の話が出たのでうかがいたいのですが、関西は近年、有望な若手棋士が多く登場して全体的にレベルが上がったのではないかとよく言われます。その点についてはどう思われますか?
永瀬:
(レベルが)低かった頃を知らないので(笑)。自分が将棋を始めた頃は(関東に比べると関西はレベルが低いという)そういう印象はまったくなかったです。
──関東と関西では将棋会館の雰囲気も全然違うように思われます。関西では3階の棋士室で、朝から夜まで多く人が集まって、いつも誰かが将棋を指している感じで。
永瀬:
とてもいいことだと思いますね。関東でもああいう場所があれば、歳が若いというか、十代の子も成長する機会があると思います。かつての米長道場という感じですか。そういう、胸を借りるような場所があればいいことだと思いますけれど。関西はとてもいい環境だという認識ではあります。
──かつての蒲田はそういう場所だったと。
永瀬:
今はそういう雰囲気でもないですね。時代は変わったなあ、と思います。奨励会三段は来てますけれど、アマチュアの方と指すという雰囲気ではない。自分が三段の頃は、よく(アマ強豪の)樋田さんと指していましたし。竹中さんや西山さんともVSをしてたり。アマチュアの方と指して、かなり得るものはありました。
努力について
──永瀬さんは努力の人として有名ですけれど、努力するにあたって心がけていることなどあるでしょうか。「こういうことをやってる人は、よく失敗してる」とか、思ったりすることはありますか? この人は一生懸命やってるけれど、ちょっと努力の方向がどうなのか、とか。
永瀬:
そういう人はあんまり見たことはないですね。やっぱり、最近がんばってるなと思ってる人は、何かの形で結果にはなっているような気がします。
──永瀬さんの周囲だと、そうなのかもしれませんね。普通の人は努力といっても、たぶん方向違いのことをいっぱいしてると思うんです。
永瀬:
なるほどなるほど。ここ数年で思ったのは、やっぱり「努力というのは方向が違うと、それは努力じゃないのかな」ということです。それは自己満足に近い。自己満足というのは、自分しか見えてない状態なんです。
──努力の前提として、自分を客観視できることが重要ということですね。瀬川晶司さん(現六段)の自伝(『泣き虫しょったんの奇跡』)で印象的だったくだりですが、努力をするためには、現状を直視して、現状を把握しなければならない。でも、それはなかなかできないと。
永瀬:
確かにそうだと思いますね。自分の最低値が実力だと思っています。ちゃんと自分の立ち位置も理解し、客観的に自分を見た上で、尊敬できる人、強い人を見極める。強い人だったら、何とかそれに近づく。尊敬できる人だったら、人間性だったり、将棋の技術だったり、尊敬できる部分を見習う。努力とは違うのかもしれませんが、人間性というのは大事なのかなと思います。
──人間性ですか、なるほど。
永瀬:
見習うべきところが多い先輩はたくさんいます。そして、尊敬できない人はこの世にいません。当然相手にもよさがあり、自分が劣っているところもある。尊敬できるところを見つけられないというのは、自分の精神状態がよくないか、技量不足、実力不足の問題だとも思います。努力というのは、将棋だけには限らずに、謙虚であるのが大前提だと思います。
──謙虚でない人は、競争という点では、段々脱落していくものですか。
永瀬:
自分はそう思っているんですけれど、どうでしょうか。
──確かに謙虚さと努力はセットのようにも思われます。
永瀬:
謙虚でないと、人に何を言われても、頭に入りません。人というのは、良くもわるくも、自分にとって刺激を与えてくれる存在であると思うんですね。これを良くするのもわるくするのも、自分次第です。なので、どういうふうにそれをコントロールというか、自分なりに解釈するのかというのも、自分の力だと思います。
詰将棋と藤井聡太七段
──上達法として、詰将棋はどうでしょうか。
永瀬:
自分はやる時期とやらない時期は結構あるんですけれど。詰将棋は(アマ強豪の)竹中健一さんが得意で……。自分は三段の頃、竹中さんと解く競争をして、何度も挑んでよく負けていました。これもいい勉強になりましたね(笑)。かなり歳上の方に、そういうスピード勝負で負けてしまう。自分としてはいい刺激になりました。そうするとこちらも詰将棋を勉強することになりますので。そういう点でも、環境に恵まれていた気もします。
──詰将棋は今でも勉強になると思われていますか?
