『ゼルダの伝説 BotW』ゼルダ姫とのラストシーンにめちゃめちゃ心打たれまくる理由をまじめに考えた
毎週日曜日の夜8時から放送中の『岡田斗司夫ゼミ』。1月21日の放送では、パーソナリティの岡田斗司夫氏が、任天堂より発売されたゲームソフト『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の魅力について語りました。
本物ですか!? 木で作った『ゼルダの伝説 BotW』回生のマスターソードの錆と汚れの表現が素晴らしい。本当に時間がたって古くなった様に見えます
『ゼルダの伝説 BotW』を59歳評論家が大絶賛。「普通のゲームならツマらなかったり辛かったりする部分が抜群に面白い!」
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の世界に隠されたモチーフ
岡田:
この『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(以下『ゼルダの伝説BotW』)という作品については、以前にも、「山登りが楽しい」とか「物理現象が楽しい」といった、ゲームとしての魅力について語りました。(関連記事)
それに対して、今回は、この作品のSFとしての魅力について話してみようかと、最初は思っていたんですよ。
例えば、“ガーディアン”という敵のロボットみたいなものがゲームの中に出てくるですけど。これは、上下を裏返してみればわかる通り、火焔型土器をモチーフにデザインされているんですよね。
そして、この「登場するメカに火焔型土器っぽい意匠を取り入れる」というアイデアの元は、おそらく『風の谷のナウシカ』に出てきた土鬼(ドルク)の“飛行ガメ”なんでしょう。
日本人が、こういったSFとかファンタジーモノを作ろうとした時に、西洋的なイメージばかりを持ってくると面白くならない。そこで、こういった火焔式土器のようなイメージを持ってきたところが、やっぱり、宮崎さんのすごさだと思うんですね。
『ゼルダの伝説BotW』についても、ファンタジー世界に火焔式土器をそのまま持ってきたのもすごければ、さらに、それを上下逆にして脚を生やして、ゲームの世界の中で動くロボットとして使ってしまうというところが、見せ方として上手いなと思ったんですよ。
どうしてもSFとしての魅力を語ろうとすると、こういう話になっちゃう。これでは、ゲームとしての『ゼルダの伝説BotW』を楽しめている人を対象とした話になっちゃうので、切り口を少し変えてみようと思いました。
ゲームというメディアだからこそ出来ること
岡田:
なぜかというと、ゲームというのは映画みたいに深いテーマを語ることに向いていないメディアだからなんですね。
僕が、例えば『天空の城ラピュタ』という作品について、あれこれと細かく解説できるのは、みんなが気付いていないテーマというのが作品の中にいっぱいあるからです。だから、「宮崎駿がやろうとしていたことを、僕らは案外、気付いていないよ」という話が、いくらでも出来るんですよ。(関連記事)
でも、ゲームというのは、本来、そこまで深いテーマを扱うことには向いていないんです。その代わり、語り口を意図的に狭くすることが許されるメディアなんですね。
例えば、宮崎駿は『天空の城ラピュタ』を作る時、最初は「場面転換というものをほとんどせずに、パズーが自分の体験を通して目にした光景だけで、全てのストーリーを描きたい」と言っていたました。だけど、そういった方法で映画を作るのは、ちょっと無理があるんです。
ところが、ゲームというのは、語り口を狭くすることで、「その世界を見せる」ではなく、「その世界を体験させる」ということが出来るメディアなんです。
「ゼルダ」もそうですし、「ドラクエ」なんかもそうなんですけど、こういったゲームでは、ほとんどの画面は“プレイヤーの分身である主人公の目を通して見た世界”になるわけですね。それまで見えていたものから別のものを見せようと思うと、その度ごとに主人公を移動させなきゃいけなくなるから、映画みたいにコロコロと場面転換するわけにもいかない。そういうふうに、すごく狭い覗き口から世界を見ることになるんです。
だけど、逆に言えば、ゲームというのは、プレイする人が「体験している」と感じる度合いが、映画のようなメディアに比べてすごく高いんです。