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菅直人元総理は「3.11」のとき、どう決断し、どう行動したのか? 10年経ったいま、福島第一原発事故を振り返る

■突然現場の周囲から記者が消えた──のちに批判の対象にもなったメディアの対応

堀:
 そしてタイムライン、先に進めていきましょう。15時36分。

 オンサイト関連、15時36分、1号機の建屋が水素爆発。
 14時54分、吉田所長が海水注入を指示。
 爆発によるホースの破損などで海水注入準備作業が中断。

 オフサイト関連、双葉町の井戸川町長、原発から約4キロのヘルスケア―ふたばでぼたん雪のようなものが降るのを見る。
 爆発の約1時間後、爆発を映した福島中央テレビの無人カメラの映像が日本テレビ系列で全国に流れる。
 15時過ぎ、朝日新聞社は原発から30キロ以内に近づかない方針を決定し、記者にメールを送信。12日夜までに浜通りの支局から仲通りへ、記者に移動を指示。

 このメディア対応もいろいろのちに批判の対象になったりもしました。青木さん、この15時台の動きご覧になって改めていかがですか。

青木:
 私は当時岩手に入って、津波で亡くなった方とか避難された方が次々亡くなっていっていたので、せっかく津波で助かった命がどうやって避難で命を落とさずにいられるかということの対応に追われていました。

 県に電話して、物資がここにあるとかこの物資が足りないから今お年寄りが死にそうだとかそういう連絡をしたりとか緊急対応に当たっていたので、このタイムライン見て過去のメールを見たんですけど、私はそのようなメールを受け取ってないのでわかりません。
 ただ、記者の皆は口に出さないだけかもしれないと思うんですけど、そういうメールが来たからといって……。

堀:
 現場に行かないという判断はない?

青木:
 でしょう。
 実際、この方針がいつまで続いたかっていうのは定かじゃないですけど、このあと行く機会はあったかなかったかというとありました。
 それは上司に許可を取ったか取ってないかというと申し上げづらいですが……。でも一人の人間として。

 20キロ、30キロの境界線って線が引いてるわけじゃないし、見えないわけでしょう? あっちに困ってる人が明らかにいるのに、そこに行かないっていう選択肢あります? ないですよね。行きますよ、それは。

堀:
 実際、NHKでは「放射能汚染地図」というドキュメンタリー班が、詳細なリポート、設定区域内にも入ってすばらしいドキュメンタリー、大切なドキュメンタリーを作ったんですが、その後NHKは処分をするんですね。

青木:
 そうですね。

堀:
 そういったこともあって、メディアの対応も問われました。
 この映像がなかなか公開されなかったというのは、木野さんはどのようにお考えですか。

木野:
 これもちょっと理由がよくわからないままだと思うんですけど、結局映像に関して正確な説明ができるかどうかを判断していたというような話らしいんですけれども、それにしても1時間はちょっと遅いなという感じはしますね。

 メディア自体が1Fの状況に対して何か起きてるかを薄々感づいてるから退避指示とかを出してるんですね。

 実際に12、13日あたりからは南相馬市役所のほうにずっとそれまでいろんな記者が張りついてたのが一斉にいなくなったもので、南相馬の市長が記者に「昨日までいたんだけど、どうしたの?」って聞いたりしてるんです。
 ただ、記者は当然その理由は細かい説明はできないので、してないですけど。

 朝日に限らず、テレビ朝日も日テレもNHKもそう。過去の東海村JCO臨界事故で中性子の被ばくがあったので、それを気にしたメディアは基本的には30キロ圏内からは退避というかたちでやってましたね。

堀:
 でも、それが本来伝えるべき役割の人たちがそこから離れる……。

木野:
 きついと思います、それは。

堀:
 一方で情報を、メディアを信じて待ってる人たちはその情報を得られない……。

木野:
 そうなんです。一方で3月の末とかにフリーランスの映像系のジャーナリストの人たちが何人か中に入ったりとか、さっきのNHKの取材班が入ったりとかっていうのがあるんですけれども、それは明らかに組織の行動からははずれて、自分たちの判断で動くしかなかった人たちなんです。

 結局、そういう人たちに対しても情報がなくて、現場に行って放射線量を測ったら「高いですよね」っていうのがその場でわかるような状態だったので、そういう情報の発信の仕方と情報の中の流れ方っていうのはちょっと問題。

