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『エイリアン: コヴェナント』はこういう視点で観れば楽しめるぞ! 評論家がオススメする「コヴェナントの楽しみ方」

 10月15日に放送された『岡田斗司夫ゼミ』にて、今秋、公開されたエイリアンシリーズ最新作『エイリアン:コヴェナント』について解説が行われました。

 2012年に公開された『プロメテウス』の続編であり、エイリアン本編に繋がる物語として注目された本作ですが、これについて、「コヴェナントは、単なるエイリアンの前日譚でなく2001年宇宙の旅のリメイクだ」という解釈を岡田斗司夫氏は行いました。

 さらに、同じくリドリー・スコット氏が製作総指揮を務める『ブレードランナー 2049』との関連性にも触れ、これらの作品に共通するテーマは「神と人である」と語りました。

『エイリアン: コヴェナント』。画像は公式サイトより

本記事には『AI』『2001年宇宙の旅』『プロメテウス』『ブレードランナー』『エイリアン:コヴェナント』『ブレードランナー 2049』のネタバレが一部含まれます。ご了承のうえで御覧ください。

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『コヴェナント』・『ブレードランナー 2049』はリドリー・スコットの“仕切り直し”

岡田斗司夫氏。

岡田:
 『エイリアン:コヴェナント』について、みんな、そろそろ見た頃だろうし、まだ見ていないという人は見る気がないんだろうと思ったので、ネタバレをガンガンしながら話していきます。

 この映画が何を意味しているのかのヒントは、「リドリー・スコットの発言が変化している」というところです。リドリー・スコット監督は、『エイリアン』の前に、『デューン/砂の惑星』という映画の製作に関わっていたんですね。その時、『デューン/砂の惑星』に脚本で関わっていたダン・オバノンに対して「俺、SFは全然わからない。でも、『2001年宇宙の旅』だけは好きだ」と話していたとされています。

 ところが、今現在のリドリー・スコットのインタビューを見ると、好きなSF映画として挙げる作品の中から『2001年宇宙の旅』が抜けているんですよ。「そんな映画など知らない」みたいなフリをしているんですね。これが、なぜなのかというのが、今日の話の肝なんです。

岡田:
 『エイリアン』という映画は、あくまでもダン・オバノンという人の作品であって、実は、リドリー・スコットのものになりきらなかった映画でもあるんです。『エイリアン』は、リドリー・スコットにとっては消化不良のようなもので。「ダン・オバノンが持ってきたものを、カッコよく映像化するために必死で作っていたんだけど、いまいち、テーマを掴み切れていなかった」というのが、僕の感覚なんです。

 これは『ブレードランナー』についても同じなんですね。『ブレードランナー』でも、リドリー・スコットは、あくまでも途中で指名を受けて呼ばれた監督なので、テーマを上手く掴み切れていない。作っていた当時は、リドリー・スコットなりに、そこにテーマも盛り込んだつもりだと思うんですけどね。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』画像はAmazonより。

岡田:
 でも、この映画の原作は、もともと『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というタイトルなんです。「電気羊」は何かというと。あらゆる動物がほとんど死に絶えた後の地球、主人公のデッカードは、自分の家の屋上で電気で動く偽物の羊を飼っている。彼は、「ほんの少しだけ生き残っている、高価な本物の羊に飼い直したい」ということを夢見ているんです。これが、原作の全体に流れているんですね。

 こういった「なぜ、人々は、そんなに“生きている動物”を欲しがるのか?」みたいなエコロジー的な問題が、『ブレードランナー』の原作の中にはあったんですけども。リドリー・スコットは、そこをザクッと切ってしまって、「酸性雨が決して止まないロサンゼルス = ものすごい公害の世界」というような、ビジュアルだけで見せているんですね。

 画的なカッコよさはあるけれど、その反面「なんで雨が降っているのか?」というようなことが、テーマ的な部分にはあんまり繋がっていないんですね。つまり、『ブレードランナー』という作品では、リドリー・スコットはテーマを表現し損ねているわけなんです。