永瀬:
もちろん、そうですね。ただ、棋士は詰将棋ができる人は多いので(笑)。自分なりにできる範囲では、詰将棋は解いたりします。
──増田康宏六段は、詰将棋は実戦の役に立たないと公言していますが。
永瀬:
まあ、年齢……(笑)。自分も彼の頃は、そういうことを言ったかもしれません。20とか21なんで(増田六段は現在21歳)。あと5年ぐらいしたら言えなくなると思います(笑)。25から丸くなるんですよ。佐々木勇気さんがもうすぐ25なんです(8月5日の誕生日を迎えて25歳に)。もうタイムリミットが近づいてきてるので。
──佐々木勇気さんは、丸くなってる雰囲気はありますか?
永瀬:
まだですね。急にこう来るんじゃないですか(感じを手ぶりで示しながら)。25は誰でも丸くなると思いますね。なぜかわからないですが。
──何度も同じことを聞かれているとは思いますが、藤井聡太さんの強さというのは、詰将棋がベースだと思いますか?
永瀬:
いや……。いや、詰将棋はすごいんです。すごいんですけど、それを一つの武器だとした時に、それだけじゃ勝てないんです。ただ、彼のすごさは、それだけではないんですね。詰将棋は、彼の強さを構成している、いくつかのもののうちの一つです。彼は謙虚さがすごいですね。彼ほど謙虚で礼儀正しい人は見たことがありません。すごいです。これはすごいと思います。彼は将棋が強いじゃないですか。
──あきれるほどに強いですね。
永瀬:
彼ほど強ければ、普通は天狗になってしまう、おごってしまうと思います。でも彼は自分のことも客観的に見てると思うんです。どうやって自分自身をコントロールしているかは全く想像できないんですが……。コントロールした上で、謙虚ですごいと思います。うーん、そうですね、謙虚さがすごいです。
──なるほど。
永瀬:
藤井さんの詰将棋力はすごいと思います。それとともに藤井さんの謙虚さは、棋士の中では群を抜いていると思ってます。
──もともと才能があって、その上で謙虚さがあって、さらに努力をしているというわけですか。
永瀬:
鬼に金棒ですね(笑)。
叡王戦で初戴冠
──これまでの永瀬さんの努力の集大成だと思いますが、このたび、叡王のタイトルを獲得されました。改めて思うところはありますか?
永瀬:
初タイトルで、ひとつ結果が出せてうれしいと思いました。よかったな、とは思いました。
──タイトル戦は、3回目の挑戦でしたね。
永瀬:
そうですね。羽生先生、渡辺先生……。
──2016年度に棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦。それから2017年度に棋王戦五番勝負で渡辺明棋王に挑戦。いずれもフルセットの末に、惜しくもタイトル獲得はなりませんでした。その時は、歳上の超一流棋士への挑戦でしたが、今回の叡王戦七番勝負は同世代の高見泰地叡王への挑戦でした。そのあたり、違いはありましたか?