 そういう状態だったので菅さんの官邸にモニタリングの表が届かなかったのは、僕はある意味当然だった、自然だったのかなと思います。

堀:
 吉田所長の、「本店、本店」というあの叫び声がまさに15時36分の水素爆発でした。
 でも、それを政府のほうで把握できたのは、それからしばらくあとだったわけですね。

菅:
 しかもそれがテレビですよ。だから、「本店、本店」と言ったということは……。

堀:
 知ってたわけですね。

菅:
 知ってたはずなんですよ。その本店が何で、歩いたって30分もかからないですよ、本店と官邸は。

 ですから、とにかく重要な情報が東電本店からすらこない。あるいは本店からわざわざ派遣されている元副社長からもこない。テレビで見て初めて知ったと。

 これはその後のいろんな対応に対しても率直に言って、非常に不信感を感じましたね。

■「海水注入を官邸が止めた」と言うが、菅元総理が止めたということはない

堀:
 そして次です。夕方になりました。

 オンサイト関連、18時頃から官邸で協議。海水注入で意見一致。武黒フェローが海水注入をするまで2時間くらいかかると発言。
 19時55分に総理が注入するように指示。

 2時間近く経ってますね。実際は吉田所長の判断で19時4分には既に海水注入が始まっていて、武黒フェローは中止命令を出したが継続されていたと。

 そしてオフサイト関連、18時25分、第一原発から半径20キロに避難指示。
 20時32分、総理が会見。
 20時50分、枝野官房長官が会見。放射性物質が大量に漏れ出すものではないと説明。

 さて、オンサイト関連で言うと、どうもこの海水注入をするとのちのちに原発が使えなくなるからではないかという判断も聞いて、随分抵抗したんでしょうということ言われてましたよね。
 実際にはここでのやり取りの舞台裏どんな状況だったんですか。

菅:
 一般的に言えば海水注入をすればその原子炉は使えませんので、そういう判断がどこかにあるとすればそれは東電です。
 少なくとも官邸、私は事故を収束が最優先ですから、そのあとの原発が使えるかどうかというのは考えません。

 ややこしかったのは「海水注入を官邸が止めた」と言うんですけども、少なくとも私は止めたということはありません、全く。

 それを一旦東電の中、多分武黒さんと吉田さんのやり取りか、あるいは東電の本店にいた誰かとのやり取りの中で、「官邸がぐじゅぐじゅ言うから止めろ」と武黒さんが言ったのに対して、吉田所長の有名な話ですが、そばにいた部下に「今から止めろと言うけど、絶対止めるなよ」と言って、そしてわざとテレビ会議で聞こえるとこで「止めろ」と言って本店はそれで止まったと思ったんです。

 実はその止まったという情報を、当時の前総理であった安倍さんは「菅が止めて、それで事故がひどくなった」ということを自分のメルマガに書いて、それを理由に私に対して辞めろと。
 そのあとは不信任案まで自民党は出しましたから、実はこの問題は非常に政治問題にもなったわけです。

 しかし結果としてその後、外国からその関係者が来るときに、吉田所長が「実はあれは止めてなかったんだ」と自ら言って、そのことは事実関係は非常にはっきりしたんですけども、結果的には非常にそういう事実関係としてもややこしかったのと、私にとっては政治的にも、非常にそれで私自身がある種のピンチになったという要素は率直なところありました。

堀:
 この20時50分、枝野官房長官会見の中で「放射性物質は大量に漏れ出すものではないと説明」というのは、これは情報があって、でもある意味、行動に関して管理もしなきゃいけなかったから、こういう情報の方法の出し方になったのか。
 それとも菅さんが先ほどおっしゃってたような、そもそも試算の情報も含めて入手できていなかったのでこういう言い方になっていたのか。実際にはどうだったんでしょうか。

菅:
 これは「放射性物質が大量に漏れ出すものではない」というのは、被ばくを予想したけれどもということでしょうかね。

堀:
 そうですよね。このときの会見そうでしたよね。

木野:
 そうです。事故調査委員会の報告書の中ではそういう書き方になっていて、1号機の爆発を受けてのものなので、それで個人的に避難の指示が出てるんですけれども、それでも福島第一から大量のものが出るものではないっていうそういう説明の仕方です。