 だから、『エイリアン:コヴェナント』が、自分なりのテーマをちゃんと掴み切れなかった『エイリアン』のやり直しであるのと同じように、今回の『ブレードランナー 2049』も、実は“リドリー・スコット作品”になっていなかった、以前の『ブレードランナー』の仕切り直しみたいなところがあるんですよね。

『プロメテウス』・『ブレードランナー』と『2001年宇宙の旅』との共通点

岡田:
 この『エイリアン:コヴェナント』の話に入る前に、まず、前作である『プロメテウス』の話をします。「人類を創ったのは誰か?」というのが、『プロメテウス』という映画のメインテーマのはずなんです。ところが、この映画の中で語られる人間というのは、二重構造になっているんです。

 「人間が、自分たちを創った創造主を他の星に探しに行く」という話にも関わらず、この旅に一緒に連れて行くのが“アンドロイド”なんですね。アンドロイドというのは、人間が創ったものなんですよ。つまり、「人間というのは、神様によって創られた存在であり、アンドロイドを創った存在でもある」という、三者の真ん中にいる存在になっているんですよね。

画像は『エイリアン:コヴェナント』予告編より。

岡田:
 ここでいう人類というのは創造主であるのと同時に、被創造物であるという2つの役割を持っているんです。そして、今、公開している『エイリアン:コヴェナント』というのは、「デヴィッドというアンドロイドが、創造主である人間を殺して新たな生命を創る。つまり神様になる」というお話なんですね。

 要するに、この『プロメテウス』から『エイリアン:コヴェナント』というのは、かなり繋がったテーマを持っているんです。みんな、これらを「エイリアンのストーリーとどう繋がるのか?」っていう部分に注目しているし、そういう話だと思っているんですけど。僕が見るにね、リドリー・スコット監督はエイリアンに繋げることを考えていないんですよ。

 というのも、最初に言った通り、彼にとってのエイリアンというのは、あくまで“借りてきた話”だから。最後にあそこに戻ろうとは、絶対に考えないと思うんですね。それよりも、もっと大事なテーマを見つけちゃったんです。神と人間の関係の話を描きたいというのが、明らかなんですよ。

岡田:
 日本人には、『プロメテウス』はよくわからない話じゃないですか。すごく期待して映画館に行ったんだけども、「え? これで終わり?」と思いましたよ。次に、「続編の『エイリアン:コヴェナント』を見れば、わかるのか?」と思ったんだけど、それもスッキリしないんですよね。

 なぜかというと、リドリー・スコットが何を描きたいのかが、僕らにはよく見えないからですね。でも、さっき話した『2001年宇宙の旅』も「人類が、人類を創った神様に会いに行く」という似たような話なんですよ。

 たぶん、『ブレードランナー』を撮ってしばらくした時に、リドリー・スコットは「自分の生涯のテーマはあそこにある。俺は『2001年宇宙の旅』みたいなことをやりたいんだ!」と思ったんでしょう。

 そして、近年になって自分の好きなように映画を作れるようになってきてから、徐々にその方向に戻してきた。『ブレードランナー』を撮った当時のリドリー・スコットは、エコロジーとかに興味がなかったので、原作のそういった要素を脚本から抜いちゃったんですけども……。

 同時に、物語後半では、「ルドガー・ハウアー演じるロイ・バティが、自分の創造主であるタイレル博士に会いに行き、そして殺す」というシーンを描いているんですね。ここで描いたテーマが何年も経ってから、自分の中で強い想いとして帰ってきて、「これを描くしかない!」と思うようになった。

 それが現れているのが、『エイリアン:コヴェナント』と『ブレードランナー2049』だと思います。

エイリアンとブレードランナーの共通点――「神と人間とアンドロイド」

岡田:
 『プロメテウス』は「人間が自分を創った神様に会いに行く」という話なんですよ。ところが、神様に会いに行く途中の人間は、冷凍睡眠で寝たきりなんですよね。

 それに対して、人間に創られたアンドロイドのデイヴィッドっていうヤツは、自分の創造主が寝ている間、ずっと起きていて、楽しそうにバスケットボールをしたり自転車に乗ったりしてる。彼は自分を創造した神様がグーグー寝ている中で、「早く起きねえかなあ」と待っている。

