「性風俗」を語りませんか? 遊郭、ちょんの間etc..「花街の歴史」を貴重な写真とともに振り返る【性風俗シリーズ第1弾】
潜入ライターとして活躍するニポポ氏が、6月20日放送の「ニポポのニコ論壇時評」にて、廃墟愛好家であり、『ダークツーリズム・ジャパン』などの編集長を務める中田薫氏とともに、遊郭から現代風俗の潮流について議論。
本記事では、かつて日本中に存在していた「遊郭」について徹底解剖。現在ではそのほとんどが跡地になってしまった花街を、写真と振り返るとともに、東京23区のほぼ全てに遊郭が存在した事実まで。教科書には載らない日本の歴史をお届けします。
※写真提供・中田薫
―性風俗シリーズ―
【第2弾】
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【第3弾】
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「遊郭」を写真とともに振り返り
ニポポ:
日本の性風俗、買売春史について。これは、奥が深いですからね。売春は、人類最古のビジネスなんて言われているところもありますからね。
一応、非合法であることなのですが、これがどういった時代の流れで、扱いがどう変わり、今に至っているのか。そして今後は、どのようになっていくのか。というところまで、踏み込んでいければと。
中田:
よろしくお願いします。
ニポポ:
まず、我々がこの売春の歴史というものを、ちょっと古くから振り返ったときに、思い浮かべるもの、つまり「遊郭」というものから、なんとなくイメージしちゃうんですけれども、実際の歴史上で、そういったスペースであったりとか、ビジネスというものが、日本国内でスタートしたというのは、いつ頃から始まったものなのでしょうか。
中田:
その、遊郭以前に、“シショウ”というカタチでね。
ニポポ:
シショウ。どんな漢字書きますか? それ?
中田:
私の娼婦と書いて「私娼」ですね。
ニポポ:
すごい。パーソナルトレーナーみたいな。ライザップみたいな。
中田:
そうそう。だから、売春が最古の商売だと言われてたぐらいですから、遊郭街とか、遊郭なる前に、個人でお客さんを取っちゃっている女性たちというのは、私娼というのが各地にいたわけですよね。だけど、時の為政者、つまり統治をしている人が、風紀、病気などの観点から、「そういう商売は一ヶ所にまとめたほうがよかろう」ということで、遊郭というのがうまれた。そして、それが各地に広がっていった。
ということで、そんな遊郭の実際の写真を見てみましょう。
中田:
これは、千束4丁目に移転してからの新吉原の仲の町通りですね。
ニポポ:
風情がありますね。
中田:
遊郭の火事で焼失を防ぐために、道路が広いんです。ここに限らず、遊郭街というのは、かならず道路が広いんですよ。
ニポポ:
なぜ火が出ることを想定して作っているのでしょうか。
中田:
やっぱり、新吉原自体が、吉原から火災で移転していますから。火災で焼失するというのは、遊郭街でつきものなんですよ。
ニポポ:
なるほど。先日も大阪の飛田新地で「お気に入りのお嬢を楽させてあげたくて火をつけた」ということがあったじゃないですか。そういう人がもしかしたら昔からいるのかな、と。
中田:
次の写真行ってみましょうか。
これは、大阪松島遊廓ですね。
ニポポ:
ああ、なんかいいですね。元気がある。
中田:
これは、名古屋ですね。中村遊郭。これも結構大きな遊郭です。
ニポポ:
いいですね。いやあ、素敵。
これはどなた方でしょうか?
中田:
これは、名古屋の北野新地、旭廓(あさひろう)という所の遊女たちですね。これが町を練り歩いたりして。いわゆる花魁道中と言うものですね。
ニポポ:
格好いいですね。風情がある。
中田:
次が、静岡遊郭の蓬莱楼(ほうらいろう)という。
ニポポ:
すごいですね。これ、政府の建物みたいですね。
中田:
ものすごく立派な建物なんですよね。
ニポポ:
格好いい。
中田:
これが、京都の舞鶴の竜宮新地。水辺にある住宅街で、港に近い所ですよね。
ニポポ:
お船で横につけて秘め事をして、みたいな。いいですね。
中田:
これは、金沢ですね。金沢東廓演芸会という。遊女たちは、ちゃんと芸があるという。
ニポポ:
本当ですね。
中田:
ただ、お客さんと春を楽しむだけじゃないという。ちゃんと芸ができる。
ニポポ:
一芸持っているよ、という。このあたりからプロ意識が違いますよね。
中田:
次が福岡の門司遊郭。これもやっぱり港ですね。
これは、必ずやっぱり特徴的なのは、遊郭の入り口に門があるんですね。大門と呼ばれていますけど。
ニポポ:
本当だ。
中田:
ここをくぐると俗の世界に入るという。
ニポポ:
見返り柳みたいなものがあって。いいですね。
中田:
次が福島の若葉町遊郭です。
ニポポ:
これ、門が立派ですね。
中田:
結構、風情のある遊び場がいっぱいあるんですよね。
次が、小樽の住之江遊廓の跡地です。
ニポポ:
いきなりカラーで驚きましたね。
中田:
これは、現在の小樽の住之江という町で、道路が広いのは、遊郭跡だからなんですよ。それで、現在は住宅街に。今まで見てきた遊郭街も、今はみんなこんな感じです。
ニポポ:
なるほど。
中田:
痕跡がないんですよね。
ここもそうなんです。同じく小樽なんですが、ここに大門があって、両脇が遊郭街だったんです。
ニポポ:
普通に団地になってますね。
中田:
これは、梅ヶ枝遊廓という所だったんですけど、これも今は、住宅地に。コンビニもあったりして、痕跡が見当たらないですよね。
ニポポ:
本当ですね。郵便局までありますよ。
中田:
次が、小樽に残っている遊郭建築ですよね。
ニポポ:
本当だ。すごいですね。多少改築はされてますけども、ほとんどそのまんま。
中田:
このほかにですね。いわゆる、遊郭街ということの他に、「曖昧屋」と呼ばれる商売もあったんです。
ニポポ:
曖昧屋?
中田:
旅館などに見せかけて売春をする家などのことです。今でいう“ちょんの間”ですよ。
ニポポ:
なるほど。ちょっとの時間でプレイして、すっと帰る。
中田:
遊郭街とは別に、そういった私娼のエリアもある。
ニポポ:
あ、そうか。僕も成り立ちがわからなかったんですよ。いわゆる遊郭って、今、ソープ街とかに変わっていっているじゃないですか。 片や、ちょんの間があると言われる町があったりして、これは、どういうふうに分かれてきているのかなと思ったんですけれども、この曖昧屋が、いわゆるちょんの間という方向を作っていった感じなのでしょうか。
中田:
そうですね。それが、「赤線・青線」というのにもつながってくるんですけれども。赤線が、商売として売春が認められたエリアで、青線が認められていないエリアという。
ニポポ:
非合法の所ですね。
中田:
合法と非合法が常に存在している、という感じですよね。
次が、小樽の嵐山新地ですね。ここも、かつてはいけないことをしていた所だと。
ニポポ:
まだ怪しげな雰囲気はありますけどもね。
中田:
こういうエリアは日本全国にありますね。新地、新開地、新天地とかは、新しく開拓した土地のことで、そこの開拓した土地を栄えさせるために、いわゆる、そのまま遊郭街、遊興街を作ってしまう。だから、新地、新開地、新天地というのは、そのまま売春エリアを指すような言葉になった。
ニポポ:
なるほど。確かにあちこちで聞く地名ですね。それだけあったということなんでしょうね。