“生き残るため友人を食べるしかなかった” 極寒のアンデス山脈で究極のサバイバル……映画化までされた「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」を解説
今回紹介する、事故と災害を解説するところさん投稿の『【ゆっくり解説】「生き残るため食べるしかなかった」究極の選択を余儀なくされた生存者|ウルグアイ空軍機571便遭難事故』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、1972年、アンデス山脈に墜落した航空事故である「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」について解説を行っていきます。
厳寒の山脈で72日間のサバイバル
霊夢:
今回はショッキングな内容も含まれるが、ウルグアイ空軍機571便遭難事故を紹介するわね。
魔理沙:
何がショッキングなんだ?
霊夢:
とても一言では言えないけど、極限状態でのサバイバル。人間の尊厳や葛藤について考えさせられる忘れられない事故よ。
魔理沙:
なんか超難しそうだけど気になるぜ。
霊夢:
ウルグアイ空軍機571便遭難事故は、1972年10月13日にチリの首都サンティアゴでの試合に向かうステラ・マリス学園のラグビー選手団や、その家族知人など40名と乗員5名を乗せた双発ターボプロップ機フェアチャイルドFH-227D571が、アルゼンチンとチリの国境付近の標高4000mのアンデス山脈に墜落した航空事故よ。
魔理沙:
標高4000mって富士山の山頂よりも高い場所だな。
霊夢:
アンデス山脈は、7カ国にまたがる世界最長の大山脈で、最高峰のアコンカグア山は標高6960m、他にも6000m級の山岳や火山を多数持つ巨大な山脈なの。
前日は天候不良だったため、アルゼンチンのメンドーサで一泊し、事故当日も天候は回復しなかったので、メンドーサから直接アンデス山脈を越えてサンティアゴまで飛行することは諦め、迂回してアンデス山脈に沿って南下。 山脈の切れ目を通過してアンデス山脈を越えてから北上するルートに変更したの。
魔理沙:
無理して標高の高いところを超えるよりも、遠回りでも標高の低い山脈の切れ目を通る方が安全だもんな。
霊夢:
ところがコースが雲に覆われて視界が悪かったことから、パイロットは標準的な通過時間を計算することで、北に方向を変えるタイミングをはかったんだけど、実際には強い向かい風で機体が減速していたせいで、アンデス山脈をまだ超えていないのに危険な場所で北上を始めてしまったの。
魔理沙:
49年前はまだGPSもないもんな。
霊夢:
山々を覆う雲の中に突入してまもなく、山の峰に1度目の衝突。 吹き飛んだ右翼で垂直尾翼が切り取られ、胴体後部に穴が開き、別の峰との2度目の衝突で左翼もなくなり、機体は胴体だけとなってしまったの。機体は飛んできたプロペラによって切り裂かれたのちに地面に衝突し、9名が機外に放り出されて即死。5名が行方不明、また負傷がもとでその日のうちにさらに3名が死亡したのよ。
魔理沙:
ということは、28人は助かったんだな。
霊夢:
そうよ。でも、生存者たちは凍てつくようにに寒い鉱山で、どうやって生存するかという難問に直面したの。防寒着や防寒グッズなどの装備もなく、多くの人が墜落直後に席から放り出されたことによって、足を骨折していたのよ。医療品もない中、生存した医大生2名が航空機の支柱で添え木をつくって応急処置をしたそうよ。
魔理沙:
生存者に医大生がいたのは不幸中の幸いだな。
霊夢:
本当ね。でも生存者たちはさらに過酷な状況に追い詰められていくのよ。
魔理沙:
救助はどうなってたんだ?
霊夢:
ウルグアイ、チリ、アルゼンチンの3カ国合同の捜索隊が捜索を開始したけど、フェアチャイルド機の外装が白かったから、雪の色と混じり合って空からの発見は非常に困難だったの。発見に至らないままに捜索は開始から8日後の10月21日に、無情にも中止されてしまったそうよ。
魔理沙:
遭難者たちはずっと待ってただろうに、あんまりだぜ。
霊夢:
墜落から11日後に、生存者のロイ・アルレーは機内にあったトランジスタラジオで捜索中止のニュースを聞いたの。ロイの周りにいた生存者たちは、そのことを聞いて大半はすすり泣いて祈り始めたんですって。
魔理沙:
そりゃあ泣きたくもなるわな。
霊夢:
でも、ラガーシャツ姿のグスターボ・ココ・ニコリッチは薄暗い 胴体の入り口へ登って振り返り「ほら、少年!朗報だ!」と叫び、「ラジオを聞いた。捜索が中止された」と言ったの。 機体の中にいたみんなは沈黙し、涙したんだけど、その後に「我々が自分たちでここを脱出するということだ」と前向きな言葉を言って、みんなを絶望から救ったそうよ。
魔理沙:
ラガーマンって前向きで心が強いんだな。ところで、遭難してからその日までみんな何を食べていたんだ?