永瀬:
違うは違う、という印象がありますね。羽生先生、渡辺先生は百戦錬磨ですごいんですよね。このお二人に以前教えていただいたことで、この七番勝負に生きたことはかなりあったと思いますので。大きな経験をさせていただいたと思います。
──叡王戦挑戦者決定戦の三番勝負。菅井竜也七段とは、長手数の大熱戦でした。菅井さんとはいつも、そうなる印象がありますが。
永瀬:
偶然ですね(笑)。
──永瀬さんといえば、長手数になるという印象もあります。
永瀬:
いや、そうでもないと思います。振り飛車タイプは長いんじゃないですか? 居飛車だと、100手いかないで終わることも結構あるので。それで平均手数はかなり減ってるような気はしますね。菅井さんの時は(振り飛車対居飛車の)対抗形になりますので。対抗形だと、長手数になりやすいという印象ですね。
──アマ名人の鈴木肇さん、それから『師弟 棋士たち魂の伝承』という本を書かれているカメラマンの野澤亘伸さん、それと私で「どこよりも早く『第46回将棋大賞』を予想する会」という企画に出演させてもらったことがありました。視聴者の皆さんと一緒にいろいろ予想したんですが、挑決第2局の永瀬-菅井戦が名局賞の候補になりました。
永瀬:
やっぱり、観る人によって価値観が違うんですね(笑)。
──いやいや、掛け値なしの名局だったと思います。叡王戦、第4局までを通じて、印象に残る場面というか、局面というか、ありますか。私が観戦したところでは第1局の大逆転が印象に残りますけれど。
永瀬:
はい、大逆転でしたね。あれは自分の中で整理すると、状態としてはわるくない。海外対局だったんですけれど、客観的に見て、コンディションとしても、いろんなところから見ても、平均値を割るというレベルではなかったんです。普段どおりで、別に力む感じでもなかったですし。その状態で、序盤からわるくなるという展開でありましたので。先ほど申し上げたように、最低値が実力だと思いますので、実力が出てしまったな、と思いましたね。実力が出てしまった中で、自分なりにベストを尽くすことで、結果として逆転することができたのは、幸いなことだと思いました。ただ、あの実力ではかなり厳しいと思ったのは本音ですね。なので、がんばらなければいけないな、とは思いました。
──局面がわるくなると、もうわるい局面を眺めてるのもいやだから、わりと勝負に淡白になっちゃう、という人もいるようです。一方で永瀬さんは、闘志を絶やさないで最後までがんばり抜くというタイプだと思うんですけれど、やってていやになることとかあります?
永瀬:
感情は持ち込まないようにしているので。局面が必勝ならば、あと少しで勝つという感情がありますし、負けなら、どうがんばるかという感情もあると思うんですけれど。ただ、局面が目の前にあって、自分なりに最善手を指すという、ただそこだけなので。
──自分が悪手を指してがっかりするとか、そういうことはないと。引きずらないタイプというか。
永瀬:
引きずらない方だと思いますけれど、やっぱり、藤井聡太さんがすごすぎるんで……。
──なるほど、藤井さんはそうした点でも優れていると
永瀬:
自分は引きずらない方かな、とは思ってたんですけれど、藤井さんを見てしまうと……。ただ、平均よりは、自分は引きずらない方だと思います。
──叡王戦七番勝負は、局ごとに持ち時間が変わるという特色がありますが。
永瀬:
とても面白かったと思いますね。持ち時間が5時間だと開始時間は10時、3時間だと14時で、時差があったり、いろいろ経験させていただきました。毎回、新しい環境で戦っている感じで刺激的でした。
──叡王戦はいろいろな特色があってユニークな棋戦ですが、どういうことを感じられますか?
永瀬:
予選から本戦まで中継をしていただいて、自分も家にいたりすると結構見たりするので。他の棋士のしぐさとか、普段はまじまじと見れないので。そういうところも、いろんな楽しみ方があるのかな、と思います。個人のプレイヤーとして考えますと、やっぱり先ほど言った、持ち時間が特色があると思います。
意識する記録
──順位戦はB級1組に昇級されました。当然、次の目標はA級だと思いますが。
永瀬:
(B級1組は定員13人で)総当りで12局指せるので、それはとても楽しみにしています。うれしいというか、やりがいはあるのかな、と思います。
──永瀬さんはB級1組開幕戦で菅井さんに敗れるまで、順位戦では19連勝中でした。
永瀬:
みたいですね。
──それもすごい記録だと思いますけれど、持ち時間が長い(順位戦は6時間)方がわりと好きだとか、そういうことはあります?
永瀬:
これが評価できるかわからないんですけれど、チェスクロック6時間で19連勝なんですよ。
──なるほど。細かい違いのようにも思われますが、B級2組までは消費時間はそのままカウントされる。一方で、B級1組以上は1分未満は切り捨てとなりますね。
永瀬:
なので(1分未満は切り捨てとなる計測方式の)ストップウォッチとは意味が違うので。今回、チェスクロックからストップウォッチになりましたので、二次予選進出みたいな印象ではあります。
──観戦しているアマチュアの側からは、その違いはよくわからないと思いますが、そんなに違うものですか?
