「お前、頭デカいな!」関智一が声優を目指したきっかけは友達からの一言だった――『鬼滅の刃』『PSYCHO-PASS』…話題作に出演してきた彼が語る“人生における3つの分岐点”
■3つ目の分岐点:自分の声優人生は、『ドラえもん』前と後ではっきり別れている感じ
――では最後の、3つめの分岐点はなんでしょうか?
関:
『ドラえもん』のメンバーになったことですかね。あれは声優としてのキャリアの中で大きかったなと。もちろんそれ以前にもいろんな作品や役に関わらせていただいて、どれもいろんなきっかけやチャンスを経験させてくれて、そこに優劣は全然ないんです。けれど、『ドラえもん』は作品もですけど、タイミング的にも大きかった。
ある一つの、自分の役者としての大きな波が引いていく時期に、空いた場所にスライドするように『ドラえもん』のスネ夫役のお仕事は決まって、もうしばらく仕事をがんばれるだけの何か、元になるものをいただけたんです。
――どういうことでしょう?
関:
それまでメインの、レギュラーの役としてはあまり出演する機会のなかったキッズ向け・ファミリー向けの作品で、しかも長く続くものに出演が決まった。ということは、少なくともそれに出ているあいだは声優でいられるわけですから、「助かったな」という気持ちがありました。
それだけじゃなく、『ドラえもん』に出ることで、声優としての人生において大きいチャンスをいただいた、財産をいただいたな、と。自分の声優人生は、『ドラえもん』前と後ではっきり分かれている感じがします。
――さきほどお言葉にあった「大きな波」というのは、どういうことなのでしょう? 『ドラえもん』のスネ夫役を引き継ぐことが決まった2005年のころ、特に出演作が減ったわけでもなく、人気の翳りも特に感じなかったのですが……。
関:
たしかに声優デビューしてからずっと、おかげさまでいい調子でやってはいたんです。でも、やっぱり盛者必衰なんですね。だんだんとこのいい状況が終わっていくんだろうな……と、まわりのみなさんがわからないようなところで、自分の中では衰えを感じていたタイミングでした。
そんな時期に『ドラえもん』に決まったことで、もう一回、自分という役者がいたことを離れていた人たちにも思い出してもらえるし、ずっと見てくれていた人たちにとってもカンフル剤的なものになりますよね。
――カンフル剤?
関:
デビューしてからしばらく、若い自分は当然、若い役をやる機会が多くて、となると主人公っぽいヒーローキャラクターとか、二の線みたいな役が多かったんです。でも長くやってると、どうしても飽きられちゃうじゃないですか(笑)。やっぱり、どんどん新しい声優たちも出てきますから。
そういうカッコいい役をやっていた人が、『ドラえもん』のスネ夫みたいな違うイメージの役をやることの驚きといいますか。トピックスとして「『ドラえもん』に関わることになりました!」といえるのは、大きかったと思います。
――なるほど。
関:
しかも、役に決まった当時はそういう、「カッコいい役をやってたのに、スネ夫!?」みたいなお客さんからのリアクションが多かったんですが、『ドラえもん』も15年くらいやっているので、最近は「『ドラえもん』のスネ夫は、こういうカッコいい役もやるんだ」みたいな反応が出てきています。
僕が『ドラえもん』に出るようになった後に生まれた子たちが、今のアニメを観るメインの世代になってきているので、一周しているんですよ。
――ああ! そうか、十代や二十代の若い人にとっては、関さんの第一印象がスネ夫なんですね。ジャイアン役の木村昴さんが、14歳で抜擢されてからもう立派な大人の役者になるくらいの時間が流れているわけですもんね……。
関:
そうなんです。木村くんは最初に会ったとき中学生だった(笑)。
スネ夫とジャイアン!
