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『けものフレンズ』プロデューサーの夢は大学の設立!? 福原Pが語る日本のアニメ業界に必要なこと

 2017年1月から3月まで放送されたTVアニメで話題になり、現在も衰えることなく話題をさらっている『けものフレンズ』。ニコニコ動画でも記録的な人気となり、【最終話放送直前】「けものフレンズ」1話~11話 振り返り一挙放送では総コメント数が270万を超え、歴代の「アニメ一挙放送」番組のニコニコ史上過去最高のコメント数を記録。5月26日には全12話の一挙放送をニコ生配信を行い、「新宿バルト9」ほか全国の映画館でニコ生コメント付きでのライブビューイングが行われる。(5/29 追記:5月26日の一挙放送は総コメント数が418万を超え、コメント数歴代1位を更新)

参考:
関連動画の総再生数は7500万回以上! ニコニコの視聴データから分析する「けものフレンズ」というムーブメント
コメント数270万超! 異様な盛り上がりを見せた「けものフレンズ」一挙放送は、いったいどこが盛り上がっていたのか? コメントデータを抽出してみた

 その『けものフレンズ』のアニメーションプロデューサーであり、アニメーション制作を手掛けたヤオヨロズを設立した取締役プロデューサーの福原慶匡氏。彼が手がけるのはアニメだけではない。
 大学在学中にシンガーソングライター川嶋あいの路上ライブのスタッフとなったことをきっかけに、つばさレコーズを大学4年生で立ち上げ、現在では水曜日のカンパネラ、井上苑子、BiSなどのアーティストを擁する最先端の音楽を提供する組織へと拡大させている。
 また、DMM.futureworksでは日本唯一のヴァーチャルリアリティを用いたホログラフィックシアターの制作プロデューサーとして活躍する。

 そして、MMD(Miku Miku Dance)を使ったTVアニメ『直球表題ロボットアニメ』を手掛けたことからもわかるように、古くからのニコニコ動画の視聴者でもあり、そうしたニコ動に動画をアップしていたクリエイターの中から『けものフレンズ』のたつき監督を見出したという。ニコニコ生放送では、オープンソースチャンネル presentsの声優が出演するバラエティ番組『猫ブース鬼パーセント芋』、『もたせろ!!ワンクール』等も福原氏によるものだ。

 今回、そんな福原氏に『けものフレンズ』についてはもちろんのこと、多方面で活躍する理由、プロデューサーとして目指すものなどお話を伺った。

取材・文:サイトウタカシ


ヤオヨロズ 取締役プロデューサー 福原慶匡氏

元々は「つばさレコーズ」の立ち上げという音楽の仕事から始まった

——まず、今の福原さんのお仕事の全体像がどのようになっているのかを教えてください。

福原慶匡氏(以下、福原):
 割合としてはアニメのプロデューサーの業務が非常に多くて、音楽の方はどちらかというと人事、財務などの経営側に居て、今は音楽のクリエイティブには触っていないですね。つばさグループの中でいうと、つばさエンタテインメントを親会社として子会社につばさプラス、ING、そしてローソンと共同出資しているDCPという会社があって、つばさエンタテインメントと芸能・声優事務所のジャストプロとで作ったのがヤオヨロズになります。
 僕はつばさプラス代表、つばさエンタテインメント、ING、ヤオヨロズの取締役とジャストプロの社外取締役をやっています。それと、ヤオヨロズと業務提携しているのがDMM.futureworksで、こちらの執行役員をやっています。

——今のお仕事としては、アニメがメインになっているんですね。

福原:
 アニメと、アニメ関連事業としてジャストプロの中に声優事務所とスクールがあって、そこもアニメの一環としてやっています。

——元々は音楽分野から始められたんですよね?

福原:
 経歴でいうと大学3年ぐらいの時に、川嶋あいというアーティストと出会って、当時はサークルだったんですけど、彼女を応援しようとずっと路上ライブを手伝っていて、そうしているうちに「あいのり」の主題歌に決まって、それで法人として作ったのが「つばさレコーズ」という会社で、そこから派生をして行きました。

——何もないところから自主制作・インディーズレーベルを立ち上げて始まったのでしょうか?

福原:
 そうです。僕は就活を一度もしたことがなくて、大会社で働いたこともないんです。だから、凄くコンプレックスはありました。
 早稲田大学に通っていたんですが、同級生達がどんどん年収なりなんなりで追い抜いていくのを見て、最初は「俺はサラリーマンとは違うぞ、社長だ!」という自尊心や達成感だけでやっていましたけど、やっぱり小さい会社の社長よりも大きい会社のサラリーマンの方が色々と良い所が多く、社員研修や福利厚生も整っているし休みも取れる等、羨ましいと思う時期が次第に訪れて、ふと我に返った時に自分に足りていないものが沢山あると思っていました。

——そういう状態はいつ頃まで続いたのでしょうか?

福原:
 2009年ぐらいにアニメの仕事を始めたきっかけがあったんですけど、そこまでは基本的には音楽を中心として派生するタレント業や書籍出版、広告代理店業等が多かったです。自由度は非常に高いのでやりがいはあったんですけど、世間体の割に収入とかは伴っていなかったので、必死にもっと頑張らないとダメなんだなとずっと考えていました。
 ただ、人と違うことをやりたいという想いは幼い頃から漠然と持っていたと思います。僕の家が、親や兄も自分で会社をやっていたり、起業をしていたりしてて、親にも「自分で会社を作りなさい!」という風に言われていました。それまで僕自身にやりたいことがあったわけでも何でもないので、たまたま川嶋あいに出会ったから、「じゃあ音楽でイイや」みたいな感じだったんです。

アニメに出会い、アニメの仕事がしたいとずっとチャンスを待っていた!

