北浜、好機つかめず 佐藤康光九段―北浜健介八段:第3期 叡王戦本戦観戦記
「叡王戦」の本戦トーナメントが11月25日より開幕。3期目となる今回から新たにタイトル戦へと昇格し、ますます注目が集まっています。
ニコニコでは、佐藤天彦 第2期叡王と段位別予選を勝ち抜いた15名による本戦トーナメントの様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。
会長VS係長
将棋界8つ目のタイトル、叡王を目指す本戦が開幕した。本局は日本将棋連盟の会長を務める佐藤と、その人柄からニコニコ生放送で「係長」と親しまれる北浜の一戦だ。「会長VS係長」――。なんとなく係長の苦労がしのばれるような字面だが、盤上は平等である。互いに棋士として全力を尽くすのみ。
両者とも普段は笑顔が印象的な好人物だが、対局となればまとう空気が一変する。この日も対局室に入った途端、2人の表情が険しくなったのがわかった。
北浜は詰将棋作家としても有名で、棋風は苛烈な攻め将棋、佐藤は独創的な序盤戦術と、力で相手をねじ伏せる剛腕が特徴。この2人がぶつかれば激しい戦いになるだろうと思ってはいたが、開始20分ほどで早くも戦いのゴングが鳴った。
北浜の後悔
北浜得意のゴキゲン中飛車に、佐藤が急戦を挑んで迎えたのが第1図。華々しい乱打戦である。先手はと金を作って敵陣を突破したが、後手は自玉の懐が深いうえ、敵玉に近い馬の存在も大きく、総合して後手が十分にやれる形勢だ。佐藤は「最近多い形にしてみたが、少し無理気味だった」と振り返る。
第1図では△7五飛と引けば、北浜にとって会心の立ち回りになっていた。急所は横利きで敵の駒に狙いをつける点にある。①▲8六角は△8五飛▲4二角成△8八香▲5七銀△8九香成、②▲6六角は△8五飛▲2二角成△8四香▲7九金△8七飛成▲6九玉△9八竜、③▲7九金は△4四歩、いずれも後手がいい。
実戦はすぐに△7四飛と引いたが、チャンスを逃して優位がいっぺんに吹き飛んだ。わずか1マスの違いで明暗が分かれるのが将棋の怖さだ。北浜はここに至るまでの難所で長考をしていたが、第1図で時間を使わなかったことに「ひどかった」と嘆いた。叡王戦では今期から、本戦の持ち時間が1時間から3時間に増えている。じっくり考える余裕があっただけに、惜しい逸機になった。
幻の強襲
北浜の判断ミスで形勢混沌。第2図では難しい戦いになっている。上着を脱いだ北浜は前のめりで盤面をにらんでいた。部屋の涼しさが気になって空調の設定を見れば、12月というのに冷房が入っている。棋士は対局の前後で体重が数キロ落ちることもあると聞くが、対局に使うエネルギーの大きさをあらためて実感した瞬間だった。
第2図では後手に有力な迫り方があった。それが△9八馬▲8八金△8七香成▲同角△同飛成▲同金△同馬▲同玉△6九角(参考図)の強襲だ。
飛車も馬も盤上から消えるので心細く映る順だが、△4七角成が飛車に当たるため思ったよりも攻めが続く。佐藤は「よくなったかと思ったが、これは(攻めが)うるさい。気がつかなかった」と驚いていた。
本譜は第2図から△2八歩としたが、評価値が一気に先手のプラス1000点まで振れた。わずか1手の緩手で形勢が大きく佐藤に傾いたのだ。北浜は「大変な順があったことに気づかなかった。お粗末でした」とため息をついた。
と金寄りに手応え
佐藤の▲3三と(第3図)がうまい手だ。駒得に目がくらんで金を取るより、2手かけてでも飛車を二段目に成り込むほうが後手玉に響く。佐藤は「と金を寄ってよくなったと思った」と手応えを語った。
この手を見た北浜が天を仰ぎ、肩を落とした。北浜は第3図で△2三歩とするつもりだったが、以下▲4二と△4五歩に▲9六銀が好判断。後手は攻撃部隊の主力を押さえられて手が出せない。「銀が手に入るので勝負形だと思ったら、望みがない」と北浜。
午後8時過ぎ、廊下から佐藤の咳き込む声が聞こえてくる。緊張が高まった時のくせだ。対局室に戻ると、佐藤は首の後ろをこぶしでたたいて気合を入れた。
鮮やかな即詰み
佐藤優勢で迎えた第4図だが、自玉が露出して危ないので油断できない。ここまでに安全勝ちを狙う路線もあったが、佐藤は強く踏み込んで鮮やかに決めた。
第4図から▲8三歩成△同玉に▲7二竜!が鋭い一閃。これでどう応じても後手玉は詰んでいる。
午後8時57分、北浜が「負けました」と頭を下げた。投了図以下は△5三玉▲4三成桂△5四玉▲6五金までの詰み。「最後は詰みがわかっていなくて」と北浜が苦笑すると、詰将棋の名手から出た率直な言葉に、佐藤は「いやあ」とはにかんでいた。
佐藤が見事な即詰みに討ち取って2回戦進出。北浜は段位別予選で強者ひしめく山から勝ち上がったが、本戦ではトップ棋士の壁に阻まれた。感想戦を終えて対局室を去る北浜の背中は、心なしか寂しげに見えた。
(観戦記者:松本哲平)