霊夢:
生存者たちは板チョコ数枚と、その他のスナック菓子、ワイン数本という少量の食料を持っていたの。墜落後の数日間、彼らはこの食料が尽きないように、少量を分配して命をつないでいたわ。
魔理沙:
そんなちょっとの食料じゃ、すぐに無くなっちゃうだろ。
霊夢:
その通りよ。本当に辛いサバイバルになるのはこれからなの。
魔理沙:
水は雪を溶かして飲んでいたのか?
霊夢:
ええ。雪だけはうんざりするくらいたくさんあったから、空になったワインボトルに雪を詰めて金属片でつき、雪を溶かして水をためる工夫をしたのよ。
魔理沙:
なるほど。みんなで知恵を絞ってたんだな。
霊夢:
でも配給管理された食料は10月22日には尽きてしまった。その前日には女性の生存者、スサーナ・パラードが、彼女の兄であるナンドの腕の中で亡くなっていたし、精神的にも肉体的にも厳しい状況に追い詰められていたの。
魔理沙:
いつ救助が来るのか、いつ終わるのかわからないんだもんな。
霊夢:
生存者たちは機体内で議論し、ロベルト・カネッサは仲間の遺体を人肉食して生存を続けることを主張。人肉食する相手のほとんどが彼らの親友や旧友だったから、何人もの生存者が食べることを拒否したわ。
魔理沙:
友達を食べるなんて通常なら考えられないけど、生きるか死ぬかの瀬戸際での決断だもんな。想像するだけで辛いし責められないぜ。
霊夢:
この時、亡くなっていく人々は、口を揃えて「俺を食べて生き残ってくれ」と言葉を遺していったのよ。
魔理沙:
悲しすぎるだろ。
霊夢:
事故から10日後の10月23日、生存者の中で最も健康状態の良かった少年3人が、山頂から救援を求めるために、雪の上に残っている機体が滑り落ちた跡をたどって、上に登ったの。
魔理沙:
ただじっと待つよりも、少しの可能性に賭けたんだな。
霊夢:
3人はまず、機体の尾部を発見しようとして山を登り、途中で翼の断片と機外に放り出された行方不明者5名の遺体を発見。尾部は発見できず、厳冬の高山を夜通し歩くのは危険かつ困難なので、山頂に1泊して機体に戻ったの。
魔理沙:
富士山より標高が高い雪山で、装備もなしに登山するなんて危険きわまりないもんな。
霊夢:
山はさらに生存者たちに試練を与えたわ。10月29日、生存者たちが機体の中で眠りにつこうとしていた時、雪崩が凄まじい勢いで機体の中に流れ込んできたの。
魔理沙:
もうやめてあげてくれよ。
霊夢:
機体の中で横たわっていた全員は雪に埋め尽くされ、比較的浅く埋まっていた人は自力で脱出して他の人を救助したんだけど、19人の生存者を残して8人が死亡したの。これで死亡者26名、生存者19名になったわ。
魔理沙:
事故直後は28人も生きていたのにな。
霊夢:
その後も救助を求めるための遠征を諦めず、トライアルを繰り返したの。そうこうしている間も負傷が原因で、一人、また一人と、仲間の命が失われていったわ。
魔理沙:
残される方もつらかっただろうな。
霊夢:
彼らはラグビーで心身ともに鍛えていたから、こんな過酷な状況でも望みを捨てずにあがき続けることができたんでしょうね。私にはとてもじゃないけど真似できないわ。
魔理沙:
うん、同感だぜ。
霊夢:
遠征隊は11月18日に期待の尾部を発見。この時に断熱材と、保存状態の良いバッテリーも発見したわ。11月24日には長く苦しい距離の中、機体から取り外した無線機を尾部まで運び、無線機の修理に取り掛かったの。
魔理沙:
こんなに簡単に修理できるものなのか。
霊夢:
生存者には電気工学の専門家もいたそうよ。
魔理沙:
偶然か必然か。それもすごいな。
霊夢:
でも無線機はバッテリーでは駆動しなかったの。エンジンが発生させる電力で動作するものだったそうよ。
魔理沙:
努力が水の泡か。
霊夢:
良いニュースもあったのよ。11月28日、トランジスタラジオから、ウルグアイ空軍のC-47が彼らの捜索を再開したと流れたの。
魔理沙:
希望の光が見えたぜ。
霊夢:
捜索機が上空を通過する時に備えて、雪の中にスーツケースで大きな十字を書いたりもしたそうよ。
魔理沙:
諦めたらそこで試合終了だもんな。
霊夢:
これまでの経験から、西に向かうのが唯一の生存方法だと考えた彼らは、極寒の夜を数日乗り切るために寝袋を作ることにしたの。
魔理沙:
そこで尾部から発見された断熱材が活躍するんだな。
霊夢:
その通り。12月12日、寝袋が完成し、カネッサ、パラード、ビシンティンの3名が、最終的な遠征に出発したわ。途中で二手に分かれて、パラードとカネッサは遠征を続け、ビシンティンは自分の食料を二人に預けて、墜落地点に戻ったわ。
魔理沙:
なんで一人だけ墜落地点に戻ったんだ?
