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芥川龍之介「蜘蛛の糸」元ネタはヨーロッパにあり? 有名小説の“ちょっと理不尽なお釈迦様”について仏教的に解説してみた

 今回紹介する、ミステリアスdeゆっくりさんが投稿した『蜘蛛の糸のお釈迦様はなぜ理不尽なのか?【ゆっくり解説】』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、蜘蛛の糸のお釈迦様の理不尽さについて解説していきます。

投稿者メッセージ(動画説明文より)

芥川の蜘蛛の糸を読んで釈然としない思いを抱いた人も多いはず。今回はなぜそのような話になってしまったのかをゆっくり解説いたします。

お名前は割愛させていただきますが、皆様広告ありがとうございます。


蜘蛛の糸の疑問点

魔理沙:
 蜘蛛の糸は芥川龍之介が1918年に発表した短編小説です。あらすじを説明しようとも思いましたが結構長くなるみたいなので割愛させてもらいます。

霊夢:
 学校の教科書にもよく載っていますしね。

魔理沙:
 さて、結論から先に言います。蜘蛛の糸の御釈迦様がなぜ理不尽に見えるのか? それは芥川が仏教に詳しくなかったからなんです。軽くは知っていてもそこまで詳しくはなかった。そもそもこの話には元ネタがあります。1894年にポール・ケイラスという西洋人が書いた「The Spider Web」です。Kandataという人名も出てくるし、はっきり言ってまんまです。

 芥川は昔の古典や小説に範をとって自作を書く人で、これもまたそうなんでしょうね。

霊夢:
 ヨーロッパ人が仏教の話を書いたんですね。でも仏教のことなんてわかってたんですか?

魔理沙:
 ケイラスは当時ヨーロッパで行われていたインド仏教研究の成果をよく吸収していました。だから彼の書いた元ネタの方は万全でないにしてもある程度仏教の理屈に沿って話が進みます。ところが芥川はその理屈を知らなかったから元ネタにあった大事な部分を削ぎ落としてしまったんでしょう。結果、物語としての辻褄が合わなくなり、読書にもやもやとした印象を与えることとなりました。

霊夢:
 さっき私が言った、何故蜘蛛の糸なんて切れそうな物を垂らしたのかとかですか?

魔理沙:
 そう、それです。分かりやすく恐らく読者が腑に落ちないであろう点を3点にまとめました。まずは「何故蜘蛛の糸なのか? ロープじゃダメだったのか?」

 次に「何故カンダタが極悪人と知りながら、あの程度の発言で蜘蛛の糸が切れたのか? もしくは御釈迦様は切ったのか?」。原文を確認したところ誰が切ったのかまでは書いてなかったのでこういう言い回しにさせてもらいました。

 最後に「何故一度の失敗で御釈迦様はカンダタを見捨てたのか?」何故極楽に御釈迦様がいるのかも付け加えさせてください。

霊夢:
 おかしいんですか?

魔理沙:
 私が参考にさせてもらった住職の方も、やんわりと「極楽にいるのは阿弥陀様なので、私はこの蜘蛛の糸の仏様を阿弥陀様としてお話します」と訂正しています。与謝野晶子の短歌でも似たような間違いをしているらしいです。

 さて、これらの疑問点はケイラス版を確認すれば、きっちり理屈は通っています。そこで残りの時間はケイラス版を見ることで、本来この蜘蛛の糸がどういうお話だったかを確認していきます。

 まず最初の「何故蜘蛛の糸」なのかを片付けましょう。芥川版では単なる蜘蛛の糸を仏様は垂らしますが、ケイラス版では「蜘蛛」そのものをカンダタにつかわします。しかもその蜘蛛は普通の蜘蛛じゃなく、御釈迦様が奇跡の力で作った蜘蛛です。そしてそれはカンダタ側も理解しています。さらに言うとこちらは蜘蛛の巣が使われます。以上の相違は実に大きいです。というのもケイラス版では救済のプロセスには三段階あり、その三つをクリアすると救われます。

 そしてその二番目が、御釈迦様の力で作った「生物」を派遣するというものなんです。この救済プロセス一つ一つはケイラスのオリジナルではなく、「アヴァダーナシャタカ」という仏教の説話集などにも見られるエピソードです。

霊夢:
 つまり元ネタの蜘蛛は単なる生き物でなく奇跡の産物だから糸の強度は問題ないわけですね。

魔理沙:
 そういう事です。地獄でそのような奇跡の生き物に出会う事でカンダタは御釈迦様を信頼するきっかけを得るはずでした。

 蜘蛛の糸の疑問点をまとめながら、蜘蛛の糸の元ネタがポール・ケイラスの作品出会ったことに視聴者からは「西洋由来の話だったのか」「カンダタって変だとは思ってたけど海外人名なのか」などのように声があげられました。

救済のプロセス

霊夢:
 ちなみに救済のプロセスの一番目はなんですか?

