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ディズニー『ノートルダムの鐘』はアイドルに恋する“非モテの切ない物語”だった「信じられるのは女より男」

 2月25日放送の『岡田斗司夫ゼミ』にて、1996年に公開されたディズニーアニメ『ノートルダムの鐘』についての解説が行われました。

 評論家の岡田斗司夫氏は、原作小説とアニメ作品との相違点や、主人公のカジモドに関する隠された演出を紹介しながら、「アイドルに叶わぬ恋をしてしまった男たちの悲劇」を描いた物語を、ディズニースタッフがどのように作り変えたのかについて、独自の結論を語りました。

ノートルダムの鐘(画像はAmazonより)

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「アイドルに恋するオッサンの悲劇」を描いた原作

岡田:
 ディズニーアニメ『ノートルダムの鐘』の原作となっているのは、フランスの文豪であるヴィクトル・ユーゴーの書いた『ノートルダム・ド・パリ』。この翻訳版は岩波文庫から出ているんですけど、すごく分厚い本なんですよ。

 その上、まあ、読み進めにくい。この「読めない」というのは、「難しいから」というよりも、はっきり言って「現代の僕らにとってはわりと退屈だから」なんですね。

 これについては、NHKが発行している『100分de名著』という本の中で、わかりやすく解説されています。この中で、『ノートルダム・ド・パリ』の解説を行った、フランス文学研究家の鹿島茂さんは、「これは半分ポエムみたいなものであり、詩というのは、文章を読むだけではわからなくて、原語の声で聞かないと入ってこない」と言っているんですね。

 フランス語を読めないし、発音できない僕には、それが本当かどうかわからないわけなんですけれどね(笑)。

100分de名著 ノートルダム・ド・パリ(画像はAmazonより)

 さて、この鹿島さんの解説の中で面白いのが、『ノートルダム・ド・パリ』とは、アイドルに恋をした2人のオタク青年という、現代の物語であると言い切っているところなんです。

 確かに、この作品の中心にあるテーマは、鹿島さんが言ってるように、「モテない男の愛は報われない」ということなんですよ。これが今回、僕がこの作品を取り上げようと思った理由なんですけど(笑)。

 「モテない男の愛は報われない」というのはどういう意味か? 原作の『ノートルダム・ド・パリ』では、ノートルダム寺院の司教補佐をしているフロロという男も、鐘突きをしているせむし男のカジモドも、ヒロインであるエスメラルダを激しく愛しているんですけど、この2人の愛は、まったく報われないんです。

 エスメラルダは、そんな2人を余所に、ただ単に「見た目がいい」というだけの理由で、彼女の他に婚約者のいるクズ男のフェビュス隊長という男を好きになってしまいます。その上、この恋心は、物語の最後まで1ミリたりとも変わらないんです。

 原作におけるエスメラルダは「16歳のジプシーの女の子で、男性経験がまったくなくて、歌と踊りが純粋に好き」っていう、本当にアイドルみたいな設定なんですけども。『ノートルダム・ド・パリ』とは、そんなアイドルにメチャクチャ入れ込んでしまったオッサンとブ男が、両者共に全く報われないという、悲しい話なんですよ(笑)。

 これが『オペラ座の怪人』だったらまだいいんですよ。結ばれずとも、怪人とヒロインとの心の繋がりはあるから。『美女と野獣』だったらいいんですよ。野獣は最後にはイケメンの王子様になるから。

 だけど、この『ノートルダム・ド・パリ』という原作小説は、そういった救いが一切ない世界なんです。そして、そんな物語だからこそ、ディズニーのスタッフはこの作品をアニメの題材として選んだんですね。

岡田斗司夫氏。

ディズニーの『ノートルダムの鐘』は原作とは大きく違っている

 この原作である『ノートルダム・ド・パリ』を、『ノートルダムの鐘』というアニメ作品にするにあたって、ディズニーは大きな改変を行いました。

 例えば、『ノートルダムの鐘』では、原作では顔だけがいい軽薄なクソ野郎であるフェビュス隊長というのを、フィーバスというヒーロー役に配しているんですよ。なので、嫌なヤツではなくなっています。