永瀬:
終局が3時間違うという印象です。ストップウォッチとチェスクロックだけで(対局者それぞれ)1時間ぐらい違います。昼食休憩、夕食休憩があるだけで、もう少し違う。あと、チェスクロックだと、時間を残そうとしている人がいるので。
──私は以前、永瀬さんに「C級1組で9勝1敗で上がれないのはひどいと思いませんか」と尋ねたことがありました。すると永瀬さんは「自分はトーナメントだと思っているから、1敗でもしたら、昇級できなくても仕方がない」ということを言った。順位戦に関する言葉で、これは今でも印象的ですね。その考えは変わらないですか?
永瀬:
変わらないですね。9勝1敗で上がれないのは普通……。
──さすがです。統計を取ってみたんですが、C級1組で9勝1敗で上がれなかったのは、過去に11人。そのうちの6人はここ4年のことです。2016年度の永瀬さん、18年度の藤井聡太さんもそうですね。C級1組の人数は、90年代前半、もっとも少なかった時で23人でした。以来、少しずつ増えて、2018年度には39人になった。今回の総会で、来年度からの昇級枠が1つ増えることになりましたが、ずいぶん前から、この昇級条件の厳しさは異常ではないか、と思っているファンもいたと思います。
永瀬:
自分としては、どちらも一局だとは思います。自分はルールを変えるという意識はなくて……。運営側ではなくて、プレイヤー側なので。プレイヤー側としては、運営側の指示に従う。運営側の方針には、口を出さないようにして、決まったルールに従う、ということです。9勝1敗で上がれる、上がれないは、ルールで決められていたことで、感情を入れなければ、それで終わる話だと思います。1敗してれば全勝昇級の権利がなくなる。それだけだと思います。プレイヤーとしては、感情抜きでルールに従うだけです。
──プレイヤーの鑑のような発言ですね。改めて2016年度、ご自身が9勝1敗で上がれなかった時には、どう思われました?
永瀬:
何を思ったかは記憶にないですね。誰に負けたかは覚えてますけど(笑)。やっぱりトーナメントなんだなあ、と思いました。
※2回戦の横山泰明六段戦-永瀬六段戦で横山六段勝ち。横山六段は10戦全勝で昇級。永瀬六段は9勝1敗で次点
──羽生善治九段の実績については、改めてどうですか。
永瀬:
すごいですねえ。
──永瀬さんはちょうど、メモリアルの日。王位戦リーグ白組プレーオフで、羽生九段の歴代最多勝がかかった時に当たったわけですが。1434勝と。
永瀬:
あと自分は1100勝しなくちゃ追いつけないんですね(苦笑)。すごいということしかわからない。この山は高いということしかわからないですね。
──300勝以上して通算勝率が7割を超えているのは、現在のところ、羽生九段と永瀬叡王しかいません。普段から記録を意識したりしますか?
永瀬:
通算勝数は少し意識したいところかなと思います。通算1000勝は大棋士が多いという印象なので。目標にしてるわけではないんです。まだあと700勝ぐらいしなくてはいけないので(笑)。目標にはできないんですけど、そこは目指していきたい山で、登っていきたいかな、とは思います。
──1000勝を達成した棋士は、これまでにわずか9人しかいませんね。
永瀬:
そうですか、すごいですね、それは。
「軍曹」という愛称について
──永瀬さんは長い間「軍曹」と呼ばれてきましたが、それについてはどうですか?
