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ディズニー『ノートルダムの鐘』はアイドルに恋する“非モテの切ない物語”だった「信じられるのは女より男」

『ノートルダムの鐘』は悲しきモンスターに救いを与えるために作られた

岡田:
 では、なぜ、ディズニーは思い切った改変を行ってまで、この報われない原作を『ノートルダムの鐘』としてアニメ化しようとしたのか?

 それは、この「モテない男は報われない」という話をどうにかして、救いのある話にしようしたからだと思うんです。このアニメは、不条理に満ちた原作のストーリーをハッピーエンドにしようとのたうち回った結果、生まれたものなんですね。

 ディズニーのクリエイターというのは、やっぱり、メイキングとかに出演している映像を見たらわかる通り、みんな学生時代に100%モテなかったような人らばっかりなんですよ。そんな人達が、今も昔もディズニープロに勤めている。そんな、学校ではイジメられていたオタクばかりなわけです。

 そして、そういう人らというのは、ついつい「醜いカジモドがアイドルであるエスメラルダと結ばれる」という話を描いちゃうものなんですよ。ディズニーが原作を無視して、いくらでもストーリーを変えられるんだったら、それをやってもいいはずなんです。「ついにエスメラルダにも、カジモドが姿は醜いけれど心は美しいことがわかって、恋をした!」という話にしてしまっても全然構わないんですから。

 でも、彼らは、そうはしなかった。なぜかというと、そんなことをしても嘘になるからです。1996年のウォルト・ディズニーのアニメとしては、そんな嘘は作れなかったわけですよ。そういったハッピーエンドは信じられないし、描けない。

 では、なぜ嘘になるのかというと、彼らは「エスメラルダみたいないい女というのは、結局は見た目だけで、中身は空っぽのフェビュス隊長みたいなやつと恋をして、結ばれるんだよ! これが現実なんだ!」と、嫌というほど思い知っているからです。『アラジン』や『ライオンキング』以降、ディズニー社はヒット作をどんどん発表しました。そうなると、ディズニープロの人たちはもうわかってくるわけですね。

『ライオンキング』(画像はAmazonより)
『アラジン』(画像はAmazonより)

 どういうことかというと、この時期から、声優さんにハリウッドのスターとかを使い始めるわけですよ。ハリウッドスター達との付き合いも出てきて、アカデミー賞の舞台に一緒に立つこともあるわけです。

 すると、ハリウッド女優みたいな美女たちは、みんな、口では「内面が大事」とか言いながらも、結局はイケメンの俳優とか、プロデューサーと結婚しているという現実がわかってくるんです。

 そういう現実を見て、「やっぱりそうなんだ。俺達みたいなオタクには、女優やアイドルは無理なんだ」と思い知ることになるんですね。でも、美女と結ばれることは出来なくても、才能を認められてアカデミー賞の舞台に立つことは出来るんです。


ディズニースタッフが作品に込めた苦味のある結論

 『ノートルダムの鐘』のラストで、カジモドとエスメラルダは、悪役のフロローに塔の上から突き落とされるんです。この時、エスメラルダは、カジモドが落ちないように一生懸命引っ張ってくれるんですけども。やっぱり、エスメラルダは途中で力尽きて、手を離しちゃうんですね。

 これが何を象徴しているかというと、なんだかんだ言っても、女は最後は守ってくれないという現実です。いい女というのは、醜い男に対して、一生懸命“同情”はしてくれるんだけど、命を懸けてまで助けてくれないんです。じゃあ、命を懸けて助けてくれるのは誰か? 落ちたカジモドを受け止めたのは、なんとイケメンのフィーバス隊長なんです。ここが、現実世界に極めて近いんですよ。

 エスメラルダは手を離したけども、落ちてくるカジモドをフィーバス隊長は受け止めてくれた。つまり、このラストは「美女よりも男の方が信じられる」ということなんです。この『ノートルダムの鐘』というアニメの本質は、かなりひねくれたオタクにしかわからない作品なんですよ(笑)。

 オタクというのは、美女と最終的に結ばれない。ではどうなるのかというと、サークルの中にいるいい男と友情を育んでしまって、「いやあ、なんか、やっぱりいい女より頼りがいのある仲間の方が信じられるや!」ということになるんです。これがディズニー社のスタッフの見つけた“自分達のゴール”なんですよ。

カジモドを助けるフィーバス隊長

 なので、ディズニー版のアニメでも、カジモドはエスメラルダと結ばれません。そうではなく、「町の中で大騒ぎが起こった結果、カジモドは自由を手に入れた」という結末なんですね。つまり、人前に出て、自分というのを見せられる存在になったということです。そして、みんなから拍手をされて終わり。

 このカジモドの辿り着いた結末は、「ディズニー社の作画や演出といったスタッフ側の人間が、アカデミー賞を取るという晴れがましい舞台に出る」という現実と重なります。

 つまり、「一途に頑張ったからといって、そこにいる女優さんたちと恋愛なんか出来ないに決まってる。俺達は誰かと結ばれた彼女のハッピーエンドを、ただ見てるだけの存在なんだよな」という、諦めの感情を見せながら、「でも、それは別に悪いことじゃないんだ。アイドルや女優に憧れているだけのかつての自分たちと比べたら、自分の居場所を持てたじゃないか!」と言っているんですね。

 そんな、すごくビターな大人の作品として、この『ノートルダムの鐘』というのは作られているんです。

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