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“日本史上最悪の獣害”と呼ばれた「三毛別ヒグマ事件」を解説。平穏な農村を襲った“体長約2.7メートル、体重380キロのヒグマ”の恐怖

 今回紹介する、ぶらっくとらべらーさん投稿の『【ゆっくり解説】エグ過ぎる…伝説のマタギvs人食い熊【三毛別ヒグマ事件】』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、1915年、北海道で三毛別で発生した「史上最悪」と呼ばれる熊害について解説を行っていきます。

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体長2.7mの巨体ヒグマが村を襲撃

魔理沙:
 今日は日本の歴史に刻まれた、恐るべきクマの事件について話そうと思う。

霊夢:
 テレビでもたまにクマが街に出てきたってニュースになるわよね。

魔理沙:
 だがこの事件は、おぞましさという点で他と一線を画しているんだ。心して聞いて欲しいが、その事件では妊婦の腹が割かれ、胎児が引きずり出されたんだ。ということで、今回は「三毛別ヒグマ事件」について解説する。まずは事件の概要だ。この事件は1915年12月9日、北海道の三毛別六線沢の集落で起こった。

霊夢:
 100年以上も前の出来事なんだね。

魔理沙:
 ああ。またこの事件はエゾヒグマによる日本史上最悪の獣害事件と言われている。当時、三毛別の集落で暮らしていた人々の前に、体重380キロ、体長2.7メートルの巨大なエゾヒグマが突然現れ、7名を亡き者にし、3名が重傷を負ったんだ。とりわけ民家に避難していた女性や子供が犠牲になった点で、悲惨な事件としてテレビや映画、小説や舞台などで今でも語り継がれている。

霊夢:
 事実を知るという意味でも語り継ぐ必要があるってことね。

魔理沙:
 当時の北海道は開拓のため本州から多くの人々がやってきていて、貧しい生活に耐えながら痩せた土地に耕作をして徐々に生活を営むようになっていったんだ。そして事件が起きた三毛別六線沢の集落には、15軒の開拓民の家があった。山の中ではヒグマの痕跡は多かったが、当時でも人家付近まで出てくる事は滅多になかったらしいんだ。

霊夢:
 人と野生動物との距離感が保たれていたのね。

魔理沙:
 しかし事件発生前の11月頃から、尋常でない大きさのヒグマがうろついていることは知られていたそうだ。

霊夢:
 集落には来ていないけど、警戒はしていたってことのようね。でも11月といえば冬間近だけど、熊は冬眠するんじゃなかったかしら。

魔理沙:
 そこが事件の起きてしまった要因のひとつでもあるんだ。そもそも冬眠とは冬の間、不活発な状態になることだ。体温を下げて動かず眠ることでエネルギーの消費が減り、食べる、飲む量を減らすことができるんだな。またヒグマの冬眠は少しの物音でも起きてしまうような浅い眠りのため、巣穴にこもっているだけのように見える様子から、冬ごもりと呼ばれているんだ。体温も平常時と3、4度ほどしか変わらないようだな。

 そしてエゾヒグマの場合、12月から3月頃までが冬ごもりの時期と言われ、この冬ごもり中は全く飲まず食わずで過ごすことができるんだ。秋にサケやドングリなど栄養のあるものをたくさん食べて脂肪を蓄え、それを冬ごもり中に使っているんだ。なんと数ヶ月眠っていても筋力は衰えず、冬ごもり明けにすぐに走り出すこともできるらしい。

 事件が起きたのが12月だから、本来であればヒグマは冬眠していてもおかしくないはず。だがこのヒグマは「穴持たず」という何らかの理由で、冬眠に失敗してしまったヒグマだと考えられている。そして「穴持たず」は冬を乗り切るため、食料を探すために気性が荒くなるんだ。

 そしてついにこのヒグマと集落の人間が接触する時がきてしまうんだ。三毛別の集落には家屋が15軒あったんだが、そのうちの1軒である池田さん宅で、とうもろこしがヒグマに2度食べられた。農作業に欠かせない馬は襲われなかったものの、これ以上の被害を防ぐためにヒグマの駆除をマタギに依頼したんだ。

 そしてそのときに見たヒグマの足跡は見たこともない大きさだったんだ。マタギは巨大ヒグマを待ち伏せすることで相対に成功し、その場で銃を発砲したんだが、これが失敗に終わってしまった。確実に仕留めるために足跡と血痕の追跡を行ったんだが、結局ヒグマを見失ってしまったんだ。

霊夢:
 それにしても傷を負わされたなら、もう人里には現れないと思うんだけど……。

魔理沙:
 巨大ヒグマは「穴持たず」のため、とにかく食料にありつきたかったのかもしれないな。そしてついに最初の事件が起きてしまう。その日は冬の交通路である氷橋を作るため、集落の男たちは総出で木の伐採作業中であり、留守にしていた。そしてその午前中、池田さん宅でとうもろこしを食害したクマが太田さん宅に侵入。

