「マンガ表現ってそもそも弾圧の対象だった」手塚治虫、永井豪らが受けた「マンガと表現規制の歴史」
「マンガ」が禁じられた近未来の日本で、マンガを取り締まりる焚書官・レムの日常を描いたSF大作、『CICADA』を月刊スピリッツで連載中の漫画家、山田玲司氏がゆるーく語る「マンガ表現の規制・弾圧」。
2月1日配信の『ニコ論壇時評』にて、「マンガ表現ってそもそも弾圧の対象だった」と、手塚治虫氏の漫画が焚書にあったことや、子供たちがスカートめくりをする描写にPTAがクレームを騒動になったことなど。過去にマンガ界で実際に起こった表現の規制事案を解説してくれた。
エロもひとつの武器
山田:
実を言うと、マンガ表現って、そもそも弾圧の対象だったのね。ずっと。
乙君:
ああ、江戸時代からね。
山田:
特に戦後になって何でもありになって、自由な表現。我らが手塚治虫が、映画の手法を漫画の中に持ち込んで、表現の幅をバッと開いた。
そうすると、今までのユーモア風刺モノみたいな、狭いジャンルだったのが、物語性を帯びて一気に豊かになり、手塚治虫以降、「あれがけしからん、これがけしからん」がはじまるという。だから、手塚治虫の漫画が燃やされてたの知ってる?
乙君:
え? 初めて聞いた。
山田:
焚書にあったし、あと有名なのが永井豪の「ハレンチ学園問題」というのが、メチャクチャ大変だったらしくて、子どもたちがスカートめくりをするって、ギャグが入ってただけなんだけど、それでPTAが大暴れ。
乙君:
タイトル『ハレンチ学園』ですからね。(笑)
山田:
子供エッチの最初の一手だったんだよね。要は子供シモネタ文化みたいなギャグがあったじゃん。アレの一種だったんだよ。あの時代(60~70年代)は、闘争の時代。前の世代と闘うわけ。だから、永井豪さんって、上の封建的な人たちと、自由な私たち、若者の闘いをずっと描いていた人なんだよ。
ハレンチ学園の武器っていうのは、エロもひとつの武器だったという。頭の固い大人たちに対する抵抗運動としての、ハレンチ学園だったんだよね。で、それが一旦収まって、こっから波のように規制が厳しくなったり甘くなったりする時代がくる。山本英夫っているじゃん?
乙君:
ああ、『のぞき屋』の。
山田:
あいつなんかも最初の作品でR指定くらってるし。俺の同じ担当だった昔は沖さやかって名乗ってたんだけど今は、山崎紗也夏さんって漫画家がいるじゃん。『はるか17』とか、今講談社で描くひとになったけど、あの人もヤンサンにいるときは、問題あって、発禁処分とか大騒ぎになって。
乙君:
ヤンサンはそういう人たちのたまり場(笑)
80年代は著作権フリーの時代
山田:
どうしてかというと、ヤンサンは一番攻めてた。だから、当時思ってたんだけど、一番の変人が編集長になりがちだったんだよ。真面目な人もいるんだけど、基本的にいいじゃん! やっちゃえば! って人が多かった。
実際に。俺の担当もいいじゃん! やっちゃおうよ山田くんみたいな人が多くて、だからヤンサンって、逸脱した名作もいっぱい生まれている。だけど、やりすぎて怒られてるみたいなものもあったんだけど。
それがヤングサンデーで、実質的に70年代ぐらいが、前の世代との戦いみたいなんだけど、80年代になっていくと、世の中全体が上手く回ってる感があってね。
乙君:
ああ。経済的にね。
山田:
そう、経済的に上手くまとまっちゃうと、みんな闘うことを忘れるんだよ。一番典型的なものが『Dr.スランプ』だよね。Dr.スランプで、80年代はじまりますって感じなんだよ。あそこで、表現の規制ね。エロ云々よりも、ひどいのは、著作権だよね。オールフリーですから。
乙君:
え? どういうこと?