 その代わり、フロロというノートルダムの司教補佐の男が、クロード・フロローという完全な悪役になっているんですね。このフロローというのは、実は原作では、司教補佐という役職に就いている理性の人であり、同時に錬金術師なんですね。

 この「理性の人であり、錬金術師でありながら、単なるジプシー娘に恋をしてしまう」という矛盾点が、原作のフロロの面白さなんですけど。ここをバッサリ切って、単なる悪役にしちゃった。ここら辺が、ディズニーアニメの思い切ったところです。

単なる悪役として描かれるクロード・フロロー(画像はAmazonより)

 カジモドに関しても、原作では「せむしな上にひどいX脚」という身体的な奇形だけではなくて、毎日、鐘を突いているせいで耳が聞こえないんです。おまけに、原作ではハッキリと「性格は意地悪だ」と書いてあるんですよね。つまり、全然いいヤツじゃないんですよ。

 そんな、「見てくれも中身もダメなヤツが、アイドルであるエスメラルダに純粋に恋してしまった」というのが原作にある面白味なんですけど、ここら辺も、ディズニーアニメでは、すべて取っ払って“心の綺麗なモンスター”にしているんですね(笑)。

 このディズニーアニメ版のラストでは、フロローという司教補佐の悪役が、カジモドとエスメラルダを塔の上からドーンと突き落とすわけなんですけど、この突き落とすシーンも、原作では逆なんですよ。

 本当は、エスメラルダへの想いをこじらせたカジモドが、自分がこれまで散々世話になってきた育ての親である副司教様を突き落とすという話なんですね。

アニメ『ノートルダムの鐘』の持つ多面的な演出

 ただ、原作をメチャクチャに変えたおかげでダメなアニメになってしまったのかと言うと、そうではないんです。

 例えば、この『ノートルダムの鐘』というアニメ作品の中にだけある独特な演出として、「カジモドの“イマジナリーフレンド”としてのガーゴイル」というのがあります。劇中で、ノートルダム寺院に彫られたガーゴイルの石像達が、喋って踊って歌ってカジモドに話しかける、ということをするんです。

 こういう描写は、ディズニーアニメではよくある光景ですよね? 例えば『美女と野獣』だったら、野獣の城の中のティーポットとか、時計とかが話をしたりする。だから、何も考えずに見ると、「ああ、よくあるディズニーのアレね」と思うところなんですけど、実は違うんです。

 この作品において、ガーゴイルが動いているところは、カジモドにしか見えていないんですね。カジモド以外の人がやって来た時には、このガーゴイルは、一瞬にして“ただの石の塊”になってしまうんですよ。こんなこと、他のディズニーアニメでは一切やっていません。

パッケージに描かれたカジモドとガーゴイル達(画像はAmazonより)

 では、何のためにこんな描写をしているのかというと、このガーゴイルたちの言うことは、“カジモドの心の声”だからなんですよ。

 このガーゴイル達は、カジモドに対して「ノートルダムの外の世界に遊びに行こうぜ!」とか、「あの娘はきっとお前のことが好きなんだよ!」とか、そんなことをずっと囁くんです。

 カジモドも、その声に押されるようにして行動することになるんですけど、この声の主は、カジモド以外には見えない。つまり、この描写は「彼らの言葉はカジモドの内面の声である」ということをハッキリ示しているんです。

 『ノートルダムの鐘』の中で、このような描写がある理由はただ1つ。「カジモドに囁かれる言葉は、彼の内面の声である」と、わかる人にはわかるようにしたかったからです。

 つまり、表面上は「ガーゴイル達に励まされて~」みたいな綺麗事の体は取ってるんだけど、カジモドの中には「あの美しいエスメラルダを自分のものにしたい」とか、「世話になった恩人を裏切りたい」とか、いろんな欲望があったということを暗示しているんですよ。そして、彼の行動は全部、そういった自分の中にあったいろんな声を元に自分で判断でした上で行ったということが、わかるように作ってあるんです。

 もちろん、そういう視点で見なければ、ガーゴイル達が一瞬で石になってしまうというシーンも、面白いコントみたいに見えちゃうんですけど(笑)。これは、ディズニースタッフが、ちゃんと「わかる人にはわかるけど、わからない人には単なる楽しいアニメ」という二面性を持った作り方をしているからなんです。

 ここが、ディズニーアニメとして面白いところですよね。

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