藤井二冠の自作PCについて最強将棋ソフト開発者に聞いたらトンデモないことが判明した件
ソフトを使っても人間が強くなるわけではない……かもしれない
──話は変わりますが、お二人はご自身の開発されたソフトを使って、プロの将棋を観戦なさることはありますか?
杉村:
私はよくやります。
磯崎:
杉村さんは、将棋ファンが嵩じて将棋ソフト作ってるんで。私は……プロの将棋を見てもしゃーないんじゃないかと。自分が強くなるためには、ソフトの指した将棋のほうが精度が高いですし、参考になるものがいっぱいある。だからプロの将棋は一切見ないです。
──今って、たとえば中学生や小学生の大会に行くと、子どもたちがノートパソコンやタブレットを使って、自分が指した将棋を分析するんです。それで、どこが悪かったかソフトに教えてもらってから、また次の対局に臨む……みたいな感じで、プロ棋士より圧倒的にソフトが身近な存在なんですよ。
その傾向は今後、どんどん加速していくと思うんですが……お二人は自分の作ったソフトを、アマチュアや子どもにどう活用してほしいですか?
杉村:
そう……ですねぇ。たとえばやねうら王であれば、パッケージ版が発売されたりして、棋力向上のための機能も備わってます。けど水匠は、人間を強くしようというものには、残念ながらなっていなくて。
──そもそも人類の棋力向上を想定して作られていないと。
杉村:
コンピュータ将棋選手権で優勝しよう! というためのソフトなので。将棋が強くなりたいという人のためになっているかというと、正直なところ、わからないという。かつ、どうすれば人間が強くなるのかっていうのは、わかっていないんです。
──プロはソフトのおかげで強くなったと言う人がいるのに、開発者の方がそういうことをおっしゃるのは意外でした。
杉村:
藤井先生は「将棋のAIが示す評価値や読み筋を見て、なぜそうなるのかを自分なりに考えて体系化することによってソフトを利用しています」というようなことをおっしゃっているんですが……。
──おっしゃっていますね。ええ。
杉村:
私はそれを聞いて……「何を言ってるのかわかんない」と。
──ははははは! ええー?(笑うしかない)
杉村:
あのー……そうやって体系化したものが正しいのはやはり、藤井先生の才能であって。一般の人が評価値や読み筋を見て考えて自分なりに体系化したところで、その体系化が正しい保証はなくて、全然……強くなんないんじゃないかなと。
──そうなんですね……。
杉村:
ソフトは評価値や読み筋は教えてくれます。けど、それをどうやって自分の中に吸収すればいいのかは、わからないです。
──磯崎さんはどう思われますか?
磯崎:
私もねぇ……自分の棋譜をソフトで解析して、そこから悪手を見つけるくらいのことはできると思うんですけど、その勉強がそもそもいい勉強なのかという問題もありますし。
──自分で考えて将棋を指したほうがいいと?
磯崎:
実戦で将棋を指すことは、先のことを考えるというトレーニングにはなっています。けど……『そのトレーニング、いるか?』という気持ちもあって。
──でも、指さないと強くなれなくないですか?
磯崎:
たとえば算数で、延々と足し算だけやってても、数学ができるようになるわけじゃないですよね?
──ああ! 言われてみれば確かに……。
磯崎:
短い時間で、その局面に応じた、良い手を発見するゲームなわけで。序盤は暗記できても、序盤を抜けたところで必ず見たことのない局面になります。だから正解を暗記するゲームじゃないんですよ。自分が指した悪手をソフトが教えてくれたとして、それを暗記することが果たして効率のいい勉強法かというと……。
──ソフトに悪手を教えてもらっても、それはその場限りの正解を知るだけで、スッキリするかもしれないけど勉強にはなってない……かもしれない。
磯崎:
実戦で考えてる時間というのも、トレーニングにはなるんですけど、『強くなるためのトレーニング』ではないので。
ソフトを使って実力が向上できるのはそもそも強い人
──ふーむ……。その『強くなるためのトレーニング』というのは、たとえばどんなものを考えていらっしゃいます?