堀:
 実際にはもうベントでかなり出ているし、そしてこの水素爆発でかなりのものも出ていたけれども、国民はこの状況を知るすべはこの会見によっては……。

木野:
 ないです。

堀:
 でも当時、官房長官に対しては相当、会見でも突っ込んでましたよね。

青木:
 そうですね。

堀:
 当時のこと覚えてらっしゃいますか。この官房長官会見というのはどうでしたか。
 「枝野寝ろ」っていうあのツイートはかなり当時バズってましたけれども、一方で不信感を生んだ一つの会見の現場でもあったわけです。
 青木さん、どのようにご覧になってますか。

青木:
 電波も電話も通じない現場にずっといたのですみません。リアルタイムではわかりません。あとから見るとひどいなと思いますけど。

菅:
 水素爆発によってどれだけ近隣の、つまりサイトの中を含めた放射線量が上がったかというのは、それは少なくとも東電は即わかってるはずなんです。

 ですから、この記者会見を私も全部は記憶してませんが、こういう言い方をしてるとすれば、それは東電の話を聞いてそれほどはないから言ったんじゃないでしょうか。つまり官邸にいて測定するわけにいかないんです。

 爆発を起こした1号機はサイトの中ですから、それによってどのぐらい放射線量が上がったかというのは当然現場ではわかります。

 ですから、この表現そのものは私は今判断はできませんが、少なくともそういうことがわかるのは東電の現場であり、現場から報告を受ける本店です。

■「メルトダウンという言葉を使わないようにしよう」という変な忖度が働いてた

堀:
 そして、さらに進めていきましょう。13日です。

 オンサイト関連では、2号機3号機、圧力を下げる作業が続く。
 3号機で水素の発生が推測されたため、ブローアウトパネルの開放。建屋に穴を開けることなどが検討されるも実施困難で断念。

 オフサイト関連では、原子力安全委員会、スクリーニングで1万cpmを超えた場合に安定ヨウ素剤服用の指示。
 安全委員会の指示に反して、福島県がスクリーニングレベルを1万3000cpmから10万cpmに引き上げ。後日、放医研(放射線医学総合研究所)からの要請を受け入れて、原子力安全委員会は追認。

 ということで、木野さん、この状況というのはどのように評価されるべきでしょうか。

木野:
 これは本当は個人的にはもっと徹底して検証しなきゃいけない部分だと思っています。

 要はもともとスクリーニングレベル1万cpmっていうのは、健康に何らかの影響があるんではないかというのを懸念するがゆえに決めた事故前のスクリーニングの基準でした。

 それにもかかわらず、もちろん現場で水が足りなくて除染ができないとかいろいろな理由はあるにせよ、いきなり10倍に引き上げてそれをそのまま超えなければ大丈夫だよということにしてしまって、しかも個々人の記録も取ってないんですね。

 なので、実際にあそこから避難した人たちが外部被ばくでどのぐらいしていたというのは数字がわからなくなってしまっているので、これは非常に大きな問題で、あとを引く話だと思ってます。

堀:
 そして次いきましょう。14日です。

 オンサイト関連では、午前11時1分、3号機が水素爆発。
 オフサイトセンターに2号機の異常を知らせる連絡が入る。

 メルトダウンに関連しての情報はここからです。
 18時22分、燃料棒が露出した可能性。
 20時22分、炉心が溶融する可能性。
 22時22分、原子炉格納容器損傷の可能性。

 吉田所長、チャイナシンドロームのような最悪な事態になりかねないと考えると。過去のスリーマイル原発の事故のように空だきになった原発が、燃料棒がメルトダウンしていくというような状況に。

 オフサイト関連では、50キロ圏内の自治体に安定ヨウ素剤配布を検討。40歳未満の住民一人当たり2錠の配布を決定。
 福島県は、原発から30キロ以上離れた地点で採取した雑草から飲食物摂取制限の指標を大きく超える放射性物質を検出。
 農林水産省からの強い要請で厚生労働省は食品検査の対応を検討。17日に1キログラム当たり100ベクレルの規準を通知。

