「最も良い防衛手段は、その手段を持たないこと」コスタリカに習う平和国家の作り方とは【話者:伊藤千尋】
軍隊を持たない=自衛隊を持たない?
伊藤:
自衛隊を持たないというと、「丸腰で大丈夫か」っていうじゃないですか。けど、コスタリカだって丸腰じゃないんですよね。全ての国家というのは、3段階の武装組織を持っています。まず、「警察」。これが社会の治安維持ですよね。日本は28万人いますよ。それから「国境警備隊」。日本でいうと海上保安庁。これが1万3000人ですよ。その上に、よその国と戦うための武装組織、これが「軍隊」。日本の場合、自衛隊で、23万人いますよ。
コスタリカはどうかというと、警察と国境警備隊があって、合わせて9800人ですよ。その上のよその国と戦う組織がないんですよ。でも、決して丸腰じゃないんだよね。国境警備隊は持っているわけ。だったら、日本もそういう風になればいいわけですよ。もともとのようにすればいいだけ。つまり、警察と国境警備隊はあっていいんですよ。
それも無くせっていうのは暴論ですね。ところが、日本の国境警備隊、海上保安庁はたった1万3000人ですよ。1億3000万人の国で、国境警備隊が1万3000人は少なすぎる。こんなの誰も納得しない。だったら、そこに人を振り向ければいい。
つまり、自衛隊を海上保安庁の方に振り向けるという風にすれば、専守防衛になりますよね。コスタリカと同じ、何の非難も受けません。
そして我々だって、ちゃんと国家を守ることができるって自信を持って言えるようになりますよね。「自衛隊を廃止しろ」って、全くゼロにして、丸腰にしろっていうのは暴論ですよ。今みたいにすれば、つまり、コスタリカみたいにすればいいと僕は思ってますよ。
そうした議論が活発にされないのはなぜか
日本って国防論理だけじゃなくて、政治の話を全然しないじゃないですか。よその国は違いますよね。例えば、コスタリカって小さい頃から本当に政治の話、社会の話するんですよ。あの映画の中で、コスタリカの小学校で特によく見られるのが、机が台形になっているんです。普通、長方形じゃないですか。
もちろん、コスタリカも長方形の机の学校あるけども、多くは台形なんですよ。なぜ台形かっていうと、台形の机を集めたら円形になるじゃないですか。そうすると、コスタリカの小学校では、授業が始まると、机を丸く作ってディスカッションをするんですよ。そして、先生が設問を出す。
それに対して、子供たちが自分たち六人くらいで、がやがや喋りながら討論して、そこから答えを自分たちで見つけていく。こういう仕組みをずっとやっているんですね。その仕組みが、日本にはないじゃないですか。日本はみんな先生の方を向いて、先生の言うことをそのまま丸暗記する。こういう教育と、世界の教育は違うんですよ。
それと、さっきの、ノーベル平和賞をもらったアリアス大統領に、「どうやってよその国の戦争を終わらせたのか」と聞いた時に、彼は「うちの国、コスタリカでは、小学校の頃からあらゆる揉め事は話し合いで解決できる」と。こういう風に教えているんですね。
国と国の戦争、夫婦喧嘩、学校のいじめ。「あらゆる揉め事は話し合いで解決できるということを、うちの小学校では教えていて、自分もそう習った。そういうことをこの討論の中で培ってきて、それを大統領になってそのままやっただけだ」と言うんですよ。まさに今の日本とコスタリカで違うのは、小さい頃からそういう討論して、考えるっていう習慣がつけられているかどうかですよね。
コスタリカって18歳の選挙権って1974年からやってますよ。それがやれるのは、子供の政治意識がすごい高いからですよ。しかも、大統領選挙のたびに、投票日に子供達の模擬投票っていうのをやるんですよ。子供達に、本当の選挙管理委員会が、本当の投票用紙を配る。
そこで、子供達が、子供投票用のスタンプが押してある用紙に記しをつけて、「僕は今ならこの人に投票する」と、本当に投票権があるかのように投票する、というようなことをやるんですよ。幼稚園時代から、そういうのをやるから、政治意識がえらく高い。
