『ブレードランナー』をSF映画の金字塔にした“4つの要素”をリアルタイム世代の映画評論家が解説
監督リドリー・スコットについて
添野:
リドリー・スコットは今に至るまでそうなんだけど、自分のビジョンを譲らないんだよね。リドリー・スコットがブレードランナーを支えた。スタッフといつも悲惨なくらい揉める。ブレードランナーの撮影のときも初めてのハリウッドの現場で現場に行くとライトが落ちてくるようなそんな現場だったわけですよ。
現場入りしたその日に背景を見て「はい、美術ダメ、直してください」みたいなね。実績が何にもないやつがいきなり来てだよ? スタッフ側もリドリー・スコットが何をしたいのか全然わからないわけ。リドリー・スコットは俺の考える未来はこれだっていうのがはっきりあるけれど、それをうまく説明できない。
スタッフはそれを受け止めきれない。何しろそういう映画はこれまでなかったから。撮影期間中はデンジャラス・デイズと呼ばれていました。リドリー・スコットはCMのディレクターとして実績が長くあったのでそこで譲らなかったんですね。
普通の若い監督だったら「すみません、僕は帰ります」というところで譲っちゃうわけですけれども44歳のリドリー・スコットだから譲らずに撮れたわけだよね。
スタッフ:
シド・ミードっていうデザイナーは当初は車のデザインだけで参加していたのが、美術の制作にまで入ってくる。要はアメリカのハリウッドという組合制度がある中で自分の領分以外の仕事をするとご法度じゃないですか。リドリー・スコットはイギリスから来た人だからそういう人も引き入れちゃうんだよね。
添野:
自分のビジョンを実現するためには何でも利用する人なんでしょうね。
『ブレードランナー』が素晴らしい作品になった要素は4段階あって、最初は原作があって、二つ目が脚本の段階で入れたハードボイルド探偵ものの要素、3つ目が脚本には未来のことが何も書いてないからリドリー・スコットは自分の好きなメビウスの漫画のように美術セットを作りましょうと言った。
これははっきり言ってしまえば第二の原作ですよ。これの要素を入れつつ実際に作れる人が必要だったところにシド・ミードという天才が現れた。この4段階を経ているということは素晴らしい。
シド・ミードは元々彼自身がインダストリアルデザイナーとして実績がある人だったので映画の中のものを実際に立体としてデザインするということができる人だったのが大きいです。
松崎:
現場で見たライティングの絵と仕上がった絵は違うんですよ。例えば人間の目で夜に見た風景と、スマホで夜に撮った写真って暗さが違うじゃないですか。人間の目ってすごくいいレンズをしているんですね。だから現場で見たときにどういうふうな画になるかっていうのはわからないんですよ。
しかも当時はフィルムなので上映するまで確認できない。その日に撮ったものを上映してプロデューサーは始めてこれを撮りたかったのかとわかる。誰もそれまで映画界でやってこなかった、自分が独自に培ったライティングとかスモーク炊いたりとかそういうのも含めてね。
そういうのが現場で伝わらなかったっていうことだと思いますよ。
添野:
そもそもナイトシーンでずっと雨が降っているし霧がかかったようなシーンが多くて、そこが『ブレードランナー』のかっこよさなんですけれども、ああいうことも偶発的に起きていたんです。「この美術はリドリー・スコットは気に入っていないからできるだけ見せたくない」とかね。
ナイトシーンばっかりになったのもスモークばかり炊いているのもずっと雨が降っているのも、この画をこういうふうにしたいとか、この画を隠したいとか、そういう思いがあって、たまたまあのような形になったんですね。
ハリソン・フォードはずっと雨だから服が重くなることが不満だったり、ナイトシーンばかりだから夜働かないといけないということで現場はうんざりしていた。それでもリドリー・スコットは、自分には作りたいものがあって、伝わっていないけどやりたいようにやるよ、という感じだったんでしょう。
バージョンごとに変わるブレードランナーの解釈
添野:
正直インターナショナル劇場版とファイナルカットがあればいい。他はもういらないんですよね。二つで十分ですよ。
スタッフ:
『ブレードランナー2049』はどこにつながっているんですか。
添野:
ファイナルカット。
スタッフ:
じゃインターナショナル版とは関係ない?
松崎:
これはちょっと悩むな……。
添野:
なんで3回も違うバージョンを作ったのかと言うと、商売ということも当然あるんだけど、リドリー・スコット的には違うバージョンの編集をしたのは、自分が考えていた『ブレードランナー』はレプリカント【※】ですよっていうのを、最初のバージョンで隠しちゃったから、それをどんどん押し出したかった。
※レプリカント
劇中に登場する人造人間の総称。
それをしてきた歴史なんです。ファイナルカットでもレプリカントですよっていう現状を引き継いだのが『ブレードランナー2049』。なんでデッカードがレプリカントですよということを隠したかと言うと、やっぱりヒーローの話にしないといけないから。夏休み公開だったので、ヒーローが自分を疑う話にしてはいけない。
松崎:
だから周りに何を挟んでいるかで、同じ画を観ているはずなのに、違ったものに見えるというのが映画の特性だというのがこの一本でわかるんです。
監督が意図したことが正しいとされていて、それは正しいかもしれないけれど制作事情から考えて、それ以外のことも元々あったとすれば最終的な作品を観て考えるのが一番じゃないかということまで、映画評論ってなんだろう? ということまで考えさせられる。
『スター・ウォーズ』はジョージ・ルーカスがバージョン違いを出していますが、手直しをしているっていう感じじゃないですか。当時できなかった表現をやったり。でも『ブレードランナー』はそうではなくて解釈を変えようとしているところが特異かなと思います。
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