 当時太田さん宅には太田さんの妻と、たまたま預かっていた子どもの2人がいた。ヒグマはまず子どもを殺害。また床に血痕を残し、太田さんの妻が行方不明になっていた。太田さん宅の窓にはトウモロコシが干してあり、その窓からヒグマは侵入してたと言われているな。

 推測ではあるが、この被害の詳細はこうだ。以前と同じように集落のトウモロコシを食おうと現れたヒグマに、家の中にいたふたりが気づき、大声に逆上したクマが室内に入り込んで子供を一撃で亡き者にし、太田さんの妻をくわえて連れ去ったというものだな。このことはその日のうちに集落中に知らされるんだが、日が落ちるのが早い季節のため、他の住民は500メートルほど離れた別の家に集まるくらいしかできなかったんだ。

霊夢:
 こんなことが起きたのに、対策も十分にとることができない状況だったのね。

魔理沙:
 そうなんだ。当時の暮らしぶりではすぐに安全な場所まで避難するということができなかったんだな。そして翌日の12月10日、30人ほどの男性がヒグマ討伐に向かうが、持っていた鉄砲がうまく撃てず、仕留めるには至らなかった。

霊夢:
 素人がいきなり銃を撃つのは難しいってことかしらね。

魔理沙:
 そして前日被害に遭った太田さんの妻の無残な遺体が雪の下から見つかったんだ。

霊夢:
 やっぱり犠牲になっていたんだね。

魔理沙:
 これはヒグマが遺体を保存食にしようとしたためだと考えられており、残されていたのは身体一部のみだったようだ。そして太田さんの妻の遺体は、夕方太田さん宅へと戻された。その日の夜、犠牲者ふたりの通夜が営まれたんだが、その場で信じられないことが起きてしまったんだ。通夜の最中に人食い熊が再来したんだ。通夜の会場に突然ごう音が響き渡り、壁を突き破り現れた人食い熊。当然ながら会場は大混乱となったようだ。

霊夢:
 地獄絵図だわ。

魔理沙:
 ヒグマが現れたのは、自分の所有物だと思っている太田さんの妻の遺体を取り返しに来たためと言われている。通夜に参加していた人々は梁の上などに逃げ、男性が発砲したことでなんとか撃退することができた。ヒグマは姿を消したんだが、身の危険を感じた一同は村の下流にある明景(みょうけ)さん宅に避難することにした。明景さん宅には、大人が男性1人と女性2人、子どもが8人の計11名がすでに避難していたようだ。

 しかし避難しようとした一行は、明景さん宅の異変に気づいてしまった。

霊夢:
 え、まさか……。

魔理沙:
 人がいるはずの家の中は真っ暗だった。明景さん宅の中で惨劇が起きていることは明らかだった。だが中にはヒグマがいるため、男たちは家の中に入ることもできなかったようだ。

霊夢:
 入ったら自分が襲われるかもしれないからね。

魔理沙:
 男たちは銃を構えながら途方にくれていたようだ。そして1時間程度が立った時、ついにヒグマが飛び出してきた。構えていた銃を発砲し今度こそ仕留めようとしたんだが、このときも打ち損じてしまい、ヒグマは逃げ切ってしまった。

霊夢:
 少し前に人を手にかけた巨大なクマが目の前にいたら、冷静じゃいられないだろうね。でも男衆も人数がいたから、みんなで発泡すれば仕留められそうな気もするわね。

魔理沙:
 実はクマの足はとても早く、山中でも時速60キロで走ることができるんだ。人類最速のウサイン・ボルトが時速約37キロで走ると言えば、その速さが理解できると思う。

霊夢:
 それは逃げるクマを手負いにするのは難しそうだわ。

魔理沙:
 そして明景さん宅の惨劇では、子ども3人、妊婦ひとりと胎児がひとり亡くなり、3人の重傷者が出てしまった。そしてこの時の妊婦は腹を裂かれ、胎児を引きずり出されてしまっていたんだ。

霊夢:
 冗談じゃなくえげつないわね。とても信じられないわ。

魔理沙:
 壮絶な被害から一夜明けた12月11日、すでに自分たちの手には負えない事態となった集落の人々は警察、村役場などの行政に頼ることに決めたんだ。さらに翌日の12月12日には北海道庁に連絡が届き、警察官を主体とした討伐隊や医師が三毛別に向かった。