——そこから福原さんがアニメの仕事をされるようになったのはどういう経緯だったのでしょうか?

福原:
 2008年〜09年ぐらいに家での不幸が連続したんです。親が亡くなったり、家が火事になって飼っていたネコが死んでしまったりとか、後で気づいたら実は大殺界だったんで本当に当たるんだと怯えました。そんな不幸が重なってちょっと引きこもりじゃないですけど、それまで音楽・イベントの仕事をやってきて社交的なことが好きな人間だったのに、外に出たくないし人にも会いたくなくなってしまったんです。
 それまで僕は全然アニメを見ていなかったんですが、その時期に友達のシェアハウスに居て、そこのみんながアニメ好きでよく見ていたんです。それで見ているうちに…アニメ好きになりました。メンタルが弱っている時ってアニメって優しいじゃないですか?  希望もあるし、凄く癒されたんです。
 ベタですけど『涼宮ハルヒの憂鬱』ぐらいから見始めて、スッゴイ面白い、こういうエンタメがあるんだ! と思ったんです。

 それから何とかアニメの仕事をしたいなと思っても、アニメの仕事をレコード会社がするというと、出資して主題歌をつけるという絡み方以外にはなかなか無いんですね。それまでも、川嶋あいでワンピースの映画の主題歌や新海誠さんの『雲のむこう、約束の場所』の主題歌を担当させて頂いたりと何度か携わらせて頂いているんです。
 ただ、それをやっても「俺がアニメ作った!」とは言えないので、もっと真ん中から関わりたいと思った時に、せめて秋葉原のそばに居るべきだろうと思って、ヤマハさんと一緒にボーカロイドのプロモーションをやったり、つんく♂さんにお声掛けをして「つんつべ♂」というアイドル番組をやったり、音楽の中でもアキバ寄りのコンテンツをやりつつ、ずっとチャンスを待っていました。

——ローソンさんとの「あきこロイドちゃん」とかがこの時期なのでしょうか?

福原:
 僕がローソンさんにお声掛けしてヤマハさんと一緒にやろうという感じになりました。それでボカロとかに関わっていくうちにだんだんニコニコ動画関係の知り合いが増えていったんですよ。
 あきこロイドちゃんでは『ささみさん@がんばらない』のイラストレーターの左さんにお願いしたりしました。そうしていくうちにMMD(Miku Miku Dance)を知って、MMDerの子たちと沢山出会ったんです。
 同じ頃につんく♂さんの事務所の社長をやっていた寺井さん【※】から「新しいこと何かやらない?」と声をかけられたので、「今、MMDっていう面白いものがあるから、僕これを使ってアニメ作ってみたいんです!」と言って、寺井さんがお金集めてきてくださって、一発目のアニメを作ったんです。その時は初音ミクのイラストレーターのKEIさんにキャラクターデザインをやってもらったりして、当時、僕が出来る最大限の力で作ったんです。

※寺井さん
ジャストプロ代表取締役、ヤオヨロズ代表取締役の寺井禎浩氏。ヤオヨロズを福原氏と共に立ち上げた。

『直球表題ロボットアニメ』より
©こういうときどういう顔していいのか分からな委員会

——それが『直球表題ロボットアニメ』になる訳ですね。

福原:
 それが本当にありがたいことに製作委員会が黒字になって、その直後ぐらいに日経エンタテインメントさんに取り上げられた記事を日テレさんがご覧になり、またその時期ドワンゴの株を取得したということもあって、ニコ動にマッチングする作品を作れないか? という目的で声が掛かったんです。それが後に『てさぐれ!部活もの』になるのですが、その時期にコミケでたつき君に声を掛けているんです。

踊り手、歌い手、あらゆるニコ動コンテンツをチェックして、たつき監督を見付けた

——そういったクリエイターは福原さんご自身がニコ動を見たりして見付けて来たのでしょうか?

福原:
 そうです。めっちゃ見てましたね。実際のフィールドワークも含めで、踊り手も歌い手もMMDerもイラストレーターも沢山会っていました。

——じゃあ、アニメに限らずあらゆるコンテンツをチェックしていたんですね。

福原:
 当時、ニコニコ動画の界隈のクリエイター達からするとちょっと年上になる28〜9歳ぐらいで、ちょうどお兄さんみたいな感じのポジションでみんなと付き合えていたので、いろんな人に紹介してもらえたり、良かったですね。

——たつき監督もニコ動を見て見付けたんですか?

福原:
 動画をあさっている時に、たつき君の動画に出会って…… 明らかに雰囲気が、絵力というかオーラが違うんですよ。それでこの人に会いたいって思って、TwitterでDM送ってその直後ぐらいがコミケだったのでそこでご挨拶したんです。

 最近、ファンの人がその時のTwitterをさかのぼって見付けてくれたんですよね。

たつき監督とのファーストコンタクト時のTwitter

——『けものフレンズ』から入ったファンの方が、そこまでさかのぼって見付けたんですね。

福原:
 2012年の12月ぐらいで、丁度『直球表題』をやる2ヶ月前ぐらいですかね。

——その時に、たつき監督やirodoriの皆さんに出会ったんですね。

福原:
 そうです。懐かしいですね。

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