イラク一時拘束の常岡浩介氏が会見「私はイスラム国のメンバーでは断じてありません」【全文】
イラク北部でクルド自治政府当局に拘束され、解放されたジャーナリストの常岡浩介氏が、10日に東京・有楽町の外国特派員協会で緊急記者会見を開いた。
「イスラム国」(IS)のロゴ入りキーホルダーを持っていたことが当局の保安検査で発見され、ISの関係者と疑われて拘束されたと説明した。常岡氏は「首を切られたくないから一緒に写真を取ってフレンドリーな雰囲気を出した」と拘束生活を振り返る一方、「できれば現場に復帰したい」とジャーナリズム活動の再開に意欲を見せた。
「イスラム国の関係者」は誤解
お話する機会を与えていただきましてありがとうございます。私しょっちゅう海外で拘束されてニュースになっているんですけれども、今回も12日間イラク北部クルド自治区で拘束をされていまして、ご心配をおかけしたと思います。申し訳ありませんでした。そして心配してくださった皆さんに感謝を申し上げたいと思います。
まず今回の経緯についてご説明させていただきたいと思います。
今回私自身がショックを受けたのは、現地のメディアから英語圏あるいは他の言語圏に対して、私がイスラム国の通訳を務めた功績で勲章を受けたというような報道が出てしまっていたということですね。これは完全な間違った内容で、これが既成事実のようになってしまいますと、完全にイスラム国の関係者というふうに認識されてしまいます。まずそれが誤解であることを釈明させていただきたいと思います。
この間違った情報なのですが、最初に出したクルドのメディアでは私自身がそれを自白した、クルドの捜査当局に語った、という内容で出ていたんですけれども、実際にはそういうことは私は語っていません。では何を語ったかといいますと、私自身がイスラム国を取材した経緯についてお話しました。
イスラム国にはシリアの内戦が始まってから3回シリアの中に入って取材をしているんですけれども、そのうちの2回目にイスラム国の司令官と知り合うことになり、3回目にこの司令官とイスラム国から首都のラッカ、彼らが首都だと主張しているラッカに招待されてそこを訪問したという経緯がございました。
その際に私だけではなくイスラム学者のハサン中田考先生という方も一緒に招待されたんですけれども、中田先生のほうは通訳者として招待、私のほうはイスラム国で開かれる裁判を取材するリポーターとして招待というかたちでございました。
その説明についてもクルド捜査当局に私は、したんですけれども、中田先生が通訳としてという部分が多分私のことと混同されてクルド側が地元メディアに発表してしまったんではないかと想像します。でも実際にはその通訳の仕事も中田先生はすることはありませんでしたし、私もリポートの仕事をイスラム国の内部ですることにはなりませんで、何の取材許可も結局あたえられないままに隠し撮りしたものを後ほど日本国内で報道するということになりました。
それからその功績を讃えられて勲章を受けたというふうに報道された部分ですけれども、ここについては完全にまったく無根拠の根拠のない間違ったお話ということになってしまいます。多分彼らは英語ではメダルとして表現されているものが私が疑われる原因になったイスラム国のロゴの入ったキーホルダーのことではないかと思うんですけれども、これはイスラム国から何かもらったというものではありません。イスラム国からの帰り道に最後のトルコに入国するタイミングでロシア国籍ダゲスタン人の義勇兵と同じバスに乗せられたんですが、彼が別れ際にあげるよと言ってくれたものです。何かそのイスラム国のオーソリティ、位の高いところから賞を受けたという事実はまったくありません。
疑惑のキーホルダー
このキーホルダーというのは受け取ったあとで、これはいわゆるメイドインイスラム国のものなんだろうかと思いまして、だとすると資料として重要なのではないかと思いました。去年の9月がイスラム国を取材したタイミングだったんですが、帰国してすぐにフジテレビの番組でそのキーホルダーも既に紹介しております。ただ、そのあとに中東の諸国ですとかヨーロッパであちこちでキーホルダーを見せて、知らないか?どういうものかわからないか?と、いろいろな人に聞いてみたところイスタンブールの土産物屋で売ってたよという人がいまして、まったくイスラム国と関係なくイスラム国のファンのような人たちの為に土産物屋で適当に作ったものなかも知れない。ただ、そういう話を聞いただけで未だに確認できていません。