 この燃料棒露出の可能性という、この18時22分のこの情報に関しては、菅さん、当時どのようにして伝達されたのか覚えてらっしゃいますか。

菅:
 先ほど申し上げたように、実際にはもっと早い段階で1号機も燃料棒が出てますし、果たして20時22分というのが本当にこの時間であったのかどうか私にはわかりません。

 ですけども、先ほど来何度も言ってますように1号機が一番早かったんですが、1号機がここで言う炉心溶融、いわゆるメルトダウンが起きたことは当時はその時点では現場も本店ももちろん私も知りませんでした。

 ですから、私が12日の朝行ったときには実はメルトダウンは1号機では既に起きてたんです。場合によってはメルトスルー、つまりは圧力容器の底まで抜けてたんです。
 この22時22分の「原子炉格納容器損傷の可能性」というのは、ちょっと炉によって非常に早いものと遅いものがあるので、一概に言えません。

堀:
 菅さんご自身が原発はもう既に燃料棒が溶けてるということを認識したのはいつ頃だったんですか。

菅:
 これは私も何度も言うようにいわゆる本物の原子炉の専門家ではなく、専門家などの意見を聞いて判断するわけです。
 今はデータが全部出てますからはっきり言うことができますが、東電が起きたとまだ言わないときに、私が特に総理という立場で「起きただろう」と外に向かって言うことはできません。

 ただ、あとになってみると相当早い段階でわかる人はわかっていたにもかかわらず、「メルトダウンという言葉を使わないようにしよう」という、今の流行りの言葉で言えば変な忖度が働いてたんですね。
 私はちゃんとわかった時点できちっと東電が内閣に伝え、私が官房長官に伝え、そこで発表すべきだったと思います。

堀:
 では、官邸の中に入ってくる情報の中にメルトダウンの置き換えの言葉「燃料棒の露出」とか「炉心溶融」とかそういう言葉としての情報は入ってたということですか。
 それがいわゆるメルトダウンだと認識が共有ができなかったということなのか。

菅:
 炉心溶融っていうのはまさにメルトダウンと日本語と英語の差ですけれども、少なくともそういう炉心溶融とかメルトダウンということを東電がなかなか使わなかったんです。いつ使ったか私も覚えていませんが相当経ってからです。

青木:
 2カ月経ってから。

菅:
 2カ月経ってから東電は使っているんです。

堀:
 メルトダウンという言葉は当時、文科省から「『燃料棒の露出が~』という言い方でと言われているから」とニュースセンター内で言われました。
 「メルトダウンですよね?」って言ったら、「いや、燃料棒の露出でいくから」って。

菅:
 燃料棒の露出というのは、普通はいわゆる水が上にあるのがどんどん水位が下がっていって燃料棒の頭が出ることをいうんですけど、頭が出たらそこからメルトダウンが普通は始まるんです。
 ですから、率直に言って、何か言葉を濁すということが東電の側に相当あったんではないか。言ってくれればそのまま伝えてます。少なくとも官房長官も私も。

■複合災害に対応する組織作りがほとんどできていなかった

堀:
 そして、15日になりますね。

 午前3時頃、海江田経産大臣が「東電の清水社長が現場が危険なので社員を撤退させてほしいと言ってきている」と総理に伝えたものの、清水社長は「撤退したいとは言っていない」と証言と。実際には言っていたと。

 午前4時、総理が「撤退はあり得ない」と伝えると、清水社長は「わかりました」とだけ発言。

 先ほど冒頭ありましたように、「撤退はしない。決死隊を作ってでも対応する」ということになったので、結果として、その後、何とかコントロールしていったということでしょう。

 午前5時半頃、菅総理が東電の本店に向かいます。
 午前6時頃、爆発音。4号機建屋に損傷確認。
 そして吉田所長は2号機からの爆発音と認識。監視及び応急復旧作業に必要な人員を除いて福島第二原発に一時退避を指示。
 午前中以降グループマネジャーなどから順次、福島第一に復帰。

 第二原発に移るということに関して、朝日新聞の報道で少し注目された見出しがついてしまいましたよね。

青木:
 はい。

堀:
 覚えてらっしゃいますかね。

 そしてオフサイト関連、海外の拡散予測情報などから三春町で放射線量の上昇が予想される。
 住民や大熊町、富岡町からの避難者らに安定ヨウ素剤の服用。福島県が中止を指示するも、従わず。
 文科省はSPEEDI予測を基にモニタリングを実施。浪江町の赤宇木で毎時300マイクロシーベルトを測定。かなり高い測定値が出ている。

