話題の記事

マックスむらいが人気の頂点で見た地獄──「私は好きなことで生きてはいけない」仕事への責任や使命感を背負って戦う生き様

AppBankで記事が掲載された日がリリース日

──ここからはマックスむらい個人だけでなく、AppBankとマックスむらいに焦点を広げてお話をお聞きしていければと思います。まずは、AppBankというメディアが最初にどういう経緯で立ち上がったのか。何度もインタビューで聞かれていることだと思うのですが、改めて教えていただけますか。

マックスむらい:
 AppBankが立ち上がったのは2008年10月です。その3ヵ月前の7月、新星のようにiPhone 3Gが日本で発売されて、その端末を買って触った際に、ガラケーとはまったく異なる衝撃を受けたんです。この小さな端末こそがインターネットそのものであると、この小さなディスプレイの中に全力投下すべきだと。

 プログラマーではなかったのでアプリは作れない、じゃあ自分たちにできることは何だと。記事を書くことだ、となりAppBankが始まります。

──当時、ブロガーブームが巻き起こっているなか、突然AppBankというメディアが現れて、業界1位をさらってしまったというか、一気にWEBメディアのトップ層に食い込んだところで、周囲からはどのような反応が?

マックスむらい:
 じつはサイトがスタートしてから1年半くらいは、朝から晩までほとんど誰とも会わずにほぼ休みなしで記事を書いていたので、そのあたりの反応は追えていなかったんです。

 必死に記事を書いて気付いたらアプリレビューの市場でAppBankの知名度があっという間に上がっていて。私が人と会ってコミュニケーションを取るようになったのは、AppBankが界隈で認知されたあとでした。

──そもそも当時はアプリレビューを専門としたメディアがなかったですよね。

マックスむらい:
 そう、専門メディアはなかった。アルファブロガーさんが数週間に1回くらいの頻度でアプリレビューを書くくらい。

 だからこそ自分たちで1日に10本でも15本でも記事を書き続ければ必然的に業界1位になるよね。だからひたすら記事書こうぜって。私と宮さん【※】のふたりで始めたときも1日12、3本程度書いているんですよね。1日に記事8本が私のノルマで、だいたい1時間に1本記事を書いていくのが自分のペースでした。

※宮下泰明氏……AppBank前社長。

──僕がとくに印象に残っているのは、記事の速度感の違い。あるとき、むらいさんが「これから1時間に記事を1本あげていく」ってツイートして、みんなが、とくに僕が「そんなことできるわけないじゃん」っていうなかで本当にそれを達成してしまって。その速度が、読者を盛り上げるお祭りとなっていましたね。

マックスむらい:
 少し時代背景に触れると、当時は日本のデベロッパー(アプリ開発者)がほとんどいなくて、海外アプリばかりでした。で、英語に苦手意識を持っている方も多かった。だからAppBankは、深いレビューはアルファブロガーさんたちにお任せして、アプリを起動してそのアプリの機能がわかるまでのチュートリアルないし説明書の役割を持つ記事を出していたんです。

──AppBankの勢いはすさまじかった。外から見てもそうでしたし、当時オフレコの場でチラリと明かしていた数値やデータ関連もすごい数値でしたよね。今だから明かせる数値などありませんか?

マックスむらい:
 あるとき、Appleの発表から逆算してみたら、日本のアプリにおけるお金の動きの2割強がAppBank経由だった。

──すごい……。

マックスむらい:
 そういった状況だからか、アプリ開発者の方の中には「アプリがリリースされた日がリリース日ではなくて、AppBankで記事が掲載された日がリリース日だ」とおっしゃる方も多かったです。

──僕がAppBankに入った理由もまさにそこで。僕の好きなゲームを応援したい、売りたいと思ったとき、AppBankでそのゲームの記事を書くことがもっとも近道だったんです。結局、「ファイターの好きなゲームはマニアックすぎるから違うゲームを」と度々言われることになるのですが(笑)。

パズドラ』に賭けた理由

──アプリレビューの市場で頂点を極めたAppBankですが、『パズドラ』との出会いでまた大きな変化がありますよね。僕がAppBankに本格的に関わるのも「パズドラ究極攻略DB」だったんです。これを作るために呼ばれて行ったら、「これからのAppBankはiPhoneだった。これからのAppBankは『パズドラ』になる」と、宮下さんが言っていて。

マックスむらい:
 そうだ。弟(インタビュアーである寺島壽久氏の実弟)とふたりで来てくれって。

──当時は意味がわかりませんでした。確かに『パズドラ』はすごいけど、iPhoneからいちゲームに乗り換えるなんてあり得ないと。そもそも『パズドラ』の存在を知った時期っていつころだったんですか?