私としましては、キーホルダーの正体が知りたいというのがひとつ。もうひとつはいま中東はどこへ行ってもイスラム国ファン、イスラム国支持者といった人が全く珍しくなくなっています。それからイスラム国の元メンバーですとか、そういった人に会う機会もあります。そういう中でキーホルダーを持っていることでなにかの役に立つんではないかなと思って持ち歩いていたというのが今回の経緯です。ただし、モスル奪還作戦の真っ最中に、しかも大統領の記者会見のセキュリティチェックの場でキーホルダーがポケットに入った状態のバッグをそのままポンと出しちゃったというのはまったく自分の間抜けさ以外の何物でもありませんで本当に反省しております。
拘束と尋問
そのまま今回の拘束それから取り調べの経緯についてご説明させていただきます。拘束されたのは、イラク北部モスルの奪還作戦の取材の最中この最大の激戦地バーシカという街があるんですがそこをイラクの連邦大統領が視察するという出来事がありまして視察のあと、記者会見が行われるその記者会見に出たいということで申し出ていたんですが、その前の記者会見に入るためのセキュリティチェックの中でそのキーホルダー、キーチェーンが見つかってしまったということで拘束されました。
すぐに手錠をかけられて車に乗せられて最前線の山の上からクルディスタンのキャピタル、エルビルという街まで連行されクルディスタン、クルドの治安機関アサイシュという組織のオフィスへ連行されました。これが先月27日だったんですが、この日と翌日の二日間に渡ってアサイシュの取り調べを受けました。
アサイシュの尋問に対して私はほとんどまったく、隠し事などはする必要も感じていませんでしたので自分の取材の経緯などについて丁寧に説明をいたしました。最初の一時間くらい、アサイシュの捜査員は非常に厳しい表情で口調も激しいものでした。けれどもそのあとは和やかな雰囲気になっていきました。さらには爆笑尋問会みたいな感じになってしまいまして、だんだん緊張感もなくなった感じになりました。
ツイッターでフレンドリーな雰囲気を出した
なぜそうなったかということなんですが、私の説明がもともとイスラム国を取材する意図もなかったのに、他のチェチェン人グループを取材しようとしていて偶然イスラム国の司令官と現場で会ってしまった。私の方はまったく予想していなかったのに、首切りで有名なイスラム国に迷い込んだ形になった為に、なにしろ首を切られたくないものですから一緒に写真を撮ったり、銃を持った写真を撮ったりといったことをやってそれを目の前でツイッターでアップロードするということをやってフレンドリーな雰囲気をアピールしたわけです。
さらに私は元々ロシア語でチェチェン人を取材する予定だったというのもありまして、アラビア語が全くわかりません。司令官のほうはアラビア語なのですが、英語がほとんどわからない人でしたので彼とフェイスブックのチャットで連絡がつく状態になったものの日本とシリアの間でのやりとりでは司令官の方からアイラブユーというのがやってきて、それにたいしてぼくがミートゥーとこたえるというような非常に幼稚なやりとりを何週間も続けているのがつづきまして、そういった経緯についてこちらとしては真面目に説明したつもりなのですが、捜査員としては面白がってしまいお笑い会見みたいになってしまっておりました。
2014年の9月に彼らのキャピタル、ラッカに訪問した経緯などについては捜査員たちは彼らはインテリジェンスサービス、情報機関でもあるんですけどそういった観点から非常に強い関心を示しまして、イスラム国側はどんなかたちで連絡をしてきてアジトはどの位置にあってどんなメンバーがいてといったことを細かく、重箱の隅をつつくように聞いてきました。二日目の尋問が終わったときに彼らのリーダー格が私たちはあなたが危険な人物だとは思わない。このうえで私たちはあなたのスマートフォンを調べることになる。そのあとあなたを釈放しますということを言ってきました。そう言われたものですから、私としては完全に良かったと、大事にはならなかったと、釈放が近いというふうに考えていたんですが、そのあと4日間尋問も何もないまま独房にずっと転がされている状態というのが続きました。
