「お坊さんは人と釈迦の教えという情報を繋ぐメディアである」元DJ住職に何故テクノ法要をするのか?聞いてみた
元DJという異色の経歴を持つ福井県照恩寺住職の朝倉行宣氏が始めた「テクノ法要」。お寺のお堂にある仏像にプロジェクションマッピングをほどこし、照明効果を駆使、テクノ音楽をバックにテクノボイスにアレンジされた読経を行う。それまでのお寺での法要のイメージを覆し、見る者に衝撃を与えた!
音響、映像と照明を駆使して表現される音と光に満ち溢れた世界は、まさに極楽浄土!
照恩寺で始まったテクノ法要は、福井を飛び出し東京で行われた「テクノ法要 in 築地本願寺」、さらに新しい試みとして福井駅前アーケードの野外広場で行われた「福井駅前ディスコ法要」では、地元クラブのDJ達と共演し、ダンスフロアとお寺に加えて商店街までもが融合した。
来る4月28日(土)、29日(日)に開催されるニコニコ超会議2018では、若手僧侶たちが手がける寺社フェス「向源」ともコラボも行われる。
仏教をより身近に感じてもらうために始めたテクノ法要だというが、お寺や仏教に触れるのが、お葬式などの法事ばかりになってしまった現代の我々にとっては、実は未知の部分も多い。
今回、「福井駅前ディスコ法要」を終えたばかりの朝倉住職に、テクノ法要ニコ生をプロデュースするドワンゴ・制作セクション 高橋薫と共にお話をお聞きした。その結果、見えてきたのは、DJの経験から再発見したお坊さんの役割とは、人と釈迦の教えという情報を繋ぐメディアであるということだった。
取材・文:サイトウタカシ
テクノ法要にビートが入るのは、お経をリズムを取りながら読んでいるから!
──既に色々なメディアで語られているとは思いますが、そもそも何故「テクノ」法要なのでしょうか?
朝倉:
テクノ法要で表現しているお浄土について、経典にはお浄土の中には美しい音楽が流れているとだけ書かれているんです。僕の中の美しい音楽は、やはりテクノであったり、特にこの世でないものを表現するためのツールとしてのシンセサイザーとか、そこには、中学生の頃からずっとすごく興味があったんです。世間離れした音とか、そういうイメージの下にテクノというのがあるのかなと思うんです。それから、とうとうと読む単調なリズムですよね。
──最初にテクノ法要という言葉を聞いた時に、もっとヒーリングミュージックのような感じかと思ったんですが、実際聴いてみるとビートが入っていて驚きました。
朝倉:
お勤めをしている時、実は体内のビートを大事にしていて、拍を取りながらやっているんです。それを現実の音にしているだけで、実際にもリズムを取りながら読んでいるんです。その淡々としたリズムが、僕の好きなリズムマシンのビートでできればなというイメージがあったりしました。ぶっちゃけて言えば、やっぱりテクノが僕の好きな音楽だからというのが一番大きいのですけれど、それでも間違いではないなと感じています。
──テクノと仏教的なイメージというのは実は相性が良いと自分も思っていて、クラブでも仏教やヒンズー教のイメージとエキゾッチックなメロディが融合したゴアトランス、サイケデリックトランスというジャンルがあったりしますよね。
朝倉:
ある種、テクノは精神性を感じることができる音楽でもあるんです。僕が好きな細野晴臣さんとかもそういうところからのアプローチも昔からされていて、すごく影響を受けています。
──朝倉さんはYMO【※】世代のど真ん中ですよね。
※YMO:
イエロー・マジック・オーケストラ。1978年に結成された細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人による音楽ユニット。シンセサイザー等の電子楽器とコンピューターを使用し、「テクノポップ」と呼ばれるジャンルを確立した。代表曲に『ライディーン』『テクノポリス』等。
朝倉:
そうです。中学校1年で『ライディーン』でしたから。
DJもお坊さんも、オーディエンスの反応を押さえるのが重要! 同じことだと気付いた
──日本では、YMOから始まったとも言えるテクノですが、その後、80年代の終わりから90年代にディスコやクラブでかけられる音楽として再認識されるようになったと思います。朝倉さんは大学時代から京都でDJをやられていて、DJをやっていたからお坊さんになろうと思ったとお聞きしているのですが……。
朝倉:
その通りです。要はDJもお坊さんも自分が素晴らしいと思うものを届けるという役割なんです。僧侶も阿弥陀さん【※】や、お釈迦さん、各宗祖など、色んな方のことを本当に好きじゃないとできない、坊主の仕事は宣伝作業だと思うんです。
※阿弥陀如来
仏教における如来の一つで、浄土真宗での本尊。
──DJは聞いてもらいたい曲をかけるのと同時に、お客さんたちを盛り上げるという役割の部分も大きいと思います。盛り上がりたい、楽しみたいと思って来ているお客に対して応えることには、お坊さんのお仕事にも通じる部分があるのでしょうか?
朝倉:
やはりオーディエンスの反応というのは、お話をしても同じなんです。「あ、今受けてるな」とか、「これが受けるところなんだな」とか、ポイントを押さえていくというのは共通しています。ただ受けることを言えば良いのではないし、教えの中で今の場に相性が良い話であるとか、「何を今、求めているのかな?」というのをその場でリサーチしながらお話ししていくということは、全く一緒なんですよ。
──そこに気付かれたのはやはりDJを始めてからで、以前は、あまりお坊さんの仕事をそういうものとしては見ていなかったのでしょうか?
朝倉:
DJをやっている頃はまだ仏教が、というより坊主の職に就くということが嫌で……
その頃は音楽とかイベントの企画とか、そういうことをして生きていきたいなと思っていました。家に戻らない覚悟を決めていたんです。最初の頃は。
それから、DJや照明のお仕事をさせていただくうちに、「ああ、何だ!」と思ったんです。お坊さんも、伝えたいものが音楽から宗教・教えに変わるだけで、やることは同じなんだなと思えた時に、ふっと戻っても良いなって。その時にはまだ積極的に戻りたいという段階ではなかったのですが、思ったんです。
──別に実家から呼ばれたわけではなかった?
朝倉:
滅茶滅茶呼ばれました。「もう、あんたいい加減にしなさい!」と。「大概にしてうち帰れ」と。
そう思うようになったのは、DJをやっているうちに段々とですね。最初に、気付いた時には「戻っても良いかな」くらいの感じだったんですが、ずっと経験や生活を重ねるうちにその想いが「お坊さんって面白いや」とか、「仏教って素晴らしいや」とか、どんどん大きくなっていったんです。