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【竹島問題】軍艦を使って竹島沖にサーファーを輸送? 竹島が実効支配されるまでの経緯をジャーナリストらが解説

実効支配されるまでの歴史をたどる

松嶋:
 では、そもそも竹島がなぜ韓国に実効支配されるに至ったのか、その経緯を年表にまとめてみました。

山本:
 私は50回以上韓国へ行って竹島へも3回行きまして、あるときハッと気づいたことがあるんです。朝鮮戦争の年表と竹島の年表をずっと比べて見ていたら、奇妙な一致というか、年表、歴史の狭間から浮かび上がってくる当時の韓国のリーダーだった李承晩という人の頭の中、心の中を想像してみたんです。

 一番重要なのは、1952年1月19日という日付です。李承晩政権が突然、海洋主権宣言というのをやって竹島を取り込んだ日なんです。ところが僕が考えたのは、このときは朝鮮戦争の真っ最中だったわけです。そういう戦争中に、「他国に対して新たな領土宣言をなぜこの時期にやったのか」という疑問が出てくるわけですね。 

山本:
 6月25日、北朝鮮が38度線を越えてやってきました。それで6月28日、あっという間にソウルが陥落しているわけです。その間韓国政府は水原(すうぉん)へ移動したり、大田(たいれん)へ移動したり、最終的には釜山まで撤退しているんです。 ということは韓国政府はソウル陥落後、行き場がなく釜山まで追い詰められたわけです。そこへ仁川(いんちょん)奇襲上陸【※】というのをやるんです。これで形勢が逆転します。

※仁川奇襲上陸
仁川上陸作戦のこと。朝鮮戦争中の1950年9月15日に国連軍がソウル西方約20キロメートル付近の仁川へ上陸し、北朝鮮よりソウルを奪還した一連の作戦。

 ところが平壌まで押していったときに、今度は中国側が参戦するんです。中朝連合軍が2回目のソウル占拠をします。当時の李承晩大統領はソウルから逃げ出し、また釜山に戻りました。 そうこうしているうちにマッカーサー【※】が更迭されたりして「戦争をやっていてもしょうがない。休戦協定をやらないか」という流れになった。ところが休戦協定が、なかなかまとまらないのです。

※マッカーサー
アメリカの軍人のダグラス・マッカーサー。連合国軍最高司令官を務めた。

 51年になり、10月25日に第1回の板門店(はんもんてん)休戦会談【※】が行われた。でもこの最中も局地的な戦闘を朝鮮半島の至るところでやっていました。

※板門店休戦会議
正式名称は朝鮮戦争休戦協定。1950年から続く朝鮮戦争を終わらせた休戦協定のこと。南北朝鮮を隔てる京畿道にある板門店で署名が行われた。

 しかしアメリカで「なぜ我が国の若い者が朝鮮戦争で血を流さなきゃダメなのか」という厭戦(えんせん)気分が蔓延し、それで53年の7月27日に休戦協定が締結されました。これを竹島にふりかえてみますと朝鮮戦争が勃発、このとき日本は韓国軍、米軍の味方でした。要するに軍の補給拠点となったわけです。これがもとで日本は経済回復をして発展の道を辿るわけです。

 51年9月1日にサンフランシスコ条約で戦争が終わります。そして「竹島は日本の領土」とアメリカが韓国に通告しました。その半年後に李承晩ライン【※】を発令しました。「とにかく近づいてくるやつは全部撃っちゃえ」と、アメリカの意向を無視して李承晩ラインを設定して竹島を取り込んだわけです。その後53年の終戦までいろんなことがあったんですが、日本人の漁師が殺されたり海上保安庁の船が砲撃されたりした事件がありました。

※李承晩ライン
李承晩が大統領令「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を公表することにより設定された韓国と周辺国との間の水域区分と資源と主権の保護のための境界線のこと。

 ソウルを2回も占領されて、釜山まで追い詰められた李承晩大統領。李承晩の頭の中にあったのは海からの攻撃を受けた場合の挟み撃ちです。韓国が消滅するかもしれないという恐怖におののいたと思うんです。「何とかしなきゃダメだ」と思ったはずです。