マックスむらい:
 リリースの1ヵ月か2ヵ月くらい前、ハドソンからガンホーに転職されたばかりの山本さんから「こんなゲームを作ったので見てほしい」と連絡があったのがきっかけだと思います。

──あー! もともと山本さんはスマホゲームのヒットメーカーだったし、『エレメンタルモンスターTD』がヒットした時点で繋がっていたのか!

マックスむらい:
 そうそう。山本さんがハドソン時代に作っていたゲームをAppBankで記事にしていて、その縁から連絡がきた感じ。それまで電話やメールでのやりとりはあったけど、直接会ったのはそのタイミングだったと思います。

──『パズドラ』が社会現象になる遥か以前に、『パズドラ』のどこを見てそこまで賭ける価値を見出したんでしょうか。

マックスむらい:
 今でこそiPhoneで遊べるゲームは数多くあるけれど、当時におけるiPhoneのゲームは『探検ドリランド』や『怪盗ロワイヤル』を筆頭としたカードソーシャルが主流で、Apple Storeのトップセールスを見ても1位から50位をカードソーシャルが占めていた時代だったんです。

──確かに。あの時代であそこまでしっかり動いて、手触りが良くて、ゲームしているアプリは珍しかった。

マックスむらい:
 もちろん全部がそうではないけれど、ゲーマー向けでマニアックだったんだよね。カードソーシャルが流行り、そのプロモーション、要するに札束の殴り合いに業界が乗っ取られちゃったときに、「俺たちの役目終わったよね。AppBank閉じる?」って話を宮さんともしていたんです。

 そんなときに現れたのが『パズドラ』だった。『パズドラ』ならiPhoneがゲーム機だと胸を張って言えるし、なんだったらそのゲーム遊びたさにiPhoneへの機種変もあり得るぞと。AppBankが生き残るためには、まず『パズドラ』を1位のゲームにしないとダメだと。

 今だから言えることなんですが、カードソーシャルを駆逐することが俺たちの使命だ。iPhoneのため、業界のために『パズドラ』を1位にするんだという想いでスタートしているんです。

──なるほど。そういう想いで『パズドラ』に全力を注ぎ込んでいったと。

マックスむらい:
 じつは『パズドラ』絡みで鎌倉の地でガッツポーズしたことがあって。リリースから3、4ヵ月後くらいかな、その時には『パズドラ』はすでに何度もセールス1位になっていたんだけど、カードソーシャルのプロモーションが集中する月初である1日の1位だけは取れていなくて。

──月の終わりで給料日を迎えて、1ヵ月に使えるお金の制限が解除されるから、みんなが課金するタイミングなんですよね。

マックスむらい:
 そう。もっとも課金が集中する日だから、その日以外で1位を取っても真の1位とは言えなくて、月末を超えた1日に1位っていうのがモバイル業界的には真の1位と言えると思っていたんです。5月1日か6月1日、どちらか思い出せないんですけど『パズドラ』が1位になって。

 その前日、今日が勝負だって『パズドラ』の記事をめちゃくちゃ書いたんですよね。そして日付が変わって『パズドラ』が1位になっていて、おらーって思わずガッツポーズしちゃったことを覚えています。

石カウンターパでゼウスに挑むツイキャスが反響を呼ぶ

──『パズドラ』関係だと、ツイキャス配信でものすごい反響があったと記憶しています。

マックスむらい:
 ツイキャス配信の反響はヤバかった。視聴者の熱量も数字もすごかったはず。古参の方からすると、ゼウスを30回くらいコンティニューして倒す挑戦が印象に残っていると思う。今も多分動画【※】ありますよ。ほらっこれ。

──30回コンティニュー!? というか石30個って金額に換算すると相当ですよね。

マックスむらい:
 2000円ちょっとくらいかな。当時、今より全然パズルを組むのも苦手だったので、正攻法でゼウスを倒せる気がまったくしなくて。

 だから倒される前提のパーティーを組んだんです。その名も“石カウンターパ”。リーダースキルが「ダメージを受けると、たまに闇属性攻撃で猛反撃する」のダークゴーレムを自分とフレンドのリーダーに設定して、ひたすらカウンターだけでダメージを与えていくという。