— 関智一 (チーフ・らぼったー) (@seki0908) November 1, 2019
しずかちゃんが撮ってくれました♬#関智一#木村昴#ドラえもん#ジャイアン#スネ夫#狡噛慎也#セム https://t.co/gx3hp1y23w
――広く一般に認識されている役者のイメージが、2周するだけの時間が流れているんですね……。
関:
僕としては、それって良いことかもしれないと最近は感じています。そこでもう一回、ギャップを感じてもらえるじゃないですか。そうするとまたひとつ印象に残る。「スネ夫の人ってこういう役もやるんだ!」「意外と歌、上手いんだね!」みたいなのが、もう一度知ってもらえているみたいで、感覚としては生まれ変わったみたいな感じです。
最初は「もともと、そういう役ばかりやってたのにー!」っていう気持ちもありましたけどね(笑)。そりゃ、見てないんだもんな、と。じゃあ、今から見せてあげられるんだ! と頭を切り替えてみたら、それは楽しいなと思うようになれました。
本当に、『ドラえもん』のおかげで人生にメリハリがついたんです。
■「旬」の枠から外れたときに、自分は声優をしていけるのか
――話が少し戻ってしまいますが、『ドラえもん』でスネ夫役になったとき、年齢としてはまだ30代前半。いわゆる働き盛りの時期で、実際、猛然とお仕事をされていたのに、それでも危機感があったのは本当に意外です。
関:
でもまあ、外には見えないところで、取り巻く環境はいろいろ変わっていたんです。意外と、仕事が減っていた時期もあるんですよ。印象としては出続けているように見えるかもしれませんが、自分の体感としては、勢いがなくなった感じがありました。
あとはとにかく、後輩たちの存在ですね。たくさん才能のある子たちが出てきているから、いずれは、もといた場所は追われるだろう。そうなったときの、新しい居場所を探さないといけないな、むしろ、積極的に探していかなくちゃ……というようなことを考え始めていた時期でした。
――今はいいけど、ここから先を考えなくちゃ、と。
関:
そうです。そのときに限らず、常に危機感は持っています。日雇いのバイトみたいな感覚もある職業で、急に何もなくなることだってあるので、いつもドキドキしています。「3年後も仕事をやれてるのかな?」みたいなことは、常に考え続けていますね。
――取材でよく、「声優の仕事はあくまでいただくもので、自分から作れるものではない」というお話をうかがいます。先方からのオーダーありきの仕事なので、自分の努力だけではどうしようもない部分はどうしてもある、と。
関:
僕の場合は、自分からも作ってはいきますけどね。でも、やっぱりおっしゃるとおり、頼まれるものに関してはなかなかね。こっちが望んでも、かなわない部分もある。やっぱり、作品を売るためには、そのタイミングで旬なキャスティングが全体的に集められる。その「旬」の枠から外れたときに、どこらへんで自分は商いをしていけるのか。
僕はわりと若いタイミングでその「旬」の部分、作品を売るうえでの主力の部分にいたから、そこから外れてどこへ行けるんだろう? という恐怖が、逆にあったんです。
――キャリアの初期から主役級の配役が多かった方には、そんな悩みが。
関:
でも声優としての仕事だけだったらもっと悩んでいたかもしれないですけど、そこで舞台をやってたことが助けになりましたね。
舞台では違うタイプの役もやってきて、その過程でお芝居についてもずっと考えたり、勉強し続けて来られた。そこで心を支えられた部分があるんです。
自分がやってきたことが、全部上手い具合に繋がっていたなって、今では考えています。
■劇団を畳むときは、お祭り的に盛り上げて「辞めまーす!!」と大々的に言いたい
――そんな3つの分岐点を経た現在、関さんが生きる上でもっとも大切にされていることはなんでしょうか?
関:
なんでしょうねえ……そのときに「楽しい」と思っていることをやれるのが、一番熱い気がするので、そうできるようにしていたいです。
――それは役や作品のお話ですか?
関:
あ、いや、お芝居に限らず。何かを活き活きとやっていると、そこからお芝居にフィードバックできる部分があるんじゃないかと思うんです。だから常に「楽しい」ことを見つけて、それを少年時代のように、何も気にしないで、思い切り挑戦してやってみて……みたいなことを、やり続けられたらいいな……って感じですかね。
40代のときって、「めんどくさいなあ」というか、気分が落ちちゃって、何もやる気が起きない……みたいな時期も、結構長くあったんです。インタビューで何度か、「最近はそんな気持ちも収まってきた」みたいなことをちょいちょい答えていたんですけど、本当は収まってなくて(笑)。
――なんと。
関:
でも、最近は本当に収まってきたんですよ。こんな流れでそういうと、信じてもらえないかもしれないですけど(笑)。「こんなお芝居をやろう!」「こんな作品をつくろう!」みたいに、自然と思えるようになってきた。
もっと広い人生においても、具体的にこういうものを作って、こんな仲間と一緒にそれをやっていきたい……なんてことを思ったり、またできるようになってきたなと。50代を迎えて、今は前よりも調子がいいんです。
――ちなみに具体的に、今、直近の関さんが「楽しい」と感じているのは、どんなことなんですか?