 そして、この状況がきちんと伝えられていなかったがために避難指示も出ていないという状況でした。

菅:
 非常に重要なことが実はこれに書かれてないんですね。
 私が東電の社長に「撤退はありませんよ」と言ったというところまでは書かれてますが、そのあとに併せて私は「このままでは情報共有ができないから、内閣と東電の統合対策本部を作りたい。それは東電本店に置きたい」と清水社長にそのときに言ったんです。

 彼は「わかりました」と言ったんで、「それでは今から東電本店に行きたい」と私が言いました。そしたら「少し待ってくれ」ということで、結果的には1時間半ぐらい経ったときに行きました。

 そこで正式に決めたのは私が総理ですから統合対策本部の代表。そして副代表は海江田経産大臣と清水社長。
 そして、私の補佐官でした細野さんに現地の事務局長役でずっと残ってもらいました。

 あといろんなことがありますけども、時間が経つにつれてそこが非常に情報の中心になってきました。

 それは何度も申し上げるように、事故が起きてることが一番わかるのは当然東電ですから、いくら官邸で待ってても東電から情報がこない限りこちらで情報を作るわけにいかないんです。
 その点は細野補佐官が東電に詰めて、そしてそこにだんだんと関係者が集まって、先のほうではアメリカの関係者もそこに集まったんですが、そこで統合対策本部ができたということはこの一連の中で非常に大きなことだったと私は思ってます。

青木:
 この統合対策本部はもうちょっと早くできなかったんですか。15日まで作らなかったっていうのは。
 私がちょっと疑問なのは、菅さんは現場に行かれてるじゃないですか。現場っていうことはつまり、免震棟でもこのシステムが動いてたはずなんですけれども、菅さんはその当時、そのシステムは現場では1Fではご覧になってない? テレビ会議システムはご覧になってない?

菅:
 見てません。吉田所長に会ったところの会議室では見てません。

 見たのは15日の夜に統合対策本部を作るために本店に行ってみたら、どーんとこんなあるじゃないですか。何でこんなものがあるのに、1時間も2時間も伝わってこないんだっていうのは本当にびっくりしました。そのときが初めてです。

堀:
 何でその情報を経産省も保安院も含めて官邸に伝えなかったんでしょうね。

木野:
 経産省はテレビ会議をオフサイトセンターでつないでたんで、だから現場の担当者は知ってたはずです。そこには結局13日くらいに担当の経産副大臣の池田さんが行かれてるんで、多分見てはいたと思うんですね。

 ただ、オフサイトセンターの中で見たことっていうのが、どういうふうになってたかっていうのが、もしかしたらちゃんと認識できてなかった人たちがいたのかもしれないと。

青木:
 15日に統合対策本部を作るわけですけれども、その前に指揮命令系統が誰が責任者で、誰の指揮で事故を収束させるのかというのは、それが定まってなかったのがよくなかったという記述も事故調に書いてるあるんですけれども、15日の前は誰が最高責任者で、誰を指揮を執っていたかというご認識についていかがでしょう。

菅:
 原災の法律ができたのも事故が起きるそんな昔じゃないですね。もちろんあんな事故が起きたのは初めてです。
 例えば放射能で2人の方が亡くなったJCOの事故とかは大体当事者、つまり関係者が集まって対応にあたるわけです。
 当然ながら今回の場合は東電の会社の工場内での事故ですから、東電が直接事故処理にあたるんです。

 先ほど来申し上げたように原災本部というのは、もちろんサポートはしますけれども、権限としてはこのスイッチをこうしろ、あのスイッチをああしろという権限は実はないんです。

 それであくまで避難とかのことをやるんですけども、おっしゃるようにもっと早くできたらよかったと今では思ってます。

 ただ結果的に東電が撤退ということを言いだしたので、それを止めると同時に、単に止めただけじゃ不十分だと思ったので統合対策本部を作りたいと言って社長の了解を取ったということです。

 ですから、おっしゃるようにもっと早く作っておけば結果としてはもっと対応が早かったかもしれませんが、その時点では東電からはあくまで担当者の武黒さんが来てちゃんと伝えますからということでとどまってたということです。