魔理沙:
 御釈迦様が地上に現れて、その口から「真理の光」が放たれる。ありがたい「教え」を、口からこぼれる光で表現しています。これが地獄のカンダタまで届きカンダタは御釈迦様の教えを知ることができます。このプロセスもケイラス版には存在しますが、芥川版には存在しません。

 まとめると、御釈迦様が地上に現れ真理の教えが地獄に届きそれを見届けた御釈迦様が使いの蜘蛛を作り派遣した。一番目と二番目を解説したので最後のプロセスも説明します。

 この三つ目をクリアすると、ケイラス版のカンダタは救われるはずでした。ところが彼はそれをクリア出来ませんでした。だから蜘蛛の巣が敗れてしまったんです。

霊夢:
 何をやらかしたんですか?

魔理沙:
 やらかしたというよりは、できなかったと言った方が正しいです。第三のプロセスは、御釈迦様の教えを理解し信じる事です。つまり信仰することです。そして彼がそれをできていない事は、発言で自ずと判明します。ケイラス版を引用します。巣に群がる亡者を見てカンダタが言う「It is mine これは俺のだ!」と。

霊夢:
 芥川版とほとんど同じですね。

魔理沙:
 だが糸が切れた理屈は違います。芥川版のように、無慈悲な心が問題になったのではありません。カンダタは元から殺人鬼の大泥棒なんですから。そんなの御釈迦様だって百も承知です。そもそもあの状況で蜘蛛の糸が切れると恐怖するのは、普通のことです。それを責めるのは酷でしょう。

 インドの宗教や哲学には「アートマン」と言う概念があります。日本語で「真我」とも訳されるこの概念は「自分の中に存在する実体的な我、固体的な我」を意味します。このアートマンがいわば我々人間の本体のようなもので、こいつが肉体に入っていると考えられています。

霊夢:
 霊魂みたいなものですか?

魔理沙:
 そう思っていいと思います。辞書にもそう書いてありますしね。ところでアートマンはインドの概念と言いましたが、仏教ではこのアートマンの存在を否定しています。そんなものはないってね。仏教では、人間の存在というのは物質要素と精神要素がたまたま仮に結合した物に過ぎないとしています。

 ところがカンダタの問題となった発言は、このアートマンの概念を捨て切れてないんです。「It is mine これは『俺』のだ!」。まだ我に執着しています。自分の中に不変の実体があると考えているから、こう言う発言が出てくるんです。それが問題なのです。

 それは即ち御釈迦様の教えを信じて受け入れてないってことです。だから救済は終了しました。終了させたのは御釈迦様じゃありません。その資格を失ったから自動的に終わったんです。そして糸が切れたのは因果応報、悪いことをしたら報いを受ける。今まで救済で中断されていたこの流れが再び発動して糸を切ったんですね。

霊夢:
 芥川は思い違いをしていたんですね。

 救済のプロセスにてカンダタが問題とされた言葉にアートマンという概念が捨て切れていないことが問題となり糸が切れてしまったということが分かりました。

なぜミスをしたのか?

魔理沙:
 確かにそうですが、ただこのミスは芥川にも情状酌量の余地があると思います。実は彼が元ネタにしたのは翻訳版なんです。鈴木大拙という僧侶で仏教学者の方が翻訳した「因果の小車」です。

霊夢:
 誤訳したんですね。

魔理沙:
 いや、むしろ逆です。正しく翻訳し過ぎてこうなってしまいました。

霊夢:
 どういうことですか?

魔理沙:
 問題となったのは「the illusion of self」という一文です。これを大拙は正しい仏教用語である「我執の妄念」と訳しました。我執とは仏教用語で「アートマン」に執着することです。なんら誤訳ではありません。ところがもう一つ、日常的に使われる意味があります。

 「我を通す」、つまり我儘で他人に思いやりがないって意味です。

霊夢:
 つまり芥川はそっちの意味だと思ったんですね。

魔理沙:
 割と同情の余地はありますよね。さて、前述の通り糸を切ったのも、救済を中断したのも、御釈迦様の一存ではありません。だから三番目の疑問「何故一度の失敗で御釈迦様はカンダタを見捨てたのか?」もこれが答えとなります。ケイラス版の御釈迦様は一貫して正しい教えを届けることに主眼を置いています。救われるか救われないかは、カンダタ本人に委ねられているんです。

 そこが芥川版の救える力があるのに、一度の失敗で諦めた御釈迦様とは違うんです。

 ケイラス版の御釈迦様は、救われるか救われないかは本人自身に委ねられており、芥川版とは違います。しかし、芥川版のこの間違いにも情状酌量の余地があり、どんなプロセスでこの蜘蛛の巣の理不尽さが浮き彫りになったのかが分かりました。二人の解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。

 

▼動画をノーカットで楽しみたい方は
こちらから視聴できます▼

蜘蛛の糸のお釈迦様はなぜ理不尽なのか?【ゆっくり解説】

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