「なんとなくヤバそう」で漫画もフィギュアも写真集もダメ!? 表現の世界に吹き荒れる「自主規制」の問題【山田太郎と考える「表現規制問題」第4回】
売りたいけど売りたくない。複雑なコンビニ規制事情
永山:
さらに包装による規制について話しましょう。コンビニなどで女性のヌードがあるような雑誌には、2カ所に渡ってブルーのシールが貼ってあります。青少年が立ち読みできないような状態になっているわけですが、このシールも圧力によって規制されたわけではなく、出版業界が自主的に実施しているんです。
智恵莉:
そうなんですね。
永山:
コンビニの話になったので、コンビニ規制についても。コンビニというのは独自のレギュレーション(規制)を持っていて、出版の倫理団体よりも厳しいです。
石原都知事時代、コンビニにエロ本が氾濫していたにもかかわらず、いわゆる正真正銘のマーク付きエロ本というのはほとんど置いていなかったんですよ。しかも置いてあったのは、類似図書という範疇に入るものだった(性的な要素があるにも関わらずマークなしでコンビニで扱える本)。コンビニフランチャイズ団体は、「なるべくエロ本は売りたくない」ということを審議会などでもはっきりと発言しているのですが、お店の方はそれらを売らないと困っちゃう(苦笑)。
山田:
やっぱり、売れるんだ!?
永山:
ある程度は売れるらしい。お弁当と一緒に買ったりと手堅く売れる商品なんですって。
智恵莉:
ふふふ(笑)。
山田:
あ~はいはい、なるほど(笑)。
永山:
かなり数は減っているのですが、いまだに区分陳列されたグレーゾーンにあるエッチな本が売られている、というのがコンビニの現状です。
山田:
最近だと(ファミリーマートのエロ本コーナーにビニールをかけた)堺市や千葉県の問題(同人誌即売会を中止に追い込んだ千葉県青少年条例)などがありましたが、あれはどうですかね?
永山:
すごい嫌なやり方だなと思っていて、行政が「こうしなさい」と言っているわけではなくて、行政が「うちでは売りません」というような内容で、個々のコンビニと契約を結ぶわけです。
山田:
堺市はビニールをかぶせるやつを配ったんでしたっけ?
永山:
ちょっと続報は分からないのですが、あれもすごい批判の対象になりましたよね。行政側としては、民間側と約束して「売らない」と言っているだけで、強制した覚えはないと。表現の自由とは一切関わりはないというロジックなんですけど、行政が動いちゃったらもう強制だろ! って。
あまり理解せずに始めた紀伊国屋の自主規制事件
山田:
そんな中で店舗の自主規制というのが大きな問題となってくる。非常に話題になったのが「紀伊国屋事件」。なんだそれ!? 紀伊国屋文左衛門か! っていう感じなんですけれども……。
永山:
ミカン船か! ってね(笑)。
山田:
ははははっは! 実は、1999年に児ポ法(児童ポルノ規制法)の成立を受けて、紀伊国屋が児童ポルノに該当するかもしれない……というか、勝手に思い込んだといった方が正しいのですが、そういったマンガや雑誌を撤去してしまうことが起こったんです。青年コミックやBLのような図書が撤去される中、『あずみ』『バカボンド』『ベルセルク』といった名作も対象となった。
智恵莉:
有名な作品ですよね!?
山田:
『あずみ』は1997年に文化庁メディア芸術マンガ部門優秀賞を取っている。「国」である文化庁が認めた素晴らしいマンガという扱いです。『バカボンド』も2000年に同じ賞を取っています。『ベルセルク』は、2002年に第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞。それにもかかわらず排除されてしまった。
僕もそれぞれ読もうと思って図書館に行ったけど、なかなか手に入らなかった。京都精華大学が維持している国際マンガ研究センターに行ってようやく全部揃っているのを見た(笑)。
永山:
揃ってますね。
山田:
確かに『あずみ』なんかは性的にもかなり過激な表現があるんだけれど、許容範囲じゃないのか、と。二次元、マンガの世界なわけだし、あーだこーだとやかく言うことはないと思うんだけど、紀伊国屋は何を勘違いしたのか二次元には関係のない児童ポルノ規制法が成立したことを受けて撤去してしまった。本屋から撤去されてしまえば買うことができなくなる。
しかも、紀伊国屋の動きを見て、他の書店も撤去しなきゃいけないんじゃないか……なんてことまで検討されて大きな騒動になった。今はもちろん販売しているのですが、こんなことがあったんですね。このときは有名タレントの写真集なんかもなくなりましたよね?
