夢は月面着陸。熾烈な競争を12年間も繰り広げた、ソ連とアメリカの天才科学者――コロリョフ&フォン・ブラウン
ニコニコドキュメンタリーでは、『ザ・ライバル』と題して、世界が注目する“ライバル関係”を描いた12作品を、ニコニコ生放送にてお届けします。
本稿では、そんな『ザ・ライバル』シリーズの内容を、プロデューサーを務める吉川圭三が6月21日に放送される『コロリョフVSフォン・ブラウン ~伝説の米ソ ロケット開発戦争~』を解説。
「世界まる見え!テレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた吉川氏が語る、対決の見所とは……!?
米による人類初の月面着陸
1969年7月20日午後4時17分(米国東部夏時間)。月面に人類は着陸した。
卑近な例で言えるならば、それはまるで九州の福岡から直径1センチの飛翔物を飛ばし、東京・渋谷に吊るされた10円玉に命中させる様な困難な技であった。ロケット工学の粋を集めた全長110.6メートルの巨大な使い捨て3段式ロケット・サターンVの先端には、月面着陸機と3人の宇宙飛行士が乗る司令船が搭載され、当時最新の通信機器とコンピューター科学が駆使された。
1961年5月25日、アメリカのケネディ大統領が「アメリカは人類を10年以内に月面に着陸させる。」と宣言する。その背後には、米ソの宇宙開発・ロケット防衛戦争に決着をつけるという理由があったとしても、この宣言に全米が熱狂した。
2人の天才科学者
しかし、この巨大計画を「10年以内」というタイムリミット内に実現するためにはある男の力が必須だった。
その男はドイツ帝国貴族の血を引き、かつてナチスドイツの親衛隊に属し、第二次大戦末期に当時最高性能のV2ロケットを開発し、英国ロンドンに飛来させ市民を恐怖のどん底に陥れたヴェルナー・フォン・ブラウンだった。この経歴の為に稀代(きだい)の天才ロケット工学者は偉業を成し遂げたにもかかわらず晩年まで非難を浴びることになる。
『ザ・ライバル』コロリョフVSフォン・ブラウン ~伝説の米ソ ロケット開発戦争~より
しかし、調べて行くと彼が親衛隊に属していたのは、宇宙ロケット研究にナチスの力と財力をつぎ込むためであったと言う可能性が浮かんでくる。また、兵器製造に積極的でなかったブラウンは、研究所などでロケットの平和利用や宇宙開発の夢を語った末、ゲシュタポに逮捕される。
だが皮肉にもゲシュタポの手から彼を救ったのが、V2ロケットに惚れ込んだアドルフ・ヒトラーであった。やがてドイツが敗戦し、ブラウンと500人の技術者は、V2ロケットの本体や部品や計画書を大量に持って逃走する場所を探した。
彼らは亡命先を英米仏の中から資金力のあるアメリカに決める。だがその後ドイツに侵攻して来たソビエト連邦に大半のドイツ人技術者が拘束されてしまう。ブラウンはアメリカに亡命することに成功する。
この時、ドイツからV2本体やその部品を持ちだしたのが、ソ連の天才ロケット技術者セルゲイ・コロリョフだった。コロリョフは1933年に液体燃料ロケットの打ち上げに成功し、後に主任設計者として世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発した男である。
しかし、1938年、研究仲間の嫉妬による密告・謀略により、シベリアへ流刑され強制労働を強いられる。完全なる冤罪であった。壊血病で歯が全て抜ける様な厳しい状況が続いたが、彼の才能を買っていた飛行機技術者・ツボレフの嘆願により、1944年、コリョロフの罪が免除された。
その2年後の1946年、コロリョフはV2ロケットの倍の飛行距離を持つR1ロケットを開発、1957年には1500回打ち上げに成功できるというR7ロケットを開発。R7は射程が7000キロとICBMとして核弾頭を載せてソビエトからアメリカ本土を直接攻撃出来るロケットだった。
1957年、世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。世界は震撼した。それはアメリカの科学技術的失態として西側諸国に「スプートニクショック」と呼ばれた。さらに、1961年、初の有人宇宙船ボストークがユーリィ・ガガーリンを宇宙に送る。
『ザ・ライバル』コロリョフVSフォン・ブラウン ~伝説の米ソ ロケット開発戦争~より
アメリカも黙っていない。1959年から有人飛行を目的とした「マーキュリー計画」を開始。NASAは1961年5月、アメリカが有人飛行に成功したその数週間後に月面に人類を送る「アポロ計画」を発表する。NASAのマーシャル宇宙飛行センターの所長はフォン・ブラウン。彼は巨大推進ロケット・サターンVを開発。アポロ計画の最重要人物となる。
その後、ソ連宇宙開発の中心的人物・コロリョフはシベリア流刑がたたり1966年に死亡する。ソ連の宇宙開発はまさに推進力を失う。しかし、韓国KBSテレビによると1991年、ソ連崩壊後、職を失ったロケット技術者は北朝鮮に亡命「ノドン」「テポドン」「スカッドミサイル」等の開発に関係していると言うのだから他人事ではない。その基礎にはブラウンのV2と旧ソ連の技術があると言うのだ。
1950年代にウォルト・ディズニーと宇宙探検のテレビ映画を3本制作したフォン・ブラウンはロケット技術者であり、アメリカの大衆に宇宙への夢を醸成し、合衆国政府をも動かした名プロデューサーであった。この時ブラウンに感化されたのだろうかウォルト・ディズニーは、フロリダ州オーランドのディズニーワールド内のエプコットセンターの「フューチャー・ワールド」(未来の夢)パーク内に宇宙開発の夢を語る多くのアトラクションを作っている。
この作品を観ていると「新技術」において何が「悪」で何が「善」かがわからなくなる。「マッド・サイエンティストと呼ばれても、周囲の人間を酷い目にあわせても、とにかくオレは宇宙にロケットを打ち上げたい。」と願った二人の男はその欲望を実現した。つまり「たとえ悪魔に魂を売り渡しても。」と思いながらもである。……「何となく解る気がする。」と言ったら不謹慎であろうか。
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