磯崎:
次の一手問題集を何千問やるとか、詰将棋の実戦型のものを何千問やるとか。そのほうが密度が濃いじゃないですか。実戦って次の一手問題の連続と言われることはありますけど、カスみたいな局面もあるわけで。そんな局面で時間使って考えても何にもならないので。
──まさかソフト開発者の方からそんなアナログな方法が出てくるとは! けど私もピヨ将棋相手にヘタな将棋ばかり指して一向に強くならないので、とても耳が痛いです……。
磯崎:
そんなカスみたいな局面の連続である自分の棋譜をソフトで調べて悪手を調べたかて、しゃあないんじゃないかと思うこともあって。
──んー、なるほどなるほど……杉村さんはどうお考えですか?
杉村:
悪手を発見したとしても、それを憶えても意味がないわけです。『なぜその悪手を指してしまったのか』『なぜこの手がいい手なのか』とか、そういう部分を考えていかないといけないんですけど……それを考えて、その考えが正解という人は、たぶん実力が相当ある人。
で、実力がない人が考えても、同じ局面で同じ悪手を指さなくなるかも知れませんが、違う局面だと対応できない。つまり、実力はほとんど変わらないということだと思います。
──ソフトに『それ悪手だよ!』と言われた時に、それが何故なのか考えて、それだけで実力が向上できるのは、そもそも強い人なわけですね。
杉村:
ええ。ソフトから『悪手だよ』と言われてそれを覚えただけでは、実力はつかない。では未知の局面で悪手かそうでないかを判断できる実力を付けるには……まあ、んー……どうやればいいん、です、か、ねぇ……?
──もともと判断力が優れた人でないと、ソフトに悪手や読み筋だけを教わるような学習方法では棋力は伸びないということなんでしょうか?
磯崎:
時間効率が悪いかなと。『なぜこの形がいいのか?』という感覚的なものを伸ばさないといけないから。
──大局観とかですか?
磯崎:
大局観も含めてですけど……そこを伸ばすには、たとえば『銀が(あちらの升ではなく)こちらの升にいる形の評価値はどうだろう?』と網羅的に調べる必要があります。けど既存の将棋ソフトは局面編集をしないといけないので、かなり面倒なんです。そこを自動でやってくれて『ここに銀がいる形がいいですよ!』と自動で教えてくれるソフトがあったらいいんですけど、今のところなくて。
──そういう駒の位置関係を簡単に体系化してくれるような、学習に特化したソフトというのは、開発可能なんですか? 手の意味を教えてくれるとか……。
磯崎:
できるとは思いますけど……ニーズがどの程度あるのか。本格的にやろうと思ったら、すごく手間暇がかかっちゃうと思いますし。あと、将棋ソフトを買ってくれる人って、ある程度将棋が指せる人なので。
──あんまり強いソフトを高いお金を払って初心者が買うとは、確かに思えませんね……。
磯崎:
『初心者に優しいソフト作ったら売れるやん!』って夢の中では考えたりするんですけど(笑)。実際に作っても売れないという、厳しい現実がございまして……。
──私の作品も将棋ゲームになるんですが、売り上げが怖くなってきました(苦笑)。
どのソフトをどう使っているのか明かすのは研究の上で不利になる可能性も
──最近、プロ棋士の方に番組などご出演頂いた際に『将棋ソフトを使っています』と発言される場面はよく見かけるのですが、ソフトをどんなふうに使っているかを語っていただけることってほとんどない印象です。ソフトの使い方を語ると自分の手の内を晒すことになってしまうからなんでしょうか?
杉村:
ソフトの使い方については、確かに言ってくれる人ってほぼいないんですよ。千田先生が少し言ってくださるくらいで。使ってるソフトすら言わないという人もいるくらいで。
──ソフトと棋士の関係を詳しく取材した大川慎太郎さんの『不屈の棋士』という本の中で、羽生先生は「何を使っているかは言いません」とはっきり答えを拒否しておられたり、あまり積極的に自分から言う人も少ない印象です。
杉村:
最近、藤井先生がインタビューで『水匠を使っています』と言っておられて、それは嬉しかったんですが……やはりそれ言っちゃうと、若干不利になるんですね。
磯崎:
相手も同じソフトで調べて、しかも相手のほうが長い時間思考させると、そっちが調べた手のほうが強くなっちゃうので。
──対局してて「こいつ俺の半分の時間しか思考させてないな!?」と当たりを付けられちゃったり?
