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N高生へ向けて『ソードアート・オンライン』ゲームPが熱く語る、プロデューサーにとって“センスより大切な力”とは

 カドカワが作るネットの高校、N高等学校では、授業の一環として『ゲームプロデューサー授業』が開催され、その様子がニコニコ公式生放送にて公開されました。今回の授業ではバンダイナムコエンターテインメント『ソードアート・オンライン』ゲームシリーズ総合プロデューサーの二見鷹介さんが講師として登壇しました。

 MCに電撃ゲームメディア総編集長の豊島秀介さんを迎え、ゲームプロデューサーとして『ソードアート・オンライン フェイタル・バレット』『ソードアート・オンライン インテグラル・ファクター』に関わっている二見さんの経歴を振り返りつつ、ゲームプロデューサーの役割、そしてプロデューサーになるために必要な才能や心構えなどを講義しました。

画像は『ソードアート・オンライン フェイタル・バレット』公式サイトより。

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ゲーム業界に入った経緯「スタッフロールに載りたい!」

左から、豊島秀介さん、二見鷹介さん。

豊島:
 二見さんはいつゲーム業界を目指したんですか。

二見:
 小学校の頃ですね。小学校のアルバムに「ゲーム業界に行きたい」って書きましたね。ただ初めは遊びの延長でゲームの攻略本とかを作りたいって思ってました。結果まわりまわって作り手になりました。

豊島:
 なるほど。ちなみにゲームの仕事に就きたいと思ったきっかけのゲームってありますか。

二見:
 きっかけだと『ロックマン2』ですかね。フラッシュマンのステージ音楽が好きでした。僕は3歳ぐらいからファミコンをやっていて一番最初にやったゲームで覚えてるのは『けいさんゲーム』でした。足し算引き算をして虫歯を治していくみたいな。上に兄がいたのでずっと一緒にファミコンで遊んでいました。あと『ドラクエ』も3からやってたり『くにおくん』とかもすごく遊んでいましたね。

豊島:
 いろんなジャンルのゲームをやっていたんですね。その後はゲームの仕事がしたくてバンタンゲームアカデミーに入学されていますね。

二見:
 年表の順番が違うんですが、バンタン入学の前に肉屋があるんですよ。高校を卒業した後、まず肉屋に就職したんです。

豊島:
 肉もゲームぐらい好きだったってことですか(笑)?

二見:
 就職先が大手のスーパーだったんですよ。そこで精肉部でスライサーで薄切り肉とかにしていました。その時は肉の包丁研ぎがめっちゃうまくなって特技になりました(笑)。

豊島:
 就職後にやっぱりゲーム業界に行きたいなってなってバンタムにはいりましたか。

二見:
 僕は結構ころころ夢が変わっていて小学校の頃はゲームの仕事がやりたいって書いたんですけど、あだち充の漫画にハマって野球をやりたくなった時もあって。就職も文具玩具の部署に行っておもちゃやゲームを売りたかったから入ったんですけど、配属が精肉部だったりして一年半で辞めました。そのあとたまたまゲーム雑誌で見た専門学校の体験授業に行ってみて、ゲームの企画を作るのが面白いなと思って入りました。

豊島:
 やっぱりエンタメをやりたいと思ってたんですね。

二見:
 そうですね。ただ動機が不純で、インターネットで自分の名前をエゴサーチしてみたら一件もヒットしなくてヘコんで、ゲームのスタッフロールに載りたい! と思ったのがきっかけですね。

豊島:
 バンタン卒業後はバンプレソフトさんに入社したんですね。

二見:
 いまはB.B.スタジオという会社になっていて『スーパーロボット大戦』ともうひとつ開発チームがあって、そこのチームに入りました。面接で「『サモンナイト』が好きなので、そういうゲームが作りたい」と言ったり「『スーパーロボット大戦』は好きだったけど開発はやりたくない」って言ったり(笑)。最終面接は肉屋の話だけ30分ずっとしていて、落ちたと思ったんですけどバイトで来てくれと言われてそこから入社しました。

豊島:
 そちらでアシスタントプロデューサー業務を経験されたんですね。

二見:
 『サモンナイト4』や『ルパン三世』のPS2のゲームのお手伝いをアシスタントでやらせていただいて、初めてプロデューサーをやったのが『涼宮ハルヒの戸惑』という作品でした。

豊島:
 そのころから角川との接点があったんですね。

ゲームプロデューサーの仕事とは

二見:
 その後は親会社のバンプレストでゲーム部門だけの部分をやらせてもらって、その後に『バトルスピリッツ』のゲームをやりましたね。その後はバンダイナムコゲームスに合流しました。

豊島:
 そしてバンダイナムコエンターテインメントに社名が変更されましたね。その後も様々なゲームに関わっていらっしゃいますね。

二見:
 ノベル系の作品に関しては、やる人間がいなかったので『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(以下、俺妹)以降多くやらせてもらっていますね。僕はノベルを読むのが苦手で、当時ハルヒなんかは馬鹿にしていました。今はそんなことはないんですけど。

 『俺妹』のときに電撃文庫の三木一馬さんという本当に独特な編集者の方に会いました。仕事をすごく、ぶん投げる人で……ゲーム作るときは伏見先生と三木さんと僕でメールしてたんですけど、最後は間に入らないで伏見先生と僕だけになりましたね。

豊島:
 信頼を得てそうなっていったんですね。

二見:
 その後いろんな仕事でいい経験をさせていただきましたね。『ソードアート・オンライン』のゲームは三木さんに直接電話でゲーム化させてくださいって言ったのがきっかけでした。

豊島:
 そもそもゲームプロデューサーって何をしている人なんですかね。

二見:
 金勘定ですね。

豊島:
 予算を取ってきてゲームを作る最終権限者みたいなことですか。

二見:
 映像のプロデューサーは集金者ってイメージが強いと思うんですが、僕らは会社からある程度お金が出るので話す先が一つでいいというのは楽ですね。うちの会社はキャラクターをお借りしているので、その後の展開とかいろんなコンテンツのパターンがあります。

 このコンテンツはユーザーがこれぐらいいるのでゲーム化したらこれぐらい利益でるだろうという想定でゲームを作らせてくださいみたいな話が多いですね。

豊島:
 この作品だったらこれくらいのお客さんはいるっていう目利きが重要なんですかね。

二見:
 僕の場合はノリですね。何が売れるかはわからないので、この作品やりたいとかこれをこうしたいとかをプロデューサーがやっていくので、これをどれぐらい売りたいとか言っていかないと企画が通りませんね。これでイケるっていう感覚を持つことですかね。

豊島:
 プロデューサーになるのってどうすればいいんですかね。例えばプロデューサーやってる方から推薦されるのか、もともとプロデューサーになるために育てられるのか、バンナムさんだとどうですか。

二見:
 うちの会社だと制作という部署がプロデューサーを担ってるので、そこに入って1年間ぐらいアシスタントプロデューサーという形で手伝いをしながら自分の企画を立てたりする感じですね。

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