青木:
 2人が亡くなった東海村JCO臨界事故でも、こちらは事故が起こった当日に事故の責任者というのを政府が任命していました。
 それは中の人ではなくて、原子力安全委員会の委員長代理だったんですね。事故が起きたその日のうちに、この人は責任者だっていうのを専門家を政府は決めていたっていうのと、今回のこの15日になったっていう差異についてちょっと疑問なのです。

菅:
 あの頃に法律がどんどん変わってますので、全く10年前とその前が同じかどうか正確にはわかりませんけども、少なくとも東電が事故処理、飛行機事故で言えばパイロットが吉田さん、管制塔が本店のような位置づけだったと私は認識してます。

 ですから結果においてもっと早くというのはわかりますけれども、その時点では多分東電も基本的には官邸官邸といっても原子力の専門家は一般的に言うといないわけですから、もし官邸がやるとすれば、そのときにあった経産省の中のエネルギー庁の中の原子力安全保安院が担当するしかないんです、位置づけとしては。

 しかしその保安院のトップも原子力の専門家でないというのがそのときわかったんですが、そういう意味で決して私は言い訳をしてるつもりではないんですけども、おっしゃるとおり、もっと早くしっかりしたのができたほうがよかったと思います。

 しかし、作るための前提となる人の体制も、国のほう自身にも実はそういう体制がなかったというのが事実です。

堀:
 はっきり言うと複合災害に対応する組織作りはほとんどできていませんでした。
 のちにわかったこととして、普段からの地元自治体の方に聞きましたが、このオフサイトセンターがあっても訓練などがあったら「ここに逃げましょう」の一辺倒で、そもそも風によって放射性物質がどっちに行くのかとかそういうことを想定して作られていないから、実際にはそこに逃げようと思っても高いほうに逃げざるを得ないからそっちに行けないとか、原子力というものを扱う国の体制ではなかったっていうことが一つには明らかにはありますよね。

木野:
 端的に言ってそこだと思います。

青木:
 だって、複合って言いますけど、地震と(地震で発生した)津波って一緒にくる可能性高いわけじゃないですか。

堀:
 そうですね。

■神のご加護があったから日本は助かった

堀:
 そして最後、3月17日10時過ぎ。

 オンサイト関連では、12日の未明に続き日米首脳電話会談。
 自衛隊のヘリコプターで3号機上部に散水。
 アメリカの原子力規制委員会の幹部が北沢防衛大臣を訪ね、グローバルホークで上空から撮影した映像をもとに、4号機の使用済み核燃料プールが空になっていると指摘。

 一方、オフサイト関連では、国家公務員の緊急時作業の線量限度を250マイクロシーベルトに引き上げ実施。
 厚労省は1キログラム当たり100ベクレルを超える食品は食用にしないよう都道府県に通知。

 さて、ここで菅さんはかねてよりご著書の中でもふれられていましたけれども、「神のご加護があったから日本は助かった」と。
 その中身がまさに2号機の圧力低下と、4号機の使用済み燃料プールに水が残っていたからだとおっしゃっていました。

 米国の調査で、その当時4号機使用済み核燃料プールが空になっているという指摘があったと。このときのやり取りっていうのはいったい具体的にはどうだったんですか。

菅:
 米国の調査そのものについて、私はその時々に聞いていたわけではありませんが、少なくとも4号機の使用済み燃料プールの水が相当量蒸発して危ない状況にあるという心配をしていました。

 当時4号機は定期点検中で、使用中の燃料棒が原子炉本体から抜き出されて、原子炉上部の隣にある使用済み燃料プールに一時的に移されていたのです。使用中の燃料棒は発熱量が大きく、プールの水が蒸発してなくなるとプールの中でメルトダウンが起きます。

 そうなると大量の放射性物質が空中に放出され、東京まで流れてゆく。そうなればまさに最悪のシナリオで示された250キロ圏からの住民避難ということになっていたと思います。