しかも、投票の真似をするだけじゃなくて、本当に投票権を持ったら誰に入れるだろうっていうのを、子供と子供、子供と親、子供と先生が話し合うんです。だから、コスタリカに行くと、政治の話ばかりですよ。ものすごい意識が高い。それと違うじゃないですか、日本って。
子供どころか大人になっても政治の話したら、友達がいなくなるとか言うじゃないですか。これだと、防衛論どころか、あらゆる政治の話が育たないですよね。政治家がろくなのがいないって、それはそうなりますよ。小さい頃からみんながディスカッション、話し合いをして、初めて民主主義って機能するものだし、そういう習慣を作っていないっていうのが一番の欠点だと思う。
教育の課程の中で、小さい頃から議論を取り入れる、これ、別にコスタリカで始まった話じゃなくて、アメリカだってどこだってそうですよね。議論する、討論する、そういう中で自分の考えを作っていく。思い込みで自分だけで考えると、ろくな考え持たないじゃないですか。そうじゃなくて、人の意見も聞く、人に聞いてもらうために自分の意見も作る、そういう習慣を作っていくことですよね。
それは本当に、コスタリカに限った話じゃなくて。僕、今まで3回特派員をやったんですね。中南米の特派員が最初で。中南米って33の国があるんですよ。どこの国に行ってもみんな討論をやっていた。二回目がヨーロッパだった、三回目がアメリカだった。どこでも討論してますよ。
メディアがそれを応援してるんですよ。例えば、僕、アメリカの特派員になったのが2001年の9月1日付なんですが、行って、10日後にアメリカ同時多発テロ事件が起きてしまった。今でも覚えてるけど、そのテロの日に、テレビで討論番組をすごく多くやっていたんですよ。
あのテロの日も、討論番組がたまたまやっていて、司会者が画面で、後ろに人がずらっと並んでる。「今日、うちの国はテロをされた。なぜテロをされたのでしょうか。どうすればいいのでしょうか。みなさん意見を言ってください」と。そうすると、後ろの人がいろんな意見を述べるんです。
その時の大半の意見は、「うちの国、アメリカは世界でちょっとひどいことをやってきたんじゃないか」と。「今、その仕返しを受けてるんじゃないか」と。「今、我々は考え直すべきだと、反省すべき時だ」というのが大半だった。「アメリカ人ってすごいまともじゃないか」と思ったんだけど、そういう番組をきちんとメディアでやるんですよ。
日本のメディアで討論番組でやらない。やったとしても、いわゆる識者、学者、そんなのばかり。そうじゃなくて、普通の人が出て、普通の言葉で語るような、そんな番組をアメリカのメディアはよくやってますよね。それがほしいですよね。メディアって、そういうのを鍛えるための組織じゃないですか。
その義務を果たしてないと、僕は思う。日本人って例えば、新聞が何か報道する、NHKが何か報道する、ひどいねって思ったらひどいね、というのは何件かありますよ。でも、「いいね」と思った時に、いいねっていう反応はないですよ。これは、ヨーロッパの報道機関と日本と違うところですよ。
ヨーロッパの場合って、例えばイギリスのBBCとか、政府に対して、完全に楯突いちゃうもんね。BBCの財政組織とNHKと、そんなに変わらないですよ。ところがなぜ、BBCは楯突けるかっていうと、国民の支持があるからですよ。
視聴者のBBCが何か良い放送した。そうすると、視聴者がそれはいいねって声がかかってくる。政府が何かBBCに対して圧力かけようとしたら、これだけ視聴者の支持がありますよって言えるんですよね。日本はそれがないじゃないですか。この違いです。
だからメディアも、民意、民度の反映なんですよ。国民の民主主義のレベルがそのままメディアに反映しますよね。だから、日本人、市民はメディアを自分たちのものと本当に思うならば、メディアを鍛えなければいけないのですよ。