霊夢:
山頂に着いてみたら、見渡す限りの山しかなかったの。計画変更で、食料の消費を抑えるために1名戻ったのよ。パラードとカネッサは、遠征に出発してから一度休息した以外は、再開から7日以上歩き続けたのよ。
魔理沙:
すごい精神力と体力だな。
霊夢:
そして、墜落地点の生存者にうれしいニュースが飛び込んだの。ウルグアイ空軍のC-47が、スーツケースで描いた十字を見つけたのよ!
魔理沙:
すげー!努力は報われるんだな!
霊夢:
だけど発見された十字は、アルゼンチンの気象学者が、融雪量測定のために円錐形のマーカーで描いたものであると公表されたことに、みんな驚愕したのよ。でも、いよいよこの時がきたわよ。12月20日、遠征隊のカネッサとパラードは、人と遭遇するの。
魔理沙:
うぉ~!ついに来たぜ!
霊夢:
翌日の12月21日、セルヒオ・カタランが川の向こう岸から紙と鉛筆を結びつけた石を投げたの。パラードがそれを拾って読むと、すぐそこに到着するように人間を送ったと書かれていて、パラードはメッセージを書いて投げ返した。そのメッセージを今から読むわね。
「私は山に墜落した飛行機から来ましたウルグアイ人です。私たちは10日間歩いています。墜落地点に負傷した友人を残しています。 まだ飛行機に14人の負傷者がいます。私たちはここから早く脱出しなければなりませんが、どうしたらよいのかわかりません。ほんの少しの食料もありません。私たちは非常に衰弱しています。あなたはいつ私たちを救出しに来てくださるでしょうか。私たちは歩くことができません。ここはどこですか?SOS」 と。
魔理沙:
なんか感極まって泣けてきたぜ……。
霊夢:
こうしてカネッサとパラードは救助され、そのニュースは墜落地点の仲間たちもラジオで聞いたのよ。
魔理沙:
よかった!本当によかった!
霊夢:
12月22日は山が霧に包まれていたためにヘリコプターを飛ばすことができなかったんだけど、12月23日には生存者全員が救助されたわ。
魔理沙:
やっとだな。本当に長かったよな。
霊夢:
ただ、彼らの試練はまだ続くの。機内に残されたままの綺麗に切り分けられ保存された遺体の写真が救助隊に同行した山岳ガイドらによってリークされ、マスコミが騒ぎ立てる事態になってしまったのよ。
魔理沙:
彼らの置かれた過酷な環境を思えば仕方ないと思うけど、たしかに扇情的だもんな。
霊夢:
12月28日、生存者たちは記者会見を開き、72日間の生存の試練について語ったの。年月を経て、この出来事に関する本2冊と映画2本と公式サイトができ、多くの人が詳細を知ることとなったわ。
救助隊員は、墜落地点から800メートルほど離れた地点に死者の遺体を埋め、石を積み重ね、中心に鉄製の十字架を建てた。機体内に残っていた遺体は、野次馬による損壊を防ぐために焼却処分されたそうよ。
魔理沙:
野次馬なんかに荒らされず、安らかに眠ってほしいぜ。
救助が来ない絶望の中、極限に追い込まれた壮絶なサバイバル生活を強いられた生存者たち。解説をノーカットでご覧になりたい方はぜひ動画をご視聴ください。
『【ゆっくり解説】「生き残るため食べるしかなかった」究極の選択を余儀なくされた生存者|ウルグアイ空軍機571便遭難事故』
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