「ミイラ」って何のために作るの? 死者への敬意と永遠の信仰を示した“古代エジプトの神秘”に迫る
今回紹介する動画は、薄荷(マイクラとエジプト) さんがニコニコ動画に投稿した『【古代エジプト】古代エジプト人はなぜミイラを作ったのか?【ゆっくり解説】』という動画です。
古代エジプトの葬儀儀式とミイラの生成方法について、音声読み上げソフトを使用して解説をしています。
■古代エジプトのミイラと葬儀
魔理沙:
みんなミイラを作ったことはあるかな?
霊夢:
あるわけないでしょ。
魔理沙:
今はないかもしれないけど、いつの日か作らなきゃいけない日が来るかもしれないだろ。というわけで今回は、明日ミイラをつくらないといけないとなった日のために参考になるよう古代エジプト式「ミイラのつくりかた」を解説していこうと思うぜ! その前にまず、古代エジプト人の死生観について解説していこうと思う。
霊夢:
よろしくお願いするわ。
魔理沙:
そもそも古代エジプト人は死後に再生・復活をして永遠の命を得ることを望み、先王朝時代から手厚い埋葬が行われていたんだ。先王朝時代の後半からは徐々にエリート層が台頭、身分の差が生まれ墓の大小にも影響し始めた。
それによりこれまでは楕円形の竪穴墓が多くを占めていたが、方形の大型墓が出現し始めたんだ。これにより今までの墓では自然乾燥によるミイラの保存が可能だったものが、墓の巨大化により遺体の乾燥が抑えられ腐敗し白骨化するようになったんだぜ。そこで人工ミイラの制作が発達したんだ。
霊夢:
へえ、人工的にミイラが作られるようになる以前は、自然乾燥によってミイラが作られていたんだね。
魔理沙:
古王国時代には王や王族など一部の支配者層に限定されていた人工ミイラ制作は、オシリス信仰の大衆化とともに社会の下層の人々にまで普及するようになるぜ。そして、中王国時代を経て第2中間期末の「死者の書」の成立により死生観が確立したんだぜ。
霊夢:
はじめから人工的にミイラを作っていたわけではなかったのね! ところで途中出てきた「死者の書」ってどういったものなのかしら?
魔理沙:
死者の書とはパピルスの巻物に書かれた葬祭文書で、新王国時代には副葬品として墓に収められていたんだぜ。他の葬祭文書と違い、挿絵が描かれていることが大きな特徴なんだぜ。この文書は死者が冥界の旅に出て復活・再生し、楽園にたどり着くのに必要な呪文が記されているんだ。
ただし楽園までの道のりには数多の困難が待ち受けているんだ。最終的には冥界の王オシリスによる審判を受けなければ楽園にたどり着けないんだぜ。こういった困難を乗り越えるため、必要な呪文をパピルスに書いていたと考えられているんだ。
霊夢:
やっぱり古代エジプト人も、死んだら楽園に行きたかったのね。現代人の「死んだら天国に行きたい」と言っているのとそう変わらないのかもしれないわね。
魔理沙:
そうだな。人間だれしも死んだ後も苦しみたくないってわけだな。そんな古代エジプト人だが、彼らは「カー」「バー」「アク」「レン(名前)」「シュウト(影)」の5つが人間を構成する重要な要素と考えていたんだぜ。これらは人間の生前はもちろん、死後においても必要不可欠だったんだ。
特に「カー」と「バー」は死後の復活のために結びつく必要があったため、遺体をミイラにして保存したんだぜ。「カー」は、供物を受け取り生命力を維持する存在で、ヒエログリフでは肘を直角に曲げ、手のひらをまっすぐ伸ばした両腕で表現される。
「バー」は、人間の魂ともいえる存在であり、個人の個性・人格にあたる存在なんだ。「アク」は、「カー」と「バー」が合体したものであり、死者が冥界で暮らせるよう変化したものだぜ。「レン」は出自や人格を表しており、「シュウト」は、悪しきものから身を守る役割があるんだぜ。
霊夢:
そうだったのね。なかなか面白い考え方ね。
魔理沙:
というわけで古代エジプト人の死生観の話はこれくらいにして、次はいよいよミイラの作り方について解説する。
古代エジプト人は死後に再生・復活して永遠の命を得ると考え、そのためにミイラづくりが行われていたことは、さっきの古代エジプト人の死生観のところで説明したと思う。基本的には死者の遺骸から心臓以外の臓器と脳が、アヌビス神の仮面をかぶったミイラづくり師によって摘出されていたんだ。
霊夢:
なかなかすごいわね・・・・・・。具体的にはどんな感じだったのかしら?
