体罰でも愛があれば許される? トランペット奏者・日野皓正氏の往復ビンタ騒動から考える指導者の体罰問題
「体罰」と「暴力」は別の問題だと思う
加藤純一:
「暴力」と「体罰」って別の問題だと思います。
横山緑:
手を出す必要はない、口で言えばいい。
ケーキ姫:
そうだよー!
横山緑:
口で言わずに手をだすのは、人間として(会話)のやり取りができないってことだからね。
ケーキ姫:
正解!
加藤純一:
でも、3年B組金八先生だって、「オレは今からお前のことを殴るけど、これは愛があるからな」ってみんなぶん殴っていたじゃないですか。オレ、すごい(良い)意味で感動しましたよ。
横山緑:
やられたほうは痛いだけ。オレも過去に先生にビンタとかいろいろやられて、未だにムカつくもん。小学校4年生のときの話。
一同:
(笑)
野田草履:
愛が伝わらない人がいるんですね。
ひろゆき:
いくつだよ(笑)。
横山緑:
その恨みは今でも絶対に忘れない。
ひろゆき:
何年前だよ!
横山緑:
みんなの前で泣かされてさ。
加藤純一:
今の時代だからこそ、体罰は有効だと思うんですよね。「こんなに(世間で体罰はいけないと)騒がれているのに、先生はお前のことを殴るほど、お前は悪いことをしたんだぞ」って生徒に言えるから。
横山緑:
でも、それは言い方ひとつで変わると思う。先生の機嫌が良いか悪いかなんだよ。先生も人間だから、嫌なことがあってそれで生徒へバンと手を出しちゃダメだよ。
ケーキ姫:
うん!
横山緑:
手を出された瞬間に(学校を)やめますって言うもん。
野田草履:
こいつは殴っても伝わるなって、判断をできない先生は殴る資格がないってことでしょう。
加藤純一:
オレが言っているのは、なんでもかんでも殴ればいいってことではないですよ。悪いことをしたら、オレの子供を殴ってほしい。
野田草履:
オレは殴られたことないです。何故なら、こいつには愛が伝わらないなってのがわかっているから。
一同:
(笑)
先生や親に殴られることで、いじめにもつながっていく?
ケーキ姫:
先生や親に殴られると、その子供は「暴力は良いこと」って思うようになる。
ひろゆき:
問題を解決するのに「暴力を使っていいんだ」と思ってしまうと?
ケーキ姫:
そういうふうに育ってきた子供たちは、たぶんいじめをする子になると思う。
ひろゆき:
殴ってもいいんだと思っちゃうからね。
加藤純一:
いや、それは馬鹿な子供だったら親の責任だよ! だって、人を殴っちゃいけないのを当たり前だよ。
ケーキ姫:
じゃあ、なんで子供を殴るんだよ。
加藤純一:
悪いことをしたから殴るんだということを、先生がそこまで教えなきゃいけないのはおかしいよ。
せいびぃあ:
ボクは殴るのは良くないと思うんですけど、ただ、愛があれば別にいいかなと思っています。
今回話題になったのは、ジャズの先生だったじゃないですか。『「セッション【※】』という映画がありますけど、表現の世界では追い込まないと見えない領域があって、追い込んで追い込んで、そこの領域までいかないとクリエイターって魅せられない世界はあると思います。そういう、「連れていきたい領域があるんだよ」という先生の愛があれば、別にいいかなって気がします。
※セッション(原題:Whiplash)
若いジャズドラマーが偉大なドラマーに憧れ、理不尽な暴力を受けながらも成長をしていくという、アメリカで製作された2014年のドラマ映画。
ひろゆき:
「セッション」いい映画ですよね。
せいびぃあ:
いい映画ですね。心にキズが残るような体罰は絶対ダメだと思うんです。良い体罰と悪い体罰があって、良い体罰ならいいかなって感じです。
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