磯崎:
そこまでわかるかは……けど、相手がどの程度研究に時間を割けるかは当たりが付けられるでしょうから、それより長い時間ソフトに思考させた手を用意すれば、研究で上回ることは可能ですよね。
杉村:
水匠だと、たとえば角換わり37手目同形から4四歩を指してしまうというバグみたいなのがありまして……。
──有名なやつですよね。杉村さんもツイッターに書いておられますし。
杉村:
これは有名なんで誰もハマらないとは思うんですけど、そんなように『評価値的になぜかプラスになってしまうんだけど3手先の局面で思考させるとマイナスになる』っていう局面はいっぱいあるんですよ。
──水匠ほど強くなっても、そういうのが出てきちゃうんですね。
杉村:
となると、それを探されると不利じゃないですか。だから、どの評価関数を使ってるかは言いたくないはずなんですよね。ましてや勉強方法なんてもってのほか、ということなのかもしれませんね。
開発者はプロ棋士にどうソフトを使って欲しいと考えているのか
──では逆に、開発者の方々は『もっとこういうふうにソフトを使って欲しい!』というのはありますか?
杉村:
あー……どうですかねぇ。私は、ただ局面を検討させて評価値を見るよりも、ソフト同士に連続対局させた上でその勝率を見て序盤の定跡を作ったほうがいいだろうと思っています。あと局面が違っても『この戦型なら、終盤にこの五手一組が一致して出るよ』っていうようなのは抽出できると思うんです。この五手一組みたいなのが手筋と呼ばれるものになるんでしょうし……。
──なるほど。終盤の手筋。
杉村:
そういう使い方をすれば、今みたいな局面を検討させて評価値を見るだけよりはマシな使い方になるんじゃないかなというアイデアはあります。そういう方法で、どなたか一緒にやっていただけないかなー? とは、思いますけど……。
──チェスの世界みたいに、プロ棋士とタッグを組んでやってみたいと?
杉村:
ええ。序盤は勝率ベースで作った定跡を、終盤は戦型別に抽出した手筋を憶えていただいて、活用して頂くような方法でできないか……みたいなことは、考えてます。
──最強ソフト水匠の開発者とプロ棋士のタッグが結成されたら、すごいことになりそうですね! 森内先生が女流棋士の鈴木先生を鍛える企画をYouTubeでやっておられますし、対抗してソフト開発者が棋士を鍛える企画をニコ動でやるなんて話題になりそうじゃないですか!? 磯崎さんはどんなアイデアをお持ちでしょうか?
磯崎:
コンピュータ同士、対局させるんです。1万局くらい。その対局をマージ(統合)して、一本の分岐棋譜にしまして。で、その分岐棋譜を見れば『ここに馬作ったことが優勢』みたいな全体を通した特徴が見えてくるんで。
杉村:
そうです。そうそう。
磯崎:
1万局をもとに、その戦型の勝ち方のコツとか、どの駒がポイントになるとかっていうのを、そこから学べばいいのになぁ……って思うんですけどね。
──けど、1万局も対局させるのって……。
磯崎:
既存のソフトじゃ難しくてですね。そもそも生成された棋譜をマージする機能が既存のソフトには搭載されてないですし。それにただ対局させると、同じ将棋ばっかになっちゃって。指定局面周辺の数手がバラけてほしいんですけど、それをバラけさせるのにはコツが必要で、普通に対局させるだけじゃ無理で。
──ははぁ……。
磯崎:
棋風が違う何個かのソフトを使ったりしたいんです。指し手自体がバラけててほしいですし。いろんな方法で生成した、研究局面からの1万局くらいの棋譜を1個の分岐棋譜にしたものから学べばいいのになぁ……というのが私の考えなんです。
──けど、その機能を持つソフトは現状存在しない。となると……。
磯崎:
プログラマーの方にお願いしないといけない。だから本来は、『こういう研究がしたいんだけど』ということをプロ棋士の方が提案して、それにはこういうプログラムが必要でとなって、それをプログラマーの方が『じゃあ作りますわー』と進めて行くのが、真っ当な方法だと思うんですけどね。
──お二人のお話をうかがっていると、いかに人類が非効率にソフトを使っているかがわかります。ただそんな使い方でも、ソフトは将棋界に大きな衝撃を生み出しています。
磯崎:
最初の頃にも言いましたけど、藤井聡太先生レベルになると、こうやって網羅的にやらなくても急所を理解しておられるから、そこだけやればいいのかもしれない。けどそのレベルにない場合……たとえば私は将棋クエストで四段ですけど、私だったらこういう方法で勉強したいですかね。
──磯崎さんが『強くなるための勉強法』のところでおっしゃった、感覚を養うためのものですね。
磯崎:
いわばビッグデータのようなものを、頭に突っ込まないといけないんじゃないかなと。
プロ棋士とプログラマーがタッグを組む未来も
──たくさんお話をうかがってきました。まとめると、こんな感じでしょうか。
●ソフトを使うためには、いいパソコン(CPUのコア数が多いパソコン)を持っていると、短い時間で研究できて効率的。