──ゴリ押しだ(笑)。

マックスむらい:
 これがバカウケして。

(画像はマックスむらい「【パズドラ】1年半前の激闘!ゼウスにカウンターパーティで挑む!目標30コン!」より)

──動画を見て思ったんですが、動画のUIじたいが今と全然違います。モニターにスマホゲームの画面を映してと、割とアナログ寄りの手法ですよね。

マックスむらい:
 当時は今みたいにテンプレートが確立してなかったから探り探りだったんですよね。

中條D:
 まず当時の主流は、ゲーム画面がメインでドーンってあって、それ以外の余白は黒。小さく出演者のワイプを入れるくらい。

(画像はマックスむらい「大泥棒参上!(五右衛門)マックスチャレンジ 2013.2.18」より)

マックスむらい:
 そうそう。番組も最初のほうはそうだった。

中條D:
 当時、現状では見にくいなと思っていて。そこで試行錯誤した結果、スマホ画面を左に寄せて右側にカメラ絵を配置するフォーマットになったんです。今では業界のテンプレートですが、恐らく最初に作ったのは自分だったんじゃないかなあ。

マックスむらい:
 うん。本当にそうだと思いますよ。あのUIは発明。

(画像はマックスむらい「【パズドラ】ゼローグ∞降臨戦!魔法石とピィを賭けた戦い【6/1 ニコ生抜粋】」より)

メディアとしてAppBankが“負けた”ポイント

──『パズドラ』フィーバー後、AppBankが攻略記事を書いて、アプリと相互リンクを張って、ユーザーが離脱しないように応援する、みたいな座組が流行っていった記憶があるのですが、実際の反響はどうだったんでしょう。

マックスむらい:
 めちゃくちゃあったよ。私自身が窓口ではなかったので、直接的な声はそこまで聞いていないけど、『パズドラ』での成功事例を多くのメーカーさんが目指していて、AppBankと組みたいと熱視線を送ってくれていた。それに応えていけたかは……どうなんだろうね。

──この時期、宮下さんが「これまではパズドラ、これからはマックスむらいがAppBank」ということを語っていましたね。実際、そういう時期だった気がします。マックスむらいは動画メディアに力を入れているなか、「AppBankの武器はマックスむらいで、その力をどれだけ生かせるか」的な話も文字メディア側で話されていました。

マックスむらい:
 申し訳ないがぶっちゃけわからない。というのは、動画に集中するようになってからは、動画以外まったくタッチできてないから。

──内部にいた僕が言うのもよくないことですが、2015年くらいからAppBankのおもしろさが目に見えて減退したと感じているんです。PVが取れていてもそれは攻略記事のもので、AppBankがおもしろいから来てくれる読者は減ってしまった、と。

 そんななかでマックスむらいがパズドラ攻略日記を始めたらPVがものすごい安定して、結局のところマックスむらいを見に来ているんだ、みたいな状況でした。だから、むらいさんに動画を出してもらうしかない、みたいな流れがあって、恐らくむらいさんにめちゃくちゃ多くの人が相談にいったと思うんですよ。

マックスむらい:
 多かったね。私は基本的に社内からのリクエストであれば、体力が持つ限りすべて応えるスタンスでした。

中條D:
 けっこうフラフラしてましたよね。

マックスむらい:
 正直ヤバかった。全部門からのリクエストにひたすら応えていたからね。だから当時、メディアが何をしているのかまったくわからない。逆に、あのマックスむらいの生活をしていて他の部署まで細かく見られたらスーパー超人だと思う。自分の動画制作をひたすら続けていた毎日だった。

 ただ、『パズドラ』『モンスト』とAppBankがゲーム攻略で成功していったなかで、明確にここが負けポイントだと思うことがひとつあるんですよね。

──それは?

マックスむらい:
 うちはメーカーさんと距離が近すぎた。半公式という距離感で実質公式に近い立ち位置だった。ということはオフィシャルにしたくない情報は取り扱えないわけで、例えばゲリラ情報は出せなかったんです。

──公式の色が強いがために出せる情報が縛られてしまうと。

マックスむらい:
 そう。当然だけど私たちは(ゲリラ情報を)出したかったし、私自身が交渉した覚えはあるけれど、この距離感で出すのは難しいという結論になって、結局出せなかった。AppBankがそういう情報を出さないときに、まとめサイトやWiki系のメディアはAndroidからデータをハックしてガンガン最新情報を出す。

 もともとファミ通さんが作っていたゲーム攻略の文脈を、インターネットのスピード感を使ってぶち壊したのがAppBankだった。そこにメーカーとの距離感、守るべきモラル、発信すべき内容の精査の必要がないWiki系のメディアが現れたことで、負けたよね。

YouTubeチャンネルとしてのAppBankの失敗

──動画のほうに触れていくと、AppBankのYouTubeチャンネルでは、むらいさんだけでなくさまざまな人が動画に出演するようになっていきますよね。

マックスむらい:
 ゲーファイも出てくれてたもんね。

──だんだん演者が増えてチャンネル数じたいも増加していきます。多チャンネルへと舵取りしたことには何か理由が?