永瀬:
軍曹。これを機会にちゃんと調べまして、自分が調べた情報によると、上から21番目の階級です(笑)。下から数えると10番目とか……。下から数える方が圧倒的に早いんです(笑)。
──なるほど、そう言われると、そうかもしれません(笑)。
永瀬:
自分が調べた限りだと、元帥……。
──軍の階級では元帥がトップですね。
永瀬:
はい、元帥とかに近づきたいな、という意識はありますね(笑)。大将の上があるのを知らなかったんですよ。漫画だと『D.Gray-man』(ディーグレイマン)でしたっけ、「ジャンプ」であったんですけれど(2004年から連載)、その中でエクソシストが悪魔と戦うんですけれど、その中で元帥が出てくるんですよ。なんかもう、人じゃないんですよ(笑)。人じゃない存在。
──軍曹っていうのはおそらく、現場で率先してがんばる人というイメージがあると思うんです。それは誰もバカにしているわけではなくて(笑)。若手でものすごく努力していて、盤上でもリアリストだから、軍曹。永瀬さんの愛称としてはプラスのイメージだと思うんです。
永瀬:
あー、いやいや、そうですね(笑)。
──私が以前、最後の電王戦をテーマとした本を書いた時には、佐藤天彦名人(当時)のサポートをされている永瀬さんのことは「参謀」と書きました。名参謀。参謀というのは、軍の階級でもずいぶん上の方ですね(笑)。ただ、愛称としては、このまま永遠に軍曹でもいいんじゃないかと思ってる人も思うんですが(笑)。
永瀬:
そうですか(笑)。でも上から21番目には驚きました(笑)。
──鈴木大介さんが「軍曹」って言い始めたんですよね。
永瀬:
……なんでしょうね。先生がおっしゃった、という認識ではいますね。
──鈴木さんは「永瀬ボーイ」とも言っていた。先輩の鈴木さんの視点から見たら、やっぱりそうなるんでしょう。
永瀬:
というのもありますし、20歳とか21歳とか「とがり盛り」なんですよ。とげとげしてるので、まあ、そう見えるんじゃないですか。先生から見たら「若い」と思って「ボーイ」なんでしょうね。幼く見えたというか。まあ、誰しもありますからね、とげとげは。
──鈴木さんに今だと何がふさわしいか、聞いてみるのもいいかもしれませんね。
永瀬:
そうですね。あとはニコニコのアンケートで決めてもらいたいです(笑)。
──それは名案ですね。ユーザーの皆さんがつけるニックネームは秀逸なものが多いと思います。まあ、軍隊の階級にこだわる必要もないとは思いますが……。
永瀬:
「軍曹」から来てるんで、軍隊の階級にしてほしいですね(笑)。1つ昇進ぐらいだと寂しいので……。せめてもう少し昇進したいなと……。
──もう元帥でもいいような気もしますけどね。戦前の木村義雄名人はあまりに強いので「将軍」と呼ばれてたらしいです。不敗将軍、無敵将軍、常勝将軍。全部、木村名人の愛称でした。戦後の棋士の愛称は、原田泰夫先生が名づけたのが格調高い。中原自然流、内藤自在流とか。でも最近は、棋士に「○○流」みたいな二つ名をつけるというのは、あまりないんですかね。
永瀬:
確かにそうかもしれませんね。佐々木勇気さんは名前ないですね。
──「青いの」でしたっけ。フットサルやってて、渡辺明さんからそう呼ばれていた。
永瀬:
なるほど。そのシーンは私も見てました。
「番長」もいますね(香川愛生女流三段の愛称)。「番長」は上から21番より下ですかね(笑)。
──軍の階級じゃないですからね(笑)。学校では1番かもしれません。
永瀬:
ただ、せっかくタイトルを取らせていただいたので、昇進を……。元帥に近い称号を(笑)。
──「軍曹」という呼び方に愛着はないですか?
永瀬:
(きっぱりと)愛着は特にはないです(笑)。もう変えていただいて(笑)。
──では、あとはニコニコユーザーの皆さんの叡智におまかせしましょう(笑)。ありがとうございました。
9月2日(月)から王座戦5番勝負に挑戦する永瀬叡王の『永瀬叡王就位記念グッズ』をドワンゴジェイピーストアにて販売しています。
商品は、ミニキャラクターになったかわいい永瀬叡王の缶バッチ&クリアファイルや、第4期叡王戦の終局図を印刷した記念Tシャツ(S/M/Lサイズ)の2種類。それぞれ数に限りがあり、無くなり次第終了となりますので、お早めにお買い求めください。
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