 そういった、「俺の神様、早く起きないかなあ」と待っているデイヴィッドと、「神様に会いに行くんだ!」と思いながら寝ている人間という皮肉な状況をリドリー・スコットは作っているんです。この辺りに、作品のテーマ性が強く出ているんですよ。

 それは非キリスト教圏の人間には伝わらないし、下手したらキリスト教徒のアメリカ人やヨーロッパ人にも伝わってないんですよね(笑)。

画像は『エイリアン:コヴェナント』予告編より。

岡田:
 やるんだったら、もっとハッキリとわかりやすくやらないとダメなのに、リドリー・スコット監督はまだ照れてるんですよ。たぶん、寝たきりの人間が神様に会いに行くのは、アンドロイドのデイヴィッドから見たら滑稽なんですよ。デイヴィッドにしてみたら、“自分を創った神様”の人間というのは、目の前にいるわけですからね。

 「神様に会いに行く」もなにも、自分にとっての神様すぐ側にいるし、会話しようと思えばできるわけですよ。つまり、デイヴィッドは神様を信じる必要がないんです。ところが、人間は神様を見たことも会ったこともないから、「神を信じるのかどうか?」というのが大きな問題になってくるんですよね。

 デイヴィッドに言わせれば、「人間って大変ですね。神様を信じるか信じないかで悩んでいる。私達アンドロイドは、あなたたちが“メーカー”だっていうのがわかっているから、不安なんてないですよ」と、穏やかな気持ちでいられるんです。

岡田:
 「不安に煽られている人間と、落ち着いているデイヴィッド」という構図が映画の中にも出てくるんですけど。これは、ロボットと人間の違いというだけではなく、自らの創造主が手に届く範囲にいるか、それぞれの創造主との関係性の差として描かれているんですね。

 今年の頭に、マーティン・スコセッシの『沈黙 -サイレンス-』という映画が公開されたんですけど。あれは「神様の声を聞きたがる人達」の話なんですよ。では、なぜ神の声を聞きたがり、近くにいると実感したがるのか? それは、当たり前ですけど「神の存在を確信できないから」なんですね。

 だって、「信じる必要がある」ということは、「いないことが薄々わかっている」わけですから。もちろん、リドリー・スコットはイギリス人で、“神様を信じる文化圏”の人なんです。だからこそ、これを自身のテーマとして、なんとか扱おうとしているんです。例えば、『エイリアン:コヴェナント』の中で、人間というのはデイヴィッドのようなアンドロイドを“自分たちが使う便利な道具”として創ったんですよ。

画像は『エイリアン:コヴェナント』予告編より。

岡田:
 「神様がもし人間を創ったのだとしたら、自分たちの道具として人類を創ったはずだ。なのに、なぜ神様は人間に対して無関心なんだ?」という迷いが、神様を信じる人間にはあるんです。

 こういった迷いを描くために、リドリー・スコット監督は、今2つの映画を作っているわけですね。1つは、『プロメテウス』から始まる新たなエイリアンのシリーズです。そして、もう1つが『ブレードランナー』のシリーズなんです。

 この2つの映画シリーズは、将来交わると思います。マーべル・ユニバースとか松本零士作品と同じく、リドリー・スコットも79歳になって、自分の作品を交ぜることを始めると思うんですよね(笑)。

 『ブレードランナー』は、人間という神様によって便利に創られちゃったレプリカント【※】の話なんです。そして、新しい『エイリアン』シリーズは、神様に捨てられた人類と、エイリアンを創っちゃったアンドロイドの話なんです。

 つまり、エイリアンというのはアンドロイドが創ったレプリカントみたいなものですから、実は繋がっている話なんですよね。こうやって同じテーマを、2つのシリーズに展開させているリドリー・スコット監督は、これを将来、交ぜるんじゃないかと思っています。

※レプリカント
『ブレードランナー』に登場する遺伝子工学により開発された人造人間の総称。作中では過酷な奴隷労働に従事させるために感情を持たないように作られている。

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