 そのとき李承晩大統領は、竹島は日露戦争のときにバルチック艦隊【※】を早期に発見するために、日本の舞鶴鎮守府の海軍があそこに監視所をつくったことを思い出したと思うんです。あそこから見ていれば迂回してくる中朝軍の海軍の船舶を早期発見できるんじゃないかと思ったのではないでしょうか。

※バルチック艦隊
旧ソビエト連邦海軍のバルト海に展開する艦隊のこと。バルト艦隊、バルト海艦隊とも呼ばれる。

角谷:
 なるほど。

山本:
 僕の想像ですが休戦協定の気運に乗って、それで戦闘が一時休止したり、また激しくなったり、それでソウルに帰ったりという繰り返しをやっている中で、竹島とは朝中軍に対して必要な軍事的な島であるという認識をさらに深めたと思うんです。それで休戦協定を行った直後に、今度は独島義勇兵、義勇軍という民間の団体に武器を与えて竹島に上陸させたのです。

 他国の領土に正規軍を送りつけるわけにはいきませんから、民間の義勇軍というふうに体裁を整えたと思うんです。それでその直後に「近づいてくれば撃つ」という、要するに不法占拠が始まったわけですね。だからこの年表2つを見比べてみると、当時のリーダーだった李承晩の竹島に対する思いというのが非常によくわかるんです。僕が感じ取った心象なんですけれども、これは今まであまり言われていないことだと思うんです。


山田:
 1951年4月のトルーマン大統領のマッカーサー更迭やアメリカ内での対朝鮮半島戦略の変更の中で狭間が生まれてしまったときに李承晩が独自の動きをしはじめた。特に李承晩にとって怖いのは、アメリカというよりもマッカーサーです。マッカーサーがいなくなるその段階で「自分たちは守ってもらえるのか」という危機感が出てきたんだと思うんです。鬱陵島にしても竹島にしても、北に取られてはいけない島であるというところで強引に奪ってしまった。

 もう一つは食べ物と漁業の問題。韓国という国を統治するにあたって食糧を確保しなければいけない。そこで漁業専管水域という、独自に自分たちが自由に魚を獲れる海域というのを拡大したいと思った。拡大しないと国民が飢えてしまう、だから国民はついてこないというところで、強引に軍事を行ったということが言えると思います。

松嶋:
 この李承晩ラインというのは勝手に設定したところで、それってどういった効力があるんですか。

山田:
 正直言って、効力はありません。独自に判断してしまった。しかしそれが実効支配というものなんです。力を持って奪い、既成事実として今まで残ってしまったのが竹島。この既成事実を早い芽で摘まなかったという大きなミスがあるわけです。

松嶋:
 先ほどの映像を見てしまうと日本人として「竹島は日本の領土だ」って本当に思っていていいのか、すごく不安な気持ちになっちゃうんですけど、竹島は日本の領土なんですよね。

山田:
 間違いなく日本の領土です。要はこの国は泣き寝入りをずっと続けて、北方領土にしても竹島にしても、血も流れて奪われているわけです。40人ほど殺された人もいます。それをすべて置いておいて「今、この国は平和だ」と言っているわけです。北方領土ではもっと悲惨なことがありました。1万7000人が追い出されています。いまだに、「守ろう」という意思を示さない国なんです。そうであれば韓国はやったもの勝ちですよね。

 本当にそのうち対馬も韓国のものなんだと動きかねません。 今、中国はそうやって「尖閣諸島は中国のものなんだ」と強引に言い出して、「沖縄も中国のものなんだ」というのが、じわりじわりと浸透しているんです。それに対して日本は、政治的にも外交的にも「ちょっと待って、ちょっと待って」って時々言っているだけで、本当にそういう意思を示してこなかったんです。