●藤井聡太二冠の持つパソコンは、現状で個人が所有できる最強のパソコン。
●しかしソフト自体が研究用に設計されていないので、非効率な面もある。
●さらに効率よく研究しようとすると、専用のプログラムを開発する必要がある。
チェスの世界では実際に行われているということですし、今後は将棋界でも『プログラマーと組む』という方法が、ソフトを使う上でトレンドになるかもしれませんね。
磯崎:
でも結局ね、他の人との比較なんですよ。藤井聡太先生が最強のCPUを搭載したパソコンを所有しているというのがポイントで。みんなノートPCしか持ってなかったら、自分だってノートPCで研究しても互角には戦える。
──しかし藤井先生がもうスレッドリッパーを買ってしまった以上、序盤で藤井先生と互角に戦おうと思ったら、少なくともそれと同等のパソコンを所有しないと研究負けしてしまう……。
磯崎:
あとプログラマーと組むという方法も、誰か一人がそれをやり始めてしまって、タイトル戦に出たりというようなことになってくると『これ俺もやらんと研究で競り負けるやん』となってくる可能性もある。
杉村:
うん……。
──果てしない軍拡競争みたいになっちゃうんですね。
磯崎:
だから将棋界が全体として『プログラマーとは組まない』という選択をすれば、そういう流れにはならないですし。
──禁止されてるわけじゃないとはいえ、プログラマーを雇うとなれば、高いパソコンを買う以上に資金面での差が棋力の差に直結するような状況になりかねませんね。50万円のCPUで騒いでるのがかわいく思えるくらいの。
磯崎:
プロ棋士一人が専属でプログラマーを雇うという方法は難しいかもしれませんが、たとえば5人くらいのチームで1人毎月5万円くらい出し合ってプログラマーの方にお願いして共同研究をするとか。それはありえるかも。
──あとは、ソフトネイティブで育ってきてる下の世代の子どもたちには、プログラムの知識も有する強い棋士も現れるかも? 自分で有効なプログラムを書いて研究できるような。
磯崎:
それは生まれうると思います。けどそもそも、1万局面生成して……みたいな方法も、言うなればまだ私の妄想なわけで。まずは『ソフトを使った有効な研究方法』というのが実証される必要がある。そこすらまだ手探りですよね。開発者はそれぞれ『こうしたらええやん』という妄想は持ってるんですけど(笑)
杉村:
ええ。はいはい(笑)
──開発者の皆さんは、現状は言うなれば趣味で将棋ソフトを開発してらっしゃるわけですよね? やねうら王は市販されてますから、お金は得ているとはいえ……。プロの将棋を観るのが好きなのが嵩じて最強ソフトを作ってしまった杉村さんであれば、ご自身のソフトや技術力を将棋界の発展にも繋げたいという気持ちをお持ちなわけで、その気持ちや情熱がよい形で実現したらいいなー……と、私なんかは思ってしまうんですけど。
杉村:
うーん……プロ棋士の先生から、開発者に協力を求めるという流れは、今はまだ難しいかなと思うんですよ。だからまずはこちらがソフトの使用方法を提示して成果を出して、そこから協力の輪が広がっていけばいいなと。
──いや~、ありがとうございました。もっと『ソフトを有効に使ったら一気に棋力アゲアゲさんだぞ!』みたいな話になるかと思ったんですけど、そもそもどんな使い方が有効かというのを実証するとこから始めないといけないんですね……。
じゃあ『藤井聡太二冠はソフトで強くなったわけではない(キリッ)』みたいなことを新聞なんかがよく書いてるんですけど、それは正しいわけですか。
磯崎:
それはそうですね。
杉村:
そう思います。けど、AIを使った研究でも負けてないなとは思います。藤井先生相手に序中盤から不利になって負けてしまう方も多いですからね。一度も評価値が上向くことなく負けてる。
──水匠を使って将棋観戦なさってる杉村さんの言葉だけに、重いものがありますね……。
杉村:
おそらく評価値と読み筋だけ見て研究していると思われる藤井先生の序盤研究に追いつけてない。
──しかも、パソコンの性能ですら大多数のプロ棋士は藤井二冠に劣っている。
杉村:
ええ。藤井二冠より序盤を広く深く研究して、研究勝負で上回ることができたのであれば、少なくとも序中盤で100点なり200点なり上回ることができてもおかしくないと思うし、実際にそのような方もいらっしゃるんですけど……ほとんどの方が一回も100点くらいの差すら付けさせてもらえず負けてしまう。
──そういう現実がありつつも『俺はソフトの評価値なんかより自分を信じるぜ!』と言い続けるのか、それともせめて序盤くらいは上回る方法を考えるのか。
杉村:
それでも中終盤で負かされるかもしれませんけどね。あれだけ終盤の強い方ですから。
もし将棋漫画にソフトを使いこなす強敵が登場するとしたら
──最後に、ネタ出しに付き合っていただいてもいいですか? お二人はたとえば、将棋漫画なんかに『ソフトを使いこなす強敵』みたいなのを出すとしたら、どんなキャラがいいと思われます?