魔理沙:
まずかぎ棒で鼻孔の奥にある骨を壊し、脳を液体にして摘出したぜ。当時、感情や思考を司るのは心臓だと考えられていたから、あまり脳は大切にされていなかったんだぜ。次は内臓の摘出。左の脇腹を縦に石のナイフで切開し、そこから体内の臓器を摘出したんだ。
ただし心臓だけは最後の審判に必要なため、摘出せず元の場所に戻されたんだぜ。
霊夢:
摘出した臓器はどうしたのかしら? そのまま捨てちゃったのかしら?
魔理沙:
いや、取り出した内臓のうち、腸・肺・肝臓・胃の4器官はミイラづくりと同じ方法で処理したのち、カノポス壺と呼ばれる容器に入れられ、ミイラとともに副葬されたんだ。カノポス壺は石でできた円筒形容器で、中王国時代以降は蓋にホルスの4人の息子と呼ばれる4柱の神様の顔が表現されるようになったんだ。
ドゥアムウトエフは山犬の頭をした神で胃を守護する神。ハピはヒヒの頭の神で肺を守護する神。ケベフセヌウエフはハヤブサ頭の神で腸を守護する神。イムセティは人頭の神で肝臓を守護する神なんだぜ。
霊夢:
内臓を守護する神様ってなんだか不思議な感覚ね。内臓を摘出した後はどうするのかしら?
魔理沙:
内臓を摘出後、亜麻布やパピルスを使って遺体の表面と内部を洗浄し、空洞となった頭には温めて液状にした樹脂を流し込んだんだ。遺体の乾燥・脱水にはナトロンという炭酸塩鉱物が使用されたんだ。遺体内部にはナトロンが詰められ、遺体全体もナトロンで覆い40日程度乾燥させたんだ。
乾燥すると遺体は骨と皮の状態となるので、再び遺体を洗い香油と樹脂を塗ったら空っぽのお腹におがくずを入れたり、くぼんだ目に義眼を入れたりして生前の姿に近付ける作業が行われたぜ。
その後、亜麻布の包帯を念入りに巻いていくぜ。頭・胴体・足・腕・体の部位にそれぞれ個別に巻いたら、最後に全体を大布で巻いていくぜ。包帯の間には様々な護符が入れられ、これは死者の再生・復活をより確実にするために入れられたんだ。
魔理沙:
次はミイラが完成した後の葬儀についての話だぜ。ミイラは舟や棺台にのせられ、供物をささげられたうえで墓へと運ばれたぜ。葬列には儀式を執り行う神官や供物を持つ者、死者の個人的な持ち物を持つ者などが並び、泣き女という葬儀で泣くことを職業とする人たちが悲しんでいたりする様子が墓の壁画に残されているぜ。
霊夢:
泣き女……北朝鮮かな?
魔理沙:
こっちは職業だけど、向こうは泣かないと命がバイバイしちゃうから、また状況が違う気もするぜ。ミイラが墓に着くと、もっとも重要な儀式である「口開けの儀式」が執り行われたぜ。儀式ではミイラが入った棺を墓の前に立て、清めて香を焚き、油を塗ったり呪文を唱えたりした後でミイラの口や体のあちこちに手斧などの道具で触れるんだ。
これはミイラに口の感覚を取り戻し、食事や呪文の詠唱ができるようにするための行為で、さらには眼や耳、鼻といった部分の感覚を取り戻させるためのものだったぜ。儀式には「ペセシュ・ケフ」と呼ばれる魚の尾のような形の刃がついたナイフが使われたぜ。
魔理沙:
と、いうわけで今回は古代エジプト人の死生観からミイラの作り方、葬儀の方法を解説してきたぜ。
霊夢:
死んだ人を丁重に送り出すのは、古代エジプト人も現代人も同じなのね。
魔理沙:
そうだな。価値観や文化、葬儀の方法は大きく変わっても、そういった送り出す気持ちというのは変わっていないのかもしれないぜ。
霊夢:
こうやって昔の人の思いを感じることができるのも「歴史」を勉強する醍醐味かもしれないわね。
死後も体を適切に保存しておくことで、来世でも生き続けることができると考えられていたのですね。とても神秘的な古代エジプトの文化でした。
【古代エジプト】古代エジプト人はなぜミイラを作ったのか?【ゆっくり解説】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43439720
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