 米国のNRCもプール内の水が蒸発し、プール内の核燃料のメルトダウンが起きているのではないかと心配していたことがわかっています。

 しかし、いくつかの幸運が重なってプールの水は残っていたのです。
 なぜプールに水が残っていたか。ちょっとややこしいですけれど、定期点検のときにはまず原子炉圧力容器本体と隣の使用済み燃料プールの間に水の通路を作るのです。
 その水の通路を通って使用中の燃料棒を使用済み燃料プールに移します。移し終わると圧力容器の上部とプールの間にゲートを下ろして遮断する。ゲートを下ろすところまでは実は進んでいたのです。
 この状態でプールの水が燃料棒の発熱で蒸発を続けるとプールの中で燃料棒が溶け出していたのでしょう。それがプール側の水位が下がってきたときにプールと原子炉上部の圧力差でゲートがねじ曲がり、原子炉上部の大量の水がプールに流れ込み、空焚きにならなくて済んだのです。

 私、関係者に尋ねました。一方の側に曲がるのはストッパーで止められていたのに、逆の側に曲がるのを止めるストッパーがついてなかったと。
 「わざわざこういうことを想定してつけてなかったんですか」と聞いたら、「いえ、まさか原子炉上部の側の水位が高くなってプール側が低くなるなんていうことはあり得ないのでつけてませんでした」と。

 そのおかげで、結果的に原子炉上部にたくさんあった水がプール側に流れ込んで、それでもう何日間か水がもったのです。その後ヘリコプターから水を入れ、最終的にはコンクリートを圧力で高所まで上げるキリンさんとかゾウさんという名前をつけた装置が、プールの真上まで届いて、それで安定的に水を入れれるようになって、少なくとも使用済み燃料プールでのメルトダウンが起きなくて済んだことなんです。

堀:
 からくもですね。

菅:
 これはまさに神のご加護としか言いようがないことだと思って、私の本にもその例を一つ挙げたんです。

 2号機のことも言えば、あれも同じ15日の朝ですけども、ボーンと音がしてどこかに穴が開いたんです。
 しかしそのときに、もしも4号機そのものの格納容器がいわゆるゴム風船が壊れるように、バーンと爆発してたら、中の放射能が全部出てます。

 しかし幸いにしてどこかにひびが入るようなかたちで、例えば、紙風船をひゅっとやったときに、どこかがびしっと……。

堀:
 破れる。

菅:
 そうなると放射能は相当出てます。多分1号から4号機の中で一番たくさん放射能が出てるはずです。

 しかし幸いにして爆発はしなかった。今でも形は残ってますから。それで何とかその最悪のところまでいかなかった。

 これも圧力が上がったときに、格納容器がどういう壊れ方をするかっていうのは、私が知る限り実験した人はいませんから、やっぱりこれも神のご加護ではなかったかと思ってます。

堀:
 木野さんいかがですか。

木野:
 本当に偶然に偶然が重なったせいだと思います。

 4号機に関して言うと、定期点検の予定が1週間か2週間後ろにずれてたんですね。
 本来の予定だと事故の4日か5日ぐらい前に終わってプールの水を抜いてたはずで、もしそのときに地震になって今回の事態になってたら、4号機のプールは間違いなく空だきになってたと思います。

 本当にたまたまそういう状態だっただけであって、そういう意味ではひどい事故ですけれども、不幸中の幸いであそこで何とか止まってるのは、たまたまが重なってるだけの話であって、最悪のケースも起こりえたということをちゃんと覚えておかないと原発事故をなめてかかるんじゃないかっていうのはちょっと不安です。


 第一部の内容はここまでになります。
 続きはニコニコ生放送の番組をご覧ください。(この番組は、アカウント登録不要でどなたでもタイムシフトを視聴できます。ただしスマートフォンから視聴する場合、ニコニコ生放送アプリのインストールが必要です)

■番組情報

■タイトル
【3.11から10年】その時、総理はどう決断したか 菅直人元総理インタビュー

■視聴URL
https://live.nicovideo.jp/watch/lv330444669

■関連番組

■タイトル
【3.11から10年】緊急事態下の危機管理と情報発信 枝野幸男(元官房長官・立憲民主党代表)

■視聴URL
https://live.nicovideo.jp/watch/lv330444554

■全文書き起こし(枝野幸男氏のnote[外部リンク])
・3.11から10年。緊急事態下の危機管理と情報発信について (3/9ニコニコ生配信 講演全文)
https://note.com/edanoyukio0531/n/n751b98c57e7b

 

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