磯崎:
えっとね。チェスの世界で……いや、オセロのほうがわかりやすいかな。オセロってもうかなりの部分が解析されてて、結論が『引き分けじゃないか?』と言われてる(トッププレイヤーがそう考えている)んです。
──引き分け! そうだったんですね……そこまで解析されてるのか。
磯崎:
だから大会だと、定跡の変化に行くと相手もその定跡をかなり詳しく知っていて損なわけです。それでわざと、少しだけ不利な定跡を選ぶんです。その先をめっちゃコンピュータで調べ倒すわけですよ。それを憶えておく……みたいな人たちばっからしいんです。
──手数が少ないとはいえ、そんなことになってるんですね!
磯崎:
だから将棋の世界でも、ちょっとだけ不利になって、かつ自分でその局面に誘導しやすい……たとえば筋違い角みたいなのなら、角を交換してから打てばいいだけですから。
杉村:
渡辺先生(渡辺明名人)と豊島先生の名人戦で、1局目に渡辺先生が香車を一つだけ上がったのがあったじゃないですか。あれも評価値的には若干不利になることを渡辺先生は知ってて、けど豊島先生の研究を外すために採用した。香を上がってからの局面をめちゃめちゃ調べてるんです。
──その対局は『将棋世界(2020年11月号)』でもご本人が「聞いた話ですけど、その思考は囲碁の世界でも主流になってるそうです。ソフトの示す最善手はみんな研究してるから、さほど評価値の下がらない他の手をあえて採用することが増えてると」と語っておられますね!
杉村:
定跡を外しつつ、自分の研究局面に持ち込むというのは、あるんです。実際にやってる方もいらっしゃる。
──ただ、それをするにもかなりセンスが必要になってくるんでしょうか?
杉村:
山崎先生(山崎隆之八段)が使ってる『パックマン戦法』【※】って、あれ評価値が100くらいしか下がらないんですよ。だからめちゃくちゃ優秀。100点くらいなら人間にはぜーんぜん勝敗に影響しないうえに、自分しか知らない局面に誘導できるという意味で。
パックマン戦法……無条件に取れるように見える4四歩を指す後手が用いる奇襲戦法。
──なぁるほど! ちょっとだけ評価値が下がるほうが、人間との対局ではむしろ優秀な戦法として認識されつつあるんですね!
磯崎:
しかもその先を自分しか知らないというのがすごく大きいんです。相手は知らないのに、自分はソフトの考えた指し手を知ってるから。人間に換算したら二十段くらいある人とバトンタッチして序盤を指してもらってるのと同じですから(笑)
──いやぁ勉強になります! 今後、将棋漫画で『我はソフトの最善手全てを暗記した最強の棋士……!』みたいなのが出てきたら、爆笑しちゃいそう(笑)
3990Xが本当に最強なのかは未知数
磯崎:
あと、最後にね……これは今まで話してきたことが前提から崩れてしまうかもしれないんですけど。
──えっ。何でしょう?
磯崎:
スレッドリッパー3990Xが128並列というのを最初にお話ししたんですけど、将棋ソフトって並列化効率が悪くてですね。128並列なのにその平方根である11倍程度の効果しか得られないんです。
──えっと……本当なら、128倍じゃなくちゃいけないんですよね?
