ノーベル文学賞すごい「受賞すれば何もしなくても年収8000万」作家・冲方丁さんが高校生に小説家の“夢と厳しさ”を指南
カドカワが作るネットの高校、N高等学校では、アドバンスドプログラムの一環としてクリエイターを講師として招聘し、小説やイラスト、ゲーム等のエンタメの授業を行っています。授業の一部が特別にニコニコ公式放送「N高「冲方丁 KADOKAWA文芸小説創作講座」公開授業」にて配信されました。
本放送では、『マルドゥック・スクランブル』・『天地明察』などで知られる小説家の冲方丁さんを講師に小説家を目指す高校生へ向けて授業を行いました。授業の中で冲方さんは「ある言葉をその言葉を使わず説明する」という課題を出しました。
「“物事を定義する力”は小説を書くだけでなく、社会に出たときにも役に立つ」と語る冲方さんのもとには、どのような回答が届いたのでしょうか。
“物事を定義する力”
冲方:
物事を定義する力、そしてその定義を他人に説明できるようになる力。「それ」は何であって、どういう意味があって、どんな価値があって、「それ」が自分以外の人たち、他人に対してもどんなものであるか、それをうまく表現できる、説明できるようになると、形のないものを説明できるようになる。
これは社会に出たときに非常に必要になる力です。たとえば自分がやりたいことはまだこの世のどこにも実現していないわけです。なぜならやりたいことだから。
そのやりたいことをちゃんと人に説明できる。それにどんな意味があるのか、どんな価値があるのかをちゃんと定義づけして語ることができる。そうすることによって多くの人々の共感を得たり、支援を得たり、あるいは注目を集めることができたりして、それが実現する可能性を高めることができる。
あるいは自分の悩みとか、社会の変化とか、組織の仕組みを変えたいとか、あるいは今自分の生活の中で漠然とした不満があると。その不満が何であるかを的確に見抜いて自分の生活そのものを定義していく。
そうすることによって自分自身の中に隠されていた新しい夢みたいなものを、自身で発見できるようになる。そういう力を身につけることができます。もちろん小説などの創作作品においても、自分が作ろうとしているものが何であるかと定義する力によって、明確に表現できる。
たとえば架空の人物や出来事をどうやって人に説明しうるか。そういったことを体験的に学んでいくことによって、小説も書けるし、もちろん社会においてもきちんとした説明ができるようになる。説明ができるというのは一つの力です。それはちゃんと身につけていって欲しいと思います。
「心」を心という言葉を使わずに説明してみよう
人間は脳で考え、感じ、自我を作り上げている。また、その脳が腕だの脚だのにくっ付いている人間は居ない。だからどんな気持ちも『頭の中』から発せられるものであり、体内にある他の機関では代わりにならない。しかし困ったことに人間は『胸中で呟く』『腹の中では何を考えているか分からない』などという言い回しを作り、それを別の場所にあると考えようとする。
どうしてそこまでして『それは頭の中にしかない』と認めようとしないのだろう。心臓でモノを考えていたと信じられていた遥か昔ならいざ知らず、人間の中身のあまねく謎を解き明かさんとする現代に、なぜまだ胸だの腹だので考えるという言葉が残っているのか。ただそれらの間違った言葉たちはあながち馬鹿馬鹿しいとも言えない。例えば仲良し三人組のはずが、気付くと自分だけひとり余ってしまって疎外感を感じるとき。
霧の中のような不安と鉛が溜まったような感覚は、確かに胸の中で渦巻いているように思えてくる。怖い先生を前にして畏縮してしまうときも、腹の中をきゅっと掴まれたような感じがするものだ。だからこそ間違いは正されない。あるいは間違いだと言い切れない。そんな、曖昧で不確かで、確かに人間の内側に巣食っているもの。それは心と呼ばれている。
冲方:
九良川文蔵さんからの作品ですね。
「人間は脳で考え、感じ、自我を作り上げている。また、その脳が腕だの脚だのにくっ付いている人間は居ない。」
マジか(笑)。まぁいいや。
「だからどんな気持ちも『頭の中』から発せられるものであり、体内にある他の機関では代わりにならない。」
器官の打ち間違えだと思います。
「しかし困ったことに人間は『胸中で呟く』『腹の中では何を考えているか分からない』などという言い回しを作り、それを別の場所にあると考えようとする。」
18世紀の唯物論者みたいだな。これはこの人なりの定義ということでね。脳で考えているのに、あたかも胸だったり腹だったり、そんなところで考えてないのに考えているっていう表現が未だにまかり通っているみたいなことを書いているんですよね。