霊夢:
 確実に仕留めるという姿勢を感じるわね。

魔理沙:
 作戦としてはヒグマの「獲物を取り戻そうとする」習性を利用し、まだ通夜を済ませていなかった犠牲者の遺体周辺で待ち伏せるという厳しいものだった。一度、ヒトの味を覚えたクマは、再びヒトを襲うようだからな。しかし、ヒグマは予想通り現れたが、武装した人が多いことを悟ってか襲ってこなかったんだ。

霊夢:
 仕留められそうな時を理解してる気がするし、このクマ、頭が良さそうだね。

魔理沙:
 そして12月13日、ヒグマは再び太田さん宅に侵入した。すでに村人は避難していたため、無人の村の食料を漁り、女性の寝具等を荒らしていたようだ。またこの日を境に、ヒグマは昼間から村に現れるようになったようだ。

霊夢:
 行政に頼るのが遅れていたら、さらに被害が増えていたかもしれないわね。

魔理沙:
 その日の夜、討伐隊がヒグマと遭遇するものの、またしても仕留めることはできなかった。しかし翌日の12月14日、ついに事態が決着を迎えることとなった。伝説のマタギがすべて終わらせてくれたんだ。

霊夢:
 伝説のマタギ!?

魔理沙:
 伝説のマタギこと山本平吉は、生涯で打ち取ったヒグマの数がなんと300頭にものぼるといわれているんだ。

霊夢:
 伝説の名に相応しい活躍ぶりね。

魔理沙:
 討伐隊がなかなかヒグマを仕留めきれない中、山本平吉はこれまでの経験と勘からヒグマは山の頂上に逃げていると踏んだ。そしてそれは見事に当たっていたんだ。ヒグマは体部分は脂肪が厚いため、確実に仕留めるためには頭と胸、つまり脳天と心臓を狙う必要がある。

 素早く動くヒグマの急所に確実に当てるのは至難の技だが、いかに巨大で恐ろしいヒグマであろうと、伝説のマタギに確実に狙われてしまっては逃げることも叶わず、事件が追ってから5日目、ついにヒグマは倒されたんだ。

霊夢:
 地獄のような日々がこれで終わったんだね。

魔理沙:
 ああ。これで終わったんだ。倒されたヒグマの体重は380キロ、体長は2.7mあり、二本足で立つと3.5メートルにもなる巨体だった。また体に比べ頭部が異様に大きいという特徴だったようだな。

霊夢:
 実際にこんなのが襲ってきたらと思うとどうしようもないよ。改めてとんでもなく恐ろしい事件だったわ。伝説のマタギはこれをひとりで倒したっていうんだから、まさに伝説ね。

魔理沙:
 このヒグマを討ち取った山本兵吉さんは、かつて鯖裂き包丁1本でヒグマを倒したという、まさに凄腕のマタギであり、その逸話から「サバサキの兄(あにぃ)」と呼ばれていた。

霊夢:
 サバサキニキ……すごいわ。

魔理沙:
 日露戦争時には従軍していたと言われており、軍帽が彼のトレードマークだったんだ。またロシア製ライフルで数多くの獲物を確実に仕留めていたため、当時から評判の高いマタギとして有名だったようだ。

霊夢:
 修羅場をくぐってきた本物の男ね。

魔理沙:
 そんな伝説のマタギだが、三毛別事件が起こる数ヶ月前、仲間と猟に行った際に、誤ってヒグマの冬眠している穴に落ちるという事故があったそうだ。この時怒ったヒグマに足を持たれて振り回されるが、果敢にもヒグマの胸元に飛び込みヒグマを押さえつけた平吉さんは「今だ!撃て!」と叫び、仲間に発砲するよう指示を出したんだ。

 だけど仲間は恐怖のあまり逃げ出してしまったんだ。この時はヒグマも逃げ出したため命は助かったが、「大物を逃して悔しい」と語り、周囲を驚かせた逸話も残っている。

霊夢:
 ヒグマを狩るために生まれてきたような男だわ。この人がいなかったらもっと被害が拡大してたかもしれないもんね。

魔理沙:
 こうして死者は7名、負傷者3名、負傷者のうち1名は後遺症で死亡したため、それも含め死者8名を出した三毛別ヒグマ事件は幕を閉じるんだ。この衝撃は日本以外の国の人たちにも届いたようで、まるでジョーズみたいだと表現する人もいたようだな。後日談として、この事件の生き残りの少年が犠牲者の仇を討つためにヒグマ狩りの名手になった話があるんだ。

霊夢:
 まるで映画のような話ね。

 100年前に起きた「日本史上最悪」と呼ばれる恐怖のヒグマの襲撃事件と、そのヒグマを倒した英雄を紹介しました。解説をノーカットでご覧になりたい方はぜひ動画をご視聴ください。

▼動画はこちらから視聴できます▼

【ゆっくり解説】エグ過ぎる…伝説のマタギvs人食い熊【三毛別ヒグマ事件】

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