マックスむらい:
 あれは関わってくれているみんなが、ひとりでも動画を撮りたい、発信したい、だからチャンネルを持ちたいんですというリクエストに対して、どうぞどうぞと応えたかたちかな。

 結局、私ひとりが全員のリクエストに応えられる時間がなかったので。個人でも動画を撮れる、発信できるようにチャンネルが増えていった。

──最初、出演者を増やして多チャンネル化していく方向はすごくうまく機能しているように見えました。

マックスむらい:
 うん、うまくいっていた。

──ただ途中から、演者がAppBankを辞めて独立する流れが出てきてしまいますよね。あの動きってむらいさん的にはある程度は想定していたことなんですか?

マックスむらい:
 いや、あの当時は見えていなかったね。完全に私のミスジャッジ。明確な失敗だと思っています。

──もし当時に戻るとしたらどうします?

マックスむらい:
 全員と個別でタレント契約を結ぶ。YouTubeがこんなに儲かるプラットフォームになるとは想像できてなかった。要するに会社からもらえる給料以上の収入を得られることが、YouTubeの管理画面を見るだけでわかるわけで。だったら自分でやったほうがいいと思うよね。

──僕が聞いている話でも、君レベルならこれくらい稼げるよって、各所から引き抜きや独立を促すんですよね。

マックスむらい:
 あと、私の中では炎上が会社にもたらした影響が大きいかと思っています。

──どの炎上ですか?

中條D:
 すごいよね(笑)。炎上って言われてどの? って聞かなきゃいけないのは。

マックスむらい:
 横領絡み。みんなに与えるショックは大きかったし、いっしょに仕事できないと思うようになった人もたくさんいると思う。

──ライターチームの僕からすると、横領の件は割とどうでもよかったんです。僕以外のライターチームでも同じ考えの人はいたと思う。

マックスむらい:
 本当に? 動画チームは影響が大きかったんだけど、ゲーファイがそんな風に思えたのはなんで?

──僕らには関係ないかなって印象があったんです。もちろん関係ないわけではないんですが、上場にあたって問題、みたいな話だったじゃないですか。でも、上場が関係するのは株式をもらえる古参の方々で、その人たちは動画チームへ行っていた。メディアチームでは上場のメリットを感じていない人の方が多かったと思います。

 なにより、もっと大きな問題が目の前にあった。当時のAppBankのメディアチームってすごく迷走していて。先ほど言った「おもしろくなくなっていった」ことをどうすれば解消できるか悩んでいた。それに伴ってライターチーム内での意見のすれ違い、小さな派閥争いがあって。

マックスむらい:
 そういうチーム内の派閥なんかも知らない。

──PR記事がAppBankを支えている考えと、そもそもPVの下支えをしている記事、手堅い物販が支えているみたいな考えがあって、その中でギスギスしてしまって。あと、記事にはできないんですが、ゴニョゴニョ……。

マックスむらい:
 すげーーーーー!!

中條D:
 この話、むらいさんは知らないんですか?

マックスむらい:
 知らない。えーーっその顛末どうだったの?

──ゴニョゴニョゴニョ……。

中條D:
 これ記事に書けるのかな(笑)。

マックスむらい:
 書けないでしょ(笑)。

今のAppBank、これからのAppBank

──今年の1月に社長に復帰して、改めてAppBank全体を見るようになったと思います。メディアとしてのAppBankって今どうなんですか?

マックスむらい:
 もともと月1500万PVだったのが、2月に2400万PVにドンと上がって、そこから数ヵ月で4000万PV目指せるところくらいまできました。

──AppBankが上り調子になっているのってどのあたりが要因なんでしょう。社長復帰前後で何か変わったことが?