永山:
なくなりましたね。
山田:
煽りを食ったのが本上まなみさん。写真集が店頭から消えたという話は有名ですが、このあたりは流通における歴史的に見ても大きな自主規制のケースだと言えるでしょう。
そこで私は児ポ法改正の際に、2013年5月8日の参議院予算委員会でこの紀伊国屋事件を取り上げました。安倍総理、そしてマンガといったこの人、麻生さん! ということで、いろいろと聞いたわけですが、国としてはそういった表現の自由に抵触するようなことについては「行わない」というような答弁になりました。
自主規制の怖さというのは、法律によって規制されていないのに勝手に批判され縛りが厳しくなったり、あるいは将来規制されてしまうんじゃないかというような風潮が自然と広まり、極端に規制してしまう流れになることだと思います。
永山:
うん。極端に振れますよね。
マンガを読むとバカになる! 手塚治虫も被害にあった「悪書追放運動」
山田:
また、民間の自主規制という点ではいろいろなことがあったので、私の方から戦後からの流れを紹介しておきたいと思います。1950年代、典型的な少女マンガの走りとして『少女クラブ』という雑誌が出ました。
永山:
初期の少女マンガですね。
山田:
その中で、当時の基準としてミニスカートや太ももが出ているものはよろしくないという風潮がありました。
智恵莉:
大変ですね、それ……(苦笑)。
山田:
厳しすぎるよね!?(笑) そういう流れがあった中で、すごくボルテージが上がっていくのが1954年。昭和29年のことなのですが、悪書追放運動というのが始まりました。
永山:
始まりましたね~。
山田:
「母の会連合会」、これは警察の関連団体で天下り先だったなど、いろいろ言われている……。
永山:
天下り先だったかどうかは分からないけど、補導員とかの団体なんですよね。
山田:
この団体が、約6万冊の雑誌やマンガを焚書にしていくということが起こるわけです。理由は「言葉づかいが下品」という(笑)。
永山:
(笑)
智恵莉:
う~ん……。
山田:
もうなんか大変だよね! 今ならほとんどダメだろうね。
智恵莉:
そうなっちゃいますよね(笑)。
永山:
全部ダメでしょう(笑)。
山田:
それから面白かったのが、「刀が1ページに20本くらい出てくる」なんて理由。なんだそりゃ(笑)。
智恵莉:
20本っていう数字はどこから出てきたんでしょう(笑)。
山田:
チャンバラマンガだったんでしょうけど、刀もたくさん出てくるでしょうに。そして、1955年に手塚治虫先生が吊るし上げにあいます。「人間が宇宙旅行をする荒唐無稽なマンガだ!」と、ある大学の教授に批判されたのですが、その2年後の1957年にスプートニクが打ち上げられた(笑)。
永山:
実際に人工衛星が打ち上がるという、まさにマンガのような展開に。
山田:
果たして荒唐無稽だったのか!? 「人間が宇宙に行くようなマンガなんておかしいじゃないか!」ということで批判されるって、もうムッチャクチャだよ!(呆れ顔)
智恵莉:
完全にいちゃもんですよね……。
山田:
いちゃもんですよ(笑)。その次が最近少しネットでも話題になっているようですが、「白ポスト問題」。1963年、兵庫県尼崎市で初めて悪書追放運動の象徴とも言える「白ポスト」が設置されました。若い方は、白ポストって分からないかな!?
白ポスト問題と1970年代のエロマンガ事情
永山:
地域によって違うんだよね。まだ存在するところもある。
山田:
家に悪書を持ち込まない! 子どもを守ろう! ということで駅前に設置されたのが「白ポスト」。
永山:
ペンギンの形をしているものなど、いろいろなタイプがありましたね~。
山田:
今でも地域によっては各駅ごとに置いてあるところもあるけど、あれって入れた本はその後どうなるんですか?
永山:
そう言われれば……どうなるんですかね?
山田:
集めて誰かが売っていたりして!?(笑)
永山:
いやいや、廃棄処分では(笑)。
山田:
捨てるなら捨てればいいのに……集めてどうするんだろうね? この白ポストを作った意味や、なぜ作ることになったのかという動機については、ちょうどこの時期、受験戦争らしきものが騒がれ始め、「子どもはきちんと家で勉強しなさい」という風潮になってきたからだと。家の中にエッチでないもの含めて、由々しき「マンガ」なるものがあることはとんでもないというわけです。なにせ荒唐無稽なわけですからね。
永山:
宇宙に行っちゃうくらいだし、何を考えているんだと。
山田:
マンガを読むと「バカになる」というわけです。大学の学者などが寄ってたかって、「マンガがいかに子どもに悪影響か」なんてことを議論し、ついに1970年、永井豪先生の『ハレンチ学園』が登場する。「モーレツごっこ」というのも流行りましたね~。私は幼稚園生くらいだったのですが、「モーレツゥ~」って言いながらスカートめくりをするのが流行りました(笑)。
永山:
テレビのコマーシャルだよね。
山田:
そうそう。そういう系譜って、何となく雰囲気的にサザンの桑田佳祐さんなんかはあるよね。
永山:
世代的にそうかもしれないね。
山田:
1960年代から70年代にかけて、さまざまな強烈なマンガが出てくる一方で、「これは悪書だ」ということで取り締まりたい側との激しいつばぜり合いがあったわけです。
永山:
70年代の中頃……前述したように1975年には、記念すべき第1回のコミケが開かれたり。
山田:
コミケで聞いたことがあるのは、悪書扱いされることで出しづらくなる風潮の中で、自分たちが自由にマンガなどを売ったり買ったりできないのだろうか、ということ。
永山:
もうひとつ面白いのが、75年というのは三流エロ劇画のピークだったんですよね。
山田:
三流エロ劇画!?(笑)
永山:
うん。そういった作品は書店では売られず、自販機でお金を入れてボタンを押すとガタンゴトンと出てきた。いろんな写真の雑誌もあったし、エロマンガ誌もあった時代です。
そのピークのときに『エロジェニカ』が刑法第175条に引っかかって、70年代後半になるにつれエロ劇画誌は絶滅していく。その後、今度はロリコン雑誌が出てきて、それはそれで困ったなという展開になる。
第百七十五条1:
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。2:
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
山田:
今日はエロマンガスタディーズになっちゃってますね(笑)。いろいろと勉強になると思いますが、同時に自主規制との戦いが巻き起こっていく。