山田:
がんがんウルトラマンとかゴジラとか出て来るの。
乙君:
Dr.スランプに?
山田:
お構いなく、その前の『マカロニほうれん荘』とかのギャグ漫画とかもそうだったんだよ。で、顕著なのが、水島先生ね。水島先生の野球漫画には、実在の野球選手が普通に出てくるからね。でも、あの時代、侍ジャイアンツにも、長島、王が出てくるわけ、要は、良くない? 別に、そういうことみたいな。
乙君:
あれって、許可とってなかったんですか?
山田:
あとで、水島新司については、野球連盟が、功労賞ということで、オッケーという感じになって。水島新司だけは、描いてもいいです。
乙君:
イチローと野球やってましたもんね。
山田:
あれは、野球選手も『ドカベン』見て野球始めた人がいるから、水島漫画に出るのが夢でしたみたいになると、規制もへったくれもないでしょ? だから、野球連盟の一部に水島新司がいるの。
乙君:
構造ですよ。日本の野球の一翼が水島新司ですよ。
山田:
そこから、悪ノリの80年代から、いろいろダメみたいなことが起こるんだけど、90年代にかけてタブーの限界に挑まない? って話しになってくるわけ、で、時代は経済的に崩落しているわけだよ。だから、みんなの心が病んでるわけだから、過激な表現が増えるんだよ。
そのときに、行けるところまで、行ってやれ競争みたいになるわけよ。そこで、イタチごっこみたいになったりとかして。で、ゼロ年代になるとだいぶおとなしくなるんだよ。俺が一番覚えているのは、遊人さん、遊ぶ人って書いて。
乙君:
あの人、エロ漫画の人でしょ?
山田:
遊人さんという人は、もともと人情漫画家なんだよ。
乙君:
ええ!
山田:
モーニングで描いてたときは、大友克洋そっくりの画で、人情漫画を描くまじめな人だったんだよ。あの人の描く漫画のパターンというのは、推理モノがとても多くて、何か問題があるのを解決するのを逆算して、すごくまじめに緻密に描く人なの。もともとは。
なんだけど、遊人さんは、途中で、俺は売れるためならなんでもやると思ったのかはわからないですけど、とにかく、なんでもあり攻勢に入るわけよ。
で、俺ははたから見ていて、担当が一緒だった時期があるけど、面識は無いんだよ。でも、どう見ても明らかにエッチをしないでおなじみの、あだち充の顔(画)で、エッチをしまくるという漫画を描くという。夢じゃないですか(笑)。
一同:
(笑)
乙君:
同人誌的なノリじゃないですか?
ガールズファッション誌『Popteen』でもPTA大暴れ
山田:
ドリームがそこに! そして、当時の若者が大熱狂ですよ。だって、あだち充の世界で、あれだけ焦らされてたのが、遊人になったとき解禁ですから。やばいでしょ? これを最初にやったのが、吾妻ひでおさんなんだよね。だから、手塚漫画のかわいいキャラクターで、やりたい放題エッチを描くっていう。っていう流れの次の段階で、それが起こってて。で、遊心さんノリにノッてました。
あの当時90年代。そしたら、国会で大騒ぎになった、ポップティーン問題みたいなのが当時あって、10代の女性向け雑誌なのに、あまりにもエロ描写がひどすぎると、彼氏のために何をしてあげるかみたいな話を描くわけだから、ふざけるなと。
これをPTA的な人が見つけて、国会議員に陳情して、票田からの陳情依頼なんで、ここぞとばかりに正義を振りかざして叩くと、で、ヤングサンデーも叩かれてたんですよ。で、折しもそのころ俺はヤングマガジンに叩かれてて……。
乙君:
なんで?
山田:
ヤングマガジンに連載しようと思っていた作品が、仕上げまでできていたんだけど、載る載らないみたいなところまで行って打ち切られまして。
それで、俺は原稿を持ってヤングサンデーに謝りに行くわけですよ。浮気してすみませんでした。俺を拾ってくれたヤングサンデーから別のところに浮気してすみませんって。
一同:
(笑)
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