杉村:
それに関しては最近私が実験したんですけど、128並列で1手200万局面読ませたやねうら王と、32並列で1手100万局面しか読ませないやねうら王を対戦させたら、100万しか読んでないほうが勝率が高かったんです。
──え! 勝ったらダメじゃないですか!
杉村:
100万と200万だったら、200万読んでるほうが勝つと思うじゃないですか? でも128並列で200万読むというのは、そんなにいい手ばかり読んでるわけじゃない。ムダな手も読んでしまうので、32並列で読ませたほうが勝率がいいという……あんまり並列させて一つの局面だけを読ませるのが強いかは、わからないんです。だから3990Xが本当に最強なのかどうかってのは……
──わからない?
杉村:
私も最強だと思って買ったんですけど(笑)
磯崎:
128並列で11倍の効果しかないんであれば、ノートPCを4台くらい持って来て、それぞれ違う局面を解析させる。で、1台目は1~30手目まで解析させる、2台目は31~60手目まで解析させる……というような方法のほうが、1台5万円くらいのノートPC4台で済むので安上がりで効率がいい可能性があります(笑)
杉村:
ただ、それもやりかた次第ですよね。磯崎さんであれば効率のいい方法をやれますけど……結局、単に将棋GUI上でソフトを動かすだけではとても非効率ということなんです。プログラマーの方なら、128並列のCPUを使って128局面を同時に計算させるという方法を取れる。
今後は強いPCを持ってるだけじゃなく、それを有効に扱えるようプログラムを組むという方法へも進化していくかもしれないなと思います。
──なるほど。ハードの性能を上手く引き出すという面からでも、やはりプログラマーと組んで研究するという方法には利点があるということなんですね。本日はありがとうございました!
磯崎:
はい。ありがとうございました。
──ちなみに今回の記事の原稿料は、11月21~22日に行われる将棋ソフトの新しいオンライン世界大会『電竜戦』に寄付させていただきます。将棋ソフトには、私も執筆の上で大変お世話になっていますので……この記事もそうですが、開発者の方々のモチベーションに少しでも繋がればと。
杉村:
ありがとうございます。電竜戦、よろしくお願いします!
いかがでしたか?
将棋ソフトは現在もどんどん強くなっていますが、人類はまだそれを100パーセント使いこなせているわけではないことをご理解いただけたのではないでしょうか。
そして藤井二冠は将棋だけではなく、将棋ソフトの使い方においても研鑽を怠らないこともご理解いただけたと思います。
そんな将棋ソフトの発展に最も寄与したイベントが『電王戦』であったことは、誰もが認めるところでしょう。
人類vs人工知能という刺激的な対決は、一般社会における将棋の認知度を飛躍的に高めると同時に、プロ棋士と将棋ソフト双方のレベルを革命的といえるほど向上させました。
電王戦でソフトとの対局を経験し、そこから人間との研究会を全て辞めてソフト研究に没頭した豊島将之竜王が棋聖・王位・名人・竜王・叡王と恐るべき勢いでプロ棋界を制覇していったのは、象徴的な出来事だったと思います。
その電王戦が役目を終えて、叡王戦という人間vs人間のタイトル戦へと移行し……そして奇しくも豊島先生が奪取した第5期叡王の就位式において、ドワンゴが主催社の立場から退くことが発表されました。
この発表に接した将棋ファンには大きな動揺が走りました。
独自の視点で作るニコニコの将棋番組がどれだけ将棋ファンに愛され、求められていたのか……。
電王戦、そして叡王戦を共に戦ってきたプロ棋士や女流棋士たちは、当時の思い出と共に感謝の言葉を次々と発しました。
そして将棋ソフト開発者たちからも、ドワンゴに対する感謝と惜別の声がたくさん寄せられました。
ですがこれでドワンゴが将棋から完全に離れてしまうわけではありません。
タイトル戦の主催社という立場ではなくなりますが、ニコニコニュースでは今後も将棋の記事を発表していくとのこと。
ニコニコらしい独自の視点で、これからも刺激的な記事をお届けします!
人類はまだ将棋ソフトを100パーセント使いこなせていません。
そうであれば将棋ソフトを使ったイベントや中継もまた、発展の余地があるはずです。
それができるのは、電王戦を実現させたドワンゴしかないということを、私たちは知っています。
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