関:
「野菜を育てること」ですね。畑で野菜を育ててみたいので、長野とか、東京からギリギリ通えそうな場所に家を持ちたいです。東京にも家は残しておこうと思うんですけれど、その近郊に遊べるような別荘とか、歳を取ってから暮らせるところを早く作りたいなあ……って考えています。
元気な内にやらないと、歳を取り過ぎてからだと、「せっかく作ったのに使いこなせない」みたいなことになっちゃうかもしれない。それで今、いっぱい稼がなきゃと思って、マネージャーに頼んでお金を稼げるようにお願いしています(笑)。
――意外です。もっとこれまでのご趣味に寄った、たとえば以前からお好きな特撮や、おもちゃ絡みの話題が出るのかなと勝手に想像していました。
関:
そういう趣味も継続はしていますけど、なんか人間って、歳取ってくると土いじりがしたくなるみたいです。
急にそういう生活には変われないですけど、少しずつ自分の気持ちの変化も踏まえて、これまでやってきたことと同時進行で新しい生活も準備する……みたいなことを気にしていますね。それでいうと、劇団をどう畳むかも、そろそろ考え始めないとなと思っています。
――えっ。劇団ヘロヘロQカムパニーをですか?
関:
劇団はいつまでもやれるものじゃないですからね。やれると思ってやっていたのに、急に具合が悪くなって、「もう無理だ、次回の公演を中止にして、解散しよう……」みたいな展開になりそうで、それは僕としては嫌なんです。
ちゃんと期限を定めて、そこまでにお祭り的に盛り上げて、「辞めまーす!!」と大々的に言いたい。だから、たとえばですけど、「3年後に解散する!」と決めて、そこから解散に向けた記念公演を、ゲストの方の力も借りつつバンバンやって、華々しく終われたらいいかなあ……と。劇団を解散したって、舞台はやれますからね。
――継続的な活動を終わらせるということですか。
関:
そうそう。あくまで劇団としての演劇活動は区切りをつける。そういうことも考えています。
あ、くれぐれも誤解のないようにしておきたいんですけど、いますぐどうこうじゃないですからね? あくまで、「ゆくゆくはそういうことも考えたい」ということで。いきなり今日明日に解散発表をするわけじゃないので、劇団を応援してくださっているみなさんには心配しないでほしいです。
――役者として思い描いている未来図はありますか? もっとこんな役を演じてみたい、こんな作品に出たい、みたいな。
関:
どんな役でもいいんですけれど、歳相応の役は演じてみたいですね。アニメは多少歳を誤魔化した役もやっていけるし、これからも当然やっていくんですけれど、ちゃんと老けている役も演じてみたい。それこそドラマのお仕事とかで、作品にハマった年相応の役をやらせて頂けるような俳優になれたらいいなと。
目標は山路和弘さんみたいな、声優もやるけど、おじさんの役としてドラマも出ていて、みたいなスタイルです。ああいう感じでお芝居に関われていけたら、一番幸せなんじゃないかなと感じていますね。
声優として売れるため、今日も多くの声優志望者が努力している。しかし、売れっ子声優ゆえの苦悩もまた存在する。
その苦悩は周囲に相談しても理解されにくい分、むしろ売れっ子の方が孤独かもしれない。
這い上がる苦しみと、追われる苦悩。
しかし、インタビュー中の関さんはスネ夫役が決まったときの心境や劇団の幕引きの構想を語っているときでさえ、終始朗らかだった。
厳しい環境で演技を学び、劇団を立ち上げ、才能ある後輩たちの存在を常に背中で感じ続ける。決して平坦ではなかったはずの道のりも、関さんが語るとなぜか楽しく感じてしまう。
きっと、それこそが声優・関智一が今日も第一線で活躍している理由なのだと思う。
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▼インタビュー記事https://t.co/ikATgZdhtC
締切:2022/11/11(金)23:59
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■info
劇団ヘロヘロQカムパニー第39回公演「立て!マジンガーZ!!」―こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ提携公演―
原作:永井 豪
演出:関 智一/野坂 実
脚本:吉久直志
脚本協力:小野真一/長沢美樹
出演:関 智一 、長沢美樹、那珂村たかこ、置鮎龍太郎、飯田誠規 、 岩崎諒太 、久保梨瑛 他
※特別ゲスト・日替わりゲストあり。
日時:2022年11月25日(金)~12月4日(日)
場所:こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ
料金(全席指定/税込):
ヘロQ応援シート(特典付き)・・・10,000円
一般席・・・8,500円
詳細は公式HPをご確認ください。