今後、日韓間で交渉の筋は見えるのか

松嶋:
 ちなみに「竹島は日本の領土」とアメリカより韓国に通告が行ったわけじゃないですか。この事実は韓国の方ってご存じないんですか。

山田:
 韓国の方々はサンフランシスコ条約【※】で、明確に日本のものになっていることに関して、あまり興味を持っていない。韓国の人たちは興味を持たないし、それを伝えるということをしていない。だから日本の教育と韓国の教育の意味が全く違うわけです。

※サンフランシスコ条約
正式名称は日本国との平和条約。第二次世界大戦におけるアメリカをはじめとする連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約。

 韓国の場合、政府の考え方を教え込むのが教育です。日本の場合はどっちかと言うと、正義や常識というものを教えます。その大きな違いがあります。その中でネット社会がどんどん韓国の若い者を変えはじめているというのも一部あります。世界を見てしまい「韓国はおかしくないか」と思いはじめている若い世代が出ているのも事実だと思います。

角谷:
 さきほどの山本さんの仮説は「なるほど」というところがたくさんありますけれども、まず一つは、朝鮮戦争の扱い、日本の歴史はたぶん朝鮮戦争特需のことが歴史上の物語になっているんですよね。

山本:
 それは伏線です。日本は朝鮮戦争で経済を回復した。それと海洋宣言をした時期というのは、まだ強烈な敗戦国民のしっぽを引きずっていた時代ですからね。

角谷:
 そうですよね。

山本:
 だから日本はあえて文句を言えなかった。しかしここに当時の朝日新聞の記事があるんです。サンフランシスコ条約で「竹島は日本の領土である」という認定がされました。そうしたら朝日の記者はすぐ竹島に上陸しました。それで「日本へ還る竹島探訪」という、1面トップに大記事を掲げました(笑)。

 こういういろんな歴史的証拠があります。私もそれを一生懸命探したんです。現地へ行けば確かにあるんです。そういうのをまとめて山田先生みたいな専門家が詳細に調査するシステムとか、研究所だとか、ライブラリーだとか、博物館などが全くないですよね。

角谷:
 自衛隊はまだない時代だし、朝鮮戦争は日本がかかわらない分、日本の復興にエネルギーを費やす時代だった。そういうところでは「国家の存亡をかけた朝鮮戦争の結果をどうするか」という李承晩の判断があったことを、もしかしたらアメリカが黙認したんですかね。

山田:
 黙認をしたと言い切れるかというところですが、もともとどちらかというと、日本統治というのは保守系よりも革新系の力が強いようにつくられているというところにも、そのひずみが出ているんだと思います。
 
 朝鮮戦争のとき機雷処理のために、日本から海上保安官が向かい、犠牲になっているんですよ。朝鮮戦争すら日本は助けに行っている。これは機雷処理という部分のみですが、犠牲者を出してでもその作業を行った。それは韓国という国にその能力がなかったから、かわりに日本の海上保安庁がやっているわけなんです。

 そういう関係もありますが、それをすべて封印してしまって「どうして韓国は本当の歴史を伝えないんだ」ということが私どもには、非常に理解不能なのです。韓国は強引に竹島だけをクローズアップして「これは我々の島なんだ」と言っている。いっそのことロシアみたいに「日本から奪ったんだ」、「取り上げたんだ」と言えば、交渉の筋ができますよね。 

山本:
 ただ、先生、それは無理ですよ。だって日本と韓国は同じ国民だったわけでしょう。それでさらにその後の歴史的に言うと、アメリカを支援しているわけだから、韓国軍といえども味方同士だったわけですよね。だから味方同士がものを言えないのをいいことにして、ソウルが2回取られたように「いつ海から来るか」という恐怖がこれから未来永劫続くかもしれない。

 だから「竹島を取っちゃおう」と強引にやっちゃった。これは先ほど、角谷さんがおっしゃった、「日本人がなにも、ものが言えない時代だった」ということに乗じたわけですね。

山田:
 もう一つはまだ日本に対する恐怖感や、起点になるのは竹島あるいは鬱陵島ということを考えていたかもしれません。

角谷:
 アメリカが日本を見る目もまた違っていたかもしれませんね。

山田:
 そうですね。

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