日本大使館が動く
中東の人たちの仕事があまり早くないというのはわかっていましたのでスマートフォンの分析に時間がかかっているんだろうと思っていたんですが、8月の3日になって、来なさいと言われて独房の鍵が開けられて、連れて行かれたところにはクルドのアサイシュの幹部の人と日本大使館の方がいらっしゃいました。私のほうは日本大使館が動いているとはまったく知らなかったものですから、驚いたのですが、大使館員の方がおっしゃるには「いまクルド側から日本側にあなたの身柄を引き渡してもらうということで話をすすめています。ただしクルド側は非常に強硬でもあります。だから今後どうなるかはまだわからないけれども、我々は努力します」というような説明をされました。
私の方はもう釈放されるみたいなことを聞かされていたものですから、その風向きがどこかで変わったんだろうかと思いました。で、その二日後にもう一度大使館の方が来てくださいまして、その時点ではすでに私の帰国の為の切符を予約したとおっしゃいました。既に最初に来てくださったときにクレジットカードと現金を大使館員の方にお預けして私のお金で私の帰国の便の切符を買っていただくというふうなことをお願いしておりました。で、切符が既に購入されているというのでもう解放はほぼ間違いないということだそうだったんですが、強硬であるという事自体は大使館員の方の説明では変わっていないと、私のほうからその場にいらっしゃった、その場にいたアサイシュの幹部の人に色々質問をしました。
私はクルド自治政府から国外退去という形で出国する予定であるということ、で、なぜそうなるのかというと、捜査がまだ終了していない、捜査が終了していない以上私は容疑者のままである、記者会見に紛れ込もうとしたイスラム国のメンバーだったかもしれない容疑者というかたちなのでこれはある意味危険人物扱いになっている。ですから日本側としては身柄を凶悪犯かもしれない身柄の引き渡しなので日本まで護送して日本で収監するということになるわけなんですが、日本の法律ではたとえイスラム国のメンバーであるとしてもそれだけでは犯罪にはならないというのがありまして日本側で収監なんてできないわけです。
パスポートの返納
どういうふうに結局決めたかと言いいますと、私を今日イラクから出してそのまま放置するかたちにすると受け取ったパスポートを持ってどこかに姿をくらましてしまうかもしれない。そうなると、日本側では大したことがなくてもクルド側にとっては記者会見に紛れ込もうとしたメンバーかもしれない男がどこかへ消えたという大変な事態になってしまう、日本に返すということは確実にやらなければならない。ということなので持っているパスポートを日本大使館の方に一時返納する、バグダッドの日本大使館が帰国のための一時書類を渡すその一時書類を持って私は日本に帰る。一時書類は帰国にしか使えないので私は行方をくらますことはできないわけです。そういうかたちであれば問題がないだろうことで私は同意しまして、大使館員の方に自分のパスポートを返納いたしました。
そういうかたちでNHKなどで常岡氏がパスポートを返納というニュースが出て、以前ありました、パスポート返納命令と同じパターンではないかという疑惑といいますか、そういう動揺みたいなのが流れたようだったんですけどもパスポート返納命令ではございません。大使館員の説明ではございません。大使館員の説明では私のパスポートはバクダッドの大使館から東京都の東京都庁の旅券課に送られる、そこから私に返却されるだいたい17日頃には返却できるというお話でした。
それから私は、アサイシュの幹部の方にさらに聞きました。強制退去というかたちで出た後、私は再入国はできなくなるんでしょうか、と。そうしましたらそのアサイシュの方は、「捜査自体が終わっていないのでそれまではあなたの処遇は一切決まっていない。もしも捜査の結果あなたがクロだということになったら、私たちはあなたを入国させないでしょう。しかし、シロだと判断した場合はまたきてもらうことが可能になるでしょう。捜査の結果は日本大使館にお伝えします」という回答でした。