ただ解剖学的に言うと脳と腕と脚っていうのはくっついています。ただもちろん脳に癒着はしてないというので、「脳と腕というのは同じ器官ではないよね」ってことが言いたいのかなと。
次にいきましょう。
「どうしてそこまでして『それは頭の中にしかない』と認めようとしないのだろう。」
18、9世紀くらいの文章を読んでいるような気がしますね。
「心臓でモノを考えていたと信じられていた遥か昔ならいざ知らず、人間の中身のあまねく謎を解き明かさんとする現代に、なぜまだ胸だの腹だので考えるという言葉が残っているのか。」
定義において提題というか、疑いを呈する。「なぜこれはこうなんだろう」という意見を差し込むのはアリではある。
「ただそれらの間違った言葉たちはあながち馬鹿馬鹿しいとも言えない。」
ここから否定したことをもう一度認める。
「例えば仲良し三人組のはずが、気付くと自分だけひとり余ってしまって疎外感を感じるとき。」
悲しいな。
「霧の中のような不安と鉛が溜まったような感覚は、確かに胸の中で渦巻いているように思えてくる。」
胸中で呟くとか、腹で考えるといったレトリックを嫌っているにもかかわらず、ここはレトリックというか、杞憂が多用されているところが、一回認めてそういう言葉遣いをしてみようという感じみたいだね。次いこうか。
「怖い先生を前にして畏縮してしまうときも、腹の中をきゅっと掴まれたような感じがするものだ。だからこそ間違いは正されない。あるいは間違いだと言い切れない。そんな、曖昧で不確かで、確かに人間の内側に巣食っているもの。それは心と呼ばれている。」
なかなか面白い文章運びですね。一回否定してもう一回肯定して、最終的に巣食っているという、自分の存在から心を摘出したいのかと。心があるから苦しいんだみたいな。定義というかエッセイみたいなっていますね。
「ダイヤモンド」を説明してみよう
それは地球内部で生成される透明な物質である。非常に高温高圧な環境下でのみ産出され、取れる場所は限られている。形はまばらであるが、宝飾品として加工される際は大抵角張った形になる。
加工後の形は菱形や卜ランプの柄のーつとしてあらわされる。希少価値が高く、とあるオ一クションでは80億円という値がつくほど人気がある。しかし、それを構成する物質は、シャ一プぺンシルや鉛筆の芯と同じである。近年、人工的に生成する方法が確立されたが、これは何故か価値がなく、主に工業用に用いられる。
また人骨を用いて人工的なそれを作ることも可能であり、新たな納骨の方法として注目を集めている。名前の由来はギリシャ語の征服し得ない、屈しないという意味で、非常に硬く電気を通さない性質を持つ。
漫画やゲームのキャラクターのモチーフにもなっており、それらは主人公の名前だったり、タイトルを飾るモンスターだったりする。和名もあるが、こちらは旧日本海軍の超弩級巡洋戦艦の印象が強いように感じられる。しかし金は含んでいない。
それはダイヤモンド(金剛石)と呼ばれている。
冲方:
これはうまいですね。
「希少価値が高く、とあるオークションでは80億円という値がつくほど人気がある。」
とあるオークションって、具体的なオークション名が言えるとよかったですね。
「近年、人工的に生成する方法が確立されたが、これは何故か価値がなく、主に工業用に用いられる。」
「何故か」って何かを説明するときに、何故かこうなんだっていうフレーズをつい使いがちですれども、なるべくここを説明していく。なぜそうなのかということを説明することによって、定義づけというものがより詳細に、正確になっていきます。
「また人骨を用いて人工的なそれを作ることも可能であり、新たな納骨の方法として注目を集めている。」
他のバリエーションの説明に入れていますね。
「名前の由来はギリシャ語の征服し得ない、屈しないという意味で。」
ここはちょっと「征服し得ない、屈しない」に「」をつけておいたほうがわかりやすいかな。
「非常に硬く電気を通さない性質を持つ。」
言語的な説明と、非常に固く電気を通さない性質を持つというのは、二文に文章を分けたほうがわかりやすい。
「漫画やゲームのキャラクターのモチーフにもなっており、それらは主人公の能力だったり、タイトルを飾るモンスターだったりする。和名もあるが、こちらは旧日本海軍の超弩級巡洋戦艦の印象が強いように感じられる。」
「名前を持った戦艦もあるよ」っていう説明のほうがよかったかなと感じられます。ここで「和名では金剛と呼ばれる」とかね。戦艦の名前にも使われていて、砕けないよ、みたいな。
「しかし金は含んでいない。」
この説明を入れるのであれば、金剛石という言葉を上に持ってこないと、何を言っているのかがわからない。
大変上手な説明で、なかなかよろしいのではないでしょうか。