テレビから“裸芸”が消える? BPO(放送倫理・番組向上機構)に多くのクレーム。それでも芸人が裸になる理由を考えてみた
アキラ100%は本当の意味で脱いでいない!?
山田:
なんでかというと、この人、インタビューで言っていましたよ。「鍛えています」と、少しでも、人前で出せる裸はきれいでなければいけない、と。着ていますね、アキラくん! 君、全然脱いでないねー! あえていうならば、ホントに履いてないのは、とにかく明るい安村です。
一同:
(笑)
山田:
でも偉い。あいつの方が、履いてないんです。なぜならば、みっともない姿をそのまま晒している方が、あっちの方が全裸なんだよ。実を言うと。
乙君:
なるほど。
山田:
だから、身体を鍛えるとかやめてくれないかな(笑)
乙君:
ボディビルダーじゃないですもんね。
山田:
だから、「内面を晒す=脱ぐ」ということにすると、もうセクシー女優さんでも脱いでない人ばかりだという話なんだよ。
乙君:
ああ、なるほどね。
山田:
本当の意味で脱いでいたのは、飯島愛とか、あの辺が内面まで脱いで、全力で晒した人たちだったと思うね。意外と脱いだからと言って、(本当の意味で)脱いでない人は多いよな。
乙君:
なるほど、それはそうかもしれないですよね。
山田:
面白いのが、脱ぎたい女たちっているんだよ。脱いでありのままの私を晒して、世の中は全面的にそれを受け入れなさいっていう人たちもいて、『アナと雪の女王』の時の、ありのまま主義というのは、要するに「もう着飾りたくないの、このままでいいの。認めて!」というやつ。
あと思春期の若者って、「俺、別にイイっすから」と言っているやつがいるじゃん? 前髪をいじっているやつがいるじゃん? フードを被っているやつがいるじゃん? 「別にイイっすから」と言っている奴は、「このまんまの私を受け入れてくれ」と言っているから。これもありのままの自分を受け入れて欲しいという意味だよ。だから、ふてくされていることが脱いでいることになっちゃっているの。
乙君:
複雑ですね。
BPOが守っているものは“虚飾”
山田:
だから、アキラの話考えていたら、めちゃめちゃ面白くって、で、思い出したのが、裸って、なんで面白いのかなと思って、そしたらドリフが8時だよ全員集合とか、やっている時代に、なんとなく記憶の残像にあるんだけど、一発ギャグとして、でっかいステージでドリフのメンバーがワーッとやっている中、素っ裸の子供が、タタタッと走っていくだけのシーンがあったの、覚えている?
乙君:
覚えてないですよ。全員集合世代じゃないです。
山田:
俺は生まれていたんだよ。それであの時、意味もなく走る子供という全裸で走る子供を見て、みんなドッカン受けていた。なんか、ダメよ、パンツ履かなきゃと言っている姿が面白いから、子供ってさ、やるでよ、風呂上りに、やたらフルチンで走り周って、周りを困らせたいという、そういう子供じゃなかった?
乙君:
いやあ、そうでしたね(笑)
山田:
それが「ノーガードで面白い」というやつなんだよ。それって、虚飾を排した自由さと、可笑しさが一緒になっていて……要するに、フリーダムの雰囲気になっちゃうんだよ(笑)。子供が素っ裸で走っているだけで、「人間って動物だよな」なんてさ(笑)。
特に、中年オヤジの悲しい裸ってさ、なんかおかしいんだよね。ビートたけしが海パンで出てきた時に悲しくておかしいんだよ、出ちゃった腹とか見せながらさ、「お前この腹作るのにいくらかかったと思ってんだ!」とか言っているのね(笑)。それって人間そのものの悲哀を、虚飾をはいだ状態で笑ってくれと言っているわけ。
これに対してBPOさんが、けしからんとか言っていると、彼らが守りたいものが何か見えてくるわけだよね。要は虚飾ということでしょ? だからテレビというのは虚飾の世界だ、というのを認めちゃっているようなもんだよね。本質が、ポンと出てきちゃうと困る、だからけしからんという。
乙君:
倫理的に「子供が真似してすぐ脱いじゃうから、ダメ」とかもあるし……でも、それをつきつめると言論や表現の自由みたいなところに行きつきますね。
山田:
それもあるし……難しく考えずに一瞬で空気を破壊できるよね。その破壊力は何かと言ったら、「自分を晒す力」なんだよ。なかなか、これちょっと表現行為と、一緒になっていて、ちょっと面白いよね。
乙君:
これって例えばパプアニューギニアとかで、アキラ100%がいても笑わないんですよね。みんなが服を着ている文化だからそれが面白いんであって、タブーとせめぎ合いの話になりますよね。
山田:
アキラ100%がたけし軍団入っちゃったら、なんにも目立たないよね。
乙君:
そういうことなんですよね。