マックスむらい:
 サイトの構造を見た場合、私が社長に復帰する前後でじつは変わってない。メディアの方向性や今後の課題、動きなどは現在進行形で話し合ってはいるけど、そこは次のステップだと思っている。

 一番の優先事項として取りかかったのがライターのケア。いっしょに記事を作ってくれるメンバーが、記事を書くことに誇りを持ってほしいし、AppBankで仕事をしていることに対してプライドを持ってほしかった。

──数ヵ月で数千万伸びるって、簡単に出る数字ではないと思うんですよ。

マックスむらい:
 うーん、でも逆にそれくらいのポテンシャルがAppBankのみんなにあったんじゃない? まだそこまで大きく何を変えようって着手しているわけでもないので。

──ライターチームって今どんな雰囲気で働いているんですか?

マックスむらい:
 みんなすごい議論しまくって楽しそうに仕事してるよ。「こうすればもっとよくなるのになんでやらないんですか?」とか「こっちのほうがもっとよくなるんじゃないか」とか、いい意味でバチバチやり合ってる。ディスカッションやるなら私も混ぜてーってチャット飛ばしたら「御意」って返事がくる環境。

──いい空気ですね。続いて、一時休止と発表した動画に関してなんですが、今後、マックスむらいが動画に戻るとしたらどんなときですか?

マックスむらい:
 動画に関しては、「最後にやりたいこと」をやり切ったらいったん休止して、いろいろと準備して仕込んでいこうと思っています。その準備期間が終わればチャンネル再開へ。自分たちの納得というか満足できるところまで作りこめれば再走しようと考えています。……多分暖かい季節のうちに

──おおっ! 意外とすぐじゃないですか。

マックスむらい:
 という話をヒカキンさんと話して、バラの花束でビンタされました(笑)。

中條D:
 そんなすぐ戻ってくんのかよーって殴られたらしい(笑)。

(画像はHikakinTV「さようならマックスむらい。今までありがとう。」より)
(画像はHikakinTV「さようならマックスむらい。今までありがとう。」より)

マックスむらい:
 ニュースを見て本当に辞めると思ったらしく、即連絡をくれて。でも動画の中でいつころ再開するんですかという話になって「気温が暑いには再開したい」っていったら「すぐじゃないですかー」って。

中條D:
 1ヵ月くらいってことですからね。話題作りに大成功しやがったんですよ。

マックスむらい:
 でもそんな気持ちは全然なかったんです。動画の中でも「休止」と説明していたんですが、「最後にやりたいこと」というワードが強すぎたみたいで。

 ただチャンネルとしてはガラリと変わります。ロゴも変わりますし、このパーカーも、休止前の撮影が終わったらマックスむらいチャンネルでは着ないつもりです。7年間やってきたフォーマットはもう通用しないと思っているので、ゼロから作り直していきます。ぜひ楽しみに待っていていただけるとうれしいです。


<インタビュー後>

──あっ、ちなみにそのパーカーもう着ないなら読者プレゼントさせていただくっていうのは難しいですか?

マックスむらい:
 パーカーはこれが最後の1着で、マックスむらいチャンネルではなくAppBankTVのほうでは着るつもりなので、手元に残しておきたいんですけど、Tシャツなら2枚あるのであげられますよ。もう作らないのでこのTシャツも自分用除いたら最後の1着です。

──ありがとうございます! 実質ラスいちマックスむらいTシャツ。サインなんかもお願いしていいですか……?

マックスむらい:
 いいですよ!

 プレゼント企画の参加方法は、ニコニコニュースTwitterアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ツイートをRT。ぜひ奮ってご応募を。


 『パズドラ』のマックスむらいはまさしくインターネットのヒーローだった。しかし、華やかな表舞台の裏側に目を向けると、業界発展のための使命感や責任を背負って戦うひとりの男の姿がそこにはあった。

 iPhoneのため、業界のために『パズドラ』を1位にするんだという想いでスタートし、やがて彼の指先ひとつに数十億以上が託されるように。スマホゲーム実況の基礎や公式生放送、魔法石プレゼントのモデルを作るなど、マックスむらいの功績の大きさを改めて実感できた。

 そんな、ゲーム実況における“ひとつの時代”を築いた男が、チャンネルの更新休止というかたちで、自身の7年間の活動にひとつの区切りを設けた。そして、ゼロから動画スタイルを作り直し、新しい一歩を踏み出そうとしている。

 一度頂点を取った男が改めてゼロから生み出すムーブメントがどのようなものになるのか。いかに仕掛けてくるのか。マックスむらい、そしてAppBankの今後の動きが楽しみだ。

「インタビュー記事」の最新記事

新着ニュース一覧

アクセスランキング