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『麒麟がくる』主人公・明智光秀が「本能寺の変」を起こした諸説。怨恨説、野望説、黒幕説……未だ真相が解明されていない歴史的事件を考察してみた

 今回紹介する、二度寝子さんさんが投稿した動画『明智光秀と本能寺の変(前編)』では、音声読み上げソフトを使用して、明智光秀が起こした「本能寺の変」の原因について考察していきます。


信長への不満が爆発「怨恨説」

文:
 今回紹介するのは、明智光秀。それも本能寺の変です。大河ドラマもそろそろ最終回ですしね。というわけで、今回は本能寺の変を考察してみたいと思います。本能寺の変を巡っては、おもに3つの説があります。怨恨説、野望説、そして黒幕説ですね。主君である織田信長から理不尽な仕打ちを度々うけていたため、この不満が爆発したというものです。

魔理沙:
 一体どんなことをされたんだ?

文:
 きんか頭(ハゲ)と侮辱されたり、武田家滅亡後、徳川家康を接待する際に接待役となるのですが、料理の中にあった鯛が腐っていたため、その臭いに激怒した信長が接待役を急遽解任し、領国を取り上げ、代わりに出雲と石見をくれてやる……と。

魔理沙:
 パワハラか。織田家はブラック企業だな。

文:
 ただこれらの内容は信憑性が疑わしいですね。

霊夢:
 なんで?

文:
 現代のような人権があったわけでもないですし、他の家臣も同様の理不尽な仕打ちを受けていた可能性があります。そうなると「いつものこと」となるわけですので、謀反に至るまでの動機とはなりにくいのではないでしょうか。

霊夢:
 まあ、今の会社でも求められるスキルだしね。

幕府復興を狙った「野望説」

文:
 ふたつ目は野望説です。かねてから光秀自身に天下取りの野望があり、本能寺の変は偶然巡ってきたチャンスであったという説です。

霊夢:
 でも信長を倒したところで、他の家臣を従えることできるの?

魔理沙:
 実際、家臣の秀吉に倒されてるしな……。

文:
 織田家の家臣の中でも、明智光秀の家柄というのは非常に高いものでした。彼は土岐家、すなわち源頼朝の流れをくむ美濃源氏の血を引いている。

霊夢:
 なぜ源氏でなければならないのでしょうか。平家ではだめなのでしょうか。

文:
 織田家の家臣は土豪か、もしくは室町時代の守護大名である斯波氏の家臣であり、美濃源氏の嫡流である土岐源氏、すなわち明智氏は彼らより「格上」ということになります。

霊夢:
 つまり明智幕府を開くってこと?

文:
 もしくは室町幕府の再興ですね。信長を倒し、彼によって追放された足利義昭を京に呼び戻すことで、朝廷を味方につけることが可能となります。基本的に毛利家、上杉家はともに朝廷への忠誠心が高く、明智政権との講和をするよう勅令が出された場合、従った可能性が高いですね。

魔理沙:
 織田家の家臣はどうなるんだ?

霊夢:
 あと徳川家もね。

文:
 毛利家と上杉家が明智家と講和を結んだ状態で、信長、すなわち「主君の敵討ち」をすれば朝敵とみなされる可能性が高いため、光秀というより朝廷に従わざるを得ないといえるでしょう。

霊夢:
 でもそれなら本能寺の変で天下をとれてたんじゃない?

魔理沙:
 なんで三日天下で終わったんだ?

文:
 本能寺の変後、朝廷が明智政権を公認したという動きはありません。

霊夢:
 それがあったら一体どうなるの?

文:
 明智政権に逆らうものは討伐せよ、という宣旨が出されるので、そうなると秀吉は「中国大返し」ができなくなりますね。京や大阪辺りで明智勢と接触した時点で、和睦しなければなりませんので、それがなかったということは、彼の野望説は可能性が低い、もしくは頓挫していた可能性がありますね。

信長暗殺を指示した「黒幕説」

文:
 3つ目は黒幕説です。光秀自身は単なる実行犯にすぎず、実は信長暗殺を指示した黒幕がいたという説ですね。

魔理沙:
 信長は皇室を滅ぼそうと考えていたから、実際、官職もすべて返上しているしな……。

文:
 いえ、それが必ずしも皇室を蔑ろにしていたとはなりませんね。これは皇室との絶交を意味するというより、嫡男に地位を譲るための返上と思われます。実際、豊臣秀吉は本能寺の変から3年後の1585年、内大臣に任官しており、同年には関白、そして翌年には太政大臣になっています。秀吉の政策は基本、織田信長の政策の継承ですからね。信長がこの路線を歩んでいた可能性は高かったといえるわけです。

魔理沙:
 つまり、空席となった右大臣に信忠がなるってわけか。

文:
 そういうことです。また信長自身、糖尿病を患っていたとされており、官職を返上した1578年には、すでにその兆候が出ていたとされています。当時糖尿病は10年持てばいいほうだとされていました。インスリン注射がなかった時代ですしね。そのため政権移譲を急いでいた可能性が考えられ、官位返上はその準備のひとつにすぎなかったとすれば、特段不自然ではないわけです。

魔理沙:
 でも信忠って右大臣にはなってないよな。

文:
 信長には彼をはじめ、次男と三男がいました。この時期はまだ、彼らが後継者になる可能性もあったのですが、1580年には信忠に嫡男が誕生しており、1582年には甲州征伐で武功を上げたため、この辺りが任官のタイミングだったのではないでしょうか。また前述のとおり、本能寺の変後、朝廷に動きが見られず、そうなると朝廷が黒幕だった可能性は考えにくいですね。

魔理沙:
 秀吉の黒幕説は? 中国大返しとか、なんか話ができすぎじゃね? 実は秀吉と光秀が結託して信長を倒そうとしたものの、その後、仲間割れして、結果秀吉が勝ったというのが真相じゃないのか?

文:
 その可能性は確かに考えられますが、それだと中国大返しをする必要がなくなります。そもそも信長が本能寺に滞在する情報を 事前に知ってた可能性は低いので。また光秀にしてみれば「秀吉の謀反」を密告したほうがメリットがあります。秀吉という「出世のライバル」を蹴落とすチャンスですしね。

霊夢:
 じゃ結局どの説もダメじゃん。

 日本史の謎のひとつである「本能寺の変」。優秀な家臣だった明智光秀が「なぜ信長を襲撃したか」という真相は未だに謎に包まれています。解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。


▼動画はこちらから視聴できます▼

明智光秀と本能寺の変(前編)

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